ぼちぼちいこか 「ワインの旅2」アイス・ワイン PDF
伴 勇貴 2003年04月
30年ぶりの「ナイアガラの滝」
昨年秋、仕事でシカゴ、ニューヨーク、ワシントンそしてサンフランシスコを回ってきた。シカゴでは、情報収集のため、広大な展示会をひたすら歩き回った。数日間、そんなことをやった後、次の目的地のニューヨークに行く途中、ちょうど中間にあるバッファローで降り、ナイアガラの滝に寄った。
知人のNさんがニューヨーク駐在になった時、南米イグアスの滝に行こうと声を掛けられていたのだけれど、機会をしてしまった。グズグズしている間に、Nさんは行った。そして「よかったぞ! やっぱり一度見なくちゃあ」と、いつものようにニッと笑顔で自慢された。
そのリベンジという気分があった。ナイアガラに立ち寄るのも悪くわないという気持ちに襲われた。ナイアガラに行くのは約30年ぶりである。
初めてナイアガラを見たときは、写真から勝手に夢を膨らませていたものだから、やや失望させられた。
規模の壮大さには驚かされたが、「ナイアガラの滝」があるエリー湖とオンタリオ湖の境の付近は、人跡未踏の山岳地帯のようなところに違いないと勝手に思っていたので戸惑い、言葉を失った。認識不足だった。一帯は建物もたくさんある、平らで見通しが良い場所だった。この景観を眺め、ただただ唖然とした。その記憶だけは今でも昨日の出来事のように鮮明に覚えている。
だから今回は、正直なところ冷やかし半分だった。あれだけ開発された観光地なのだから、いくら「お上りさん」と見られようとも、滝の近くのホテル、それもカナダ側のホテルに泊まり、何も考えずに、ともかく圧巻だという照明に浮き上がる滝の姿をんでみようと初めから決めていた。それも一興だろう、と思える歳になっていた。
ところが、この諦めにも似た気持ちが幸いしたのだろう。落下する膨大な水量に素直に驚かされた。滝の位置が浸食のため何キロも後退している、それが何億年にもわたって続いていることには脱帽した。自然の凄さにただ感動した。この自然と人工のイルミネーションとが織りなす夜景は、幻想的な一大ショーである。東京や香港やニューヨークなどの夜景とは規模も質もレベルが格段に違う、まさにナイアガラだけのものだった。
滝壺ツアーもディスニーランドの冒険の国の比ではない。昔は、そんなものなんか、と馬鹿にしていたが、迫力があった。とても人間の手で作れるような仕掛けではない。揺れるボートめがけて、容赦なく叩き付けてくる水。巻上がる風で雨合羽はまったく役に立たない。船上では歓声と悲鳴とが行き交う。その声を受け、操縦士はエンジンを全開にする。勢いに押されて流された船が少しずつ前進し、滝壺に近づく。すると再び歓声と悲鳴が沸き起こる。そんなことを数回繰り返し、観客をずぶ濡れにするアトラクションを満喫した。
ナイアガラ半島とカナダ・ワイン
もう一つ、収穫があった。カナダ側はアメリカとはまったく違う世界であることを体験した。そのまま空港に帰ろうと思っていたら、時間が十分あるから、ちょっと回り道していかないかと運転手兼ガイドが言う。聞けば、近くに歴史を感じさせる古風なたたずまいの街がある。しかも、一帯は「アイスワイン」の名産地だという。
ブドウ園のブドウが霜で全滅した。凍ったブドウではワインは作れない。それが常識だった。しかし、諦めきれず、凍ったブドウを絞って得られたごくかの果汁を、ある農民がワインを作った。それが予想に反して美味しかった。水分が氷結し、果汁の液が濃縮していたためである。それが「アイスワイン」の起源で、ドイツの葡萄園で起こった出来事だった。
以来、意識的にブドウの収穫を遅らせ、氷結するのを待って、収穫し、ワインを作るようになった。しかし、産地はドイツのごく一部、秋から冬にかけ、ブドウが氷結するぐらい寒くなる気候のところに限定され、産出量は少なく高価である。豊潤で美味い。───そんなことをどこかで読んだ記憶があった。
多分、糖分が多く、甘いもので、僕の好みではないだろうとは思っていたものの、まだ口にした経験がないので断定はできない。それで好奇心がうずく。やはり「一飲は百聞にしかず」である。直ちにOKし、そこに向かうことにした。
右手にナイアガラの滝が浸食され、上流のエリー湖側に後退した痕跡を眺めながら、川沿いに下流のオンタリオ湖に向かって進む。彼は一生懸命にナイアガラの地質と歴史を説明する。普通の観光客には、それで十分なのだろうけれど、地学が趣味で、そのメッカの一つ米地質調査所(USGS)まで出かけたことがある僕が相手だったのは気の毒だった。どうも話が変である。で、道路沿いあったナイアガラの地質と歴史の説明文を読んだ。専門用語がたくさん出てくるので、彼が理解できなかったのも無理はない。やっぱり、間違いだらけだった。
それで、戻ってからでも調べれば分かることなので、説明はもう良いから、ともかく有名なポイントを見て回り、その後は目的のワイナリーと歴史の街に直行するように頼んだ。
川沿いの道を離れる。すると様子は一変した。豊かな農園地帯で、果樹園、ブドウ園に続いてワインナリーも目に入ってきた。ワイナリーに入るかと彼は聞く。しかし、時間が気になるので、 傍を通るだけで十分、簡単に試飲でき、買えるところがあれば寄りたいと答える。了解しましたと言う言葉でワイナリーが経営する店に入った。
見ていると、日本人にはとくに愛想が良い。お客さんなのだろう。いろいろ話しかけてくる。面倒なので、早速、試飲に入った。
これが一番売れているとか、日本で買えばいくらするからお買い得だとか必死で説明する。それを適当にやり過ごし、試飲に専念する。芳醇というより濃厚。ワインというより甘いブランデーのようである。胸一杯に吸い込むだけで、クラクラする官能的な強い香りである。を置かざるを得ない。それから、おもむろに口に含んだ。濃厚な甘い液体が口と舌に絡みついて刺激し、一気に五感を占領する勢いで全身に拡散する。ブランデーと「ポルト」のグラスを一緒に流し込んだような気分である。
僕の様子を見ながら、相手はグラスを変え、「そじゃあ、これはどうだ」というように別のものを出した。ややドライである。それも飲み干すと、また別のものを出す。きりがない。いずれも決してまずくはないが、残念ながら僕の好みではない。食後のデザートに楽しむのには向いているだろうが、甘いものを口にしなくなっている僕には無縁のものである。
「アイスワイン」も普通に楽しめるワインの類だろうと思っていたもので、正直言って、少しがっかりさせられた。いろいろ勧められたが、一番小さいヤツを数本、「話の種」に買うのが精一杯だった。そこに日本人の観光客一行がドヤドヤと入ってきて、手当たり次第に買い始めた。これを機会に、買い物ツアーから逃れ、店を後にした。歴史の街を眺めに行くぞと気を取り直した。
ところが車が動き出した途端、運転兼ガイドの彼が「これから行くところは日本の女性には人気のところなんです」と切り出した。これには参った。
「エェ───。オイ、なんだよう。そんなところなのかよう」と思わず口に出そうになったところ、「夏休みなんかは大変です。でも、いまは日本人の観光客が少なく、ゆっくりできるでしょう」と続ける。胸をなで下ろし、窓の外の風景を楽しむことに決めた。
農園地帯を抜けりると、突然、瀟洒な街並みに入る。目的地の「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」という街である。ナイアガラの滝を落下した水がオンタリオ湖に流れ込む河口にある。英国植民地時代の1971年、オンタリオ州の最初の首都になった街で、19世紀のビクトリア調の建物が残る約200メートルの街並みが見どころだという。
第一次世界大戦の戦没者を悼んで立てられた「時計塔」がランドマークとなっている。危険もなく迷う心配もない。案内は不要だから、付近で待つよう頼み、適当に散策し、昼食をとることにした。
歩いて驚いた。女の子が好きそうな小物などを扱う店が軒を並べ、まるで「軽井沢銀座」のようである。なかでも特産の果物を使ったジャムを扱う「Greaves」とか、一年中クリスマス・グッズを売っている「Just Christmas」などが有名だという。実は、後で聞いたことだが、軽井沢は、この街をモデルにしたという。
日本人は少なかったが、たくさんの女性が嬉しそうに歩いていた。洋の東西を問わず、年齢を問わず、こうしたモノが女性は好きなのかと改めて感心する。男性はほとんどが引っ張り回されるか、アイスクリームを舐め、ボケッ──としている。
そんな光景を眺めていたら、おかしさがこみ上げてきた。バードウォッチングよりもヒューマンウォッチングの方が何倍も面白い。勝手に想像が膨らみ、飽きることがない。でも時間が気掛かりなので、空いていたレストランに飛び込み、サンドイッチを食べ、この奇妙な街を後にした。
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余談だが、そして再認識したことだけれど、この「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」やナイアガラの滝のカナダ側の一帯は「ナイアガラ半島」と呼ばれていた。地図にも、そう書かれていた。
たしかにカナダ側から見れば、ナイアガラ川で切断されている、エリー湖とオンタリオ湖との間の地域は、上の地図で明らかな通り、「半島」であると言えなくはない。僕にすれば、一つの発見だった。それだけで満足感のようなものを覚えた。
(2003年春)