ぼちぼちいこか(35)
アジアのコンピュータ文字をデザインする

伴 勇貴(1998年04月)

文字はそもそも記号だ。意味が分かればいい。文字のデザインなんかどうでもいい。

インドから来たコンピュータ技術者がか 噛みついた。シンガポールで開かれたアジアの言語のコンピュータ処理に関するシンポジウムでの出来事である。

噛みつかれた東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の町田和彦教授は待ってましたとばかりにニヤッと笑った――少なくとも僕にはそう見えた。

すでに町田さんから「インドには本当に魔物がいるんですよ。ドロドロの――。それもたくさん!」などと驚かされながら、インド人のもの考え方やインド人とのつき合い方などをいろいろ聞かされていたからだ。町田さんの専門はヒンディー語系である。

「インドでは文字があまり重視されていないことは知っています。でも、それは、大切なことは文字ではなくて口頭で伝えるというインドの伝統からきているので、世界にはもっと文字が持つ雰囲気を大切にしている国がたくさんあります。同じ文字でも、形や線の太さなどデザインで感じが変わってきます。あらたまった字だとか、優しい字だとかいろいろあります。だから書道というものが発達してきているのです。漢字を使っている中国や日本だけではありません。アラビアにも書道があり、書家がいます」

町田さんは、これからはいろいろな書体フォントのコンピュータ文字を揃えることが大切になってくるという主張を丁寧に繰り返した。まるで駄々っ子をあやしている風だった。さすがに、文句ばかり言ってきた口うるさいインド人も黙ってしまった。じっと、その顔を見ながら「いいですね、分かりましたね」と念を押すように優しい笑みを浮かべて町田さんは特別講演を終えた。


しかし、このインド人を笑うことはできない。彼は極端だったが、タイやラオスやモンゴルなどのコンピュータ技術者と話をしても書体に対する関心は低かった。どうやれば効率的に自分の国の言語をコンピュータ処理できるだろうか――そこに関心が集中していた。まだコンピュータ文字の書体をうんぬん云々する段階にはないようだった。

もっとも、一つの印刷物で数十種類もの書体を使うぐらい書体にこだわる日本でも、一昔前は、コンピュータ文字に対する関心は低かった。書体を使い分けるどころではなかった。線がギザギザの汚いドット・フォントが平気で使われていた。「このほうがコンピュータ文字らしくっていい」――こんな声さえも聞かれていた。

しかし、いまでは普通の日本語ワープロソフトでも、いろいろな種類のきれい綺麗なアウトライン・フォントを用途や好みに応じて選んで使えるのが当たり前になっている。こんな日本語のコンピュータ処理環境にすっかりな 馴れてしまっていたので、改めて、国によって文字に関する感性が違うこと、なかでもコンピュータ文字に対する期待感にも差があることを思い知らされた。


言語ことばと文字についても改めて考えさせられた。すっかり「文字の文化」に馴れきっているが、人間の歴史を振り返ると、文字のない「無文字社会」、「声の文化」の歴史のほうがはるかに長く、しかも、いまでも「無文字社会」は立派に存在しているという。

だいたい現在、世界では七〇〇〇種類ぐらいの言語が使われているが、その言語を表記する文字となると四〇〇種類ぐらいしかないという。それは、アルファベットや漢字のように同じ文字がいくつもの言語で使われていることにもよるが、基本的には、言語が音声に由来することからきているらしい。

音声がなければ言語は存在できないが、文字がなくても言語は存在できるという。人は言語で考えており、人の頭の中のプロセスは音声と関係している。文字で書かれた文章を黙読するプロセスも同じである。文章は音の世界と結びついてはじめて意味を持つ。だから「ことばの本来のすみかは音の世界にある」とも言われている。

それでも文字の発明は人間に計り知れない大きなインパクトを与えた。その意義は「言語の伝達手段として使われる符号」などという説明では片づけられない。文字によって、言語の可能性は無限に拡大し、人間の意識は再構成され、高度化された。文字のない「声の文化」とはまったく異質の「文字の文化」が発達することになった。


「カンボジアの人たちは、ここに書かれているクメール文字をほとんど読めないんです」

アンコール遺跡の碑文を指さしながら上智大学外国学部長の石澤義昭教授は悲しそうだった。石澤さんはクメール語の大家でもある。早いもので石澤さんたちが進めているアンコール遺跡の修復を陰ながら手伝うようになって十年近くたっていた。そして、長年の夢がかなって、石澤さんの案内でアンコール遺跡を訪ねたときのことである。

かたわらでは、いっしょに回ったカンボジア人の若いガイドが目をキラキラさせながら石澤さんの話に耳を傾けていた。石澤さんが語る、自分たちが知らない自分たちの歴史を一言も聞き漏らすまいと懸命に記録していた。四十度を超す暑いひざ日射しを木立の陰で避けながら、アンコール遺跡に囲まれての野外授業であった。民族と文化と文字について思いを馳せた。

コンピュータ化の進展に備えて、綺麗な書体のアジア各国のコンピュータ文字を整備しよう。そう思い立ったのは、カンボジアから戻って間もないことであった。

これまでにも日本語ワープロの誕生の契機を作った通産省工業技術院の大型プロジェクト「パターン情報処理システムの研究開発」とか、日本事務機械工業会での和文タイプライターの文字セットの検討とか、日本規格協会での「平成明朝・平成ゴッシク」の開発などに関わってきたことが基礎にあった。

「おもしろいですね。お手伝いしましょう。でも、一人では手に負えないので、相談してみます。もう二十年ぐらい前になると思いますが、ユネスコがアジア各国の活字を作って寄贈する事業をやったと聞いています。まず、そのときの状況について調べてみます。」

石澤さんが快諾してくれたことも嬉しかったが、二十年以上も前に、アジア各国の文字をデザインし、その活字を作って寄贈するという事業を日本が行っていたことを知って無性にうれ嬉しくなった。石澤さんから届いた資料で、さまざまな書体のタイ文字、ラオス文字、クメール文字の開発が行われ、その活字が寄贈されたことを知った。関係者の見識と努力にはただただ頭が下がった。


ユネスコの事業にたずさわった人たちも集まり、上智大学アジア文化研究所が事務局になってアジア太平洋地域の多言語環境に関する研究会が発足した。いまから二年ほど前のことである。東京外国語大学の町田さんも、この研究会のメンバーの一員である。

文化に関することは、当事者であるその国の人たちの手にゆだねるべきで、その人たちを支援するのだという立場を忘れてはならない――石澤さんがアンコール遺跡の保存修復で貫いている文化協力の基本的な理念である。この理念に従って、研究会は活動を続けてきている。その甲斐あって、カンボジアでもタイでも中国でも、当初は突然なんて奇妙なことを言ってくる人なのだろうという雰囲気だった人たちも理解を示してくれるようになっている。

そして具体的にいくつかの協力プロジェクトが動き始めている。しかも、これらの活動が基になって、間もなく日本印刷機械工業会を中心にアジア各国のコンピュータ文字作りが本格的に展開されるという。喜ばしい限りである。長い目で、その活動を見守っていきたいと思う。

一九九八年 伴 勇貴


参考文献
「書と文字は面白い」新潮社 石川九楊著
「文字」三省堂 阿辻哲次著
「人はなぜ話すのか」白揚社 ロジャーCヤング著 長尾確ほか訳
「滅びゆく思考力」大修館書店 ジェーン・バーリー著  西村辨作ほか編訳
「声の文化と文字の文化」藤原書店 WJ・オング著  桜井直文ほか訳
「アンコールワット」創元社 ブリュノ・ダジャンス著  石澤良昭監修
「西欧がみたアンコール」連合出版 B・Pグロリエ著  石澤良昭ほか訳
「日本語大博物館」ジャストシステム 紀田順一郎著
「出版センター通信」(NO・七、一八、二四、二五、二六、二八、三三)
「ユネスコアジア文化通信」(NO・一、六、一一、一四、一五、二〇、三四)
「多言語主義とは何か」藤原書店 三浦信孝編
「人間と文字」平凡社 矢島文夫監修
「歴史の文字 記載・活字・活版」東京大学総合研究博物館
「世界の文字」松香堂 中西亮著