ぼちぼちいこか 白豪銀針 PDX
伴 勇貴(1997年11月)
「やあ―、本当に旨い」
「色は薄いのに、味といい、コクといい、申し分ない」
「苦みがまったくない」
「甘みがある。それに何とも言えない香りだ」
「ジャスミン茶のような味もする」
「ともかく、うまい」
「もう1杯―」
「僕にも、もう1杯」
「僕も―」
「2回目でも、まったく苦みがないなあ―」
初めて白毫銀針を飲んだときに、思わずみんなの口から出た言葉である。
「すご―く旨いウーロン茶がある。陳さんからお土産で貰ったんだ」
こう言って、作家の杉田望がこぶし大ほどの包みを取り出した。杉田の仕事場に集まったときのことである。陳さんとは僕らも良く知っている、杉田の昔からの友人である。藁半紙みたいな粗末な紙でくるんである。赤い字で「天津市河西区 春城茶叶有限公司」と書いてある。
中から出てきた茶を見て、
「これはすごい! えーと、確か、これはハクゴウギンシンと言うやつだ! そうだ! ハクゴウギンシンに間違いない。これは本当にすごい! 聞いてはいたけれど、まだ飲んだことはない。すごい、すごい。本当にすごい!」
と、高成田享は顔を赤らめ、一気にまくし立てた。これまで興奮したのを見たことがない、柔和で温厚な高成田がである。ニュースステーションに出ているとき以上に、普段から柔和で温厚な高成田がである。ひとつまみの茶を手のひらにとり、眼鏡に手をやって、その葉を一つ一つを入念に調べながら、興奮していた。
「え? ハクゴウギンシン?」
「ハクは白(しろ)。ゴウは毛という意味の毫。ギンは銀色の銀。シンは針(はり)。白い毛の生えた銀の針という意味だ。新芽の芯だけを摘んで作ったものだ。白く見えるのは新芽の産毛で、新芽の針のような芯だけを使っているので、こんなに一つ一つが細くて長いのだ。これは、揉んで、撚って作ったものじゃない。新芽の芯だけを、そのまま乾燥させて作ったものだ。少ししか作れないし、とても高価で、普通は口にできない。周恩来や登小平なんかは、これしか飲まなかったという。――」
延々と説明する。珍しく高成田は饒舌である。こう言いながら、盛んに左手の手のひらの茶を右手の人差し指で、一つ一つ確認したり、摘み上げては、天井の照明にかざして眺めたりしている。唖然として、その仕草に見とれながら聞いていたら、高成田は、やや照れて、
「実は、静岡支局時代に、茶については相当に勉強したんだ。あっちこっち行って――」と、恥ずかしそうに言い訳をした。確かに、高成田に促されて、手にとって調べてみると、言われた通りである。白っぽいし、それは産毛のようであるし、芽の芯をそのまま乾燥させたもののようである。「へえ―!」と杉田。山田厚史は、目をクリクリさせている。そして、一同、この有り難い説明を受けた後、それではということで試飲となった。
ともかく不思議な茶である。いわゆるウーロン茶の味ではないし、ふやけても葉が開くということがない。葉を揉んで作ったのではなく、芯だけだからなのだろう。ふやけると蓴菜のようになる。スイレンの仲間で、若芽を酢の物や汁の実にする寒天質のヌルとしたヤツである。見るからに食べることが出来そうだ。「これは食べてもいいんだ」こう言うと、高成田は摘んで口に入れる。
テーブルを囲んで座っている一同、それではと真似をする。落語に出てくる、ご隠居と長屋の八っさんたちの「芋ころがし」のようである。
食事作法が分からなくても、ご隠居さんのやることを真似れば良い。ということで八っさんたちも正式な祝いの席に出席した。ご隠居が里芋の煮物を箸で挟もうとしたが挟めず、仕方なしに箸で刺した。そして誤って滑らし畳の上に落としてしまった。緊張し神妙にしていた八っさんたち、それを見て、「わ―、面白いもんだ」と、いっせいに箸で刺し、ワザと滑らして畳の上に落っことす ―― 。
このたわいない落語を思い出し、その光景が浮かんできてしまった。
「それじゃ―、みんな少しずつ持って帰って。陳さんに頼めば手に入るから」
気前よく言った杉田の言葉に、誰も遠慮する素振りは示さない。
「いや―、有り難う」
「うれしいね―」
「悪いな―」
などと言いながら、喜んで持ち帰ってしまった。
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白毫銀針。いろいろ調べたが、「広辞苑」や「大辞林」には出ていなかった。小学館の日本大百科全書でも「白茶(パイチャー)。不発酵、不揉捻の茶で、タンニンの多い若芽を原料とする。福建の白毫銀針(パイハオインチェン)が代表。ほかに白牡丹(パイムータン)や寿眉(ショウメイ)がある。茶の珍品である」
――これぐらいしか書かれていない。ウーロン茶(烏龍茶)は半発酵茶で、ウーロン茶と白毫銀針とは全くの別物であることぐらいしか新たに分かったことはない。高成田の説明の方が、はるかに詳しい。ウーロン茶と発酵法も違うというのであれば、もっとも美味しい飲み方なども知りたい。すっかり白毫銀針の虜になってしまった。ついに「お茶の辞典 日本茶・中国茶の世界」(成精堂出版)という本を見つけ、買ってしまった。これには、もう少し詳しく説明されていた。
「白茶は新芽に白毛が多い品種の茶葉を使うことから呼ばれているようです。代表的なのは新芽の部分を使った白毫銀針(ハクゴウギンシン)、新芽と若葉を使った白牡丹(パイムータン)などがあります。白毫銀針も黄茶の君山銀針のようにお茶の中で茶葉が動くので、グラスに入れて見て楽しむのもいいでしょう。
白茶は一言でいうと、シンプルなお茶。つくりかたも味も香りも自然です。淡香淡味、金黄色の水色で、ほのかな甘い香りがします。刺激が少なく胃に優しい。中国でもいろいろなお茶を飲み飽きた通人が飲むお茶として知られています」
そして飲み方については、1人当たり4グラムを使い、それに110~130ミリリットルの熱湯を注いで、1煎目は10秒、以下、2煎目30秒、3煎目1分、4煎目では2分間を待ってから飲むのが良い、と書かれていた。
もっとも「お茶の辞典」にも白毫銀針の写真はなかった。載っていたのは白牡丹の写真である。それだけ入手が難しいものなのだろう。写真があれば、手元にある茶が、本当に高成田が言うように白毫銀針なのかを確認できる。茶が包まれていた紙には、それらしき文字はどこにもなかった。でも、新芽と若葉を使うという白牡丹の写真をよくよく見ると、新芽らしいものと、若葉らしいものが混じっているのが分かる。少ないが、手元にある茶と似ている、白っぽくて細いものが混じっている。これが新芽なのだろう。とすると、それだけが集まっている手元の茶は、白毫銀針で間違いなかろう。――ようやく納得できた。高成田の説明を信じないわけではないが、どうしても確認したくなる性分だからだ。
で、おもむろに、この「茶の辞典」の指示に従って飲んでみた。杉田のところで飲んだときより、やや濃い目濃い目で、コクも増す。でも、爽やかさに変わりはない。時間をかけるために、3煎目、4煎目でも、なかなかいける。しかも、1煎目、2煎目と、それぞれ微妙に異なる味わいを楽しむことができる。少なくとも、4種類の茶を堪能している気分になる。
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こういう茶を生み出す中国は、やはり懐の深い国である。―― しかし、中国から伝わった茶をさらに洗練したのは日本だと思う。独自の栽培方法と製法で生み出された玉露や新茶などに勝る茶はあるまい。微妙な味わいの茶を楽しむなら日本茶が一番。ましてウーロン茶なんて、ペットボトルや缶入りのものを飲み屋でウイスキー代わりに飲むぐらいだ。ジャスミン茶も中華料理の時ぐらいしか口に合わない。いろいろな種類の茶があると言うが、所詮、中国茶なんてたいしたものではあるまい。こう思い込んでいたことが、恥ずかしくなった。
中国茶について、もっと知りたくなった。いま流行のインターネットでも調べることにした。いつも使っている、フリーキーワードによる全文検索が売り物の「オープンテキストのウェブ・インデックス」にアクセスした。「中国茶」と検索画面に入力したところ約150件ものヒットがあった。全部をチェックする余裕はなかったが、それでも面白いホームページを見付けた。「紅茶のページ」と「烏龍茶」のホームページで、これらを見れば、茶について、実にいろいろなことが分かる。
しかし、白毫銀針に関する説明は僅かしかなかった。それで落胆するどころか逆で、妙に安心した。まだまだ日本では良く知られはいない、と密かに嬉しくなったものである。
なお、中国茶のホームページを探索していて興味深い茶を見付けた。「凍頂烏龍茶」という台湾の烏龍茶である。
「大陸の烏龍茶より発酵が弱いため清新の香りを持つ。今から140年前、福建省から移植された苗木が凍頂烏龍茶の始まりで、台湾の代表的な烏龍茶。濃厚な味と、甘く、あるいは、清々しい香り。これはお茶そのものの、味と香りを楽しみたい時のお茶。(発酵度30%)」と説明されているものである。
名前といい、「濃厚な味と、甘く、あるいは、清々しい香り」「お茶そのものの、味と香りを楽しみたい時のお茶」というキャッチフレーズに惹かれ、試してみたくなった。通販誌のグルメ欄を眺めていたら、この「凍頂烏龍茶」があり、それで思わず申し込んでしまった。2週間ほど経ったところで配達されてきた。綺麗な金色の密閉された袋に入っている。いかにも貴重品という雰囲気が漂っている。「さあ、どんな茶かな――」とワクワクして封を切った。でも、出てきたのは、あまり代わり映えしない、普通の烏龍茶だった。それでも望み捨てず、湯を注ぎ、神経を研ぎ澄まして飲んだ。確かに普通の烏龍茶に比べれば、香りもいいし、味も良かった。
それでも「白毫銀針」の味を記憶してしまった舌には、刺激が強すぎるし、香りもストレートすぎる。優雅で柔らかなところがない。やはり「白毫銀針」はすごい茶である。「いろいろなお茶を飲み飽きた通人が飲むお茶として知られています」とは、よく言ったものである。
今では「白毫銀針」なしでは済まされない。なくなりそうになると手に入れて欲しいと杉田に頼む。いつの日か、「白毫銀針」を作っている福建省の茶畑を、この目で見たいと思うようになった。先頃、取材で訪中した杉田から、また貰った。藁半紙のような紙の包みを手にして思わず顔がほころんだ。値段をはっきりと言わないし、代金も受け取らない。それで、その方が遙かに高価につくかも知れないが、杉田には食事を奢ることにした。(1997年冬)