ぼちぼちいこか 「自発的治癒 3」ペイン・クリニック PDF
伴 勇貴 1998年04月
麻薬性鎮痛薬の中毒になった。その幻覚と幻聴が辛くて、ついには、その使用を断って普通の鎮痛薬で我慢した ―― こう書いたけれど、その原因は、一つには、いまと比べて当時は「ペイン・クリニック」(痛み治療)に関する認識が薄かったことにあると思う。
極論すれば、痛いと不平を言うのは意志薄弱で、歯を食いしばって我慢するのが美徳であるような雰囲気があった。医者ばかりか患者の側にもあった。僕にもあった。でも、さすがに「どうですか、痛みますか」というような一本調子の聞き方には苛立った。せめて「ズキズキする痛みですか」とか「刺すような痛みですか」とか、あるいは「とても耐えられそうもない痛みですか」とか、痛みの「性質」と「程度」に触れて欲しかった。
それで治るわけではないけれど、そういう聞き方をされるだけでも患者は苦痛が分かってもらえると思って少しは気持ちが楽になる ―― そう訴えた。すると、たとえば、どういう聞き方をすればいいと思うと言うので、痛みの「性質」と「程度」を考えて五段階に分け、それに沿って自分で記録し、回診時に見せた。それと血液検査による炎症反応の結果と見事に一致し、医者も驚いたのを覚えている。当時は「ペイン・クリニック」に関しては、そんな状況だった。
鎮痛薬に関する認識も乏しく、その処方も未熟だった。いまでは精神的な面での副作用が強く、長期療養の患者には「決して使ってはいけない」と注意されている麻薬性鎮痛剤がかなり使われた。医学界でも「モルヒネ」に対する抵抗感が強く、その使用が制限されていた。現在では、使い方さえ間違わなければ「モルヒネ」の方が他の麻薬性鎮痛薬よりもはるかに副作用が少なく、効果も大きい。それに痛みに耐えることは医学的にも無意味というよりはむしろ有害で、苦痛を軽減することの方がはるかに大切であるというのが一般的になっている。
今では末期癌の患者などには普通に「モルヒネ」が投与されるように変わってきている。自分自身の体験もあって、癌が全身に転移した親父も、そしてお袋の場合も痛みの軽減を最優先し、積極的に「モルヒネ」を使ってもらった。お陰で多少の違和感を訴えたが、激痛で苦しむ姿は見なかった。僕の気持ちが軽減されたし、当人も楽だったと思う。本当に眠るような最期だった。
「モルヒネ」という言葉を聞くと、抵抗感を持つかもしれないが、服用すると、モルヒネが消化管の中で緩やかに溶けて作用するものが、「MSコンチン」という名前で、末期癌で苦しむ患者などに普通に処方されるようになっている。もっとも1990年初版以来、ベストセラーになった、東京薬科大学卒、東京都済生会中央病院薬剤科長の桝渕幸吉(1931〜 )著の「薬の手引き ―― 病院でもらった薬がわかる」(小学館)で「MSコンチン」を見ても、「解熱鎮痛消炎剤」と書かれ、「手術後の各種の激しい痛みの治療に用いられます」とだけしか説明されてはいない。「モルヒネ」という言葉は、どこにもない。「モルヒネ」という言葉の持つ暗いイメージを配慮したのだろう。しかし、正真正銘の「モルヒネ」である。正確に言うと、緩やかに溶けて12時間ぐらい作用が続くように考えられた「徐放型モルヒネ錠」と呼ばれるものだ。
「痛み」のソムリエ
僕の「痛み」に関する関心は普通の人に比べると比較にならない。「がんの痛み治療のすべて ―― 患者と家族・介護者のためのガイドブック」(保険同人社 1996年5月20日 初版)という本も見逃さなかった。
米コーネル大学のサイエンス・ライターのスーザン・ラングと、米ロチェスター大学・疼痛治療センターの前所長で、いまヒューストンのアンダースン癌センターのペインサービス部・副部長のリチャード・パットン博士の共著である。
そこに「痛みの評価と戦略のたて方」と題し、医者や付き添っている親しい人に痛みを詳しく説明する重要性が説かれていた。治療に役立つばかりか、患者の気持ちも救われるという。まだ米国でも広まってはいないが、この10年あまり前から「痛み評価質問表」とか「痛み診断表」とか「痛み評価カード」といったものが開発されるようになっているという。そして「ペイン・クリニック」では、それを使って治療を行うようになっているという。
驚きだった。まさに僕自身が医者に訴えたことだし、自分で作ったものとほとんど同じだった。痛みの「強度」、「場所」、「性質」、「緩和の程度」、それと「心理的苦痛または気分」が考慮されていた。ちなみに「痛み評価質問表」では、痛みは七十五以上の言葉で表現されると同時に、その強さも五段階(少し痛む、不快、苦痛、きわめて不快、責め苛む)で考えられていた。
・ズッキンズッキンする、続けざま殴られるような
・射るような、電光がチカチカ光るような
・キリで穴をあけるような、ナイフを突き立てるような
・切断するような、ずたずたに引き裂くような
・押しつけられるような、ひきつるような、食い入るような
・窒息させる、吐き気を催す
・ゆっくり貫通する、鋭いものをすばやく刺し抜く
・ひりひり、むずむず、うずくような、刺されたような
・火で焼かれるような、焼きごてをあてられたような
・しびれるような、締める、絞る、きつい
・割れるような、がりがりこすりつけるような
・始終うるさく苦しめる、責め苛む、実にひどい
・死にそうな、むごい、ぎょっとする、こわい、恐ろしい
・鈍い、傷ができたような、継続的で鋭い、重い
・疲れさせる、消耗させる
これらを使えば、「痛み」の「ソムリエ」になれそうである。確かに、こういった「痛み」の表現に、痛みの強さの度合いを加えれば、痛みに関する意識を第三者に、かなり正確に伝えることができるのではないだろうか。
「聞かれたって、痛いものは痛いとしか言いようがない」
――― こう叫びながら、痛み、苦しみが分かってもらえないことにイライラする。こんな心理状態に患者はあるのだから、その気持ちが少しでも伝わる仕組みができれば救われるだろうし、まわりの者にも救われるだろう。
「痛みを楽にする心身的アプローチ」―― 話を聞いてもらえる
救われるということでは、鎮痛薬もさることながら、心の問題を避けては通れない。約1年あまり激痛にうなされながら入院していた時もそうだったが、以来、「疼痛」と「鈍痛」を友とし、検査入院を繰り返しながら10年以上もやってきて、このことをしみじみ実感する。暖かく励ましてくれた人、なかでもですさみがちになる心を無条件で支えてくれた人 ―― こうした人たちの存在がなければやれなかった。インシュリンや消化酵素や鎮痛薬の処方を受けるだけでは無理だった。鍼灸、マッサージ・指圧、温泉を加えても、とてもここまでやれなかった。術後、歩んできた道のりを振り返ると、自分人の意志とか力とかいうものは本当に脆くて危ういものだと心の底から思うようになっている。
心と身体とはしっかり結びついていて切り離すことができない。
その片時も休むことのない相互作用は、健康と病気に、生と死に、深い影響を及ぼす。その人の生き方や信念、そして愛や同情から恐怖や怒りまであらゆる感情が連鎖反応を起こして、血液の化学作用や心拍数や、身体のあらゆる細胞とあらゆる器官系の活動に影響する ―― 胃や腸から免疫組織にいたるまで。このことは、今では議論の余地のない事実である。
ケネス・ペルティエ博士・スタンフォード大学・疾病予防センター
こういう書き出しで始め、前述の「がんの痛み治療のすべて」でも30ページ以上が割かれ、「痛みを楽にする心身的アプローチ」の章が設けられ、「心」に関係する問題が扱われている。「痛みはチャレンジと考えて、人生をコントロールする」気構えが大切だ。風呂、マッサージ・指圧、鍼灸、音楽から、コンサルテーション、呼吸法、自律訓練法、イメージング法、瞑想法(ヨーガなど)などによるリラクセーションの効用は大きい。ともかく「患者が心身ともに楽に素早く安らぎの感覚が取り戻せるならば、その人にとって効果的なものはなんでもやってみるべきである」と書かれている。
患者になった身にすれば、きわめて説得的だ。理屈などどうでも良い。ちなみに「リラクセーション反応」という言葉を作ったハーバード大学内科のベンソン準教授によると、宗教もその1つで、瞑想や祈りでも同じような効果が得られるそうだ。いろいろな宗教で調べたところ、呪文のような言葉を繰り返し、頭の中を空っぽにすると、末期癌の患者の生理にも好ましい影響が現れるという。
でも、もっとも望ましいのは、「患者にとって大事なのは、自分の話を聞いてもらえる、愛されているとわかることである」という言葉に尽きるように思う。本書は、次の言葉で締めくくられている。
死ぬということは生きていれば必ず起こる自然なことである。愛する人の死への旅を楽にしてあげること――これが、私たちが人にしてあげられる最も心のこもった惜しみない贈物なのかもしれない。人類が有する全ての知識を駆使し、その旅路をできるだけ楽で安らかにする方法を見つけますように
死と愛は、善き人を背負って天国に運ぶ2つの愛である ― ミケランジェロ
戦うべきか降参すべきかを賢明に判断
「人生の最終章を考える」という副題がつけられた「人間らしい死にかた(How We Die)」(河出書房新社 1995年1月初版)もなかなか示唆に富んでいる。医師として約9000人の患者を診た、現在エール大学の外科・医学史教授、シャーウィン・ヌーランド博士が1994年春に出版し、全米ベストセラーになった本である。狭心症・心筋梗塞、脳卒中、アルツハイマー病から事故死・自殺・安楽死、エイズ、癌など多くの患者に接してきた体験を紹介し、最後に、その体験から生まれた「人生の最終章」に関する自分自身の心情を吐露している。
この世を去るときにわれわれが耐えるのは、苦痛と悲しみだけではない。たいていの場合、最も大きな重荷は後悔であり、この問題に関してはこの一語でことたりる」といい、それを予想していれば、それまでに「余計な荷物」を少しはおろすことができる。余計な荷物とは、解消されない葛藤であり、修復されない関係であり、守られない約束などであるという。
もっとも仕事ということについて考えれば、われわれは、ほぼ全員が仕事をやり残して死ぬ。しかし、やり残した仕事があるという事実こそが一種の充足にほかならない。生きながら死人のように生きる緩慢な人生を望むべきではない。「われわれは、今日を最後と思って毎日を生きよという賢明な教訓に、生命を永遠と思って毎日を生きよという教訓をつけ加えるべきだろう」
さらに、もう一つ、美しい最期によって体裁よく死を迎えたい ――「よい死」を迎えたいという期待を持たないことが重要だという。こういう期待を持つことは無用な重荷になる。人類は文字を持って以来「よい死」を保証してくれるように、あるいは「よい死」を期待できる根拠があるかのように、理想的な死に対する願望を書いてきた。しかし、死が計画通りに訪れることも、期待通りに訪れることもまずない。死は「自然の無慈悲な力と循環」によるもので、どうやっても、これにはさからえないという。そして次のように結んでいる。
ついに、その瞬間がきて、もはや逃げられないと悟り、「生きとし生けるものの行く道を行く」とき、われわれは、それが死への道であると同時に生への道でもあり、そこにわれわれのための計画が秘められていることを思い出さなければならない。われわれは計画を延期する巧妙な手段を発明したが、計画を実行せずにすます手だてはない。自殺者でさえその循環にさからえない。おそらくは、彼らの自殺をうながした要素も、自然の不変の法則と生物界の秩序のもう一つの例にすぎない大いなる計画に組み込まれていたのだろう。シェイクスピアはジュリアス・シーザーにこう言わせている。
世の不思議はいろいろ耳にしてきたが、
何がわからないといって、
人が死を恐れる気持ちくらいわからないものはない。
考えてもみよ。死とは当然の結末であり、
考えるときにはかならず来るのだ。
著者のヌーランド博士はすでに70歳を過ぎている。エピローグでは、専門医にかからなければならない事態があるかもしれないが、自分の死期を彼らに決定されたくはない。自分をよく理解している、かかりつけの医者の存在を、死にいたる道を熟知したガイドとして見直したいと書いている。同時に病気と死について知ることの重要性を読者に訴えている。そうすれば無意味に病気との戦いを放棄することもなく、無意味に病気と戦い続けることもない。戦うべきか降参すべきかを賢明に判断できる。それが心の平安を得るもっとも確実な道でもあるとも述べている。
(1998年春)