幕末維新に生まれた金属活字(1/8)

河野通

著者略歴

1930年兵庫県生まれ
1953年京都大学工学部工業化学科卒
1953年凸版印刷入社
以後、生産管理畑を歩き伊丹、福崎工場長などを歴任
1988年常務取締役関西支社長
1993年専務取締役生産・技術・研究本部長
1996年相談役
2000年印刷博物館運営委員
2006年退任

平野富二(中央)

一八五三年のペリー来航から二十年後の一八七三年(明治六年)平野富二1が築地に長崎新塾出張活版製造所を下谷から移転拡張し、開業した。このときから日本の活版印刷は事業としてスタートした。

それをさかのぼる二十年あまりの間、金属製鋳造活字による活版印刷技術を開発するために多くの人々が競い合い、ある人は成果を生み出しながら消え去っていった。ここではこの時代背景と先人の努力をたどり、その成否についても考えてみたい。