ぼちぼちいこか  トラブル続きのヒースロー空港 PDF 

伴 勇貴 2007年07月  

手荷物が行先不明

「BA利用でヒースロー空港ですか! 先週もあったんですよ! 日本から来た人がやっぱり手荷物がなくなって、事務所の者がいろいろ動いたのですが、結局、ここに滞在中の一週間も待っても出て来なかったのです。先般のテロ騒動以来、どうも管理システムがメチャクチャになっているようです。その後、どうなったのかはまだフォローしてはいないのですが ・・・・・」

電話口のJETROジュネーブのT所長の声に驚いた様子はなく、実に淡々としていた。お陰で、手荷物がなくなってヤキモキしていた気持ちが吹っ切れ、妙に落ち着いた。英国行きにはテロのことが気になったが、やっぱり後遺症が残っていたのか ・・・・・ でも金目のものはないし、まあ仕方ない、ツキがなかったと諦めた。出てくれば、拾いモノだと観念する気持ちになった。

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実は、前日夜、僕はMさんと一緒にロンドン・ヒースロー空港(Heathrow Airport)で乗り継ぎ、英国航空BA(British Airline)でスイス・ジュネーブ空港(Geneva Airport)に着いた。国際標準化機構ISO(International Organization for Standardization)の人たちとの打ち合わせのためだ。ところが手荷物受取所(Baggage Claim)で僕の手荷物が見つからない。

エアラインの手荷物に関するトラブル処理はすべてJet Aviationというスイス企業が代行していた。手荷物受取ベルトコンベヤーの奥にある同社窓口に行き、手荷物引換証・手荷物受領書(Baggage Claim Tag)を示すと、その番号をパソコンのキーボードから入力して検索する。結果、僕の手荷物はまだヒースロー空港に残っていたことが判明した。すると僕の宿泊先のホテル、その住所・電話番号などを打ち込み、いわゆる手荷物紛失証明書・手荷物事故報告書(PIR : Property Irregularity Report)プリントアウトし、明日一便でヒースロー空港からジュネーブ空港に送る、ホテルには午前十時頃までには届けると言って、プリントアウトした紙を渡す。

さらに「大丈夫!間違いない!」と言いながら、歯磨き、髭剃り、シャツの入った「オーバーナイトパック」を渡す。対応は手慣れたものである。明日の朝にホテルに届くのなら、まあ良いだろうと安心し、予約していたホテルに予定通り泊まった。

しかし、翌日、荷物は届かなかった。改めて渡された紙を見ると、略語(頭字語)は同じ「PIR」だが、「Property Irregularity Report」ではなく「Passenger Irregularity Report」となっていた。気に入らない。何となく乗客(Passenger)に責任があるようなニュアンスが漂ってくる。杞憂ではなかった。書かれている連絡先に電話し、音声自動応答システムの指示に従って手荷物のコード番号を入力したところ、「荷物は行方不明です」という無機質な声が戻ってきた。何度掛けても同じだった。それ以外の連絡先としては、FAX番号とBAの私書箱住所ぐらいしか見当たらない。まったく埒があかない。

手荷物トラブル処理を代行するスイス企業 Jet Aviation の電話番号を調べ、連絡をとったが、ドイツ語・フランス語中心で、英語では要領を得ない。僕に代わってBA責任者に問い合わせてもらったが、同じだった。それで初めて焦った。

困り果て、この度の国際機関との打ち合わせにも絡んでくるJETROジュネーブのT所長に電話を掛け、事情を説明して助けを頼んだところ、開口一番に戻ってきたのが冒頭の言葉だった。

ヒースロー空港でのトラブルは3度目

海外旅行では、これまでにもいろいろなトラブルに遭遇してきた。

しかもヒースロー空港でのトラブルは、これが3度目だった。最初は2001年9月11日の「同時多発テロ」、「9・11」の2日後の2001年9月13日、成田からロンドン・ヒースロー空港経由でドイツのハノーバーに向かった時のことだ。ハノーバーでの会議後、英国に飛んで英国企業の工場見学をする、そして旅程は航空運賃を安くするため、成田・ヒースロー空港往復を基本に、往路はヒースロー空港を単純な乗り継ぎ地としてハノーバーに行くとした時のことだ。

ここで航空運賃を少しケチる旅程の組み方をしたのが災いした。往路の単純中継ぎのはずのヒースロー空港で、荷物再検査とハノーバー行きチェックインのために広い空港内をあちらこちら手荷物を抱えて長時間にわたって引き回され、フラフラにさせられた。

その最中は「9・11」直後だから仕方がないと言い聞かせたが、ドイツのハノーバーに着いたら普段とまったく変わりがなかったので、一気にヒースロー空港に対する怒りがこみ上げた。それでも米英関係は特別だと言いきかせた。ところが、その数日後、ハノーバーからアムステルダム経由で英国企業の工場見学のため同じ英国のウェールズのカーディフ国際空港を降りた時には、緊張感はまったく感じられず、ほとんどノーチェック。カーディフ国際空港はのどかそのものだった。再び怒りが、それも前にも増して吹き出した。

もっともヒースロー空港での2度目のトラブルは僕にも大きな責任がある。

海外旅行での手荷物に絡むトラブルを避けるため、この20年ぐらい前から、海外旅行は、出来る限り荷物を減らし、シャツや下着や靴下は簡単に洗えて乾くものにし、機内に持ち込み可能な手荷物だけで済ますように努めている。公的行事が少なければ、最大2週間ぐらいはこれでやれる。

お陰で、トラブルは減少したが、それが気の緩みを産んだ。数年前、仕事の後、ポルトガルのリスボンの帰りに立ち寄ったときのことである。①ちょっと疲れていたこと、②航空機が小さくて狭かったため、機内持ち込みは可能だったが、手荷物についていろいろ言い、うるさく面倒なので預けてしまった。

これが間違いの原因だった。手荷物を預けたところ、ヒースロー空港の手荷物受取ベルトコンベヤーの前で延々と待たされる始末になった。苛立ちと疲れが極限に達していた。やっと出てきた手荷物を迷うことなくベルトコンベヤーから掴み出し、一目散にタクシー乗り場に向かい、運転手に手荷物と宿泊先ホテルが書かれた紙を渡し、身軽になって座席に滑り込んだ。ホテルに着いたところ、チェックインには早すぎ、打ち合わせ時間は迫っているので、手荷物はドアボーイに預け、ホテルを後にした。

夕刻、ホテルに戻り、チェックインし、部屋に運び込まれてきた手荷物を見て驚いた。僕のものではない。直ちにフロントに間違ったものを運んだと文句を言ったところ、そんなことはない。降りてきて預かっている手荷物を調べてみろと言う。そこに僕の手荷物はなかった。午前中に預かった手荷物は数個で、すべてそれぞれの客室に届けた。そこで問題は提起されていない。僕が空港で荷物を間違えたのではないかという。

そんなやり取りをしているところにホテルの日本人スタッフが現れた。改めて説明を聞くと、僕が空港で他人の荷物を持ってきた可能性が濃厚だった。空港に連絡を取ってもらったら僕の荷物はヒースロー空港にあった。英国人から自分のモノとそっくりの荷物が残っているが、自分のものではないという届出でがあったことも知らされた。たまたま手荷物を預けため、ヒースロー空港の手荷物受取ベルトコンベヤーの前で待たされ、疲れと苛立ちが極限に達していたとしても、最終的には100%、僕の責任だった。すでに夜11時過ぎだったので、明日、朝一番に手荷物を持ってヒースロー空港に取り替えに行くことで了承してもらった。僕にすれば、取りあえず自分の荷物が見つかって嬉しかった。しかも、取り違えた相手は観光客ではない。ロンドン在住の英国人のようであり、そうだったら、そんなに困ることはないだろうと、勝手に納得し、「着の身着のまま」で安心して寝た。翌朝、取り違えた手荷物を持ってタクシーを空港まで飛ばした。

ヒースロー空港に着いて、指示された通り、迷路のような細い通路を進み、守衛に「手荷物を受け取りに来た」と言い、手荷物タグとパスポートを提示し、裏口から手荷物受取所(Baggage claim)の横の別室に入った。部屋はトラブルの手荷物で溢れていた。係員と一緒に、その中から僕の手荷物を探し出し、タグと照合し、パスポートを提示し、受領書にサインし、手荷物を受け取った。

「有り難う。ところで、僕が間違えたので、どうしたら良いのだろうか ・・・・・」

相手に対する慰謝料のようなものどうしたら良いのだろうか ――― 英語力が不足していたが、相手には僕の言いたいことが伝わった。「良いんだよ、謝礼はいらないよ。それよりも良い旅を!」と肩をポンと叩かれ、早く行けと促された。列車でパディントン駅まで行き、ホテルに戻った。

もちろん手荷物のトラブルはロンドン・ヒースロー空港に限ったことではない。経験している。手荷物が行方不明になって困った経験を最初にしたのはシカゴ空港だった。もう30年以上も前のことだ。

かつてはメモなど不要と豪語していた僕も、まるで冷凍庫に保管した「角氷」が溶けて形を変えてくっつき合って往生するように、急速に記憶が曖昧になっている。最近は先週のことも三十年前のことも同じようになってきているから始末に悪い。だからあまり自信はないが、だいたい次のような出来事だった。

ニューヨークからシカゴ経由で日本に帰る途中だった。シカゴから乗る予定だったJAL便が雪のため欠航になった。しかも、明日、運行予定のJALの次の成田行き便は満席で空席がないという。仕方がないので、他のエアラインの空席を探してもらった。

幸いカナダ航空に空席があった。カナダ航空のチェックインカウンターで登場手続きを始めたところで、手荷物が問題となった。欠航となったJAL便に搭載予定の手荷物はシカゴ空港の一隅に別にまとめられている。まず、それを自分で受け取ってきて欲しいという。

文句を言いたいが、仕方がないと諦め、手荷物を取りに行った。ところが、指定場所に僕の手荷物は見当たらない。焦った。ニューヨークからシカゴまではユナイテッド・エアラインで飛んできた。手荷物タグを振りかざし、手荷物が見当たらない、探して欲しいと、下手な英語と日本語で、ユナイテッド・エアラインの手荷物受取所で訴えた。なんと僕の手荷物はフロリダ・マイアミ空港に運ばれていることが判明した。頑張っても明日の昼過ぎでないと、シカゴ空港には届かないという。やっと確保できたカナダ航空の日本行き便に間に合うかあやしくなった。

カナダ航空のチェックインカウンターに戻って事情を話した。間違ってマイアミに運ばれた僕の荷物がシカゴ空港に届くのが遅れると搭乗できない恐れがある、何とかならないかと泣きついた。でも英語が下手なため要領を得ない。

JALのチェックインカウンターに戻り、現れた日本人スタッフに事情を詳しく説明し、JAL欠航となったことにも責任があるはず、何とかして欲しいと改めて頼み込んだ。すると、マニュアル通りなのだろう。シカゴ空港近くのホテル宿泊を無償で斡旋するからどうかという。まったく意味が分かっていない。

そうではなくて仕事の関係で出来る限り早く日本に帰りたいのだ。それを頼んでいるのだ。だいたい米国のエアラインはシカゴ空港向けの荷物をマイアミ空港に運んでしまうくらい、いい加減だと八つ当たりした。

でも、この言葉が、僕には「米国かぶれ」に見えた日本人スタッフには効果があったようだった。木で鼻をくくったような対応が一変し、間違ってマイアミ空港に僕の荷物を運んだユナイテッド・エアラインと、欠航のJAL便に代わって乗客を成田まで運ぶことになるカナダ航空との間に入って懸命に調整してくれた。最終的には、マイアミ空港で僕の荷物をシカゴ向け便に搭載した時点でユナイテッド・エアライン担当者がカナダ航空の担当者に連絡し、同便の到着予定時間によっては、直ちにカナダ空港が別便を手配するという話で落ち着いた。

そして確保したカナダ航空の成田行き便になんとか搭乗できそうだし、それが駄目でもバンクーバー経由のカナダ航空の別便で成田に戻れる段取りが整った。僕も落ち着きを取り戻し、カナダ航空のチェックインカウンターに近い椅子で休んだ。マイアミからカナダ航空に連絡が入れば、その指示に従って僕がシカゴ空港内で手荷物を受け取りに行く。そして手荷物を受け取ったら、それを持ってシカゴ空港内のカナダ航空のチェックインカウンターでチェックインすることで落ち着いた。

シカゴ空港の椅子で一泊し、一日遅れで日本に戻った。週末だったので仕事に大きな支障にはならなかった。「結果オーライ」だった。

それ以外にも、いろいろ荷物に係わるトラブルを経験した。例えば、タイのバンコック空港でも指定の手荷物受取ベルトコンベヤーから僕の手荷物だけだがいつまでたっても出てこないというトラブルに巻き込まれた。手荷物受取所に出向いて文句を言って調べたら、別のベルトコンベヤーから搬出された挙句、受取者不在ということで別の場所に保管されていた。この事実が判明するまで数時間、余計にバンコック空港に拘束されたこともあった。

「未着手荷物通関願書・委任状」

それにしても今回のヒースロー空港での3度目の手荷物トラブルは酷かった。自分自身は、ともかく海外旅行での手荷物のトラブルはいろいろ経験した。そして「所詮、お互い様だから・・・・・」と納得し、たとえ自分の荷物がトラブルにあって「着の身着のまま」になったとしても驚かないという自信を持つようになっていた。事実、今回、ジュネーブ空港で僕の荷物がベルトコンベヤーから出てこなかった時も、そんなに驚きも焦りもしなかった。むしろ同行のMさんの方が気をもんでくれた。

手荷物受取ベルトコンベヤーの奥にある手荷物トラブル処理代行のJet Aviation の窓口に飛び込んだ時には、すでに10人以上のクレーマーで狭い事務所は溢れていた。ほとんどがロンドンから同便に乗ってきた人のようだった。諦めて列の最後に並んだ。すると、さらに数人がすぐに僕の後に並んだ。手荷物が心配なこともさることながら、いったいどんなやり取りが始まるのだろうかと、僕は興味津々だった。不謹慎にも、並んでいる間に部屋の様子などを隠し撮りしてしまった。

机の前に座る背広を着た後ろ姿の男性は日本人だ。僕は気付かなかった気が、目敏いMさんが同便ビジネス席の最前列に座っていた人だと小声で教えてくれた。

部屋でのやり取りは意外にも極めてスムーズだった。初めに紹介したように手荷物引換証・手荷物受領書(Baggage Claim Tag)を渡すと、その番号をキーボードで入力して検索する。見つかると、その荷物の所在地がディスプレイに表示される。それを確認すると、乗客の連絡先、宿泊先ホテルの住所・電話番号などをキーボードで打ち込む。そして荷物が所定の場所に届けられる予定時間を伝えた上で、もし何かあったら電話するように言い、システムから「Passenger Irregularity Report 」をプリントアウトして渡す。旅行者には「オーバーナイトパック」を渡す。

こうした一連の事務処理を淡々と手際よく行う。客も慣れている様子で、トラブルのようなものはない。

例外は、後ろ姿が写真に写る日本人ぐらいだった。「Passenger Irregularity Report」 を渡されても、まだ何か言って、カウンターから離れない。係の人は持て余しているようで、聞きながら後ろに並んでいる人の処理を始める。そして何度も席を外す。しかし、彼はカウンターから離れない。係の人が戻ってくる度に何か言っている。そんなことを繰り返した挙げ句、彼は諦めて席を立った。立ち上がったら「オーバーナイトパック」を渡され、それを持って部屋を出て行った。

ようやっと僕の番になった。タグの番号を入力したら、僕の手荷物はまだヒースロー空港にあるということだった。明日一番のフライトでジュネーブ空港に送るように手配したのでホテルには朝の十時前には届くという。それまでの様子もずっと見てきているので、今さら改めてとやかく言う気持ちにはならなかった。

「大丈夫か?」と聞いたら、自信たっぷりに「大丈夫!心配ない!」という。

「Passenger Irregularity Report」を受け取り、「オーバーナイトパック」を持って、その場は引き揚げた。「オーバーナイトパック」の中身は、シャツ1枚、それと歯ブラシ、歯磨き、ひげ剃り、ひげ剃りクリーム、ローション、シャンプー、リンス、ボディーローションが各1本であった。まさに一晩だけのものである。

ところが、最初に書いた通り、翌日になっても荷物は戻らなかった。その翌日になっても荷物は戻らなかった。「着の身着のまま」はともかくとして、2種類のインシュリンを1日に計4回、注射しているのに、手持ちの1種類を使い果たしてしまったのには参った。1種類だけだと、上手く体調をコントロールできない。いろいろやったが、体調は悪くなる一方だった。

もちろん病院に駆け込めばインシュリンは手に入る。しかし、大騒動で、多分、それだけで一日を潰してしまう。それに服も汗臭くなり、買い求め、着替えなければ、人と会うどころの話ではない。そうなればカバンも必要になる。考えると、ますます大変になるだけだった。後はすべてMさんに任せて僕は一足先に帰国することにした。帰りの機中泊を含めると、「着の身着のまま、着た切り雀」で3泊したことになる。肩掛けバッグ一つで身軽なのは良いが、成田に着いた時には、服は臭くて限界。体調も悪くて限界だった。

体調を崩すと元に戻すのが大変である。帰国してからは、体調を整えるため、指圧や針に通う日々だった。手荷物は紛失と諦めていた。すると3週間ぐらい経ったところで、成田のBA旅客部から連絡があり、左の「未着手荷物通関願書・委任状」なるものが送られてきた。

それに必要事項を記入し、要求された添付書類とともに郵送したところ、ようやくヒースロー空港で紛失した僕の手荷物が自宅に届けられた。

お土産に持っていた明太子は渡すことができないままに戻ってきた。包装がしっかりしていたので、幸い服などに臭いが移ってはいなかった。ともかく手荷物が戻ってきたのは嬉しかった。ズボンやシャツがなくなってしまうと、新調しなければならない。旅行カバンも気張って「TITAN」に買い換えたばかりなのに、また買わなければならないなどと考えていたからだ。

しかし、BAの対応の悪さは日本法人でも同じだった。

「『こちらでは分からず、成田に電話すれば分かるかも』『今から3週間経っても見つからないと、次の手続きが始まる』などと間の抜けたことを言っております」などと、JETROジュネーブのT所長が、気遣ってメールで書いてきてくれたが、その延長だった。

成田のBA旅客部から求められた「未着手荷物通関願書・委任状」などの書類の提出時に僕は書面で補償などについて申し入れした。すると係の人から荷物をともかく送り届ける、申し入れの件は、後ほど上司が連絡すると電話があった。しかし、その電話からすでに3週間以上が過ぎているが、「梨の礫」である。そろそろ問い合わせをしようと考えている。

ちなみにJETROジュネーブでトラブルが2件続いたので注意を喚起したところ、続いて日本政府ジュネーブ代表部も次のように注意を喚起したという。

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ジュネーブ来訪者への注意喚起(経由地の選定等)

当地への出張等に際しては下記につき十分留意願いたく、関係各方面に周知願いたい。

一.当地と本邦間には直行便がないため、当地来訪者はいずれかの経由地(フランクフルト、パリ、ロンドン、アムステルダム、チューリッヒ、ウィーン、ミラノ等)で乗り継ぐこととなる。また、世界の主要都市と当地との間についてもそうした経由地で乗り継ぐ場合が多い。

二.上記経由地のうち、最近とりわけロンドン・ヒースロー(LHR)空港経由の出張者(BA利用)が、預けた荷物が予定通り到着しないことにより、その捜索に時間と労力を要するとともに、当地での公務遂行等に多大の支障をきたす事案が数件発生している。

三.ついては、当地出張等に際しては航空便選定及び経由地選定については十分注意願いたい。また、いずれにしても保安検査の所要時間を考慮し、乗り継ぎ時間についても長めに取る等の配慮を願いたい。

転電《添付無》英国、EU代、ベルギー、国連代(了)

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先週、Y千葉大学名誉教授と逢った。ヒースロー空港での一件を話したところ、直ちにBAだろうと言う。BAは絶対駄目だ。何人も知人が酷い目に合っている。ルフトハンザ航空が良い。ヒースロー空港でトラブルにあったが、ちゃんと翌日、ホテルに届いた。そんなこと知らなかったのかとからかわれた。

(2007年初夏)