ぼちぼちいこか(25)
カレイドスコープ・万華鏡 麻布十番

伴 勇貴(1997年12月)

「わあ―、すごい」髪が胡麻塩ごましお混じりになった大人が、望遠鏡の先端に二枚の円盤が付いたような形の円筒形の筒を夢中になって覗きながら大声で叫んだ。先端の円盤を回しながら眺めた方が良い、と言ったところ、彼は、二枚の円盤を同時に勢いよく回して、また「わあ―すごい」を連発した。「これが万華鏡まんげきょう! こんなのがあるんだ」二枚の円盤を別々に、それもゆっくりと回し、微妙に変化する模様を楽しむものだと説明したのだけれど、彼は、あくまでも頑固で、「いや、この方がすごい」と言い張って、また勢いよく回す。

あき諦めて、苦笑するたかのはじめ高野孟と、子供のようにはしゃぐ大人のそばに立っていた。「わあ―すごい」と騒いでいるのは作家のすぎたのぞむ杉田望。「インサイダー」の高野孟の事務所でのことである。

書籍とファイルがこぼれそうになっている棚のわずかな隙間すきまや机や片隅の応接セットのテーブルの上には、ブリキ製玩具、銀色の手動式鉛筆削り、沖縄ガラスにも似た微妙な色合いのガラス瓶などが無造作に置いてある。天井際の壁には絵巻のような世界史年表がぐるりと貼ってある。

ラジカセぐらいの大きさにもかかわらず、大出力で音色が良いことで知られるステレオもあった。僕が好きなもの、欲しいと思っているものがいっぱいあった。持っているものもあるが、ほとんどがまだ手に入れていないものである。勢い、それらに僕の目は吸い込まれてしまった。

杉田が無造作むぞうさに手にとって眺め、感嘆の声を上げた万華鏡もテーブルの上に無造作に置いてあったものである。二万円以上する代物しろものである。その値段を聞いて「ええ―っ」と杉田は再び大声を上げた。

「前からあった?」と、ようやく落ち着きを取り戻して杉田が聞いた。「うん、あったよ」と高野は言い、やや恥ずかしげに、このブリキ製のおもちゃ玩具は………、このガラス瓶は………、この世界史年表は………、と説明を始めた。ほっぽってあるようだが、粗末にしている訳ではない。ややはにかみながらも嬉しそうにしゃべ喋っている様子を見れば明らかで、気付く者が気付けば良いという高野一流のやり方である。ややシャイでもあると言える。サンデープロジェクトに出演し、硬派の雰囲気を漂わせている高野とは全くの別人である。

「二人とも東京っ子だよな」高野と僕とやり取りを聞いていた杉田は、ひがみとも差別ともつかぬ調子でからかう。杉田と高野の二人だけでは、こういうたぐいのことは決して話題にならないという。

考えてみれば、ホームページ「東京万華鏡」(http://www.smn.co.jp)を開いているのだから、高野が気の利いた万華鏡を一つぐらい持っていても不思議ではない。高野の事務所は、麻布十番の商店街通りを青山方面に歩き、店がまばらになってくる商店街通りの端に近いビルにある。そこから歩いて一〇分ぐらいのところに、東京でも数少ない万華鏡(まんげきょう)の専門店があるのだから、知っていれば、手に入れることは難しくない。

「あの店で買ったの」と聞いたら、やっぱりそうだった。隣の杉田は「欲しい。その店に連れてって」と言って、万華鏡を持って離さない。

万華鏡まんげきょう—カレイドスコープ(kaleidoscope)ともいう。小学校の理科の時間に鏡を組み合わせて作ったことがあるだろう。三枚の鏡で三角柱を作り、一方のはしりガラスで封じ、その中に色付きの小さいセルロイドや紙を入れ、もう一方の透明ガラスで封じた端から中を回転させながら覗(のぞ)くと、小さいセルロイドや色紙の切れ端の鏡の反射像により神秘的な模様が浮かび上がり、それが回転に伴って様々に変化するというものだ。この鏡で作った三角柱を、千代紙を貼った円筒に納めたものが、駄菓子屋や縁日などで売られていた。

万華鏡の歴史は古い。小学館「日本大百科全書」によると、発明したのは英国の物理学者ブルースター(一七八一~一八六八)で一八一六年のこと。日本には江戸時代末に輸入され、一八五〇年に高野長英が訳した「三兵答古知幾(タクチーキ)」に「可列以斯度可布(カレイドスカフ)」として紹介されているという。明治の初め「百色眼鏡」の名で人気を集め、その改良されたものが万華鏡と呼ばれ、明治二十四、二十五年(一八九一、一八九二)頃には子供の玩具として流行(はや)ったという。

発明されてから、そろそろ二百年近く経つものである。日本では相変わらず子供の玩具ぐらいにしか思われていないが、欧米では著しい進歩を遂げている。今では芸術作品の域に達している。値段も半端ではない。一、二万円などは安いほうで、数十万円もするものもある。

普通の円筒形の手で持つタイプから、飛行機の形をしていて置物としても楽しいもの。顕微鏡のようなスタンドタイプから天体望遠鏡のように大きなもの。先端に色ガラスや草花などを埋め込んだ円盤を取り付けたもの。何枚もの円盤が交換できるもの。円盤の代わりにアルミ箔などが入った液体のチューブを本体の筒に差し込んで動かすもの。色模様のついた大きなガラス玉をセットし、それを回転させて模様の変化を楽しむものなど上げだした切りがない。

本体部分も、木、しんちゅう真鍮、大理石、七宝、ステンドグラスなど様々である。ただ見ているだけでもワクワクし、調度品や宝飾品としての美しさに感動を覚えるはずである。子供の玩具ぐらいにしか思っていない人が驚くこと請け合いである。アメリカには多くの著名な作家がおり、愛好者もたくさんいるというのも頷(うなず)ける。

日本でも愛好者が増えており、「萬華鏡倶楽部」(電話 三五七四―六七二五)なるものが結成されているという(雑誌「サライ」小学館発行 一九九六年第二十三号)。入会金・入会資格など何もなし。月一回の情報交換会と年一回、米国で開催されるコンベンションへの参加などの活動をしているらしい。もっとも入会している訳ではないし、資金難が最大の悩みとあったので、今どうなっているかは知らない。


体調が良く、天気も散歩日和だったので、麻布十番商店街から「パティオ十番」広場を抜け、テレビ朝日通りの方に向かって、ブラブラと歩いていた時のことだ。広場から数分歩いて、左に入る路地に偶然に奇妙な店を見つけた。骨董品屋のような趣(おもむき)がするが、骨董品屋ではない。店内は薄暗く、外からよく見えないが、ところ狭しと物が置かれているのが分かる。ショーウィンドにはステンドグラスで作ったような珍しい飛行機の置物が飾られていた。それに吊られて思わず薄暗い店内に入ってしまった。それが麻布十番にある万華鏡専門店「カレイドスコープむかし館」(http://www.brewster.co.jp)との出会いだった。二年ばかり前のことである。

趣味がこうじて店を開くことになったという女主人の話は面白い。あれこれ覗いては感嘆し、その値段を聞いてはため息をつく。「持って出て結構ですから、太陽の光で見て下さい。はるかにきれい綺麗ですから」と女主人に促されて、外に出て明るい日差しの下で覗いた。たしかに格段に美しい。模様が一段と鮮やかに輝き、次々と変化する。同じ模様は二度と出てこない。神秘的としか言いようがない。すっかり時が経つのを忘れてしまった。

ここは間違いなく異次元の時空間の世界である。ここも麻布十番のタイムスリップゾーンの一つに違いない。それから何度かこの店に通った。もう一店、六本木交差点近くに「誠志堂マイヤーズ」という万華鏡の店を見つけたが、それよりも「カレイドスコープむかし館」の方が気に入った。そして迷いに迷って、ついに二万円を超すたいまい大枚をはたいて、一つ買い求めた。「やった」というその時の浮き浮きした気持ちは今も忘れていない。

そんな苦労をして手に入れたのに、高野も同じタイプの万華鏡(まんげきょう)を持っていた。高野が持っていることが分かっていれば、もう少し奮発してウィンドに飾ってあった飛行機の形をしたのを買ったかも知れない。そうおもうと、なんとなく口惜くちおしい。こうしたものには理屈抜きでこだわりが出てしまう。

口惜しいということでは、真空管式アンプでも似た経験がある。自製したいところなのだが、時間的な余裕がないため、専門誌で必死に完成品を調べた。五百万円を超すものがある世界である。そんな高いものは、いくら良くても手が出せないので、手が届く値段のもので、特性が良く、赤く点灯する真空管が美しく映えるデザインのものを探した。そして、ようやくイタリアのユニゾン・リサーチ社のものに辿り着き、その道の先達を自認する某大手メーカーの専務に相談したところ、

 

「ああ、あれ良いね。僕も先日、買ったところだ」
「でも、結構、真空管のトラブルが多いよ」

 

と事もなげに言われてしまった。

そのショックの大きかったこと――。買えなくなってしまった。それで今でも真空管アンプの特集が載っている専門誌を買っては調べている始末である。いつの日か、真空管アンプでヴァイオリン協奏曲を聞くことを楽しみにして――。

でも、杉田には、そんな拘りはないようである。良いと思えば、誰かが持っているのと同じものであっても躊躇ちゅうちょしない。つい最近の買った自慢の赤いイギリス製折りたたみ自転車もそうだったし、万華鏡の場合もそうだった。「教えてくれ」というので、連れていったら、あまり迷うことなく、高野や僕が持っているのと同じタイプのものを買って、しごくご満悦であった。二五〇種類はあるというのに、あまり迷うことがない。この屈託くったくのなさが、杉田の真骨頂なのだろう。


それから暫くして、杉田の部屋で餃子パーティをやった。「焼き餃子は邪道だ」とうるさい杉田の本場中国仕込みの手作りの水餃子パーティである。それを、たかなりたとおる高成田享とやまだあつし山田厚史を入れた四人で腹一杯食べようというこんたん魂胆である。朝から材料を仕込み、何種類もの「ぐ 具」を用意し、皮も吟味した粉から作ったというだけのことはあって、絶品だった。ここでも万華鏡(まんげきょう)が話題になった。やや遅れてきた山田は食べるのに夢中だったが、高成田が目ざとく見つけた。待ってました、とばかりに杉田はとうとうと説明する。

水餃子にしたづつみ舌鼓を打ちながら、その様子を眺めて、また一人ファンを増やしたとほくそ笑んだ。つい先日、尊敬する某大手企業の役員も夢中になって、自分のものばかりか、友人にも送るんだと言って、その場で二つも買い求めたばかりだった。

一九九七年冬 伴 友貴