ぼちぼちいこか  骨董屋の喫茶店 PDF 

伴 勇貴(1997年11月)

ここから麻布十番の夕方が始まる 

このところ頻繁に出入りしている「パティオ十番」の広場に面したビルの2階にある喫茶店のことを書かねばなるまい。麻布十番に10軒あまりある骨董屋の一つで、そこで骨董品の販売を行うかたわら、骨董の陶器や磁器を使ってコーヒーや「お薄」を飲ましている。「お薄」に甘い物が付くのは普通だが、ここではコーヒーを頼むと煎餅が付いてくる。それもザラメをまぶした甘い煎餅である。最近は顔見知りになって、僕たちが集まって話し込んでいると、黙ってコーヒーのお代わりとか、口直しにと緑茶を持ってきてくれる。

「やっぱり1回ごとに豆をいて出すコーヒーは美味おいしいね。コーヒーの香りは良いし、味も良い。こうでなくっちゃ ―― 」

「これだけ来るんだから、お代わりぐらいサービスしてくれなくちゃ ―― 」

「そうね。じゃ、これから3回来てくれたらコーヒー1杯をサービスするわ」

「そっちより、こっちの器の方が大きくて、コーヒーがたくさん入っている。気持ちが出ているね――!」「まあ、そんなことないですよ。おんなじですよ本当に」

こんなたわいない、身勝手な軽口を店の女主人と叩く。厳密に言うと雇われ女主人だそうだ。そしてオーナーも女性だそうだ。

「オーナーって、どんな人? 美人?」

「趣味でしょう。こんな店をやっていられるだから――」

中年男たちのストレートな質問に、どう応えたら良いものか戸惑っている。戸惑っているのを見て、楽しんでいる。

さあ、どうかしら ―― 」

誤魔化ごまかているな ―― 。うん、きっと良い女に違いない」

鯛焼き5匹を「浪花屋」で買い、それを持って店に行った。オーナーが顔を出すという曜日を聞いていたもので、2匹を男3人で分け、3匹を、いつもいる2人とオーナーのためのお土産にと思ってだ。ところが、いつもいる女主人の顔が見えない。代わりに初めて見る女性から丁寧にお礼を言われた上に、コーヒーのお代わりをサービスしてもらった。口振りもそうだったし、想像していたイメージにも合っていた。確認したら、やはり店のオーナーだった。

「いつもご贔屓ひいきにして頂き有り難うございます。コーヒーなくなったら言って下さい。サービスさせて頂きます」

と、丁重に言われ、要求もしないのにコーヒーをサービスされ、恐縮してしまった。こりゃあ、なんと言っても費用対効果は抜群だと思った。

「鯛焼きでこんなにサービスしてくれるなら、この方がとくだな ―― 。じゃあ、今度は狸煎餅たぬきせんべいでも持ってこよう」

思うとすぐに口に出てしまうのが、中年男の嫌らしさである。それが分かっていながら口にするのだからなおさら始末に悪い。

友人の作家・杉田望、大学1年からの友人の浅井隆士、それと僕。この3人が、ここで待ち合わせて、それから夕飯に出かけることが最近は多い。この店の閉店時間が6時半なのも都合がいい。ちょっとワイワイやれれば十分で、それ以上は本音を言えば、下心も何もかもがないからだ。

もう、お互い、いろいろやってきたし、さすがに定年も近い年になって肩から力が抜けてきたからだろう。それでも3人一緒になると、女性に負けず劣らずなかなか賑やかである。普段、女性と口をきく機会が少ないものだから、誰もが何だかんだと女主人に話しかける。それに、いちいち応対していれば、仕事がとどこおるのは明白である。困惑する様子を見ながら、厚かましく女主人を引き留める。最近は、少しは付き合わなければ収まらないだろう、と女主人も諦めているいるようである。

先日、バスで一緒になったけれど、自宅はあっちのほう?」

「軽井沢へゴルフに行ったというけれど、いったい誰と行ったの?」

「平日ゴルフなんて良い身分だな ―― 。パトロン?」

「で、スコアは?」

「アメリカにいる娘さんに会いに行っていたんだって?」「娘さんは留学していたんですって。それでアメリカで就職したとなると、もう向こうの男と一緒になって、日本には帰ってこないよ」

プライバシーもへったくれもない。とくに何かを期待しているわけではないだけに、余計に遠慮会釈なく質問責めにする。コーヒーなどを運んでくるのだから、どうしても一度は捕まってしまう。いろいろな骨董品が並んでいる戸棚の陰になっているカウンターの奥が彼女の定席だが、なかなかそこに戻らせない。

女主人がやっとの思いで抜け出すと第二幕が始まる。しばらくは浅井の話を聞かなければならない。まずは自分の頭を中にあることを吐き出さないことには済まない性分しょうぶんだからだ。「30分は黙って聞く。これがつき合い方の極意だよ」と杉田は大発見でもしたように嬉しそうに言う。

でも、これは18歳の時からそうで、大学で4年間も一緒だった僕にすればどうということはない。浅井は大手企業を早期退職して、悠々自適の生活をしている。それで、しばらく潜んでいたものが表に出てきたに過ぎない。

浅井は独身を通していて、いまや同世代の男性の羨望の的である。それを言うと「あったりまえだ。こうなることは分かっていた。でも、それで犠牲にしてきたこともたくさんあるんだ」と逆襲される。続いて「そろそろ命の洗濯にでも行くか」とやられたら、ぐうのも出ない。彼は、勤めていた時代から、少なくとも年2回は、やれモルジブだ、フィージーだ、パラオだ、と赤道付近の島に出掛けていた。「じゃなきゃ、やってなんていられるか」これが浅井の口癖くちぐせで、今でも少なくとも年に一回は、どこか南の島に出かけている。

しかし、浅井がどう頑張っても第2幕は6時半で打ち止めになる。この店の閉店時間だからだ。それが、ここを集合場所にするメリットの一つである。「さあ、今日はどこにするか」こう3人の誰かが切り出す。といって、そんなに選択肢が多いわけでもない。

◯いつ行っても空いていて、これでつぶれずにやっていけるのかと心配になる、飲茶が安く楽しめる中華料理屋

◯「東京民生食堂」という米の配給制度が華やかな時代の鑑札をまだ飾っている、気さくな雰囲気と、それに何よりも安くて旨いのがいい「ふじや食堂」(杉田と浅井は、酒を頼むと、コップになみなみと注ぎ、受け皿代わりの升にいっぱいこぼしてくれる、そこの娘が気に入っているらしい)

◯浅井は味が薄くてあまり好きではないというけれどコスト・パフォーマンスのいい、路地の奥の突き当たりにある広島焼き屋

◯老夫婦がやっている、豚シャブが旨くて、それに豚カツにしろメンチカツにしろ、ボリュームたっぷりで、キャベツ山盛りの豚カツ屋

◯用意されている酒の種類が物足りないけれど、山芋サラダ、自家製薩摩揚げ、冬場ならば鍋料理など食べ物は安くて旨い鳥居坂下の居酒屋「こま」

◯ちょっと気張れば、煮物や焼き物などが旨いし、酒の種類も多く、和服に白い割烹着かっぽうぎ姿が似合う沢たまき風の女将おかみが仕切っている小料理屋

◯スタミナ不足というのであれば、それこそ麻布十番にはたくさんある焼き肉屋

選択肢は、だいたいこのあたりに落ち着いてしまう。浅井はイタメシが好きなようで、「どう、スパゲッティは?」などとときどきつぶやくが、杉田も僕も、なかなか首を縦に振らない。それで3人でイタメシというのは、まだ一度も実現していない。「蕎麦そば屋で一杯というのもいいな――」誰とはなく、こういういきがった台詞も出てくる。でも、「野菜が足りないな――」などという現実的な声で否定されて、実現しない。手羽とかレバーとかモツの煮込みなどが旨い焼鳥屋もあるが、これも「バリエーションが不足だな――」という意見で、選にれてしまうことが多い。

3人ともが、だんだんと「医食同源」を意識するようになっている。昔のようにコッテリとしたものを避け、できるだけ野菜、それも煮野菜とか根菜を意識的にとり、肉よりも魚にするという具合に食生活が変わってきている。

昔は、寒いときや風邪気味のときは、トリの腹に朝鮮人参やナツメや米を詰めて、グツグツ煮込んだ「サンゲタン」を売り物にする韓国料理屋によく行った。

でも、最近は寄せ鍋にっている。具たくさんで最後にご飯を入れて作る雑炊が良い。3000円で、3人で分けて食べて十分の量がある。それに650円の特製の山芋サラダ、これも3人で分ける。こんな嬉しい小料理屋「こま」が「麻布十番温泉」の斜向はすむかい、鳥居坂下にある。週に3回も顔を出すこともある。「いくらなんでも3回は」と躊躇ちゅうちょしたけれど、寒くなると、この安さと旨さの魅力にはなかなか逆らいがたい。

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墓、どこにあるのだろう」

「甲子園だろう。地元だったし ―― 」

大学時代の友人の話である。最近、とくに鍋を囲んでいると話題に出てくることが多い。お互い年をとったのだろう。Nとは、4年間一緒で、よく遊んだ。渋るのを連れ出し、リュックサックを背負わせ、山登りもさせた。へばって頂上近くでがんとして動こうとしない。「どうせ登って、また降りるのだから俺はここで待つ」と言ってきかない。それを無理矢理に引っ張って登った。そのNは40歳に達する前、肺ガンで亡くなった。「やっぱり生命力が弱かったのかな ―― 」と思う。

北海道を一緒に一回りした気の優しいヤツ ―― タバコも飲まなければ酒もやらないし、健康のためだと毎日ジョギングを欠かさなかった。このIは、それなのに、あっという間に胃ガンで逝ってしまった。大手コンピュータ・メーカーでハードディスクの開発を専門にやっていた。亡くなったのは40代半ばだった。

学生時代は優秀だったが、目移りが激しく、何でも途中で放り投げる性癖があって、卒業してからというもの、なかなか仕事が上手く行かず、昨年、ついに自殺してしまったヤツもいる。「また一緒にやりたい」と電話があったが、もう何回も痛い目に会っていたため、若い頃ならともかく、この年になるといい加減なことは許されないので「仕事だけは一緒にやれない」と断った。このWが自殺したと聞いたのは、それから一週間ぐらい後のことだった。

学生時代から、体までも斜に構えてヨタっていたHも、持病の喘息ぜんそくひどくなって、もう淡々と人生を流していると自嘲気味に電話してくる。真面目だったKは、大手メーカーに就職したものの、仕事に行き詰まって悩んでいるらしい。

先日も、知り合いの女性が乳ガンで手術したが、その後、あっちこっちに転移してもう危ない状態にある ―― そう人づてに聞いたと、浅井がポツリといた。両親とも健在で長寿の系統だから、「俺は90歳ぐらいまで生きるだろう」と言い続けてきたのに、「俺はおまえと違って、病気の苦労をしたことがないが、これからするのだろうな――」と弱音をらすようになった。

行革はいったいどうなっているだ。なんだ大蔵省の連中はとか、隠居よろしく悲憤慷慨ひふんこうがいしながら賑やかにやかにやっている時に、誰からともなく、フッと、こんな話が出てくるようになっている。

目を上げると、店は満員である。「安くて旨いといっぱいになる。人間やっぱり正直だよ」思わず異口同音いくどうおんに飛び出した言葉に、鍋を片づけに来た女将おかみが嬉しそうな顔をした。そろそろお茶を飲んで、お開きにする時間である。今なら飲み仲間の高成田享が出演する「ニュースステーション」が見られる。間もなく交代するし、今日ぐらいは、最初からきちんと見ようということになった。

という次第で、「ごちそうさま――」と言って、湯気で曇ったガラス戸をあけて外へ出た。「毎度あり――!」の声が冷たい夜気に響いた。足元の歩道では風に吹かれて集まってきた街路樹の落葉が音を立てていた。明かりに惹かれて「麻布十番温泉」に目を向けたら、洗面器を片手に湯上がりの人が気持ちよさそうな顔をして出てきた。

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東京の町のもっとも典型的な形というのは国電ないし私鉄の駅がまず中心にあり、そのまわりに商店街が出来ている鉄道中心の町だ。新宿も渋谷も下北沢も、亀戸も小岩も、みんなそうである。

しかし麻布の町はちがう。地下鉄の広尾と六本木の駅はあるにはあるが、町は鉄道中心に開けたところではない。町には中心がない。だからこの町を歩いていると迷路にまよいこんだようにもなるし、時間が過去のままとまったようにも感じる。………

麻布は町というよりも、東京オリンピック以後、風景を一変させてしまった周囲に取り残された秘密の花園ようである。………その花園の一つが、商店街で名の通る麻布十番である。地下鉄の駅からもかなり離れた地点に、突然花が開いたように賑やかな商店街が存在する。………(「江戸東京物語――山の手編」新潮社編)