大阪の明治・大正・昭和初期のカラー印刷(5/8)
市田幸四郎とその時代(1885~1927年)

元凸版印刷株式会社専務取締役 河野通

印刷分野の起業ブーム

明治維新は「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という戯れ歌以上に、大きな変化のうねりが世の中を否応なしに引っ張っていった時代であった。現在の“激動”などは、それに比べれば、多分、“微動”だと言って良いだろう。その真っ最中の明治18年(1885)に市田幸四郎は生まれ、当時、横浜と並んで西欧文化の接点・窓口と華やかだった神戸の象徴的なトップクラスの写真館の養子となり、そこで育った。そして誰よりも敏感に時代の変化、新時代の到来を感じたはずである。

市田幸四郎の幼年・青年時代は、海外からの新技術(銅版、石版)による色鮮やかな「引札」…………商店や商品の広告宣伝のための「ちらし」が大阪の商法と結びついて大きく発展し、起業ブームが起こり、明治24 年には大坂商業会議所の銅・石版業組合員として27 社もが記載されることになった時代でもあった。

明治10年(1877) 中田印刷 中田貞炬 銅版印刷 石版印刷
明治18 年(1885) 藤井改進堂 藤井護三郎 石版印刷
明治18 年(1885) 古島印刷所 古島竹次郎 木版、石版
明治21 年(1888) 中井印刷所 中井徳次郎 木版、石版
明治25 年(1892) 森川印刷 石版動力機

こうした印刷業の起業ブームに続いて、印刷機械の駆動が手動から動力機となる動力革命が起こった。

明治20年(1887)には大阪電灯会社が設立され、明治22年(1889)から送電が開始されてはいたが、もっぱら照明用で、それを使った電動機(モータ)を動力源とするには不十分であった。そのため明治27年(1892)、古島印刷が印刷機械の駆動用として導入したのはエア・エンジンであった。その70年以上も前の日本が江戸時代の1816年にスコットランドの牧師、ロバート・スターリングにより開発されたもので、後にスターリング・エンジンと呼ばれるものである。日本が江戸から明治に変わる約100年前の1769年にジェームス・ワットによって開発された新方式の蒸気機関がイギリスの産業革命の原動力となったが、高圧のため爆発事故などが頻発したことから誕生したのがスターリング・エンジンで、蒸気機関と並んで盛んに利用され、すでに長い歴史を持っていたエンジンである。

ロバート・スターリングとスターリング・エンジン
http://www.aist.go.jp/aist_j/science_town/environment/environment_12/environment_12_01.html

動き始めると流れは速くなる。同じ年には、それより遙かに新しいタイプのエンジン、20年ほど前、日本がまだ江戸時代の1876年(明治9年)にドイツのニコラス・オットーによって開発された現在の普通のガソリン・エンジンと同じ4 サイクル・エンジンだが、ガソリンがまだなかなか入手し難いため石油を燃料とするものの普及が先行した、いわゆる石油エンジンが森川印刷によって導入された。そして、その7 年後、明治34年(1901)には電動機(モータ)が中田印刷によって導入されることになった。

しかし、当時の日本では、石油エンジンもまだ早すぎた。電動機(モータ)はもっと早すぎた。それよりも明治35年(1992)に大阪ガスが操業を開始したことから、ニコラス・オットーの4サイクル・エンジンの10年前、まだ日本が江戸時代の1859 年にフランス人のジャン・ルノアールによって開発された液体ではなくてガスを燃料とする2 サイクル・エンジン、いわゆるガス・エンジンが普及することになった。ところが明治39年(1906)、宇治川電気(22)が設立される頃には、電力事情も遙かに安定・改善し、印刷各社が印刷機の駆動の動力源として電動機(モータ)を使用するようになった。

宇治発電所

動力化により重い石版の取り扱いも楽になり生産性が上がった。そして大阪の印刷所が全国から注文を受けて活動するようになった。それが若い市田幸四郎に大きな影響を与えたことは想像に難くない。

印刷需要は拡大し、それに対応する印刷機械の駆動用の動力革命が進行する中で、明治30年代に入って、再び起業ブームが起こった。東洋印刷(明治32年:1899)が設立される一方、明治21年(1888)創業の中井印刷所が新体制のアルモ印刷(明治36年:1903)となり、明治10年(1877)創業の中田印刷も日本精版印刷(明治38 年:1905)として生まれ変わるなど第二次起業ブームが起こった。欧州が100年以上を費やして行った産業革命を、その数分の1の年数で達成するような猛スピードで日本が疾走していた想像を絶する目まぐるしい時代であった。

以下、実例を見ながら、この当時の印刷技術に思いを馳せたい。なお、「引札」は、すでにいろいろ研究されており、ネット上でもたくさん紹介されている(順不同)。

  1. 大阪府の「おおさかアーカイブス」(23)
  2. 福島県の「古書ふみくら」(24)
  3. 時計引札(25)
  4. 枚方市の引札デジタルアーカイブ(26)
  5. 讃岐の引札(27)
  6. 増田コレクション(28)
  7. 二葉珠算学院(29)
  8. アド・ミュージアム東京(30)

明治19年(1886)の三井呉服店のポスター(木版)
明治37年(1904)三越呉服店に改称

明治19年(1886)の石版カレンダー(銅版から石版刷)
森川印刷

明治24年(1891)の石版カレンダー(銅版から石版刷)

明治29~30年(1896~1897)の木版名所絵図
古島印刷所

明治 29~30 年(1896~1897)
銅版から石版刷

最盛期の引札 明治33年ごろ(1900)
見本帳を作り全国から注文を集め、注文に応じて文字や店名を刷り込む

  1. かつて存在した5大電力(東邦電力、東京電灯、大同電力、宇治川電気、日本電力)の一つ。日清戦争・日露戦争によって工業化が進行し、電力需要が増し、それまでの都 市部での火力発電に代わって淀川水系の上流、宇治川水系に水力発電所を建設する計画が持ち上がり、そのために大阪電灯と京都電灯などが動いて競合状態になったために 新たに京都に設立された。大正2年(1913)、宇治発電所は完成し、京阪地域への送電を開始した。
  2. http://www.osaka-archives.com/museum_cat_02.html
  3. http://www.humikura.com/kyo/ksga/kyoga4.html
  4. http://www.kodokei.com/ot_018_1.html
  5. http://fukugen.co.jp/npo/00jyo/hikifuda.htm
  6. http://www.netwave.or.jp/̃su-san/
  7. http://www.orikomi.co.jp/Masuda_Collection/index.html
  8. http://www2.ocn.ne.jp/̃soroban/korekushonn7.html
  9. http://www.admt.jp/exhibition/permanent/01.html