印刷 文化と文明の関わり(5/11)PDF

元凸版印刷株式会社 河野 通

グーテンベルク銀河系の終焉
BEING DIGITAL

NICHOLAS NEGROPONTEの予言

1985年、MITメディアラボ所長のネグロポンテはコンピュータが放送通信と印刷出版を統合する時代が来る、その時どう対応するかが問題と予言した。

1978年

1977年アップル2発売

2000年

The Change from atoms to bits is irrevocable and unstoppable

当初印刷のみであったメディアは20 世紀に入るとともに 電子技術の発展につれて多様な様相を呈してくる。記録媒体伝達手段(通信)ともにその変化を追ってみる。記録メディアとしては1877 年エジソンによるレコードの発明、1895年ルイ・オーグストによる映画、1946年ソニーのテープレコーダ、カセットテープ、磁気ディスク、フロッピィディスク、CD、DVD,HDDなど。通信でも1837年モールス・電信、1876年ベル・電話、1895年マルコーニ・無線電信、1930年RCC ・TV、インターネット(日本では1993年商用公開)など。コンピュータは1945年エニアックが作られた。1959年初めてICが誕生してコンピュータは市場性をもった。IBMの時代である。1973年インテルが8ビットのMPUを開発、1977年スティーブ・ジョブスがアップル2の発売、1981年のIBM PC、パーソナル・コンピュータ時代の到来。1983年アップルGUI開発、1984年Mac発売など。

そして1985年、ネグロポンテは21世紀をまさにメディアフュージョンの時代、グーテンベルク・ギャラクシーの終焉と変革を予想し、来るべき社会のメディアの在り方、コミュニケーションのあり方を研究すべく“Being Digital”を合言葉にメディアラボを設立し研究所を立ち上げた。

ホリエモンの挑戦

  • 有線から無線へ
  • 通信速度の向上
  • 大容量記憶装置の低価格化
  • ブログ時代 (WEB 2.0へ)
    文語の時代から口語の時代へ

10年前には28Kb/sの通信速度が現在の光通信では100Mb/sが普通になり、映画ですら送信可能になった。20年前には新聞1ページ送るのに3時間以上かかり、新幹線でフィルムを運んだほうが早かった。携帯電話ですら150Mb/sの時代、15年前1テラの記憶装置が3億円した。いま10万円以下で手に入る。しかもポケットに入るくらいの大きさである。

この流れの中で、結局、初めから金を目当てにした人は最終的に失敗し、メディアフュージョンの技術開発に成功した人が結果として金持ちになっている。やはり最後のところで利益はプロセスの是非を判断する指標のようである。

インターネットはWEB2.0へと進化してきた。ウィキペディアにみるように消費者(ユーザー)が開発生産にかかわってくる時代になっている。開発生産者と消費者のコラボレーションで、アルビン・トフラー著「第三の波」(The Third Wave : 1980年)の中に出てくる、producer(生産者)+ consumer(消費者)=prosumer : 「プロシューマー」という者が現実味を帯びてきている。トフラーは、自動化が進み、従来の消費者が自分で使うものを生産できるようになる、機械にデータをインプットして消費者は求める完成品を作り出すという姿を描いたが、それに近付きつつある。

もっとも、「プロシューマー」という言葉は、最近は、生産者(producer)と専門家(professional)と消費者(consumer)を合わせた造語と解釈もされているらしい.製品やサービスに対する知識や開発技術を持った消費者のことで、自らも開発生産活動に加わる、例えば、オープンソースソフトウェアの開発者などが、その典型とされている。

いずれにても、新しい時代を切り開くためには歴史観 技術トレンドの転換点を見る感覚が不可欠である。しかし、それは「必要条件」であって「十分条件」ではない。「必要十分条件」を見極めることが、ますます転換期の人間には不可欠になっている。

印刷技術論

印刷

画像文字などの原稿から作った印刷版の画像部にインキをつけて、原稿の情報を紙などに転移させて多数複製する技術

印刷の5要素

  • 原稿
  • インキ
  • 印刷機

画像の製版

  • 石版(リトグラフ)
  • 写真製版
  • パターニングとスクリーニング(網掛け)

印刷の5方式 

  • 平版
  • 凸版
  • 凹版
  • スクリーン
  • 無版(インクジェット、レーザープリント)

印刷技術の話の前に原点から「印刷とは何か?」を考えたい。JIS Z 8123によれば、「印刷」とは、画像・文字などの原稿から作った印刷版の画像部に印刷インキをつけて、「原稿」の情報を紙などの上に転移させて、多数複製する技術の総称と定義されている。ここのキーワードは、版を作ること、それと多数複製である。そこで、まず版はどうして作るか? 版の元になる原稿はどんな要素からなるのか? 大別すると「文字情報」と「画像情報」の2つである。

文字印刷

  • 活字
  • 写真植字
  • CTS(Computer Type Setting)
  • DTP(Desk Top Publishing)

活字は発明された時から科学技術的に完成された域に達しているものであった。それため500年もの間、その基本は変わることなく受け継がれた。当初から規格化、モジュール化、精密化が図られていたのである。なお、文字や記号の大きさは「ポイント」で表し、1/72インチが1ポイントである。通常「1ポ」と言われている。文字や記号の書体はフォントと言い、同一の書体で必要とされる文字や記号を用意したものを「フォントセット」という。

戦後、日本で写真植字機というものが開発された。多数の文字がガラス板に描かれており、その中から必要な文字を一つ一つ選び出し、それをレンズ機構を通じて拡大縮小し、全体として出来上がる組版の姿を考えながら、フィルムの所定の位置を感光させて、それから印刷用原板を作るという技術である。一つ一つ活字を拾い、ケースに並べ、それで組版を作るという方法に比べると、出来がったフィルムの切り貼りなどに組版の改編集が出来る自由度があり、画期的であった。これが日本の印刷業界を席巻した時期があった。

1970年代、凸版印刷と富士通によりコンピュータを使って文字を組版する、いわゆるCTSが完成した。アルファベットは文字数が少ないのでコンピュータ処理が容易だが、人名、地名などをカバーしようとする日本語では6万字あまりが不可欠で、それらをすべてコンピュータで扱えるデジタル・フォント化することが大変で困難を極めた。しかし、完成すると、その効果は大きく、以後、出稿と印刷との時間競争が命のような新聞社などを中心に類似のシステムが相次いで導入されるようになった。

その後に登場したのがパソコンである。パソコン用組版ソフトが出現し、簡単に組版が出来るようになった。いわゆるDTPである。日本語の場合に入力方式が問題であったが、東芝により日本語の仮名漢字変換方式が考案され、それを契機に相次いでパソコン用日本語ワープロソフトが出現し、一気にパソコンでの日本語処理が進むことになった。デジタル・フォントも、日本規格協会フォントセンターの平成明朝・平成ゴシックの発表を契機に、「日本語デジタル・フォントセット」価格が劇的に廉価になると同時に、様々な「日本語デジタル・フォントセット」が出現し、1990年代後半から一気にDTP化が進んだ。その「デジタル・フォント」も「ユニコード」という国際規格対応のものとなり、同一画面上で「文字化け」することなく、多言語が扱えるようになり、画像を含め、組版はパソコンによるDTPが普通になっている。

活字と母型

印刷博物館 004

母型

活字と活字棚

印刷博4 031

印刷博4 032