ぼちぼちいこか 土筆のお浸しと貫頭衣 PDF
伴 勇貴1998年04月
都心の街路樹
なるべく車を止めようと地下鉄で出かけたところ、駅でタブロイド版「メトロお花見ガイド」(平成10年4月1日発行)を見つけた。早速、もらう。開いたら都心のお勧め花見コースとして2ルートが掲載されていた。
●千鳥ケ淵から出発し、堀に洽ってソメイヨシノ(染井吉野)や濃いピンクや白い花の八重桜などの桜並木を楽しみながら桜田門から日比谷にでて、日比谷公園の桜を堪能したあと、虎ノ門から150本のソメイヨシノに囲まれるアークヒルズヘ出るルート
●靖国神社から出発し、市ケ谷から桜並木の続く外濠公園(そとぼりこうえん)を通って四ツ谷に抜け、新宿通りを少し皇居方向に戻って紀尾井町から清水谷公園とホテルニューオータニの問の桜並木を歩きながら弁慶橋へ出るルート
いずれも時々、僕が気情らしに車を走らせる都心の散策道である。これに
●ソメイヨシノ、八重桜、しだれ桜など様々なサクラを楽しめる千鳥ヶ淵から濠(ほり)に沿って科学技術館にまで抜けるルート
●しだれ桜の大木を見ることのできる神宮の絵画館周辺ルート
●青山墓地の真ん中を突っ切る石畳の参道のソメイヨシノのトンネルで花吹雪を味わうルート
を加えれば、都心の花見ガイドはほぼ完璧だろう。もっとも都心の見どころは桜ばかりではない。思いの外に街路樹が緑豊かで見応えがある。ちなみに東京23区(619㎢)と三多摩地区(1169㎢)を比較すると、東京23区が、総本数は15万5000本で三多摩地区の5万1000本の3倍以上、単位面積当たり本数は250本/㎢で三多摩地区の44本/㎢の約6倍である。ちょっと驚きである。1977年(昭和52年)調査の古いデータだが、基本は現在でも変わらないだろう。
街路樹は一朝一夕に整備されるものではないからだ。都心の街路樹整備の歴史も紐解くと約100年になる。1907年(明治40年)に成育状況などを考慮し、イチョウ(銀杏)、スズカケノキ(鈴懸木・プラタナス)、ユリノキ(百合木)、アオギリ(青桐)、トチノキ(栃)、トウカエデ(唐楓)、エンジュ(槐)、ミズキ(水木)、トネリコ(上欄利古)、アカメガシワ(赤芽柏)の10種類が選定されて植えられ、その後、イヌエンジュ(犬槐)、シダレヤナギ(技垂柳)、ソメイョシノ(染井吉野)、ミツデカエデ(三手楓)が追加され、一方、ミズキ、アカメガシワは成績不良で廃止されるなどの歴史を持っている。
こうした歴史の賜物である。つい先日までは、麻布十番の緑は冬の弱い日差しと寒さでくすんだ濃い緑のクスノキ(楠)だけだった。それが、いまは新緑でまばゆい。街路樹が芽を吹き、日に日に緑を増やしている。まだ樹が若いだけに成長が早い。歩道が煉瓦で敷き詰められ、洒落た雰囲気になったからかもしれない。昨年よりはるかに緑が多い気がする。
ハナミズキ(花水木)は白や薄ピンクの花を急に暖かくなって戸惑いがちに咲かせる。カツラ(桂)は可愛らしいハート型の葉をたくさんつけ、キラキラと光かる。ケヤキ(棒)は小さなギザギザのある葉をつけた枝を「パティオ広場」の大空にグイグイと伸ばす。
モミジバフウ(紅葉楓)は大きなカエデのような葉をつけ、パティオ広場から十番商店街に抜ける道の両側で息を吹き返す。トチノキ(栃)も大きな葉を広げようとする。
千鳥ケ淵や青山墓地の桜が綺麗だなどと話していたら、あっという間に葉桜になり、もう街路樹が若葉の協奏曲を賑やかに奏でる季節である。
都心で、また土筆が採れるようになる
そういえば都心で、また土筆が採れるようになっている。筆頭菜とも書く土筆は地下茎で増えるシダ植物のスギナ(杉菜)の地下茎の節から出てくる胞子を作るための特別な茎である。全体に淡褐色で、枝はまったくなく、先端には松笠状の胞子嚢の穂が、そして節のところには俗に「袴」と呼ばれる小さな葉がぐるりとついている。「袴」は硬く口当たりの悪いので、これを取り除き、おひたしなどで食べた。
子供のころは、春になると、いつもは悪ガキどもが巡れ立って、ツクシを採りに行ったものである。「はかま」をとって、熱湯でさっとあく抜きしてから、煮物、お浸しなどで食べた。でも、僕は決して旨いとは思わなかった。珍しさと、「季節のものを食べると身体に良い」と言われ、薬だと思って食べた記憶しかない。
それでも、みんなでツクシを探して採るのは面白かった。採って帰ると、いつもは帰りが遅いなどと怒る大人たちが、春の味覚だといって喜ぶのも嬉しく、頃合いを見計らってツクシ採りに出かけた。大きくなり過ぎると、硬くて苦みも強くて食べられない。採取のタイミングが重要である。それに、うっかりしていると、採取場所は秘密にしてはずなのに、他の連中に採られてしまうこともある。ときどきソッと様子を見に行かなければならない。うまく出し抜いて、たくさんの獲物のツクシをみんなで分配するときのワクワクした気持ちはいまも忘れられない。
「やあ、珍しい。ツクシじゃないか。これどこで採ったの」
そのツクシに予想外のところで出会って思わず叫んでしまった。20年以上も前、2年間ほど一緒に仕事し、以来、何かと逢っている友人から、たまには自分の巣で飲まないかという誘いがあった。それで地図を頼りに出かけた赤坂の小料理屋でのことである。彼が現れるのを待っている間の女将と会話である。
「近くの空き地で採ったの」
と赤坂6丁目にあるカウンターだけの小さな小料理屋の女将は言う。聞けば、ここに店を開いて20年あまりになるが、最近、バブル崩壊で放置された、あっちこっちの空き地で、ツクシが芽を出すと言う。すっかり忘れていた、しゃがみ込んでツクシを採るときに立ちこめてくるムッとくる草いきれ、早春の匂いを思い出した。
そんなことがあったからだろうか。それとも今日は、効果は申し分ないが、耐えるのに相当の気力を必要とする針治療がない日だったからだろうか、普段は横目に見て通り過ぎていた店、青山の「キハチ」で昼飯をちょっと気張りたくなった。予約しないとなかなか席がとれないのだが、飛び込みでカウンターに座れた。思わず心の中で「ラッキー」と叫んだ。
しかし、性 なのだろう。ここではやっぱり落ち着けない。昼食を済ますと、六本木トンネルを抜け、いつもの麻布十番の骨董屋の喫茶店に行った。窓越しに見えるケヤキは光をいっぱいに浴びて輝いる。気分も爽快になる。
トルクメニスタンの貫頭衣で登場する
しばらく逢っていなかった作家の杉田望に電話を入れた。僕の身体のことを心配していたし、もうそろそろ小説を書き終えるころである。案の定、ちょうど脱稿したところで、少し気晴らしをしたいという。麻布十番で落ち合って、一杯やろうということになった。
「定食屋や鍋屋じゃ嫌だなあ。ゴチャゴチャしていないところがいいなあ」
「じゃ、沢たまき風の女将のところにでもする?」
「……… あそこ、1人いくらぐらいかかる?」
「いいよ、気にしなくて。今日は先生の脱稿祝いでおごるよ」
新聞に読み耽っていたら、前に立つ人の気配がした。目を上げたら杉田がニッと笑って悠然(ゆうぜん)と立っていた。派手な幾何学文様の貫頭衣をまとってヌッと立っていた。僕が座り、杉田が立っているという構図に原因があるのだろうが、どうしても、それだけとは思えない。170センチない杉田がやけに大男に見えた。
「なに、その格好」 反射的に僕は叫んだ。明らかに動転していた。それがいけなかった。杉田は得意の絶頂だ。ひっくりかえるのでないかとハラハラするほどのけぞった。こうなったら、もう駄目だ。素直になって、おそるおそる訊ねた。
「それ、やっぱり中国のもの」
「いいや ―― トルクメニスタンのものだ」
「トルクメニスタン?」
「そう、トルクメニスタン」
中央アジアにあるカスピ海に面し、カラクム砂漠が国土の8割以上を占める国だ。トルクメイスタンのゆったりしたというか、ダブダブの貫頭衣のなせるワザか、杉田の話し方までおおようである。そう言えば杉田はだいぶ前から中央アジアを舞台にした石油絡みの小説に取り組んでいた。やれカザフスタンだ、キルギスタンだと、何々スタンという名前が杉田の口から頻繁に出ていた。
訊けば、その小説の取材の関係で手に入れたのだという。通りすがりの人たちが好奇心を丸出しにするなかで、ますます杉田は
たまらなくなって、近くの店に飛び込むことに決めた。麻布十番の商店街通りに面した2階にある、この4月に開店した宮崎県の郷土料理を売り物にする店である。開店当日に飛び込んだのが運の尽きで、以来、なんだかんだと足繁く通っている。酒と酒の肴はともかく、ご飯ものが、麦メシに冷たい味噌汁をかけた「冷や汁」―― 子供のころ、やってはいけないと注意された、いわゆる「ネコメシ」である ―― それしかないのが玉にキズだが、便が良いので、ついつい入ってしまう。
今週も昨日きたばかりだった。
まだ時間が早くて客はほとんどいない。で、奥の座敷に陣取って、鰹のたたき、ホタルイカの沖漬け、冷やしトマトなどを肴に、「浦霞」で乾杯となった。「ここなら落ち着く」と杉田はしごくご満悦である。
「印税が入ったら、おごって」 「おごる!――てば」 で始まり、久しぶりなこともあって、話は弾むというか、四方八方、支離滅裂に飛び回り、陶器製のコップで杯を重ねた。
「お皿にこぼれるように注がなくっちゃあ――」などと願いでいた杉田も、「ずっと3時間ぐらいしか寝なかったので、さすがに参った」と音を上げ始めた。もう店は客で一杯になっていた。そろそろ引き上げ時である。「お勘定」と叫んで立ち上がり、靴を履いて、ひょっとカウンターを見上げたら、見慣れた男が、両手に花で、顔を真っ赤にして話していた。高野孟である。もう目はトロンとしていて、テレビで見せる凄みはない。
「なんだ!」
「アレ!」
「なにやってんだ!」
ひとしきり奇声が飛び交った。高野の連れだと思った「両手の花」は、カウンターに座ったら話しかけてきた客だった。さすがに顔の売れている高野ならではである。そうとわかれば話は簡単である。たまたま空いた近くのテーブルに3人は座り込んでしまった。
「こいつは本当に絶品だ」と、高野はよろけながら「百年の孤独」を持ってきた。前に高野が1本持ってきた焼酎だ。旨いと感心し、どこで手に入れたのだと聞いたら、もっともらしいことを言ってはぐらかしたけれど、何のことはない、この店で知って、手に入れたらしい。
高野はオンザロックの「百年の孤独」を片手に、「これ、これ、これでなくちゃ――」と叫ぶ。もう相当に酪酎している。それではということで、「百年の孤独」を祝し、百年も孤独じゃたまらないと思いながら、その「孤独」のオンザロックを片手に「乾杯」と叫んだ。
「あれ、それ中央アジアの服?」「トルクメニスタンのヤツじゃない?」さすがに高野である。酔っぱらっていながらも杉田の着ているものをただちに言い当てた。そういう高野も、気がつけば、奇妙な服を着ている。
藍染めの作務衣のような服で、見慣れない文様の刺繍が縫いつけられている。タイで買ってきたもので、文様はタイ北部の、麻薬で有名な「ゴールデン・トライアングル」の少数民族のものだという。布は大麻の繊維を織ったものだと自慢する。
悔しいことに、それがなかなか洒落ていて、様になっている。よりによって、高野も杉田も本当に妙なものを手に入れて着ている。しかも、それを見て、僕も欲しくなるのだから始末に悪い。
「いいな――」
「いいだろう」
「高いんだろう」
「高いぞ――」
もう3人とも相当に崩れている。その側を通る客が高野に声をかける。何を言っているのかよく分からない。でも、それらに高野は酔っぱらいながらも愛想良く答える。「タレントは違う」と感心して見ていたら、ついに杉田が「もう駄目だ」とテーブルにしがみついた。せっかくの貫頭衣がもうぐずぐずである。一方、高野は「さあ、明日はテレビだ」と唐突に叫びだし、よろよろと立ち上がる。もう、いい加減にお開きである。
階段を下りて歩道に立ったところで、「それじゃ――」と手をあげて別れた。2人とも大丈夫かなあ、と思って振り返ると、やや前かがみの杉田と、その横をあやしげな足取りでジグザグに歩く高野が目に入った。手を上げてタクシーを止めようとしている。それを見て、まあ、大丈夫だろう、と2人とは反対の方向に歩き出した。
そんな様子の2人の後ろ姿を眺めたら、途端に、「そんなものション便がかかっているに決まっている」赤坂で採れたツクシの話をしたときの杉田の言葉が浮かんできた。「そこのツクシにはション便がかかっているぞ」――― 子供の頃、ツクシを採りながら、よく言い合ったことも思い出した。