ぼちぼちいこか  モントルーの飛行機雲 PDF​ 

伴 勇貴 2004年04月 

若い頃からほとんどメモをとったことはなかった。それで困らなかった。報告などをまとめる段になると、一言一句、全ての記憶が新鮮に蘇るからだ。メモをとるとかえって忘れやすいなどとうそぶいていた。ところが最近、糸口を見つければ、それを頼りに順繰りに思い出せることもあるが、いくら頑張ってもなかなか思い出せない事態に陥るようになった。しかも、その回数がだんだん増えている。今さら手帳でもないので、そろそろパームコンピュータでも持ち歩かなければならないと考えるようになっている。

つい先日、テレビを眺めていたら、晴れた日にはマンションの28階のベランダからクッキリと特徴のある姿が見える筑波山 ― ―― その山麓の四角いパラシュートで滑空しようというパラグライダーの練習場でパラグライダー2機が強風に煽られて地面に叩きつけられ、死傷者が出たというニュースが流れた。

その映像を見ていたら、急に数年前、遥か遠くにマッターホルンやモンブランなどのアルプスを望む山頂付近でハンググライダーが優雅に飛遊していた光景を思い出した。かつては仕事で欧州にも結構出かけた。パリには国際会議などのため通算すると半年以上も滞在した。しかし、東欧はもちろんのこと北欧も、そしてオーストリア、スイス、スペイン、ポルトガル、ギリシャにも行ったことがなかった。スイスは国際会議が開かれることが多いはずなのに不思議なことに行ったことがなかった。要するに行ったことがない国が大半だった。

それで数年前のことだが、スイス行きの話が出た時には、普段は気にする体調のことはまったく考えず、行くことを決めた。晩秋で寒いには違いないと思ったけれど躊躇しなかった。ともかく、昔、飛行機でアルプス越えの際に雲の切れ目から見たことがある、おとぎ話に出てくるような街に一刻も早く降り立ちたいと思った。

2001年10月下旬、パリ経由でジュネーブ(Geneve)に入った。小雨降る夕暮れ中、パリ・シャルルドゴール空港に着いた。予想通り気が滅入る天候だが、久しぶりのことで、改めて洒落た建物に圧倒され、キョロキョロしながらジュネーブ行きの機に乗り換えた。仕事で行くのだから当然なのだろうが、相変わらずの無精で、初めて行く所なのに何も調べなかった。現地に詳しいMさんとの2人旅、どうにでもなろうと最初から決め込んでいた。ジュネーブ行きのエアバスの中で、ようやく旅行社からもらったスイスのパンフレットに目を通す気になった。

そしてスイスと言っても、ジュネーブはフランスの中に「亀のしっぽ」の先に位置する都市だということを知った。ジュネーブ、チューリッヒ、ベルン、バーゼルなどの都市は歴史上も有名だし、レマン湖とかマッターホルンやユングフラウなどの山の名前も雑誌などによく登場する。それで知っているつもりになっていたが、その地理的関係となるとまったくあやふやだった。

「参ったなあ」と思っている間に、夕暮れのジュネーブ空港に到着した。ジュネーブ空港にはフランスとスイス、2つの入国ゲートがあった。国境沿いにあるとは聞かされていたが、これには驚かされた。Mさんの後に続いてスイス側の出口に向かう。そして初めてスイスの地を踏んだ。地面は濡れていた。ちょっと雨が降ったらしい。しかし、すでに止んでおり、思ったほど寒くない。

タクシーに乗り込む。ほどなくレマン湖畔のMさん推奨のホテル・ボー・リヴァージュ(Hotel Beau Riveage)に着いた。小さいけれど伝統と格式を誇るホテルと書かれていた通りのホテルだ。コンシェルジェ(concierge)がMさんの顔を見て、満面に笑みを浮かべた。真っ赤な頰がこぼれ落ちた。

昔、泊まった時世話になり、やや多めにチップをはずんだことがある。以来、妙に仲良くなった。部屋もグレードの高いところを用意してくれる。訝しがる僕の様子を察知し、Mさんは部屋に案内されるエレベータの中で、いつもの調子で懇切丁寧に、そしてやや得意げに、嬉しくてたまらないという雰囲気で種明かしをした。

落ち着いて格調高い風格のある部屋だった。眺めも素晴らしい。目の前に広がるレマン湖。対岸にはアルプスを背景にフランスの瀟洒な街並みとヨット・ハーバーがたたずむ。日が暮れる前の一瞬、雲が消えて、遥か遠くに写真で記憶のあるモンブラン(Mont Blanc)の頂が見えた。黄昏の中で光り輝いていた。

Mさんは綺麗なキングス・イングリッシュで自分の名前を言い、逢えて嬉しい丁寧に挨拶する。彼は大袈裟な身振り手振りで、待っていましたと迎える。僕は恥ずかしくなり、少し離れたところで2人のやり取りをポカンと眺めていた。

日が暮れると、急に肌寒くなってきた。諦めて窓を閉める。対岸の街の灯りが湖面に映えて宝石のように光る。名物の大噴水がライトアップされて浮かび上がる。安堵感を覚えると同時に10数時間も飛行機に乗って、ついにスイスに来たのだという感慨に襲われた。一連の公式訪問などがあるので背広と白のワイシャツとネクタイは必携だと念を押され、いつもと比べて重い荷物を持ってきたが、その甲斐はあったと思った。

しかし、身体を騙すことはできない。このところ持病のようになっている歯の疼きが始まってしまった。歯が浮いて疼く。薬局に飛び込んで鎮痛剤を買い求め、それで誤魔化しながら公式訪問や打ち合わせの合間には、ひたすらジュネーブの街を歩き回った。食べ物や飲み物は歯の痛みがあって今ひとつだったが、他は何もかも新鮮だった。

ジュネーブに着いたのが土曜日で、翌日の日曜日は小春日和だったこともあって、列車で小一時時間のところにあるレマン湖畔のモントルー(Montreux)に行くことを即決した。夏に有名な「ジャズ・フェステバル」が開かれるところである。車窓から光景 ――― 列車の進行方向に向かって右手はレマン湖、左手は山麓のブドウ畑が延々と続く。

子供に戻って。ただ無心に窓にかじりついていたらモントルーについていた。そこで日本では「アブト式」と総称される「ラックレール式」の登山電車に乗り換える。レールの中央にもう1本、ラックレール(歯型軌条)があり、それにピニオン(小歯車)を噛み合わせて走行する。騒音は酷い。それをうるさいとは思わず、動き出した途端に気分は「エーデルワイス」からイタリア民謡「フニクラフニクラ」になった。楽しい賑やかさに感じるのだからいい加減なものだ。すっかりいい気分になって心の中で口ずさむ。

 

 赤い火を噴くあの山へ 登ろう 登ろう
  そこは地獄の釜の中 覗こう 覗こう
  登山電車で来たので 誰でも登れる
  流れる煙は招くよ 皆んなを 皆んなを
  行こう 行こう 火の山へ
  行こう 行こう 山の上
  フニクラフニクラ フニクラフニクラ
  誰も乗る フニクラフニクラ

 

何十年も唄ったことのない歌詞を呟いていた。傾斜地を上手く使って建てられたおとぎの世界に出てくるような家々の間をぬって登山電車は走る。民宿のようなものも見える。どの家の窓も庭も色鮮やかな花で飾られている。家の庭が駅になっている。結構、人が乗り降りし、荷物などがやりとりされる。生活手段になっている。しかし、さらに登ると風景は一変する。美しい木々の茂る山間部を走り抜けると、わずかな草と岩だけの世界だった。登って来たレールが遥か真下に、くねくねとどこまでもつながっている。眼下には広大なレマン湖、遠くには新雪が眩しいアルプスの山々が飛び込んでくる。

終点で降りた。身体に鞭打って展望台までの悪路を登った。休み休みで何とか辿り着けた。フランス側のモンブラン、マッターホルンからスイス側のユングフラウまで、360度が一望できた。抜けるような青空と眩しく輝く新雪。感嘆詞しか出てこなかった。

登るのに汗ばんだため意識しなかったが、外気はかなり冷えている。急に寒さを覚えた。周囲の人は、それなりの服装をしている。場違いなのはMさんと僕の2人だけ。名残惜しかったが、早々に戻ることにした。

下りは楽だった。周囲の景色を眺める余裕もある。空気を切る音を立てて頭上をパラグライダーが飛び去る。そして谷底から吹き上がる空気の流れを掴まえて、鳶のように軽快にアルプスの山々を背景に黄色の翼を拡げ、青空の中を漂い始めた。

気流の状態が良いのだろう。右に左に、上に下に、自由自在に飛び回る。まるでエンジンが付いているようだ。いくら眺めていても降りる気配が感じられない。昔、箱根でパラグライダーが飛んでいるのを見たが、まったく別物だった。

麓のモントルーに戻ると暖かだった。まだ十分に時間に余裕がある。夏には観光客でごった返す街も静かで気持ちが良い。ファーストフードを頬張りながらレマン湖畔でのんびりすることにした。「ジャズ・フェスティバル」の会場になるという場所も人影がまばらである。ベンチで日光浴をしている老人。ヘッドホンで音楽を聴きながらジョギングする人。ローラーブレード(インラインスケート)を楽しむ子供。赤ん坊を乳母車に乗せて散歩するカップル。湖畔の公園は休日を楽しむ地元の人たちだけのようだった。

湖畔に立つと、遠くに湖の中に建てられているという美しい古城、シロン城が見えた。良いところだよとMさん。しかし、もうそこまで出かける気力はない。それよりも鳥でも観察しながらのんびりしたかった。夕暮れはきっと素晴らしいに違いないと思った。

予想に違わず夕暮れは見事だった。空には飛行機雲が金色に輝く。エンジン排気ガス中の水蒸気が急冷されて雲になるというヤツだ。それが1本や2本ではない。次から次と現れる。スイス上空はたくさんの航空路が交差するのだから当然なのだろうが、その美しさに見入ってしまった。

 

「あっ、今度は右からだ」
 「左からも来た」
 「真上にもあるぞ」

子供時代のように夢中になって見つけた数を競い合う。

突然、学生時代に流行ったアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」の曲と、その中の歌詞「It never rains in Southern California」が浮かんで来た。「モントルーの空に飛行機雲の見えないときはない」ということか。くだらないことを口にして喜んだ。たった半日あまりのモントルーだったが、今でも鮮明に記憶している。

                             (2004年春)