ぼちぼちいこか 「ワインの旅5」白ワインとビール PDF  

伴 勇貴 2003年08月 

シャブリとムスカデ 

僕が最初に行った外国はフランスで、30年以上も前のことである。仕事でパリに2週間ほど滞在した。今では想像できないが、出発前夜、課内で歓送会が行われ、当日は数名が羽田空港まで見送りに来た。「元気でやってこい」「水に気を付けろ」などと声を掛けられてDC8に乗る。アンカレッジで給油のため数時間待たされ、北極圏を経由する「北回り」で20時間ぐらいかかったと思う。

この最初のパリ滞在中にワイン、なかでも白ワインの味を覚えた。ご馳走になった生牡蠣と白ワインに感激した。当時の日本では、気取ってウィスキーを飲むとしても「トリス」。「角」などなかなか手が出ない。日本酒も防腐剤の入ったものが普通である。そんな世界からすると、美味いモノづくしの別世界だった。青カビの生えたチーズもオニオングラタン・スープも、そしてパンですらも驚きだった。

「シャブリ」(Chablis)とか「ムスカデ」(Muscadet)を覚えた。いずれも辛口のさっぱりとした白ワインで、なかでも「ムスカデ」は安かったので、定宿のホテル近くの酒屋で買っては飲んだ。

土日は寸暇を惜しみ、エッフェル塔や凱旋門に登り、セーヌ川沿いを散策する。シャンゼリゼやモンマルトルの丘を歩き、ルーブル美術館に入り浸る。ムーラン・ルージュにも行く。それと白ワインで、すっかりパリの虜になった。

お土産は「ジョニ黒」2本、タバコ「ダンヒル」1カートン。数冊の成人本、それと「ビックのライター」とチョコレートだったと思う。「ジョニ黒」を開け、スルメとピーナスなどで帰国歓迎会をやる。あっと言う間に、酒はなくなる。すると「トリス」を「ジョニ黒」の瓶に入れて飲む ─── そんな時代だった。

「学生王子」─── Drinking Song

この初の海外旅行から戻り、半年も経たないうちに、今度はドイツ、フランス、イギリスを周り、航空機開発政策に関する現状調査をしてこいと命じられた。最初のフランス行きのときは一行4、5人だったが、今回は1人である。

それで報告書を提出しろという。大変な作業になりそうだった。行けばワインにありつけるとは思うものの、気が重い。そこで出発までの1ヶ月に、日本で入手できる新聞や専門雑誌などを克明に調べた。フランス語とドイツ語の資料は数字を拾うぐらいしか僕には利用できない。もっぱら「フィナンシャル・タイムズ」と「フライト」、「アヴィエーション・ウィーク」を頼りに情報を収集・分析し、まとめた。要求の8割以上に応える報告書を事前に完成させた。現地では不足分を調べるだけで済む ─── そう分かったら、気持ちが一気に楽になった。この事実を伏せ、羽田から再び見送られて飛び立った。

2回目となると余裕がある。大学時代の友人に頼み、北極圏を飛行する時、コックピットに入れてもらった。オーロラが見えるかも知れないからだ。運が良かった。前方に立ちはだかり、ゆっくりと微妙に色と形を変えながら動く赤紫のオーロラ。コックピットの窓全面をオーロラが覆う。高度約1万メートルを時速700キロあまりで移動しているとは思えない。「凄い」と叫んだきり、言葉が出てこない。「今日は綺麗ですね。まあ、コーヒーでも、どうですか」というパイロットの言葉で我に返った。

今では、とっても許されないことだ。その後、数回、オーロラを見た。しかし、この時のオーロラほど素晴らしいものは見たことがない。今でも昨日の出来事のように覚えている。

デンマークのコペンハーゲン経由でドイツに入った。コペンハーゲンで、最初の目的地、ハンブルグへの乗り継ぎに3時間あまり待たされる。若くて元気そのもの、その時間が惜しい。どうやって行ったのか覚えていないが、アンデルセン童話に出てくる「人魚」の像を眺め、波止場の屋台で買ったニシンの酢漬けをはさんだパンを頬張り、うろついた記憶がある。

ハンブルグでは知人の手配で民宿に2泊した。旅費が少ないからだ。アルスター湖という美しい湖に近い家の3階の屋根裏部屋で、風呂はなく、2階でシャワーを浴びる。しかし、清潔で快適で、簡単な朝飯を1階で食べさせてくれた。未亡人が1人で切り盛りしているようだった。肝心の仕事は、知人が手伝ってくれたこともあって、あっけなく終わった。時間に余裕ができ、有名な「飾り窓」を案内するというので付いて行った。刺激的なところだったが、金も度胸もなかった。翌日、朝一番に起き、朝食前に湖畔を走り、気分を一新して次の目的地に向かった。

向かうところはデュッセルドルフである。国内線に乗ってデュッセルドルフ空港に降りた。その時、ドイツは初めてなのに、フランスほど緊張していない自分にフッと気づいた。海外が2度目だという理由だけとも思われない。多分、大学で第二外国語としてドイツ語をやったためだろう。意味はともかく、「音」にあまり違和感がない。当時は結構ドイツ語を覚えていた。目に入る言葉にも馴染みがあったし、フランスと比べると英語が多いのも楽だった。改めてドイツに来たのだと実感した。

ここでも仕事は直ぐに終わった。見聞きしたことと集めた資料に基づいて、持ってきた報告書の原稿をホテルで加筆訂正したら完了だった。集めたものは添付資料にすれば済む。「これでドイツは終わりだ」と思ったら、急に喉がいてビールを飲みたくなった。ホテル近くの大きなビヤホールに飛び込んだ。金曜日だったためだろう。混んでいた。気が付いたら、周囲のドイツ人と一緒になってビールを飲んでいた。いきなり話しかけてきた。ドイツ語と英語である。

 

「お前、日本人か?」
 「そうだ!」
 「イタリアを入れなければ、俺らアメリカに勝っていた!」
 「それは分からない!」
 「いや勝っていた」
 「良いからお前、飲め!」
 「乾杯!」
 「乾杯!」

 

多勢に無勢である。続いて、訳が分からないままガヤガヤとやった。最初のやり取りしか覚えていない。後のやり取りは定かではない。馬鹿でかいバケツのような陶器製のジョッキで回し飲みが始まった。ヤンヤヤンヤの囃し声で順繰りに飲む。そして肩を組んで歌う。ついには数十名の大合唱となった。「歌声喫茶」のノリである。

その中でも記憶に残っているのはミュージカル「学生王子」の数曲である。大学時代合唱クラブでやった。当時は歌詞もきっちり覚えていた。英語と日本語を適当に使い分けて歌った。

「学生王子」─「Student Prince」。「アルト・ハイデルベルク」という戯曲を基にしたミュージカル。カールスブルグ公国の王子、カール・ハインリッヒは学齢に達したため、当時の慣習に従って、他の貴族の息子たちと同様、大学に行くことになる。入学試験を受け、めでたくハイデルベルク大学に入学が決まる。

王子は、学生の町、古城の町に胸を踊らせる。初めての城外生活である。王子は、いつも若い学生たちで賑わっている宿に下宿する。そして下宿屋の娘と恋に陥る。王子は、同僚の学生たちに囲まれ、歌とワインと歓声の幸せな学生時代を過ごす。しかし、ある日、カールスブルグ公国より使いの者がくる。大公が大病気にかかり、すぐに帰国するようにとのことだった。一年間予定の大学生活を途中で終えなければならないことに悩むが、国政を考えて帰国を決意する。しないわけにはいかなかった。王子はケティとも悲しい別れを交わし、ハイデルベルクの町を後にする。

それから数年経ち、カール・ハインリッヒはカールスブルグ大公となる。気の進まぬ政略結婚を間近に控え、悲しみに沈んでいた。下宿の娘に対する思いが募り、青春のわずかな時を過ごしたハイデルベルクへ向かう。しかし、時は移り、世の中は変わり、昔の同僚も大公となった彼にはうち解けない。

その中で変わらないのは下宿の娘だった。しかし、彼女も結婚が決まっていた。彼女は言う。「私たち二人は、どうしようもなかったのよ。そうでしょう。私たちはいつもそのことを知っていたわね」彼は「僕のハイデルベルグへの憧れは、君への憧れだった」と言い、過ぎ去った青春を思い出しつつ、ハイデルベルクを後にし、新しい人生に向かって歩いていく。

だいたいそんな内容のである。話そのものは「ローマの休日」の逆バージョンのようなたわいないものだが、曲は悪くはない。その中のビヤホールに向いている「Drinking Song」や、その「フィナーレ」─── 冒頭が「我が行く道ははるけき彼方 ……… 」───を歌った。誰が始めたのか定かではないが、これらの大合唱が始まった。身体を曲に合わせて動かしながら、大声で歌う。気分爽快なひとときだった。

なお、インターネットで探したところ、歌詞が載っていて曲も聴けるホームページを見つけた。次に紹介するものは、そこから引用したものである。
http://homepage1.nifty.com/koarashi/midi/student_prince/student_prince.htm

海外のホームページもあった。歌詞はないけれど、歌や曲が聴ける。

「Marching Song and Drinking Song from "The Student Prince" 」
http://www.ugcofnyc.org/sounds.asp?action=all

「Deep in My Heart Dear」「Golden Days」「Students Marching Song」「Drinking Song」「Serenade」「Finale」など。
http://www.iclassics.com/iclassics/album.jsp?selectionNum=4400187322

一度、アクセスしてみてはどうだろうか。一度は聴いたことがある曲だと思う。 

ライン・ワインとモーゼル・ワイン

ドイツに入ってからというもの、ビールばかり飲んでいたが、ついにワインを飲む機会が訪れた。馬鹿騒ぎで、翌日は二日酔い気味だった。しかし、早く起き、勧められていたラインの船遊びに出かけた。ドイツでの仕事は終わったし、土曜日である。ライン川上流のマインツまで行き、そこからコブレンツまで下るのが常道だそうだが、時間も限られているのでコブレンツからたくさん出ている周遊船に乗ることにした。ホテルで聞いたら、列車でコブレンツまで行けば、直ぐに分かるという。

デュッセルドルフから列車に乗った。空いている。窓際の席に陣取り、ボケッと風景を眺めることに決め込む。写真でしか見たことがない風景が目の前に広がっている。いくら眺めていても飽きることがない。風景は流れているのに、時は止まっているような妙な気持ちである。二日酔い気味だったのも、コブレンツに着いた時にはすっきりしていた。

上の地図で分かる通り、コブレンツは、ライン川にモーゼル川が流れ込む辺りに位置し、上流には有名な「ローレライの岩」がある。

切符を買って観光船に乗る。天気は快晴。周囲の人にならって上半身裸になる。

気分は最高である。そしてワインを飲む。ライン・ワインとモーゼル・ワインの両方を飲む。美味かった。

川幅は広く、黒く濁った水流は穏やかである。長い金髪の美少女が岩の上で歌い、船の男たちを惑わせて座礁させ沈めたという伝説の「ローレライの岩」は小高い丘という感じである。やや期待はずれだったけれど、緑の中に点在する城は期待した以上に綺麗だった。船上での気分は爽快そのもの。ワインもパリで口にしたよりも何倍も美味い。ワイングラスを片手に聞こえてくるメロディに合わせ、ドイツ語で「ローレライ」を口ずさむ。実に贅沢な時間だった。

以来、ドイツには何度も行った。ライン・ワイン、モーゼル・ワインを飲む機会も多く、少しは知識を持った。

ドイツ・ワインの約85%は白ワインで、主な生産地は大きく分けてラインとモーゼル。ライン・ワインはモーゼルと比べると濃厚。普通、茶色のボトルに詰められている。モーゼル・ワインはラインと比べるとやや淡泊で酸味が強い。値段も割安。普通、緑色のボトルで売り出されている。

だいたい、こんなことが言われている。振り返ってみると、白ワインが好きだったころは、まさにモーゼル・ワインが飲みやすく好きだった。

ところが次第に物足りなくなった。最近は、日本酒の質も格段に良くなったので、白ワインを飲むくらいなら日本酒の方がはるかにましだと思うようになっている。魚介類だからといっても、よほどのことがない限り、白ワインは選ばない。

そして気が付いたら、「なじかは知らねど」ドイツ・ワインに対する関心はなくなり、ノスタルジアの世界のものになっていた。ドイツ・ワインが好きな人には、何も知らないのにと馬鹿にされるのだろうが ……… 。

                        (2003年夏)