ぼちぼちいこか ニューオリンズ「バーボンストリート」 PDF
伴 勇貴 2001年05月
ブルーズ・ジャズ
「ガンボ料理」を存分に堪能してから繁華街「バーボンストリート」に繰り出した。昔ながらのジャズをゆっくりと楽しみたいと思ったが、「ブルーズ」が幅を効かしていた。ボリュームを目一杯に上げ、どうだ! どうだ!と言わんばかりの凄まじい音量の「ブルーズ」、正確に言うと「ブルーズ・ジャズ」が街に溢れていた。
「センチメンタル・ジャーニー」の気分は吹っ飛んでしまった。音の洪水が左右前後から迫ってくるから、どこか良い店がないだろうかなどと探し歩いていても落ち着かない。
ところが「ブルーズ」が好きなKは隣で勝手にウキウキし始めた。歩きながらリズムに合わせて身体を動かしている。しかし、それほど僕は「ブルーズ」は好きではない。やりきれない気分に襲われた。どこでも良いから早く店に飛び込みたい衝動にかられた。
余談。一言に「ブルーズ」(blues)───「ブルース」ともいうけれど、これを説明しだすと切りがない。昔、酔っぱらっては僕もよくやったチークダンスの時に流れる定番の「ブルース」と同じ綴りで、同じように発音することも少なくない。だが、それとはまったく違う。
ひらたく言えば「4分の4拍子の哀愁を帯びた歌曲。アメリカ黒人に歌われた哀歌。のちジャズに取り入れられてジャズの音楽的基盤ともなった」(大辞林)という流れのヤツだ。広辞苑には「①19世紀末にアメリカの黒人が生んだ歌曲。ヨーロッパ音楽にない独特の音階・旋法を用い、3行詩型12小節が基本型。多くは個人の苦悩や絶望感を即興的に歌った。②社交ダンス用に演奏される4分の4拍子の哀調をおびた曲」とある。詳しいことは分からないけれど、この②の意味と区別する意味で、敢えて「通」は「ブルーズ・ジャズ」を「ブルーズ」と言うのかもしれない。
ちなみに研究社「新英和大辞典」で「blues」を見ると、第一義は「気のふさぎとか憂鬱症」で、その次に「米国黒人の歌で、blue notes を持つ音楽。ジャズに決定的な影響を与えた」とある。そして「bluenote」については「ブルーズ特有の施法で、ハ長調で言えば半音下げられた3度または7度を指す」とある。一方、「大辞林」では「 長音階の3度(ミ)と5度(ソ)と七度(シ)の音を半音下げた音。ブルーズ・ジャズに特徴的な音」と説明されている。
この「ブルーノート」(blue note)という名前のジャズのライブハウスが青山にある。今も残っている数少ない老舗の1つで、2年ほど前、元の場所からちょっとしか離れていないところに新装開店した。
相当に客席を増やした上に、ビッグバンドの生演奏も楽しめるようにステージも大きくしたという。この新しい店にはまだ行ってはいないが、なかなか繁盛しているらしい。ジャズ愛好者が若い人たちの間で静かに増えてきているらしい。
「ジャズ保存小屋」
もっとも僕にとっては、こうした話なんかどうでも良い。話をするよりも浸っている方が良い。「ブルーズ」もジャズである。若い頃からジャズなどは好きで、「ブルーノート」にも出入りしたが、それよりも同じ青山にあった、もっとこぢんまりとした店の方が好きだった。
いつの間にか、僕は、そこの常連になっていた。でも、蘊蓄を披露し合うような「群」にはどうしても入れなかった。それよりも隅っこの定席で、バーボンのオンザロックを片手に、音階と音色とリズムが創り出す,いま風に言えば、「バーチャル」な世界に1人で漂っているのが好きだった。
だからニューオリンズの「バーボンストリート」の雑踏の中で、大音量のブルーズに浮かれるよりも、一刻も早く、どこか店に飛び込みたかった。
「おい、ともかく適当な店に入ろう! 駄目なら別を探せば良い!」
黙っていたら、いつまでもウロウロしていそうなKを促し、メインストリートからやや奥まったところのステージで数名が演奏している姿が目に飛び込んできた店に後先を考えずに入った。ともかく少し落ち着きたかった。まだ時間が早いせいか、観客は数名だった。1ドルか2ドルで飲み物を注文するだけで済む。適当な場所に陣取って、若い黒人の「アンチャン」たちが頑張っているのを聞くことにした。
最初は、ホッとしたこともあって、「結構、行けるじゃん!」などと楽しんでいた。だが、数曲を聞いて、異口同音に「おい、出よう!」と言い出した。彼らは観客が増えてきてノリ始めたようだが、僕たちには逆効果だった。だんだん聞き苦しくなってきた。
「駄目だな! こうなったらオーソドックスで行こう!」
どちらともなく言いだし、再び「バーボンストリート」に出て、それらしき店を探し始めた。しばらく冷やかしながら歩いていたら、突然、騒音の中から郷愁を覚える音色が聞こえてきた。交差点の角の古めかしいライブハウスだった。覗くと、メンバーは、いい年をしたというより、ほとんどが老人のグループだった。それも全員が白人という珍しい組み合わせだった。
「これは面白そうだぞ!」
明らかに、それまで眺めてきたグループとは異質な感じがした。引き込まれてしまった。観客はまばらで、僕たちは前列の特等席に陣取った。改めて店の謳い文句を見ると「ジャズ保存に専心のバーボン小屋」とある。まさに頑固者の集団のようなグループである。
「おい、これは伝統芸能保存ハウスだぞ!」
「もしかすると大当たりかもしれない」
「あのドラマー、倒れちゃうんじゃないか」
こんな軽口を叩きながらも、嬉しさがこみ上げてきた。まさに若い頃に親しんだ懐かしいスタイルのジャズだった。それに、どの奏者も良い味を出していた。ヨボヨボなのに張り切っているボスのドラマーは憎めず、小太りのニコニコしているバンジョー奏者との対比の妙が楽しい。
席に着くや否や「飲み物は?」と聞きに来た。で、「バーボンはある?」と言ったら ─── というのも、その時はまだ「バーボン小屋」という名前に気が付いていなかったからなのだけれど ───「もちろん、当たり前じゃないか」とぶっきらぼうに切り返された。相手にすれば、当然の反応なのだろうが、こちらも「この野郎!」と言いたくなった。
しかし、そんなことも直ぐに忘れた。運ばれてきたバーボンのオンザロックを口にしながら、いつになくスイングしていた。曲が終わるたびに、2人とも夢中になって拍手し、声援を送っていた。気が付くと、「小屋」はほぼ満席になっていた。それも老年の白人たちがほとんどだ。誰もが僕たちと同じように喜んでいた。年甲斐もない客たちの熱狂振りに「オジン・グループ」も年甲斐もなくノッてきた。
そんな時だった。通りの反対側にある「ブルーズ」のライブハウスの音量が一段と上がった。それを合図に通りを挟んで「伝統芸能バンド」と「流行バンド」の競演が始まった。
ボスのドラマーが露骨に眉をひそめた。そして全員に合図を送ると同時に、負けてなるものかと懸命にドラムを叩きだした。ベースもクラリネットもサックスも、そしてバンジョーも、「流行バンド」を意識して、本格的な掛け合いを始めた。面白いことこの上ない。大きな拍手がわき起こった。
頑張れ! 頑張れ! やれ! やれ! そんなノリである。
「向かいの店で演奏しているのは、あのドラマーの息子じゃないか」
「うん、きっとそうに違いない」
「息子に負けるものかと頑張っている雰囲気だ」
「でも、あと20年もすれば、今度は息子がここでやっているかもしれない」
「絶対に間違いない」
そんなことを叫びながら、ノリにノッた。「小屋」全体が、それも老人たちが一様に異様に盛り上がった。行け! 行け! という掛け声に煽られて、必死で演奏を続けた。明らかに時間はオーバーしていた。最後の一曲が終わった時には、万雷の拍手だった。
そしてドラマーのボスが立ち上がった。エネルギーを使い果たしたようで、思わず舞台から降りるときによろけた。恥ずかしそうに苦笑いをした。それを見て全員が今度は本当に有り難うという改めて大きな拍手をした。本当に気持ちの良い一晩だった。
(2001年春 完)