ぼちぼちいこか  売り家と唐様で書く三代目 PDF

伴 勇貴 1999年04月 

昼間のテレビの主役は相も変わらずワイドショー、毎度お馴染みの顔ぶれがワイワイガヤガヤと賑やかにやっている。それを眺めていると、どうしても違和感を覚えてしまう。自分が歳をとったためだけとは思えない。

たまにふらっと気分転換を兼ねて近くのレストランで昼食をとる。レストランでは、常連ではないのだが、いつも数人の中年女性のグループが陣取って幅を利かせている。それと若い女性たちで、だいたいの席は占領されている。ここでもワイドショーを見せられている気分になってしまう。

それも麻布や白金という土地柄なのだろうと諦めたが、どうも郊外でも似たものらしい。田園都市線で通勤していた知人も、近くにあるのは女子供向けの店ばかりで、休日に出掛けて落ち着ける店がないとぼやいていた。それに比べれば、都心の方が遙かにましだ。僕のように「男の隠れ家」が都心に欲しいと言う。サラリーマンとしては登りつめた人がそう言うのである。もう30年近いつき合いなのに(それだからだろうけれど)、こんな類のことで話が弾むようになっている。

トレンディの代名詞の東急新玉川線の「二子玉川園」―― いわゆる「ニコタマ」を散策する女性たちに旦那の職業を聞いたところ、そのほとんどが、いま激震の真っ直中にある銀行・証券・商社だったという。そんな記事を週刊誌で読んだ。バブル華やかなりし頃のことではない、つい最近の話だ。

いったい、この国はどうなってしまったのだろうか。銀行・証券・商社などに勤める友人たちは、それこそ荒波に翻弄され、憔悴している。そんな男たちを尻目に女性たちは優雅にやっているのだろうか。もし、事実だとすれば、あまりにもギャップが大きすぎる。

だからなのだろうか。離婚は増え続け、ついに昨年は結婚件数の4分の1あまりに達したという。「ニコタマ」の女性たちの将来の立場も盤石ではなさそうである。その将来のリスクを彼女たちは彼女たちなりに本能的に察知し、「今」を精一杯、謳歌しようと頑張っているということなのだろうか。

ジャリ電が東急新玉川線に

「東急新玉川線渋谷から17分、東京と神奈川の境、多摩川沿いにある。かつて、江戸時代の別荘地だった名残からかハイソな人が多く住み『ニコタマ』の愛称で呼ばれ、洗練されたオシャレなイメージで、週末はたくさんの人で賑わう街」―― こんな調子で始まっているインターネットのホームページ「にこたまみしゅらん」を読んで、「東急新玉川線」よりも「ジャリ電」の呼び名がピントくる僕は、無性にこそばゆくなった。

多摩川で採取した砂利を運ぶためにできた路面電車が「玉電」で、僕たち悪ガキはずっと「ジャリ電」と呼んでいた。だから「ジャリ電」のイメージを払拭できない。「江戸時代の別荘だったなごりからかハイソな人たちが多く住み ……」などと言われても、まったくピントこない。

子供の頃は「ニコタマ」から「丸子橋」にかけての多摩川あるいは二子玉川、そして「東横水郷」でよく遊んだ。夏休みともなれば、入り浸っていた。もちろんパンツ1枚かフルチンだ。水は綺麗で、鮎より一回り小さいはやなどが「四つ手網」―― 正方形の網の四隅を十文字に渡した竹で張り,その交点に,ひもをつけたものを水底に沈め,引き上げて魚をすくい取る ―― で、たくさん取れた。

それを河原で焼いて食べる。子供たちのたき火をとがめる大人などいなかった。コッペパンとマーガリンと脱脂粉乳の給食。腹が減った時は、焼き芋かキュウリ。そんな時代だった。焼けて油が滲み出ているはやは大変なご馳走だった。

そんな想い出と、高島屋を中心に様変わりして「ニコタマ」と呼ばれるようになった「二子玉川園」付近の風景、そこの主役の女性たち、その女性たちを支える男たちの職場などでの姿 ―― それらが二重に三重に錯綜し、すっかり戸惑ってしまった。いったいどうなったのだ、と …… 。

すると、突然、やり手の誉れ高い友人の声が頭の中で響いた。

「何言ってるんだ。だいたい世の中なんて、そんなもんだ。おまえは、なあ、幾つになっても本当に子供だよ」―― 彼には、事あるごとに諭されている。

フォードがボルボを買収

もっとも、ビジネスの世界では、彼に指摘されるまでもなく、「だいたい世の中なんて、そんなもんだ」と、僕自身もうそぶいている。本当に一昔前と違って、今は何が起きても不思議ではない。自分自身が考えていた以上に動きが激しい。

 合理的・非合理的。 科学的・非科学的。大儲おおもう大損おおぞん。人情・不人情。

何もかもが一緒こたに渦巻いているようだ。流行の合併・買収(M&A)だけではない。春秋戦国時代ではないけれど、呉越同舟・合従連衡が日常茶飯事になりつつある。

この1月28日、米フォード社がスウェーデンのボルボ社を買収したと大々的に報じられた。大きなニュースであることに違いはないが、それを知っても驚くよりは「やっぱりそうか ……」という思いの方が強かった。

新年早々、フォードが大型のM&Aを行うという噂が流れた。デトロイトの自動車ショーでも新モデルの話しはそっちのけで、M&Aの噂で会場は騒然となった。相手はホンダかBMWらしい、いや両方らしい。そんな噂が飛び交い、ホンダとBMWの社長があたふたとマスコミの前に姿を現して否定した。そんな状況を見て、かえって怪しいと思った。でもフォードに完全にはぐらかされた。報道陣を前に声明を発表するホンダとBMWの両社長の狼狽した姿は演技でもなんでもなかった。日産自動車がクライスラーやルノーと提携交渉に入ったなどと報じられている中でのことだったのだから無理もない。

その記憶がまだ生々しいところに、フォードのボルボ買収のニュースである。ホンダとBMWは、ボルボとの話を仕上げるための「当て馬」のようだった。さすがにフォードは老獪である。狼狽するホンダやBMWの幹部を眺めて、ほくそ笑んでいたに違いない。

もっとも米ビジネスウィーク誌は、フォードがホンダかBMWを買収するという噂があるが、どこが買収に動くにしても、まず狙われるのはボルボだろうと、その前から書いていた。BMWの47%の株式はドイツの名門一族が握っていて、資本の論理だけでは事は進みにくい。それに対して、ボルボには面倒な安定株主がいないという。結果はその通りだった。

生き残るのは「グローバル6」 

同誌は次の号では、さらに突っ込み、世界的な規模で生き残る自動車メーカーは、GM、フォード、ダイムラー・クライスラー、VW(フォルクス・ワーゲン)、トヨタ、ホンダの6社 ――「グローバル6」に限られる、他は買収されるか、ローカル企業として生きる道しかないと予想していた。

GMは韓国の大宇自動車を狙っている。フォードはホンダとBMWまでも視野に入れている。アジア戦略で出遅れたダイムラー・クライスラーは日産自動車を狙っている。VWはBMWやフィアットと交渉している。

ホンダとても、このまま1人で生き残るのは難しいだろう。さらに大きくならなければなるまい ――もし、ホンダとBMWがくっつけば「夢のチーム」の誕生ということになるだろう。こんなコメントも加えていた。

今のところ安泰なのはブジョー・シトロエン、ルノーそれとポルシェだけらしい。それとてもどうなるかは予断を許さない。渦中の人たちは歪みやら軋みやらで、大変なことだろう。

しかし、自動車メーカーの選択肢は限られているのだから、いずれ落ち着くところに落ち着くだろう。時間が解決するだろう。そんなこともあったなあ ―― という想い出になってしまうだろう。

マツダに勤めている友人も、長らくどうなるのかと気をもんでいたが、フォードの傘下に入ってすっかり吹っ切れたようである。仕事のやり方ばかりか、公式の書類も英語でなければならないなど、その変化には多少戸惑っていたけれど、むしろ元気になったようだ。

「この歳になって、いろいろ変わるのは、結構、しんどいけれどな!」
 「今度、東京に行ったとき逢おう!」

電話口から聞こえてくる彼の声は明るかった。もっとも学生時代から彼は浪花節的なのに、妙にバタ臭かったし、米国生活も長いし、いわゆる日本的な風土よりも米国流のやり方に合っているのかも知れないのだが …… 。

豊田家の求心力から資本の論理へ

「グローバル6」に当確で、存続には問題はないとされるトヨタ自動車にしても、いま大きく変わろうとしている。創業者一族の豊田家の求心力から、資本の論理による支配への脱皮が進められているという。財界まわり、それもトップへの密着取材を得意とする日本経済新聞編集委員の永岡文庸(1948〜 )氏が書いていた。彼の真骨頂が発揮されていた。

 

年明け早々、奥田氏の社長辞任と日経連会長への就任、そして持ち株会社制移行は発表された。連結納税など税制改革を待たずに公表したのも意外なら、後任社長も持ち株会社の概要が固まる4月まで未定というのも異常事態だ。

概要は予測できる。純粋持ち株会社のトヨタ・コーポレーション(仮称)傘下にトヨタ自動車、デンソー、ダイハツ工業などが入る方式。あるいは、トヨタ自動車は持ち株会社の傘下に入るが、自らも事業持ち株会社として系列メーカーを持つ。かつての三井本社と三井物産の形式だ。

どのケースでも、持ち株会社の会長は豊田章一郎会長が就任し、奥田社長はトヨタ自動車のCEO(最高刑責任者)会長に、というトップ布陣になるはずだ。これまでと何が違うのか。一言でいえば、経営と資本の分離ならぬ経営と創業家の分離である。「情実より資本の論理」奥田社長は明快だ。「豊田家の持ち株比率は2%で、海外投資家にトヨタは豊田家のものと説明できない」

豊田家に言及することはトヨタグループでタブーだった。創業者の豊田喜一郎氏、中興の祖の英二名誉会長、喜一郎の長男で二代目の章一郎会長ら豊田家トップの求心力で急成長してきたからだ。

しかし、情実が奥田社長の進める改革の障害になったり、求心力だけでは運営できなくなってきた。豊田一族が社長なので例外的にトヨタに単独納入している企業や、販売改革への不満を豊田会長に直訴する販売店もある。世界的な部品メーカーに成長したデンソーのように独立を志向する企業も出始めた。

「豊田家出身のトップではできない大手術をやるのが役目」という奥田社長の最後の仕上げが、創業者は尊重するが三代目からは経営の一線から離れてもらう、という持ち株会社制度の導入だった。……(「経営の視点 創業家支配 限界は三代目」日本経済新聞 朝刊 1999年1月31日)

永岡氏は「これまで世襲経営の是非は本人の能力、あるいは創業家の求心力が原点だった。しかし状況は一変した。株式市場や社債の格付けなど外部への説明責任が重要になった。経営の修羅場をくぐったか、実績はあるのか。評価されなければ、株価は急落する。金融機関などとの株式持ち合い構造も崩れ、ものを言う株主が増えている」という。

そして、さらに松下電器産業、ブリジストン、東急グループの事例を紹介し、最後に日本には古くから創業家が経営を支配し続けることを諫める「売り家と唐様で書く三代目」という川柳があると締めくくっていた。いかにも永岡氏らしい記事であった。

努力して築き上げた家産も孫の代になると遊び暮らして使い果たし、ついには家まで売りに出す。しかも「売り家」札は、その道楽ぶりを物語ってしゃれた唐様の書体で書いてある。「唐様からよう」―― 江戸時代の儒者じゅしゃ文人ぶんじんたちの間で中国の書風に傾倒することが流行し、主として宋・元・明の書家を手本にして書いたものを、和様に対して唐様と称した(「日本大百科全書」小学館)

 


 

もっとも、今は、趣味に走って肝心なことを疎かにする人もさることながら、真面目に一生懸命にやるのだけれど、それが空回りで、結果的に傷口を大きくしているような人の方が目に付くように思う。どういうわけか具合の悪い結果になることばかりをやってしまう人である。経営者に限らない。

昔、そういう人にであった。その被害をもろに何度も被った友人は、その人をついに「あの人は善魔だ」とこぼした。「悪魔に勝る善魔だ」――「悪魔」より「善魔」の方が手に負えない、悪意がないだけもっと始末が悪いという名言を吐いたことを思い出した。