ぼちぼちいこか  房総の花畑と岩海苔 PDF

伴 勇貴 2008年02月  

今年の東京都心の冬の暖かさは異常で、まだ初雪も降らない。このぶんだと今年は雪が降らないかもしれない。「地球温暖化」とか「ヒートアイランド」とか叫ばれ続けているが、それでも去年までは相変わらず「三寒四温さんかんしおん」を繰り返しながら、一歩一歩、春が近づいてきていたように思う。ところが、今年はいきなり春になってしまった。すでに「春一番」が吹いた。

日の入りは延びたものの、まだ日の出は6時半頃である。あと1ヶ月もすれば日の出は5時頃になって、今住んでいる高層マンションの28階の部屋は東向きのため、まともに目映まばゆい朝日を受け、深酒ふかざけをした翌朝などにはうらみたくなる。まさに「春眠暁しゅんみんあかつきおぼえず」である。その意味では、朝日もそれほどまぶしくはなく、まだ春だとは思わないが、昼間の暖かさは、もうすっかり春である。

このところ毎年花摘みに行っている房総半島の先端に近い外房の千葉県千倉の花畑のストックもキンセンカも2月初めで満開時期を過ぎていた。例年より2、3週間は早いという。

「だから出来るだけつぼみのたくさん残っているものを選んだ方が良いよ」、「どれでも30本で500円、菜花は好きなだけ摘んで持って行って良いよ」と親父は言う。ハサミと籠を受け取り、60本のストックやキンセンカ、それとたくさんのお浸しなど食用の菜花を摘んで1000円を払った。

都心から外房の千倉や鴨川に行くのが本当に便利になった。東京湾を横断する「アクアライン」に、房総半島を内房から外房に横断する山越えの有料道路がすべてつながったからだ。ところどころ一車線だが、以前とは比較にならなく楽になった。それまで有料道路は寸断されており、途中で何度も一般道に降ろされ、迂回させられ、不便なこと極まりなかった。中途半端な有料道路を使うより裏道の一般道を走る方が早いという状況だった。

有料道路がつながって便利になったので、以前よりも自動車は増え、時間帯や曜日や季節によっては混雑することは想像に難くない。でも2月初めの日曜日、午前8時頃に出たら、安全運転で、ところどころ立ち寄りながら走っても10時前には花畑に着いてしまった。

有料道路を降りて千倉に向かう外房の海岸沿いの道を走る途中、波頭なみがしらの美しさと海の匂いにさそわれて、車を留めて浜辺も散策した。長く続く砂浜の沖合では数十人のサーファーが荒い波とたわむている。その浜辺の端にある小さな漁港の周辺では、地元の人たち ――― 多分、僕よりは数歳かは年上の「老人」たちが黙々と岩海苔をっている。

突然、親しみを覚えて、話し掛けた。いろいろ尋ねたら、目の前に広がる岩礁に行けば、もっとたくさん採れるのだが、危ないから、そこで採っているのだと言う。良く洗って砂を除き、味噌汁に入れて食べる。香りが良くてとても旨い。あくまでの自家用で採っているのだが、商品としては結構な高値で取引されているようだと誇らしげに言う。

取っ付き難い雰囲気だったが、声を掛けたら饒舌になって、いろいろ説明してくれた。最後に、お礼を言って別れようとした際には、岩海苔の生えている所は滑りやすく、それで大怪我おおけがする人も少なくないから注意するようにと心遣いしてくれた。

岩海苔が高いことぐらいは知っている。と言っても、1000円ぐらいを払えば、砂を取り除いた生海苔や干し海苔などを都心でも意外に簡単に入手できる。ここまで単純に往復するだけで必要とされるガソリン代や有料道路の料金などの合計よりも遥かに安い。もちろん時間も掛からない。

岩海苔を採っている「老人」たち ――― 多分、僕よりも数歳ぐらいしか年上でない人と、そのかたわらにいる自分自身。沖合でサーフィンに興じている「若者」たち、そしてその手前の老人たちが危ないと言った岩礁の上で熱中している2人の「中年」の釣り人 ………。

岩海苔を採っている「老人」に礼を言って別れ、文鎮ぶんちんになりそうな石を探しながら砂浜を歩いていたら、突然、心地良さとはまったく異質の感情に襲われた。人の幸不幸こうふこうとはいったい何なのかという基本的な命題、最近とくに叫ばれている日本社会の格差拡大とか高齢化などの問題が浮かんで、頭にこびり付いた。

僕自身は、その一方、明るい太陽、見渡す限りの青海原と「いやしの音」として使われる岸に打ち寄せる波の音、それとオゾンがいっぱいのすがすがしい空気と海の香り中に全身をみ、それにコンクリート舗装の道路では得られない足下から伝わってくる大地の感覚を重ね合わせてはなやいだ気分になっている。

この板挟みの状況から脱出したのは、満員の観光バス数台が通過するのが目に入ったからだ。これは混むことになりそうだ、急いで花畑に向かわなくては着くのも遅くなりそうだという現実に気が付いた。

急いで花畑に向かい、たくさんストックやキンセンカや菜花を摘んで帰宅の途についた。「駅の道」は混んで駐車スペースがない。「地魚料理」の看板を掲げる店なども数件覗いたが、満員で1時間待ちなどという。それでコンビニでおにぎりとお茶を買い、食べながら運転して帰った。上りはまだガラガラだった。午後3時前には自宅に戻った。充実した夢のような1日だった。

(2008年冬)