ぼちぼちいこか 「上海・香港5」林立する高層ビルと慕情 PDF

伴 勇貴(1997年11月)

林立する高層ビルと「慕情」 

1997年7月、香港は英国から中国に返還された。あの頃は、当事者に近いEconomic Review誌やEconomist誌はもちろんのこと、米国のNewsweek誌やBusinessWeek誌なども毎週、特集を組んでいた。悲観論が大声で叫ばれたかと思えば、香港は「金の卵を生む」なのだから、中国が殺すハズがないといった楽観論が誌面を飾った。

日本のマスコミも連日のように報道した。テレビ朝日の「サンデープロジェクト」(日曜日午前10時~12時)で、凄みを漂わせているレギュラー出演者、インサイダー編集長の高野孟。彼も相好を崩し、歴史的一瞬に立ち会うんだと、勇んで返還のカウントダウンに出かけた。もう香港のホテルに空きはないという状況の中でのことで、うらやましい限りだった。

そして作家の杉田望と2人で書いているデジタル雑誌「マガジンヘッドライン」の原稿で迷惑をかけたと言って、文字盤の上で登小平が手をせわしなく振っている腕時計を杉田望に買ってきた。

今までは珍しい、やや分厚いゼンマイ式のものである。それを「これ限定品で、数が少なくって高かったんだぞ!」と言って高野は杉田に渡した。

あれから半年も経っていない。それなのに、いまの香港には、その余韻さえも感じられなかった。大騒動した返還劇がウソのようであった。上海から飛んで関係者と会って、そのまま泊まらないで、台北に向かう。そんな余裕のないスケジュールだったから、気が付かなかっただけなのかも知れないのだが ―― 。

東アジアの観光の中心で、「東洋の真珠」と言われる香港。その香港に足を踏み入れたのも上海と同じく今回が初めてだった。別に毛嫌いしていたわけではない。行こうと思えば行くことはできたし、何回も行かないかと誘われたし、友人たちは勤務していたし、来ないか ―― そう何度も声をかけられた。でも、何となく二の足を踏んでいた。

ビクトリア・ピークの頂きから見る夜景は、月並みだが、やっぱり素晴らしい。水上生活者 ―― 蛋民たんみんが密集するアバディーンの水上レストランも一度は行って、名物の海鮮料理を食べてみる価値はある。そんな話を何度も聞かされ、それと映画「慕情」のイメージが重なって、初めて行くときは、駆け足ではなく、せめて3、4日はのんびりし、心いくまで堪能したい。そういう余裕が生まれるまで香港行きは残しておきたい。そう思い続けていたからである。

「慕情」――新中国成立直後の香港を舞台にした映画である。香港の病院で働く中国系の女医が「祖国に戻ろう」という同僚の中国人医師の誘いを迷いながら断り、妻のいる米人記者の求愛を受け入れ、恋に落ちる。そこに朝鮮戦争が勃発する。記者は、安否を気遣う女医を振り切って、取材に向かう。必ず戻ってくる。その言葉を支えに、女医は、悲しみを病院の仕事に精を出すことでこらえて待っていた。そこに記者が取材中に爆撃を受けて死んだという連絡が届く ―― そんな悲恋のラブロマンスだったと思う。

中国人の父とベルギー人の母を持つ作家、ハン・スーインが書いた同名の小説を映画化したものである。監督ヘンリー・キング。出演ウイリアム・ホールデン、ジェニファー・ジョーンズ。1955年の米映画である。

初めて「慕情」を観たのは中高校生のころだったと思う。異国情緒たっぷりの香港を舞台にしたラブロマンスにうっとりした。新聞記者と女医の2人が人目を避けて逢う、香港の街を見おろす丘からの美しい眺めが素晴らしかった。チャイナ服のジェファニー・ジョーンズは魅力的だった。サウンドトラック版のレコードをかけ、それに合わせてあやふやな英語の歌詞を、映画の情景を想い浮かべながら、よく口ずさんだものである。

でも、いつの間にか、第2次世界大戦を契機に、アジアに関心を持った米国人にびるような安っぽい異国情緒を散りばめたラブロマンス映画にすぎないと思うようになっていた。一世を風靡ふうびしたミュージカル映画「南太平洋」なんかもそうだった。気恥ずかしくて「Love Is a Many-Splendid Thing ――」などと口ずさめなくなっていた。

そして、すっかり忘れていた。ところが、数年前、米国からの帰りの機内で字幕スーパーなしで「慕情」を観て、感慨を新たにした。物語は、原作者ハン・スーイン自身が「(借り物の場所、借り物の時間)と言っている特殊な状況の香港だったからこそ、激しく盛り上がっただけの、今ふうに言えば、ありきたりの不倫話なのだろうけれど ―― 。

字幕スーパーでは伝わってこなかった「慕情」の中で交わされる大人の男と女の会話の妙に魅せられてしまった。翻訳の優劣の問題ではない。たぶん翻訳では簡単には表現し難い英語と日本語の違い、あるいはその根底にある文化の違いからくる本質的なものだろう。それに僕自身が男と女の会話がわかるようにもなったからなのだろう。そして、その舞台の香港に改めて行ってみたいと思った。台詞せりふを噛み締めながら、数日間を潰して、ゆっくりと「慕情」に浸ってみたいと思った。

余談だが、この「慕情」と同時に機内で上映された、日本では封切り前の映画「プリティ・ウーマン」の面白さも会話だった。リチャード・ギア扮する、やり手の大金持ちの青年実業家が、気紛に買ったジュリア・ロバーツ扮する可愛いコールガールに惚れて結婚する ――― ハッピーエンドのたわいない話である。軽快なテンポの主題曲と洒落しゃれた会話は無条件に楽しかった。しかし、これも字幕スーパーで観たら、ジュリア・ロバーツが可愛いだけの陳腐な映画でしかなかった。

香港啓徳機場の「香港カーブ」

どうせ香港に行くのなら「慕情」の雰囲気を満喫まんきつしてみたい。その願いも空しく、結局、初の香港行きは仕事が絡んだあわただしいものになってしまった。仕事の都合だから仕方がなかった。それに香港の表玄関、香港啓徳機場が1998年夏に廃港になったら、もう「香港カーブ」のスリルは2度と味わえないというから、航空ファンとしては、香港行きは、もう待ったなしだった。

「香港カーブ」―― 香港啓徳機場に着陸する時に低空で街中をうように飛ぶ飛行コースにつけられた名前である。怖くてたまらないと乗客の不評をかっているとも聞くが、僕としては少なくとも一度は体験したかった。それが、体調があまり優れないなか、しかも香港での時間的な余裕はほとんどないという条件にもかかわらず、香港行きを決めた理由の一つだった。

それなのに「香港カーブ」を体験することはできなかった。すべてのフライトが「香港カーブ」を採るわけではないことは知っていたが、上海から飛び立ち、あっけなく香港に着陸した時には、期待が大きかっただけに、出鼻をくじかれた思いだった。

それだけに、見晴らしの良いレストランで、「あそこで行われた返還式典に招待されて出席したんですよ」と指差しながらいう知人のIさんの言葉を聞いていたら、ともかく無性むしょうに香港を探訪したくなった。時間に余裕がないのは分かっていたが、せめてビクトリア・パークや水上レストランに行って、「慕情」の面影でも味わってみたいと思った。しぶる寅さんを促し、台北行きのフライト待ちの時間に香港探訪に出かけた。

初めはしぶっていた寅さんも街中に出るとのった。そして、ついには「Love Is a Many-Splendid Thing ――」と映画「慕情」の主題歌を気持ちよさそうに口ずさみ始めた。これには参った。ちょっとセンチメンタル・ジャーニーをという僕のささやかな願いは台無だいなしにされてしまった。悪気はないのだし、怒ってみても始まらない。たぶん、寅さんも想い出にひたっているのだろう。元来、初老の男2人が仕事の合間に立ち寄るようなところではなかった。香港行きは、焦らずに大切に残しておけば良かったとやんだが、手遅れだった。

軟膏「タイガーバーム」で当てた金持ちが作ったという「タイガーバーム・ガーデン」の脇を通ってビクトリア・パークに行き、そこで少し休憩してからアバディーン・トンネルを抜け、防波堤沿いの公園に出た。沖合にはけばけばしい水上レストランが浮かんでいた。夕闇の中で見れば素晴らしいのだろうが、真っ昼間に汗を拭き拭き眺めている状況では、いただけなかった。

もっとも、さすがにビクトリア・パークからの眺めは昼間でも、なかなかのものだった。しかし、日が傾くにつれて、だんだん浮き上がってくる夜景を想像し、素直には感動できなかった。なにしろ、ビクトリア・パークからの夜景は、一晩の電気代が100万ドル以上もかかることから「100万ドルの夜景」と呼ばれているというのだから ―― 。それが見られないなら来た意味がないじゃないか、と思わずつぶやいてしまった。