ぼちぼちいこか ハワイ・スバル天文台 PDF
伴 勇貴 2003年03月
星は昴
陳腐化したため、すっかり興味がなくなって話題にすることもなかったが、昨年のNHK紅白歌合戦には、中島みゆき(1952〜 )が登場し、NHKドキュメンター番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」のオープニング主題歌「地上の星」を、「黒四ダム」近くのトンネルの中から熱唱した。前評判も高く、いつになく僕も期待し、チャンネルを回した。しかし、中島みゆきが登場するまでは、正直言って相変わらずの「学芸会」で興ざめし、チャンネルを基に戻し中島みゆきが登場する頃合いを見計らった。
時々、チャンネルを切り替えて確認しながら、ひたすら中島みゆきの登場を待った。それだけは見たいと思ったからだ。ついに中島みゆきが登場し、「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」を歌い始めた時には、僕も歌詞を見ながら、いっしょに口ずさんでしまった。
1 風の中のすばる 砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス 街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
2 崖の上のジュピター 水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
3 名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
風の中のすばる 砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
風の中のすばる 砂の中の銀河
みんな何処に行った 見送られることもなく
草原のペガサス 街角のヴィーナス
みんな何処に行った 見送られることもなく
聴き馴染んでいた歌詞で、聴き流していたのだが、突然、改めて奇妙な歌詞だと思った。そもそも「すばる」は星ではない。星団だ。プレアデス星団のことである。「銀河」は、いわゆる「天の川」か、あるいは無数の星が集まっている一つの宇宙を指す言葉だ。「ジュピター」は惑星の木星、「シリウス」はおおいぬ座の恒星。翼を持つ天馬の「ペガサス」はいくつかの恒星の集まりに付けられている星座の名前、「ビーナス」は惑星の金星のことだ。
つまり、惑星、恒星、星団、星座、銀河というまったく異なる概念の言葉が並んでいるのである。ちなみに「大辞林」によれば、それぞれだいたい次のように説明されている。
惑星―――太陽の周囲を主に太陽の重力の影響を受けて公転し、自らは発光しない天体。普通、水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星を指し、小惑星やその他の塵状物質を含めない。
恒星―――天球上の互いの位置をほとんど変えず、それ自体の重力により一塊となり、光や熱などを放射している星。星座をつくっている星や太陽は、これに当たる。
星団―――天球の一部分に集まっている恒星の大集団。
星座―――天空の恒星をその見かけ上の位置によって結びつけ、動物や人物などに見立て、天球上の区分としたもの。現在は、古代ギリシャの星座を元として加除整理し、南天の星座を追加したものが使用されており、88座ある。
銀河―――(1)全天を巡り、天球上に銀の川のように見える光の帯。1609年、ガリレイが無数の星の集団であることを発見。天の川。
(2)銀河系の外に存在するとみなされる、広がりをもって観測される天体。渦巻星雲・楕円星雲などの種類がある。これらは宇宙の構成単位で、銀河系もこの種の天体の中の1個と考えられる。以前は銀河系外星雲といった。小宇宙。島宇宙。
こうした言葉の意味の違いを中島みゆきが知っていて、それを「プロジェクトX」で取り上げられる人、人たち、あるいは組織を意識して使い分けたのだとすれば、これはなかなかなものだと改めて妙に感心した。もっとも、そこまで考えられて書かれたかは怪しい。
若い頃、まだカラオケのマイクを握ることが多かった頃、よく歌った谷村新司の「すばる」の歌詞もそうだ。気分は分かるが、気分以外の何ものでもなかった。いま改めて読み直しても、やっぱりよく分からない。
「すばる」
1 目を閉じて何も見えず< br> 哀しくて目を開ければ
荒れ野に向かう道より
他に見るものはなし
嗚呼 砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかにこの身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
2 呼吸をすれば胸の中
木枯らしは吹き続ける
されど我が胸は熱く
夢を追い続けるなり
嗚呼 さんざめく名も無き星たちよ
せめて鮮やかにその身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ
嗚呼 いつの日か誰かがこの道を
嗚呼 いつの日か誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ
スバル ーーー「360」と枕草子
それでもみんなが歌い、流行ったのは、多分、「すばる」という言葉が、それを口にするだけで互いに何か分かった気分がしてしまう不思議な力を持っているためだろう。
僕の場合では、「すばる」が歌われていた頃は、まず富士重工業の「スバル360」を思い浮かべた。通称「てんとう虫」と呼ばれるデザインの車だ。「プロジェクトX」でも取り上げられたヤツだ。まだ車そのものが、なかでもマイカーはまばゆい時代で、自分も大人になったら、それを買って運転する、それは夢だった。大学時代の恩師の1人が富士重工業の人だったから、その気持ちは、さらに強められた。
しかし、僕が就職後、実際に手にした最初の自動車は同じ「360CC」の軽自動車でも中古の「ホンダZ」だった。2輪メーカーのホンダが本格的に4輪車を手掛け、すでに軽自動車「N360」は大ヒットしていた。
その背景には大学時代の別の恩師の影響があった。いつもホンダのスポーツカー「S800」、それもシルバー色のヤツで大学に凄まじい音を響かせやってきて、アタッシュ・ケースを手に降りてくる。その姿に痛く感動した。ご当人は決して格好の良い体型ではないのだけれど、ともかく格好良かった。
それで頭にホンダの名前が刻み込まれた。だから憧れの「スバル360」が現実には「ホンダZ」に変わったのだが、抵抗はなかった。「N360」では横転事故などが問題となったが、それに比較すると、「ホンダZ」の方が遙かにスマートで、安定性も良さそうだった。同じ「360CC」じゃないか。あまり理屈にならない理屈を呟いて「ホンダZ」に乗った。
今、思えば、90キロを超す速度で「ホンダZ」に、よくも平気で乗っていたものだと驚く。今なら、とても怖くてできない。不安定と騒音は高速走行では仕方がない、自動車とはそういうものだと思っていた。当時は、嬉しさが勝って、気にもしなかった。若さの特権だろう。
もっとも、その特権を行使し、しすぎて、若くして亡くなった知り合いが何人もいる。そして気が付いたら、息子の事故死で悲嘆に暮れていたご両親、そのご両親たちを上回る年代に自分自身がなっていた。何とも複雑な気持ちに襲われる、今日この頃である。
ところで、こうしたことを想い出させる「スバル360」の次に、「すばる」という言葉を聞くと浮かぶのが、当時は「枕草子」だった。高校時代、古文の授業で覚えさせられた清少納言の「枕草子」の一節が断片的だが、まだ覚えていた。
春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山際すこし明かりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。・・・・・・・・・
この有名な書き出しから始まって、自然に関するものとしては
日は入り日。入りはてぬる山の端に、光なほとまりて赤う見ゆるに、
薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり。
などがあり、そして、星についても
星は、すばる。・・・・・・・・・
という一節の、この最初の部分だけは、頭にこびりついていた。たぶん、子供の頃、天体観測をしながら、裸眼で「すばる」の星を何個見ることができるか、よく競ったからだろう。しかし、次が出てこない。定かではないので調べたら、
星は、すばる。ひこぼし。夕づつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。
とあった。これを見て記憶が戻った。
「ひこぼし」は、わし座α星アルタイル。
「夕づつ」は、宵の明星で金星のこと。
「よばひ星」は、流星をさす。当時は男性が女性のもとに「夜這い」───もともとは「呼ばふ」。男が求婚し、女のもとに通うこと。これが一般的な婚姻形式だったが、嫁入り婚が支配的になると次第に不道徳なものとされ、「夜這い」と解されるようになった ───「夜這い」するのが普通で、この「夜這い」する男の気持ちから流星が生まれると考えられていた。
そして「尾だになからましかば、まいて」という文で、「夜這い」する男性に対し、「尾を引いて人の目にとまることがなければいいのに」という女性の感情を表していた ─── などと教わったのを思い出した。
「すばる望遠鏡」
ところが、今は違う。「すばる」と聞くと、「すばる望遠鏡」を思い浮かべるようになっている。標高4200メートルのハワイ島マウナケア山頂にある日本の国立天文台ハワイ観測所の口径8.2メートルの世界1の大型光学式反射望遠鏡である。光学式反射望遠鏡と言っても最新技術が駆使された新世代望遠鏡で、従来タイプのものとは一線を画す。建設だけで十年近い歳月がかかり、1999年から稼働を開始した。詳細はホームページに紹介されている。
(http://subarutelescope.org/j_index.html)
次々と発表される「すばる望遠鏡」による、これまでにない鮮明な数十億光年も離れた星や星団や星雲などの映像を見ると、若い頃のように無限の宇宙に引き込まれる。
その仕組みなどは、以前から「日経サイエンス」など雑誌にも詳しく紹介されている。それらによれば、ミリ波帯で世界有数の観測能力を持つ八ヶ岳山麓の野辺山の口径45メートルの電波望遠鏡が完成した1982年頃に「すばる望遠鏡」の構想は浮上したのだが、実際に予算がついて建設が始まったのは、それから10年あまり後の1991年のことだという。
当時、日本で一番大きな光学望遠鏡は岡山天文台の口径188センチのもの、それもイギリスから購入したものだった。世界でも1984年完成の米パロマ天文台の5メートルの反射望遠鏡が依然として最大だった。それは反射鏡の重力による撓みや温度による狂いを制御できず、反射鏡の大きさを5メートル以上に」できなかったためだという。
これをブレークスルーしたのが「能動光学」という新技術である。「すばる」の場合だと、重量約20トンのガラス製の反射鏡の背面を261本のアクチュエーター(能動支持機構)で支え、その1本1本に加わる力を測定し、その値から反射鏡の撓みを制御するという技術である。
さらに空気の「揺らぎ」の影響を相殺・補償する「補償光学」という技術も取り入れ、光の波長の20分の1以上、10ナノメーターのレベルの精度を実現したという。東京から富士山頂に並べて置かれた2つのテニスボールをきっちり分離して見ることができる精度だという。
現在、口径8メートル以上の1枚鏡の反射望遠鏡としては、「すばる」と同時期に建設が進められた米国など7カ国による「ジェミニ」、ヨーロッパ11カ国による「VLT」など7台が稼働している。「すばる」は反射鏡ガラス背面に穴をあけ、そこにアクチュエーターを差し込む方式を採用したのに対し、他はガラス背面にアクチュエーターを張り付ける方式を採用する。その優劣が問われたが、軍配は「すばる」に上がり、地上の望遠鏡としては最高性能を誇る。大気の「揺らぎ」などを考えれば、これが限界だという。
こんなことを知識としては知っていたが、やっぱり自分の目で見たかった。実感したかった。そして、ついに、その機会がやってきた。数年前のことだ。「すばる」を見学させてくれるという。丁度、米ピッツバーグのカーネギーメロン大学に行く用事があり、その帰りに立ち寄ることになった。
行くことに決めたら、いろいろと脅かされた。送られてきた書類には高山病で苦しむ人が多いということで、細々と注意事項が書かれている。前日は酒タバコはやらないこと、普通の車だと危ないので4輪駆動のジープのような車で来ることなどと指示された。
しかし、同行の寅さんと開放感も手伝って飲んでしまった。だが、何ともなかった。途中2500メートルの高さにある休憩所で1時間ほど休み気圧調整をしてから、一気に「すばる望遠鏡」まで登る。3500メートルぐらいから上は、とてもハワイとは思えない別世界だった。一面が赤い火山灰に覆われ、草木は1本もない。それと数十億光も年離れた世界に一気に突き抜ける澄んだ大空とが造る荒涼とした肌寒い世界である。ついさっきまで居た、やや雲がかり蒸し暑い麓の世界が信じられなかった。
スタッフの人の案内で、望遠鏡の隣にある観測棟に入る。たくさんのコンピュータが並んでいた。あとは書類の山。大学の研究室のような雑然とした所である。徹夜で観測する時のものだろう。カップ麺が部屋の片隅に積まれている。この部屋から遠隔制御で、観測機器を交換したり、望遠鏡の向きを変えたりして観測を行う。観測時には「すばる望遠鏡」には人は入れない。人間の熱で温度が変化し、観測機器の精度が狂うからだ。昼間、数十名の人が観測機器のある部屋に入って準備作業を行い、それが終わると全員が退去し、その数時間後、その影響がなくなるのを待って夜間に観測するのだという。
この建物に連続して留まることはできる時間は、気圧が低い(約6割)ので12時間に限られている。そのため2交代制を取っている。来るとき立ち寄った高度2500メートルのところにあった施設が基地となっており、昼間のグループは夕方には戻り、そこに泊まる。入れ替わりに、そこで昼間寝ていたグループがやって来て、観測棟にもるのだという。
大学などの共同利用機関となっており、壁に貼られたスケジュールはいろいろなグループの観測予定でぴっちり詰まっていた。作業内容を聞き、作業現場を見て納得したが、「すばる」の維持・管理だけでも、予想もしなかった50人以上の人たちが働いていた。
心臓部、口径8.2メートルの反射鏡を見る。膨張係数の小さいガラスを磨き、表面に金属を真空蒸着して鏡にしたものである。その表面に塵が堆積するため、約1ヶ月間隔で掃除しなければならないという。僕たちが行った日が、その掃除の日だった。鏡を傾け、液化炭酸ガスを吹き付けて掃除する。その反射鏡を見上げながら説明を聞いていたら音を立てて頭上から白い固まりが落ちてきた。ドライアイスである。
ドライアイスを浴びながら「でも、掃除はできるでしょうが、蒸着した金属そのものも劣化するでしょう。そうなると大騒動でしょう」と質問したら、待っていましたとばかりに、案内役を引き受けてくれていたN助教授は「ここには専用の蒸着装置があるのです」と言い、巨大な蒸着装置を見せてくれた。
考えれば、当然のことであった。この高価で20トンあまりの鏡を遠くに運搬するとなると、それ自体が一大プロジェクト。万が一にも破損したら、作り直すのに少なくとも4、5年は掛かるだろう。その間、「すばる」は休業せざるを得なくなる。「すばる望遠鏡」の建物下部は関連機器の整備・メンテナンス工場になっており、その工場の上に「すばる望遠鏡」は載る構造になっていた。
空気の流れとか熱の放散などの計算結果を基に設計したという、ユニークな外見の「すばる望遠鏡」の全体(総重量約2000トン)が円形レールの上に乗り、回転移動し、水平方向の角度を調整する。
何から何まで驚きの連続である。構想から完成まで20年あまり。様々な分野の技術の結集の賜であることを実感した。数百億円の費用が投下され、維持だけでも年間数十億円の国費がかかるということだが、無駄だとは思わなかった。国の役割について再認識させられた。
「すばる望遠鏡」の付近は天文台のメッカと言われるところで、周囲には各国や国際機関の天文台が林立していた。N助教授の説明に夢中になっていたら、「気を付けて下さい。知らない間に酸素濃度が薄い影響が出てきて、注意力が散漫になり、階段を踏み外したり、ちょっとしたもの足を引っ掛けたりしますから」と注意を促された。
言われてみれば、たしかに少し変だ。とくに階段を上り下りが変である。ただ少し息が弾むだけではない。面倒というか億劫な気分になっている。聞けば、それが酸素不足の一つの症状だという。それが酷くなると注意力が著しく低下し、予想もしなかった事故などにつながる。個人差は大きいが、大勢の人が「すばる望遠鏡」を利用するため、この問題で相当に悩まされる人も出てくるという。それでドアの開閉など、大事なポイントには、「フール・セーフ」措置を施しているという。
「もっとも、僕の場合は周りの人が不思議がるほど平気なのですがね」と、N助教授は「ニヤッ」と笑った。たしかに「すばる」にいる他の人たちと比べても、身軽なことこの上ない。慣れだけの問題ではなさそうである。階段を上るN教授に付いていくのが精一杯になったころ、「さあ、着きました」とN助教授が明るく言った。促されて眺めた方向には、さすがに天文台のメッカと言われるだけのことはあり、たくさんの天文台がキラキラと輝きながら並んでいた。その一つ一つについて解説した後、今、それらの天文台と「すばる」とを光ファイバーで接続し、全体を一つの巨大な光学式望遠鏡として動かすプロジェクトを進めているところだと話を続けた。壮大な計画である。
N助教授の説明に、僕は目には見えない無限の宇宙の彼方に連れ込まれ、その場に立ちつくした。「もう、降りよう」と寅さんが言った。強い風を遮るものがなく、寒くなってきたという。たしかに寒くなっている。促されて戻り始めた途端、靴の先が足場の金属製の格子に引っ掛かった。ガシャンと大きな音がした。「大丈夫! やっぱり酸素不足の影響が出たみたいで、ちょっと躓いただけです」と答えたものの、足下の大地までの距離を知って、ドキッとした。
─────────
ちなみに「天文学者の虫眼鏡」(文春新書 1999年9月)で、著者の池内了(1944~ )名古屋大学教授も、次のようなことを書いていた。
太陽が寿命を終えるとき、その半径は火星の軌道くらいまで膨張し、地球は蒸発し、私たちを形作っていた元素は宇宙の微塵となる。やがて散らばったガスが固まって星が生まれる。「私たちはいずれスターになる」のだ。元素レベルで見れば、私たちは、星になりガスになりして、時空を旅する存在なのである。何万光年もの銀河系空間での、何十億年もの時間をかけた、4次元での宇宙の営みの結果として、この地球があり、この私たちが存在している。そんな時空を考えると、ちっぽけなことでグズグズ悩んでも仕方がない。せっかくかけがえのない命を貰ったのだから、精一杯生きようや。宮沢賢治が呼びかけたように
おお朋だちよ
いっしょに正しい力を併せ
われわれのすべての田園とわれわれのすべての生活を
一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか ……………
われわれの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度のごとに四次元芸術は巨大と深さとを加えるという確信を持とうではないかと学生に語りかけ、締めくくる。四次元芸術とは、空間・時間にまたがる私たちの人生のことであり、生き様なのである。悩んで立ち直れば、君はちょっと成長しているだろう、と力づけてやる。
と言いつつも、最後には、私の方がなんだか空しくなり、悩んでいる学生の方がかえって羨ましくなってしまう。彼らには悩むだけの時間と未来への可能性を持っているからで、私には、もはや悩んでいる無為に過ごす時間も選択に困る「われわれの前途」もほとんど残されてはいないからだ。私はここにはわれらの不断の潔く楽しい創造があるの「われら」から外れかかっているのである。
結局、学生の下宿から戻ると、コップ一杯の水ならぬ酒を飲んで、過ぎ去った時を悔やむ私なのである。
─────────
著者は1944年生まれ、京都大学理学部物理学科卒・同博士課程を修了の後、北海道大学助教授、国立天文台教授、大阪大学教授を経て現在、名古屋大学教授。専攻は宇宙論・天体物理学だという。僕は歳もほとんど同じこともあってか、こうした言葉には共感するところが少なくない。そして「すばる」を見終わって、やや興奮が冷めたら、まさに同じ気分に陥ったのだった。
(2003年春)