大阪の明治・大正・昭和初期のカラー印刷(8/8)
市田幸四郎とその時代(1885~1927年)

元凸版印刷株式会社専務取締役 河野通

日本のカラー印刷の源流

こうした流れを簡単に整理すると以下のようになる。日本のカラー印刷の歴史を遡ると、市田幸四郎が大きな貢献を果たしたことが浮かび上がってくる。同時に市田幸四郎が育った関西という土壌が市田幸四郎のカラー印刷に対する情熱を育んだらしいということも浮かび上がってくる。以下、その当時のポスターの変遷など眺めて、その気分を感じて頂ければ幸いである。

市田幸四郎が活動し始めた時代─点描法による網点と砂目石版

点を手で一つ一つ描いた

1.明治35年(1902)村井兄弟会社煙草ポスター東洋印刷(砂目石版)

東洋印刷は村井兄弟会社の設立(京都)。明治 37 年には大蔵省専売局に買収され、専売局伏見見工場となった。

2.明治41年(1908)福助ポスター中田印刷(砂目石版)

3.明治42年(1909)額絵藤井改進堂(砂目石版)

4.明治43年(1910)ごろ 朝のクラブ歯磨ポスタ精版印刷(砂目石版)

砂目を編伏せて濃淡を表現。

5.明治44年(1911)湊川共進会ポスター精版印刷(砂目石版)

6.大正2年(1913)サクラビールポスター精版印刷(砂目石版)

7.大正5年(1916)平和美人額絵森川印刷(砂目石版)

8.大正7年(1918)東洋汽船ポスター市田オフセット印刷(砂目石版)

市田幸四郎が導入を推進した新技術の時代─HBプロセス

1.大正11年(1922)赤玉ポートワイン日本精版印刷(HBプロセス10色)

2.昭和4年(1929)アサヒビール精版印刷(HBプロセス)

20世紀初頭、明治後半から大正時代にかけては、製版・印刷技術が大きく変革した時代であった。製版では手工業的方法から光学的方法に変わり、印刷では石版やアルミ版の直刷からオフセット輪転方式へと飛躍した時代であった。

その原動力は大阪の市田幸四郎などベンチャービジネス精神に富んだ人々であった。彼らが新技術の導入を積極的に行い、画家や技術者を集め、それらの成果を三越、大阪商船、アサヒビールなどのポスターなどに集約することによって人々の関心を惹き付け、印刷業界を大きく発展させた時代であった。

参考文献

  • 市田幸四郎小伝(谷本正:1979年 開成印刷株式会社)
  • 大阪印刷百年史(大阪府印刷工業組合:1984年)
  • 大阪 枚方の引札(藤本毅:1990年 東方出版)
  • 大阪の引札・絵びら(大阪引札研究会:1992年 東方出版)
  • 日本石版版画の思い出(野村広太郎:1992年 新日本セイハン株式会社)
  • 印刷博物誌(印刷博物誌編纂委員会:2001年 凸版印刷株式会社)
  • 凸版印刷百年(凸版印刷百年史編纂室:2001年 凸版印刷株式会社)
  • 引札(印刷博物館:2001年 印刷博物館学芸員室)
  • 明治~昭和時代の印刷ポスターコレクション(2007年 印刷図書館)
  • 美人のつくりかた(印刷博物館:2007年 凸版印刷株式会社印刷博物館)