ぼちぼちいこか(7)
バンコック 目線を下げると別の世界が見える

伴 勇貴(1997年04月)

バンコック 目線を下げると別の世界が見えてくる

旅支度もそこそこに慌てて成田空港に向かった。湾岸道路から東関東自動車を抜ける高速道路は思いの外にすいていた。駐停車違反で罰金を払ったばかりなもので、スピード違反にも慎重になる。バックミラーに映る車が気になる。それでもレインボーブリッジを渡り、アメリカのハイウェイを思い出させる湾岸道路に入ると自然にアクセルを踏み込んでいた。

そろそろ走行距離が一〇万キロに達するけれどエンジンは快調である。滑らかに加速し、あっという間に速度計は一四〇キロを超えた。もちろんスピード違反だが、バックミラーを見ても気になる車は見当たらない。同じぐらいの速度で走行する車が何台もいる。「みんなで渡れば怖くない」だ。道路に吸いつき、車はまったく横揺れしない。ホンダ特有のやや高めのエンジン音も心地よい。一気に開放感があふれてきた。

「余計なことを考えないで、少し気分転換をしてきたほうが良い」

「そうは言っても、やることはあるし――」

それでも気遣きづかう友人に、つい先日、優柔不断な返事をしたのが嘘のようだ。

三〇分ぐらいで、成田市街に通じる高速の出口に着いた。ここで降り、近郊の農家が経営する駐車場に車を預け、そこから送迎バスで空港まで送ってもらう。この方が空港内の駐車場を利用するよりはるかに安上がりで安心だし、おまけに帰国時までに洗車サービスもある。新聞紙にくるまれた大根など季節の野菜がさりげなく後座席に置かれていることもある。日焼けした老婆が差し出す用紙に必要事項を記入し、十人あまりの若者に続いて送迎バスに乗り込んだ。ここまで来と、もうとくに気を使うことはない。所定の手続きを済ませて搭乗するだけだ。

午後七時。スケジュール通りにタイ航空のTG671便はバンコックに向けて成田を飛び立った。約七時間の飛行で、現地時間で午後十一時四十分に到着する予定だ。液晶テレビで新作映画を見て一寝入りする――それを海外旅行の楽しみの一つにしていたのに、たまたま機体は旧式のB747で座り心地は悪いし、肝心の液晶テレビも付いていない。代わりにタイ美人の笑顔とシャンパンやワインなどの飲み物などの機内サービスを売り物にしていたが、アンコールはやらないし、食事も制限している身には意味がない。日本語の新聞や雑誌も少ないときている。もうタイ航空には乗るまいと恨みながら、唯一の日本語の雑誌を手にした。普段ならめったに読むことのない週刊朝日だ。

少数民族は寒い風に吹かれて立っている

気がつくと連載中の未公開講演録「司馬遼太郎が語る日本 ―― NO.50 朝鮮文化のルーツ」に引き込まれていた。司馬が韓国に留まらずアジアを縦横に駆けめぐりながら語る、文化と文明、文化と民族、文化と思想、そしてその背景にある彼の人間論に魅了された。

それぞれの民族がはぐくんできている文化と、その文化と密接な関係を持つ言語・文字をマルチメディア時代・情報通信時代の視点から再評価する。デジタル技術の最新の成果を使い、多くの民族が協調し尊重しあいながら発展を遂げるためのインフラとなるデジタル言語・文字環境を整備する。そんな活動を、多くの民族が共存し、日本もその一員であるアジア太平洋地域で展開する。その準備のためタイとシンガポールで関係者と会い、アジア各国の関係者が集まってシンガポールで開催されるシンポジウムに参加する。─── 今回の出張が、こんな具合に民族と文化に深く関連することも影響しているからかもしれない。

諸民族を統制するのに中国が発明したのが儒教じゅきょうで、それは言ってみれば礼儀作法のようなものだ。諸民族を統制する必要のない韓国にはいらないものだ。それなのに韓国は仏教を全部捨て儒教一色の国になった。いま、それが韓国の足枷あしかせだ。画一的な思想に縛られなかったなら、韓国の悩みも少なかったはずだ。

こう司馬遼太郎は韓国の現状をとらえる。司馬の考え方の背景にあるのは、思想や宗教によって文化が画一化されていくこと対する危惧きぐだ。儒教じゅきょうは具合が悪いが、仏教なら問題が少ない、というわけではない。

しん法家ほうかの思想を採用した。それさえ守れば文明人である。その秦を滅ぼした漢は儒教を採用した」、「儒教にさえ従えば、中国人になれ、それに参加すれば、人は六十年なら六十年、八十年なら八十年の寿命を事なく過ごすことができる」と言い、さらに奈良朝は仏教で国家を統制しようとし、それで成功を納めたけれど、たとえ仏教がなくてもまとめられたのだろうとも語っている。

もっと言えば、精神的に自立した孤高の姿を人間の理想とし、それを拘束しようとする画一的な思想や宗教に対する反発である。

「文化はだんだんすり減っていき、一種の文明、普遍性の高いものになっていきます」「普遍的な思想というものは、日本のような文化の単一性の高い国では必要ないのです」とまで言っている。そして少数民族について触れ、「彼らは誇り高い。人間そのものですね。少数民族というのはみんな寒い風に吹かれて立っていますね」と述べている。

「日本人は観念のほうが眼の前の現実より現実的なんやな」

そう言えば石原慎太郎が雑誌「サピオ」(一九九七・六・十一)で、司馬遼太郎との興味深いやりとりを紹介していた。

「司馬遼太郎がうまいことを言っていた。一緒に旅しながら『慎ちゃんなあ、日本人っておかしな民族やな』というから、『どないなところが?』と聞き返すと、『君、そやないか。日本人は観念のほうが眼の前の現実より現実的なんやな』というんだな。」

紹介した石原の主張はともかく、そこには司馬が理想とする人間の有り様と、それと対極のところに位置する───誇りを失い、むしろ画一的な思想や宗教を共有し、同質化することで安心する、いまの日本人に対する思いが凝縮されているように僕には思えてならなかった。

余命がどのくらいかを知ったこともあって、大組織を飛び出した身には「日本人には観念のほうが眼の前の現実よりも現実的なんやな」という司馬の言葉が共感を呼ぶという以上に、痛いようにしみ込む。かつては眼の前の現実を直視することを刹那的であるとし、観念を優先することが信念を貫くことと、とり違えるようなところがあった気がする。

ところが、観念がはびこ蔓延っていた大組織を離れ、いまは観念を優先するような気負いがすっかり抜けてしまっている。刹那的ではなくて、素直に、いま過ぎ行く時間が愛おしく、何よりも大切にしたいという姿勢に変わっている。

「ただ年とっただけのことだよ」と冷やかされるかもしれないが――。

佐川急便、ヤマト運輸、リクルート、イー・アイ・イー、麻布自動車、イトマン、ピサ、国際航業、雅叙園観光、藤田観光、住専、オリックス、日本リース、武蔵野信用金庫、京都信用金庫、阪和銀行、住銀、富士銀、三和、興銀、長銀、日債銀、第一勧銀、野村証券、大和証券、日産生命、三菱商事、住友商事、パチンコカード、飛島建設、フジタ、西洋環境開発、昭和シェル石油、三菱石油、ミドリ十字、金丸、細川、小沢、加藤、橋本、「論際」、通産4人組、中島・田谷、岡光、動燃、創価学会、統一協会、オウム真理教、幸福の科学、KKC、WOWOW、セントギガ、アスキー、全日空ーーー。

組織を離れたのと時を同じくして、この一〇年あまりの間に起こった様々な経済事件や疑獄事件の主役などが次々と浮かび上がっては消えていった。

ガクンという大きな揺れで現実に引き戻された。週刊誌を片手に眠り込んでいた。乱気流に突入したらしく、機体はガタガタと震え、シートベルト着用ランプが点灯していた。体の節々がすっかり凝り固まっていて痛い。座り心地の悪いシートに呪いの言葉を浴びせながら成田で買ったスウォッチを覗くと、もうバンコクに一時間あまりで到着する時刻になっていた。

タイ経済が大変というけれど、それは一部の人の話

ビリリン、ビリリン、ビリリン──。けたたましくベルが鳴った。それを合図に、昨日の出来事がめまぐるしく頭の中を駆けめぐった。そうだバンコクに着いて、ホテルの迎えの車に乗ったのだから、いまホテルに泊まっているのだ。

「もう起きていますか──。昨日は遅かったので、失礼しましたが、もう九時過ぎですよ──」手探りで手にした受話器から覚えのある声が聞こえてきた。一足先に着いていた、これから一緒に行動することになる寅さんだ。寅さんとは、大手メーカーの幹部社員で、友人の作家、杉田望がつけたアダナである。ビジネスの現場から一歩離れると、彼は、あの映画の主人公の寅さんになる。杉田が寅さんと呼んでから、本人もその気になっているようで、彼が寅さん風に迫ってきたときには、それに応えるような対応をすることにしている。

「もう起きていますよ! 寅さん!」まだ頭がもうろう朦朧としたけれど、そう切り返すことはできた。だるいなあ―と、思わずうめ呻き、ともかく起きあがって、身支度を整える。井口さんがピックアップにくる十時までに、寅さんと朝食をとり、打ち合わせをしなければならない。寅さんの今回の東南アジアの旅に対する期待は大きい。肌身でアジアを感じ、これからのビジネスのありようを真剣に考えようとしている。時間に余裕はない。

ホテルのロビーは、昨夜とはうって変わって人で混雑していた。食事を終わって、ソファに座って待っていると、井口さんが現れた。「ヤアー。どうも、どうも」日本語は便利である。それで数ヶ月間を飛び越してしまう。プックリとした体に、満面に笑みを浮かべた日焼けした顔がのっかっている。汗を拭き拭き、腰には大型の携帯電話。東大卒で中央官庁の元官僚という面影はどこにもない。辞めてまだ二年も経っていないのにである。ここバンコクで開始した事業が軌道に乗り、すっかり東南アジアを股に掛ける商売人の風情である。「ともかく出掛けましょう。下に車を付けてありますので、下りてください」と促され、彼が手に入れたばかりの新車に乗り込んだ。

昨夜は気が付かなかったけれど、車の窓から見る昼間のバンコクは様変わりである。来るたびに大きく変わっているので驚かされる。交通渋滞の酷さは変わらない。でも、人がこぼれ落ちそうに鈴なりのガタガタのバスやトラック、三人も四人もが乗っているバイク、バンコク名物の三輪車、トクトクなどは、すっかり姿を消している。トヨタやホンダやベンツの新車がたくさん走っている。渋滞の車の間をぬって物売りをする子供たち、街にたむろする素足の子供たち──左右の街角を注意く探しても見つからない。間違いなく生活水準は向上している。街は活気に溢れ、ビルの新築工事があちらこちらで進められている。渋滞緩和の手段として計画された高架鉄道の橋脚きょうきゃくもだいぶ出来上がっている。間違いなく明るく綺麗になっている。

バブルが弾けて、いまタイ経済は大変だ。人件費も高騰し、競争力もなくなり、経済成長の先行きに黄色の信号がつき始めている──そんな情報が日本では乱れ飛んでいただけに、意外だった。

最近、気になるのが日本の新聞記事で、「タイ経済減速」の文字をよく見かける。確かに昨年の経済成長は六・六%と、前年に比べ減速したに違いない。加えて銀行の不良債権増加、輸出の伸び悩みなど、経済の指標はあまり芳しくない。しかし、経済減速化と貧困層の不満、急成長に伴う交通問題、そして社会問題を関連付けで取り上げ、暗いイメージをタイ経済に抱かせるような論調を組むのはどうしたものだろう。経済の原則かと貧困層の集会とは直接的な関係はほとんどない。関係のないものを、まるで密接に関係しているよう報道し、世論を操作するはどうしたものか。

「バンコク・ニュース」で、コメンテータの井口さんが、こんな不満を述べていた背景が分かったような気がする。バーツ下落で相場が混乱というニュースも、ここにいると嘘のようである。人口六〇〇〇万人のタイ経済は間違いなく底力をつけている。もはや、日本で思われているほどヤワではない。ここの常識からすれば、桁外れの高給をはんでいる、現地の人たちの二十倍も三十倍も貰っているような日本企業の駐在員の視点はずれている。ずれた視点では判断を誤りかねない。こういう井口さんの指摘は説得力がある。

タイでロボットの導入が盛んだと聞いた。そこまでタイ労働者の賃金は高騰しているのか。そう思って、よく調べたら日本から来ている要員をロボットに置き換えるのだという。高価なロボットを新規に導入しても、その方が割安だからだという。井口さんから聞いた話である。だが、何のことはない。ロボットにできるような単純作業を日本人から来た者に高給を払っていただけのことだ。それでもやれたのは、タイ労働者からたくさん搾取さくしゅできたからで、タイ労働者の賃金が少し上がったぐらいで競争力を云々するなど馬鹿げている。楽して、うまい汁を吸うことが難しくなってきただけのことだ。

目立つ優秀な女性の活躍、職場での地位は日本以上

「同じ日本人でも現地採用者は駐在員に比べて、はるかに安い賃金で働いている。それでも家族を伴って元気に働いている。彼らが決して駐在員より劣っているとは思えない」

だいたい、タイ王室の要請で、鳴り物入りで進出した日系百貨店が現地資本の店に押されっぱなしで、苦戦していると言うけれど、ここで見ていると「なぜあのような不利な場所に進出したのか」素人目にも理解に苦しむ。これも判断を下すべき立場にある日系企業の駐在員が桁外けたはずれの高給を取り、ここの一般市民の視点を失ってしまっているからではないか――井口さんはやや憤慨していた。

「あの日本企業は大失敗です。組んだ相手はタイの大手企業ですけれど、その分野の技術者はいない。素人ばかりです。それなのに、いきなり、日本企業は大きな資本を投下し、機械を入れて強引に動かそうとしたのだから、うまく行かなくて当然です」

今回、井口さんのつてで訪ねたあるタイ資本の中堅企業の経営者たちに、それとなく、ある日タイ合弁企業の様子を聞いたところ、こういう返事が直ちに返ってきた。あまり日本では知られていない、この事実を、この人たちはよく知っていた。

「あの会社には、うちの技術者の知り合いがいて、内情をよく知っているのです」やや驚いた僕の表情を見て、こう言ってニヤと笑った。どこがまず拙いかを、僕らの前で、仲間の技術者などと意見を戦わせながら、得意げに説明する。

「われわれは、あんな馬鹿なことはやらない」と言う。自信に溢れていた。冷や汗ものだった。日本製の機械をたくさん入れ、高価な機械は二十四時間稼働させ、低コスト、短納期で、しかも品質の良い製品を作っているのを目にした後だった。多くのパソコンを導入し、LANを組み、現場でフルに活用していた。その技術レベルも確認した。寅さんは、思わぬところで自分の設計した機械を含め、何台も自社の機械を見つけてすっかり感激していた。

「ドイツなど欧州の企業とは取引があるけれど、まだ日本の企業とは取引がない」と彼らは説明した。「この会社のこと、日本企業の駐在員などは知らないんです」紹介した井口さんはやや得意げであった。一般市民の視点を持たなければ、目線を下げて見なければ、こうした企業には出会わない。タイ経済の実態は分からない。そう言いたげだった。

「あなたがたも儲かる。私たちも儲かる。井口さん、日本との窓口になってやりませんか」食事をしながら、このバイタリティ溢れる中堅企業の経営者や技術者たちは語る。この人たちは、明らかに僕が今までに知っているタイの人たちとは少し違う。中国系タイ人というだけではない。今まで知っているタイの人たちは、日系企業に幹部として勤めている人か、タイ王室の息がかかったタイの大手企業の幹部だったからだということが分かった。

ところでタイでは一般的に女性のほうがはるかに優秀で、職場でもよく働くし、高い地位についている人がたくさんいる。その意味では日本よりもずっと平等な社会である。しかし、階層社会で、階層によって意識がまったく違うので注意する必要がある――こう井口さんは、自身の経験も踏まえて断言する。

井口さんの事務所でも中心になっているのは女性社員だ。男性もいるが、女性ばかりだと何かとうるさいので入れただけだという。訪問したマンモス大学もそうだった。全体の責任者からコンピュータを駆使している現場の責任者まですべて女性だった。スタッフもほとんど女性だ。男性は?と探すと、荷物運びなどの雑役をやっていた。あとはブラブラしているだけ――。若い現場の女性責任者の説明は的確で、自信に溢れてテキパキしている。しかも、少しも気負いや不自然さがない。

あの快活で目一杯に仕事をしている中堅企業の経営者や技術者たち。それと、あちらこちらで男性以上に自信を持って仕事をしている女性たち――――改めてタイ社会について考えさせられた。上智大学外国学部長の石澤良昭教授から以前いただいた「入門 東南アジア研究」(上智大学アジア文化研究所編(株)めこん)の一節を思い出した。それには、タイの社会構造と価値体系について、次のように書かれていた。

タイの典型的な家族は小さく、家族の中で夫は絶対的な権威を持たず、女性が大きな影響力を持ち、しばしば世帯外で経済的な役割を担っている。そして女性は男性と同様に土地と財産を相続する。男性が権威を主張できる主たる回路となっているのは上座仏教で、これは上座仏教が男性に女性よりも高い儀礼的身分を与えるからである。多くの男性は一生に一度は短い期間であっても僧侶として過ごす。これは功徳を積み身分を上昇させる行為である。タイ人は父親を通して継承される性を持っているがあまり使わない。また、双系的に組織されているタイ人の社会では、夫方にも妻方にもたくさんの親族がいる。タイでは、気前の良さと共有の精神が社会的価値として高く評価されており、タイ人の子供たちは小さい頃からこれらの価値を繰り返し教え込まれる。子供たちは愛され寛大に扱われる。このことが成人したときの強い独立心につながるのである。タイ人を見ていると、アジアの近隣の民族と比べて、彼らは格段に大きな自由を享受し、自信を持ち、威厳があり、個人的には多くの選択肢が与えられているという印象を受ける。たとえば、配偶者の選択は比較的自由で、駆け落ちも珍しいことではない。また、村は伝統的に自治的である。上座仏教の影響は村のワット(寺院)を中心としてタイ文化の隅々までゆきわたっているが、道徳的に人々をきつく拘束しているわけではない。―――マレー人のイスラーム、あるいはフィリピン人のカトリックと比べても、仏教には道徳的な側面が少ないのは確かで、これが寛容的な雰囲気を作り出している。しかし、その根底には、王族から官吏、教師、僧侶、老人、親戚にいたるまで、いくつもの身分序列を有する非常に階層的な社会がある。

「見つかったら、クゥだ!」こう言って右手の人差し指を横にして喉にあてた。浮気がバレたら首を切られるというのだ。井口さんを支援する好人物のタイの男性で、再会を祝し、一緒に川に浮かぶタイ料理のレストランで食事をしていた時のことだ。彼の奥さんは大変に有能で、その稼ぎもあって彼は悠々自適ゆうゆうじてきで、それを得意にしている。それでいて結構好きにやっている。それがタイ男性の一つの典型だそうだ。

「このタイでは、年間十件ぐらい『阿部定』事件があります。そして捨てたらアヒルが食べちゃったとか。でも日本と違って明るい。だいたい、ここの医者は、アソコの縫い合わせ技術では世界一だって自慢しているんですから」強い女がだらしない男を懲らしめる。殺す意図はない。井口さんの話も分かるようになってきた。波に揺られながら、陽気で屈託のないタイの人々に囲まれ、寅さんと改めてタイの秘められた可能性を確認した。

一九九七年春 伴 友貴