幕末維新に生まれた金属活字(6/8)

河野通

島活字は、大学東校の教科書印刷に一八七〇年(明治三年)十月から一八七一年(明治四年)夏頃まで使用された。一八七一年(明治四年)発行の石黒忠悳(ただのり)訳述『虎烈刺(これら)論』 にも使用されており、その末尾の奥付には東校活版 大学写字生 島霞谷(一部に故島霞谷)発明と印刷されている。

 石黒忠悳訳述『虎烈刺(これら)論』
東京大学医学図書館 古書籍コレクション・医学図書館デジタル資料室
http://www.lib.m.u-tokyo.ac.jp/digital/HR289/index.html

 しかしこの活字は島の死亡と強力な開発の推進者であった石黒忠悳(ただのり)が一八七一年(明治四年)九月の大学退官とともに消滅した。
あまり世間に知られていないが、島霞谷(しまかこく)の活字製作と、この活字を使った活版印刷による教科書が明治初期、維新直後の日本最初の近代的教育機関である東京大学医学部前身の大学東校での医学教育と当時、猖獗(しょうけつ)を極めた虎烈刺(これら)麻疹(はしか)などの伝染病に対し、治療知識の普及、公衆衛生の改善に大きく貢献したことを特筆し、島霞谷(しまかこく)の業績を改めて讃えておきたい。