凸版印刷とともに60年(9/15)

鈴木和夫

社内報に書き初め「座右の銘」を掲載

社長就任二年目の、昭和五十八(一九八三)年正月の社内報「トッパンニュース」の巻頭に、書めを載せることにした。

文章はその年のスローガンというか、行動規範ともいえる短句で、主に中国の古典から引用した和二十七(一九五二)年に印刷業界が日本印刷工業会を設立して、業界の発展に寄与すべくスタートした。「印刷あり文化あり」という標語は、日本印刷工業会が、第一回印刷文化展を開催したときに採用された。その折の会長は、わが社の山田三郎太社長であった。その標語は今でも、印刷にかかわる人たちの精神的バックボーンになっている。

ところが、私が社長を務めるようになった一九八〇年代の初頭あたりから、技術の世界に急激かきな変化が起こった。それはアナログ技術からデジタル技術への変化である。しかしその変化は、技術の世界にとどまらず、広く一般の社会生活に急速に影響を及ぼし始めていたことに、ある種の危機感を覚えていた。そこで私は、この「印刷あり文化あり」という精神的バックボーンの上に、「基本に徹し先端を走ろう」という行動指針を社内に示すことになった。

「基本に徹し先端を走ろう」は、「印刷あり文化あり」と同様に、印刷人の「心」である。毎年の書き初めは中国の古典から引用していたが、その背景というか基底部分には、この二つのスローガンがあった。この書き初めは、私自身毎年新鮮な気持ちで仕事に取り組みたい、役員や社員にも同じように取り組んでもらいたいと、願って続けていたのである。そして少しずつ目先を変え、私が社長をた年の平成三(一九九一)年の正月まで続いた。

■昭和五十八(一九八三)年

学んで思わざれば則ち罔し

思いて学ばざれば則ち殆し  孔子 論語 為政第二

様々な知識をやみくもに詰め込んでも、それを整理する主体的な思索を欠いていれば、せっかく習も雑然とした知識の集積に終わり、何が重要なのか分からなくなる。つまりは、暗く物がはっきり見えない。

一方、自分の思索を過信してそればかりに頼るのもまた禁物である。先人によって獲得され、蓄れた学問の成果は、自己の思索の基礎として、尊敬しなければならない。 「学ぶ」ことと「思う」こととが共に不可欠であることは、学問研究の本質をついた至言である。

この言葉は、学問研究の本質に限ったことでなく、企業の経営にとっても然りである。

■昭和五十九(一九八四)年

天我が材を生ず、必用有り  杜甫  将進酒

天が私という一個の人材をこの世に生み出したのは、きっと何かの役に立てようとしたからである。人生に対する温かいまなざし。それに応えて努力すれば必ず成果がある。その自信と誇りを忘れてはならない。

フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画『道』に、綱渡り芸人の青年が、頭の弱い主人公ジソミーナを優しくいたわる場面がある。

「どんなものでも何かの役に立つんだ。例えばこの小石だって役に立っている。空の星だってそ。君もそうなんだ」。

■昭和六十(一九八五)年

吾が道は一つ 以って之を貫く  孔子  論語 里仁第四

この言葉を、ただ文字通りに解釈すれば、私は自分が信ずる道を、ひたすら歩んでいる、というに解される。それはそれでいいと思う。

この孔子の言葉は、何人かの弟子の集まりで発せられた言葉で、その一つとは、すなわち孔子の信ずる一本の筋の通った道を意味し、それは、「人の為に謀りて忠ならざるか」、「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」である。この両者を一体のものとして考えるならば、「誠実さに満ちた思いやこころ」であり、「忠」「恕」一体である。

私は、日常の仕事や生活において、他人の成功をねたんで邪魔をしたりしないで、自分の信じる忠実に、自信と誇りを持って歩みなさいと、言うつもりであった。

■昭和六十一(一九八六)年

志有れば、事、ついに成る  後漢書

やり抜こうという固い意志を持っている者は、どんな困難があっても最後には成功する。

類語には、「一念天に通ず」、「精神一倒何事か成らざらん」などがある。

■昭和六十二(一九八七)年

遠慮無ければ、必ず近憂有り  孔子 論語

目先に捉われて遠い先のことまでよく考えないで行動すると、必ず、近い将来に心配事が起こってくる。

戦略のない戦術は、個々には素晴らしいものであっても、究極にはバラバラになって、全体を成導かない。技術の世界でも、労務の世界でも、財務の世界でも、そのことは大切である。

■昭和六十三(一九八八)年

之を知る者は、之を好む者に如かず

之を好む者は、之を楽しむ者に如かず  孔子 論語 雍也第六

これは孔子が、「知る者」「好む者」「楽しむ者」のランク付けを行ったもの。

「知る」行為は、対象となることを単に知識として理解することで、自己と対象との間に明瞭な距離がある。「好む」とは感情のレベルで対象に接近しているので、自己と対象との密着度は、「知る」より遥かに強い。「楽しむ」とは心の底から打ち込むことで、主体の自己は対象と完全に一つのものる。

この言葉は、学問の世界を指しているようだが、いかなる世界にも通じる言葉である。

そして私の大変に好きな言葉であり、自宅と事務所の両方の壁に掛けてある。

■昭和六十四(一九八九)年

當にその初心を原ぬべし  洪自誠 菜根譚

まずは「初心」に帰るべし。そこから、じっくりと考えてみよう

私のスローガンの一つは「基本に徹し先端を走ろう」である。

■平成二(一九九〇)年

事を敬みて信  孔子 論語 学而第一

出来事に対処するに当たっては、冷静に直視した上で判断をし、決して色眼鏡で見ることのないように。その上で、信念を持って対処すべきである。まやかしものであると判断した場合には、勇敢除すべきである。

■平成三(一九九一)年

且は自ら信ずるを要す

外に向いて覓めるなかれ  臨済録(鎭州臨濟慧照禪師語録)

しばらくは、自ら信ずることを尊重すべきである。そして、キョロキョロと外ばかり見て何かないかなと、探したりするな。まずは自信と誇りを持て。しかし、過信は禁物。この辺は、なかなか難しいが、そこで人間の価値が分かるのである。

ここに掲げた漢文は、凸版印刷社内報の正月号に、新年の挨拶と共に掲載した私の「書き初め」る。いずれも、漢詩、漢文名言から借用した。その年の社長としての私の座右の銘でもあり、役員や社員にも、その気持ちを伝えたいと思ったからである。

全体を通して言わんとすることは、自分の仕事を基本から十分に理解すること、そして、自信と誇りを持って事に当たることが大切である、そうすれば、自ずと自分の将来も見えてくる、というこ尽きるようである。

平成三(一九九一)年に社長を退いたので、辛未元旦の正月号で終わっている。

参考文献

『漢詩漢文名言辞典』東京書籍 鈴木修次編著

『故事ことわざ辞典』あすとろ出版 他