ぼちぼちいこか オミナエシとワレモコウPDF
伴 勇貴 1999年10月
「オミナエシとワレモコウ」
麻布十番祭りの賑わいが想い出になって、この白金にある、近くの氷川神社の秋祭りの飾り付けが始まった。境内の一部を潰してマンション建設が行われている。それで今年の祭りは中止かと思っていたら、例年通りに行うようである。子供たちは太鼓の練習に余念がない。四の橋商店街を歩いていると、横町の奥の方から、頼りない調子の太鼓の音が流れてくる。
ちょっと前までは、日陰を求めて狭い路地を行くと、こちらの弱みにつけ込むように前後左右からミンミン蝉が攻めてきた。暑さを乗せて鳴き声を押し付けてきた。そのミンミン蝉が姿を消し、代わってツクツク法師が「オーシ―ツクツク、オーシ―ツクツク」と鳴き始めた。これで秋も近いとホッとした。しかし、それもつかの間のことだった。いっこうに過ごし易くなる気配がない。
斜向かいの氷屋からは、朝早くから夕方遅くまで「シャーシャーシャー」と氷を鋸で引く音が響いてくる。真ん中に大きな赤い字で「純氷」、その両側に小さく青い字で「氷屋の氷」「飲食用特製氷」と書かれているA4サイズのポスターが貼ってなければ、見過ごしてしまうような氷屋がフル操業である。
とにかく今年の残暑はいつになく厳しい。あと少しの辛抱だ ――― そう言い聞かせてはいるが、呪いたくなる。残暑というよりは暑中と呼んだ方がいいくらい蒸し暑い。すでに9月も半ばだというのに、まだ最低気温は約26、27度、最高気温は約33、34度といった日々が続いている。
強い日射しを逃げて路地を曲がったとたんに、質素な庭先に植わっている真っ赤な花が目に飛び込んできた。樹皮がツルツルなことからサルスベリと呼ばれる「百日紅」である。その鮮やかな紅紫色の花までが恨めしくなる。紛れもない盛夏の花がまだ溌剌としているのは何とも不愉快である。
五の橋商店街を抜けたところ墓地でも、百日紅がたくさんの卒塔婆を家来に従えて花を咲かせている。奇妙な美しさを漂わせている。白金1丁目の交差点の近くの道路沿いでは、盛夏の花木のはずの夾竹桃が桃色の花をいっぱい付けている。中国では夾竹桃を「百日紅」どころではない、半年も花を咲かしているということから「半年紅」と呼ぶこともあるそうだから、それも仕方ないのだろう。
しかし、秋風が吹き初める時期に、盛夏の花が元気に咲いているのはやっぱり苛立たしい。だいたい花屋が怪しからない。一年中、薔薇や菊や百合を並べている。竜胆や秋の七草のやにしたって、5月頃から並べている。しかも、桔梗とは科目が違う科で、北アメリカ原産の花を、こともあろうに「トルコ」という名前で、年中、前列に飾っている。色も桔梗の紫だけではなくピンクや白までもあるヤツである。
それでも綺麗で、日持ちも良く、それに値段も手頃で、僕だって、結構、買ってきては飾っている。なかでも紫のものは良い。しかし、今は、そうにはなれない。なことに腹が立ってくる。それも、このクソ暑い残暑のためだろう。
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買い置きのタバコが尽きてしまった。そんな時こそ禁煙すれば良いのだが、一度、タバコが頭に浮かぶと、こびり付いて離れない。火を付け、1センチも吸えば、だいたいもみ消してしまう。だから、本当に無駄だと思う。と同時に、伊達タバコなのだから、無理して止めることもあるまい。止めなきゃいけなくなれば、いつでも止めるとも思ってしまう。その繰り返しである。
もっとも、その結論は、今のところは決まっている。今回も暑い中、タバコを買いに出る羽目になってしまった。「どうせ神棚の榊も仏前の花も部屋の花もまいってきているし、花屋に行かなきゃならないんだから ……… 」などともっともらしい理由をつけて重い腰を上げた。
タバコ屋の一軒おいて隣に花屋がある。おばさんがタバコを袋に入れようとするのを「結構です」と断り、「また菊かバラかトルコ桔梗か ――― 」と心の中で呟きながら、花屋に入った。すると、珍しいものがあった。秋の七草の女郎花と吾亦紅である。その束が店の奥にに積まれていた。
奥から現れ、愛想を振りまく親父に、「今日は、珍しいのがあるじゃない」と声をかけたら、「今日入ったばかりなんです。いいですよ。季節ですし、これにしますか」と得意そうに顔を輝かした。僕が頷くのを見るやいなや、女郎花と吾亦紅をごそっと取り出し、それにススキを添え、手際よく形を整えて、「どうだ!」と言わんばかりに差し出した。
これが女将や息子だと、そうはいかない。親父は、いつも「気合い」である。これは1本100円、それは1本200円だとか言うが、きちんと数えている様子がない。事実、いつも数本多く、そして値段はなぜかキリの良い1000円か2000円かに決まっている。今日も、ごそっとまとめて1000円であった。
親父の気合いもさることながら、ただ嬉しくて買ってしまった。しかし、オミナエシやワレモコウやススキにお金を払うなんてことは昔はとても考えられないことだった。オミナエシやワレモコウの束を抱えて花屋を出て、強い日射しの中を歩き始めたら、途端に妙にもの悲しくなってしまった。カブトムシ1匹に1000万円もの値段が付く時代なのだから、その値段など問題にもならないと言えば、それまでのことなのだけれど………。
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秋の七草というと、山上憶良(660~733年)の歌が有名である。
萩の花尾花葛花撫子の花
女郎花また藤袴朝顔の花
ただ秋の七草の名前を並べただけのものだが、それでいて何となく心に残るものがあるのだから面白い。朝顔は桔梗のことである。そこに出てくる秋の七草の一つがオミナエシで、漢字では「女郎花」と書く、高さ60~150センチの多年草である。小さな黄色の花を固まって付ける。小さい頃、これをご飯に見立てて、オママゴトをしたものだが、その感性は正しかったらしい。女郎花は、その花が粟飯に似ていることからオミナメシとも呼ばれているという。
しかし、オミナエシで遊んでいる子供のころは、オミナエシはオミナエシであって、その名前の由来や意味などを考えることはなかった。オミナエシを「女郎花」と書くとも知らなかった。後に、オミナが「女郎」と書き、①身分のある女性。②広く女性をいう。③遊客に色を売る女。あそびめ。うかれめ。遊女。④女性の名前の下につけて、軽い敬意や親しみを表す語。(広辞苑)―――といった言葉であることを知って驚いた。
オミナメシならまだ分かる。多分、「女郎飯」と書くのだろう。女性が好きそうな黄色のご飯に似ているといった意味なのだろう。今風に言えば、サフランで染まったスペイン風炊き込みご飯「パエリヤ」のような雰囲気だろう。
だが、「女郎花」となると、複雑な気持ちに襲われる。「ジョロウバナ」とも読めるのだから、色めいた趣を持っていると考えたくなる。しかし、どう贔屓目に見ても、そんな風情の花には思えない。
名に賞でて折れるばかりぞ女郎花
我れ落ちにきと人に語るな(僧正遍昭)
こんな皮肉な歌がまれている。昔から「女郎花」という言葉には欺かれているらしい。それでも和歌や俳句の世界では、「女郎花」という言葉は魅惑的らしく、「古今集」には、次のような歌も載っているという。
女郎花多かる野辺に宿りせば
あやなくあだの名をや立ちなむ(小野美材)
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それに比べると、ワレモコウは、名実相伴う。バラ科の多年草で、高さ30~100センチ、枝の先に小さい卵形、ツクシの穂のような暗紅色の愛らしい花を付ける。オミナエシやススキや萩などが咲き競う秋の野原で、自己主張を抑え、としているワレモコウの姿は、歳を重ねると、なんとも味わい深い花に思えてきている。「吾も亦、紅なり」―――その花の心を汲み取った人の心を揺り動かして、「吾亦紅」という漢字で表記させたのであろう(「風物ことば十二ヶ月」萩谷 朴 新潮選書)などと聞かされれば、なおさらであろう。
吾亦紅すすきかるかや秋くさの
さびしききみは君におくらむ(若山牧水)
赤きものつういと出いぬ吾亦紅(高濱虚子)
吾亦紅だらけといふもひそかなり(米谷 孝)
ゆれ止めて風ゆれ止みて吾亦紅(稲畑汀子)
しゃんとして千種のなかにわれもこう(路通)
この秋もわれもこうよと見て過ぎぬ(白雄)
もっとも、「吾亦紅」の名前の由来については、その花が御簾(すだれ)の上にかぶせられる帽額(すだれの上部の外側に、横に幕のように張った布)につけられた木瓜紋(右図)に似ているため、と呼ぶようになったというのが事実のようである。それに「吾亦紅」という字を当てるのは根拠がない(「日本大百科全書」小学館)と言う。
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毎日、きちんと水は換えているのだが、暑いと花の持ちは悪い。オミナエシとワレモコウ、それと花屋の親父がおまけにくれたススキが弱ってきたので、タバコを買いに出た際に花屋に寄った。
ちょうど、親父が忙しそうに花束を作っていた。僕の顔を見るなり、その手を止め、「今日はいいシオンが入っていますよ!」と嬉しそうに声をかけた。見ると、オミナエシの横に薄紫の小さな花をたくさんつけたシオンの束が積まれていた。
懐かしさがこみ上げてきたが、思わず「えー、シオンまで売り物になるの! 昔は野っ原にいくらでも咲いていたのに!」と応じた。すると親父は「オミナエシだって、今は全部、栽培しているのですよ」と、急に不機嫌になって、ぶっきらぼうになった。「しまった!」と思ったが、手遅れだった。
あれこれ無駄口を叩きながら迷うのを止め、「そうか ……… 。じゃあ、シオンとオミナエシと、そこのリンドウを適当に見つくろって」と、機嫌を取るわけではないけれど、頼んでしまった。すると親父も気を取り直したようで、いつもの手際で、花束を作り、「どうですか、こんな感じで」と得意げに掲げた。
なんとなく負い目もあったし、華やかにも欠けているように思えたので、「そこの撫子を少し入れたらどうかなあ ……… 」と呟いたら、親父は「この撫子は良いんだ!」と喜々とし、それを4、5本、掴んで、さっと花束を作り、紙にくるむ。そして「ハイ、2000円」と差し出した。いつもに比べて、なんとなく高い気がしたが、笑顔を作って店を出た。
店を出て歩きながら、フッと、どうしていつも花の名前はカタカナで語られるようになってしまったのだろうかと思った。オミナエシやワレモコウもそうだが、シオンもそうである。「シオン」と言われても、直ぐには漢字は浮かんでこなくなっている。「シオン」、漢字では「紫苑」と書く。「トルコ桔梗」とは違って、昔から親しんできている花である。高さ1~2メートル。秋に直径3センチほどの、中央部分は黄色で、周辺は淡紫色の花を付けるキク科の花である。
「苑」―――①まるい囲いを設けて、花や木を植えたり、獣を飼育したりする所。まきば。②ものをよせ集めた所。集団。③その。宮廷に所属する庭園。また、花ぞの。〈同義語〉園。(「漢字源」学習研究社)――― 改めて「苑」という字の意味を思い起こせば、「紫苑」という名前の由来も自ずと浮かんでくるような気がする。
これは何も「シオン」や「オミナエシ」や「ワレモコウ」などに限らない。「日本語は文字で聞き、文字で話す」と石川九楊氏は言っていたが、その基本が身の回りでどんどん崩れてきていることの一例に過ぎないのだろう。
けたたましい音を立てて都バスが通り過ぎた。我に戻って何気なく振り返ったら真っ赤な夕焼けだった。夕焼けを背景に、林立する様々な格好のビルがいつになく綺麗に見えた。
(1999年秋 完)