大阪の明治・大正・昭和初期のカラー印刷(6/8)
市田幸四郎とその時代(1885~1927年)

元凸版印刷株式会社専務取締役 河野通

製版技術の変革~クロモ石版の全盛時代 明治末から大正時代

市田幸四郎が市田印刷を立ち上げたのは、日露戦争(31)の後で世の中が沸き立っていた、市田幸四郎が神戸高等商業学校(現在の神戸大学)の第1回卒業生として卒業した明治40年(1907)、市田幸四郎が22歳の時であった。

印刷需要は拡大し、それに対応する印刷機械の駆動用の動力革命が進行する中で、東洋印刷(明治32年:1899)が設立される一方、明治21年(1888)創業の中井印刷所が新体制のアルモ印刷(明治36年:1903)となり、明治10年(1877)創業の中田印刷も日本精版印刷(明治38年:1905)として生まれ変わるなど第二次起業ブームの中でのことだった。

欧州が100年以上を費やして行った産業革命を、その数分の1の年数で達成するような猛スピードで日本が疾走していた想像を絶する目まぐるしい時代であった。

  1. 明治37年(1904)~明治38年(1905)