ぼちぼちいこか 「上海・香港2」東方航空MD-11に乗る  PDF  

伴 勇貴(1997年11月)  

中国東方航空 マクドネル・ダグラス社「MD―11」に初めて乗る 

中国東方航空(China Eastern Airlines)の機体は米マクドネル・ダグラス社の「MD ― 11」だった。かつて中型ジェット輸送機として、市場でロッキード社のトライスター「L―1011」と張り合ったダグラス社の「DC ― 10」の後継機だ。名前は知っていたが、実際に乗るのは初めてだった。形状は「DC ─ 10」にそっくりだし、それだけに実際に搭乗するとなると、もろもろの想いが湧き上がってきた。この両社の競争には、仕事上、絡んだこともあったからだ。

日本の政財界を大きく揺るがしたロッキード事件も「DC ―10」というライバル機が存在しなければ起きなかっただろう。どう考えてもロッキード社の民間航空機市場への再参入には無理があった。競争相手が悪すぎた。ボーイングとダグラスの2大メーカーが立ちはだかった。なかでも「DC─10」と「L ─ 1011」は、エンジン3発で、狙う分野が同じものだから真っ向から衝突した。

いろいろ議論があったが、純技術的には垂直尾翼のエンジンの取り付け方が1つの争点だったと記憶している。「L─ 1011」は空気取り入れ口とエンジン本体とがS字状のダクトでつながれており、構造的に複雑でメンテナンスに問題がある。それでなくともメンテナンスの面では、ロッキード社はしばらく民間機を手掛けていなかったこともあって、いろいろ問題がある。やっぱり民間機という点では「DC ─10」の方が無難だろう。これが多くの航空関係者の素直な見方だったように思う。エアラインで実際に導入機種の選定に関わっていた技術者の方からも同じような話を聞いた。

だからロッキード社はなりふり構わずの売り込みに走り、それで疑獄事件も起きたのだろう。しかし、それでも「L―1011」のビジネスは芳しくなく、結局、その後継機も作られず、ロッキード社は民間航空機分野から撤退した。

ロッキード社との激しい競争を強いられたダグラス社も傷ついた。軍用機のマクドネル社と合併し、マクドネル・ダグラス社(MD)となったが、環境は厳しい。エアバス「A300」で頑張る欧州のエアバス・インダストリー社と機種揃えを誇るボーイング社に板挟いたばさみになり苦戦している。双発レシプロ機「DC ―6」や4発ターボジェット機「DC ― 8」で民間輸送機で君臨した昔日の面影はない。今となっては、いったいロッキード事件は何だったのだろうかと、ただ空しさを感じる。

ダグラス社の「DC ― 8」「DC ― 9」「DC ― 10 」には何回か乗ったけれど、マクドネル・ダグラス社となってからの「DC ― 10 」の後継機「MD―11」に乗るのは初めてである。それも同じく初めて乗る中国のエアラインときている。たしかマクドネル・ダグラス社は機体の一部の生産を中国に委託していたということも思い出した。多分、その関係もあって中国東方航空は「MD―11」を採用したのだろう。次から次へと、いろいろ浮かんでくる。根っから飛行機が好きなのだろう。なかでも初めての機体に乗るとなると、どうしても興奮してしまう。理由がなんであろうと、エアラインがどこだろうと、どうでも良い。好奇心だけがむくむくと頭をもたげてきていた。

「DC ― 10 」で、主翼の2基のエンジンに加えて、すっかりおなじみになった垂直尾翼を貫く形で第3エンジンを装備する設計を「MD―11」も継承している。そのため、ちょっと見ただけでは「DC ― 10」と「MD―11」を区別するのは難しい。胴体が少し長いこと、「誘導抵抗」を減らす効果を持つ小さな翼「ウィング・レット」(翼端板)が主翼先端に垂直方向に付けられているのが目立つくらいである。

「誘導抵抗」とは翼端からがれるようにしてできる空気の渦を「しっぽ」のように引きずって飛ぶために発生するものだが、その大きさは馬鹿にならない。しかし、原理的には主翼を長くすれば小さくできる。グライダーや無着陸世界一周を果たした「ボイジャー」などの主翼が極端に長くなっているのもそのためだ。日本で戦前に周回無着陸飛行距離の世界記録を樹立した東大A研機もそうだった。でも主翼が長いと、別に様々な問題を生む。それで主翼をあまり長くしなくても「誘導抵抗」を小さくする方法として考えられたのが「ウィング・レット」である。

整列する4人の整備士に手を振られながら飛び立つ

さあ、いよいよ搭乗である。小さな手荷物1つで最後から4、5番目に乗り込んだ。飛行機に乗るときには、いつも主翼を後方から見ることのできる窓側の席に陣取ることにしている。そうすれば離着陸や旋回などのときの多段フラップ(主翼後縁の高揚力装置)やエルロン(主翼の翼端後部の補助翼)やスポイラー(主翼上面の可動板)の動きと機体の動きとの関連が分かって面白い。飛行機に乗る楽しみ方の1つである。その手引き書というのであれば、まずは近藤次郎著「飛行機はなぜ飛ぶか」(ブルーバックス 講談社)をお薦めする。

僕は、いまだにヘビースモーカーである。時代遅れとからかわれながらも、完全に禁煙するつもりは今のところはない。で、喫煙席があれば、迷わず喫煙席で窓側の席を頼む。今回は早々とチェックインを行い、進行方向に向かって右側の窓際の喫煙席を確保したので、文句はない。さっさと手荷物をしまい、上着を脱ぎ、必携品を入れている黒の布製の肩掛けバックだけを残し、思う存分にくつろいで飛行を楽しむことにした。

コックピットはハイテク化され、機関士なしの2マンクルー(操縦士と副操縦士)の運行が可能になっているというが、機体内部は普通のワイドボディで、内装にもとくに目新しいものはなかった。それでも初めて乗る「MD―11」で、初めての中国大陸に行くということで、何度となく海外に出かけるうちに次第に薄れていた感慨が戻ってきた。初めて飛行機に乗った時のように、何もかにもが気になった。離陸のため滑走路の端の所定の位置に向けて動き出した。濃紺と赤のツートンカラーでツバメのマークの入った機体に並行して、4人の整備士が一列に並んでニコニコして手を振って見送る。1人はピンク色のつなぎを着た女性である。機内には「蛍の光」の曲が流れる。

成田空港は相変わらずのラッシュである。タクシーウエー(誘導路)を移動している間にも頻繁に離着陸が続いている。ノースウエストのジャンボが飛び立ち、続いてユナイテッドのエアバスが着陸する。これらをやり過ごすために待機させられていたのだろう。ようやく滑走路の端の日本航空や全日空のハンガーを横に見る離陸ポジションについたけれど、それまでに、もう、なんやかんやで30分近くも使っていた。後には大韓航空の「B― 737」など何機もがつながっている。もういい加減に離陸したらどうだ。イライラし始めたところで、エンジン音が出力全開になったことを教えた。その後は早かった。加速を開始したと思ったら、あっという間に機体は地上を離れていた。

滑走距離は短いし、飛び上がり方の感じがジャンボとはまったく違う。やや急角度でぐいぐいと押し上げられるように上昇を続けていく。これだと着陸時にはおそらく反対にどんどん後ろから押されるように下降するのだろう。上昇率と沈下率、それと機体の傾きが違うのだろう。離着陸時に出てくる3発エンジン機に特有の飛行感覚で、機体が大きくなってもあまり変わらない。同じ3発エンジン機でも「B―727」のように2基のエンジンが主翼ではなく胴体後部に装備されていると、この感覚はもっと鮮明になる。ただの好き嫌いの世界の話にすぎないが、やっぱり僕にはあまり好きになれない感覚である。

奥武蔵から奥秩父の山々の紅葉が始まっていた

機は飛び立って暫くすると大きく右に旋回し、機首を太平洋の方向に向けた。機内誌を見たが、詳しい飛行ルートは書かれていない。「そうか、洋上を飛行して上海に向かうのか」と思った。ところが機はさらに右旋回を続ける。ぐるりと一回りする感じである。「あれれれ――」と戸惑っていると、東京湾をかすめて、三多摩地域を右手に見下ろしながら甲府方向に向かって巡航しはじめた。すでに高度は9400メートルに達していた。ほぼ成層圏に入っていた。

対気速度は時速640キロメートル、外気温は摂氏マイナス34度と表示されている。音速は摂氏0度で331.5メートル。温度が1度変わると音速は0.6メートル変化する。温度が下がれば音速も下がる。計算したら、摂氏マイナス34度というと音速はだいたい時速1120キロメートルであり、いま「MD ―11」はマッハ0.6ぐらいで飛行していることになる。ジェット旅客機の巡航速度はマッハ0.7以上が普通だから、これから機はもっと速度を上げるのだろう。

窓から下を覗くと、多摩から秩父の山々が晩秋の青空の中にくっきりと浮かび上がっていた。すでに紅葉がはじまっていた。金峰山、国師岳、両神山、甲武信岳、三峰山、瑞垣山、雲取山、陣場山、景信山、御岳山、高尾山、鷹巣山、三頭山、大菩薩峠、小仏峠、…………。学生時代に、大きな海苔の握り飯を4個ほど持って歩き回った所だ。なにしろ、お金がかからなくて、それでいて出かければ必ず何か発見があった。むせ返る樹木の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら深い森の中の道を抜け、頂上に達し、明るい太陽の下、そこで水筒のお茶を飲み、握り飯を喰うのは最高だった。ほとんどの山に登った。

今は、それらの山々のふもとまで開発が進んでいた。武蔵野台地からはじまって一面に緑が続いていた一帯に、道路が縦横に走り、整然とした町並みが出現していた。その様子が成層圏から眺めても、ハッキリと分かる。あまりにもくっきりと見えるもので、自分が成層圏を、それもマッハ0.6もの高速で移動しているという実感が湧かない。何十年もの時の流れの中をゆっくりと漂っているようだった。出発する時に流れた「蛍の光」の曲が、この時になって、胸に迫ってきた。

チャイナドレス姿の熟れた中国人女性

機内サービスが始まった。あまり期待していなかったけれど、JALよりは遙かにましだった。少なくとも僕の選んだ焼きそば風のものはまずくはなかった。隣の商社マン風の男性はステーキらしきものを食べていたが、これは見るからに食欲をそそらないものだった。彼は、それを頬ばりながらスチュワーデスを横柄に呼びつけ赤ワインをガブ飲みしている。トイレに立ったときに「失礼」と言った以外は、窓を眺めていたのは正解だった。彼は、しこたまワインを飲んで真っ赤になって寝てしまった。それを横目で眺めてホッとした。

機内テレビで中国のニュースを流し始めた。日本の国民体育大会の祝典のようなものらしい。江沢民が祝辞を述べ、選手代表が宣誓する。珍しくもないが、背のすらっとした中国美人の進行係たちが気になった。深いスリットの入ったフレアたっぷりのチャイナドレス風の姿が艶めかしい。日本の振り袖姿のコンパニオンといったところだろう。でも、僕にはとんでもなく場違いに見えた。

そんなことを思っていたら、画面は上海かどこかで開かれたファッション・ショーに変わっていた。モデルが音楽に合わせて歩いてきて、両手を水平に拡げる。すると着ている衣装が長方形であることがわかる。2人揃って歩いてきて、同時に同じ動作をする。それでくるりと後ろ向きになると、2人の衣装の模様がつながって1つの具体的な絵柄になる。男性の顔であったり、京劇に出てくるような女性の顔であったり、何が飛び出すか分からない。意表を突く。眺めていて楽しかった。

それに軽くて柔らかな素材を使った貫頭衣のような衣装も気に入った。これは男性にもリラックスする時には具合が良さそうである。何よりシンプルで被服圧を感じさせそうもないところがいい。僕が自宅で仕事する時などには最適だろう。これからは和服にでもするか ―― そう思ってたが、和服だと前がはだける。でも、これなら楽だ。どれだけ肩こりから開放され、仕事がはかどることだろう。日本に戻ったら素材選びから始めて類似のものを作って貰おうと思った。

それにしても画面に登場してくる中国人女性は本当にスタイルが良い。ただスラッとして背が高いというのではない。豊満なアンコールワットの女神デヴァダーを彷彿させる身体をしている。「世界中を回ったけれど、チャイナドレス姿の中国人女性、アオザイ姿のベトナム人女性が最も魅力的だ」「ほっそりしていて、それでいて成熟した中国やベトナムの女性の体にはそそられる」―― 20年以上も前になるが、こんな言葉をSさんから聞いたことを思い出した。

極上のブランデーに酔いながら、ようやっと買い求めたというシャガールの版画をSさんから見せてもらっていた時のことである。でも、どうして女性の話に飛んだのかは覚えていない。ともかく海外生活が長いSさんには日本語の形容詞や副詞の使い方に特徴がある。ワインのソムリエよろしく、もっとも適切な言葉を注意深く選びながら、ゆっくりと話す。英語であれば違和感はないのだけれど、Sさんは、それをきちんと日本語でやる。意識してレトリックとしてやっている様子ではない。天性のものだろう。

このときもそうだった。何事にも慌てずゆっくりと思想を語るSさんの口から「成熟した」とか「そそられる」という生々しい言葉が淡々と出てきたもので、思わず身を乗り出してしまったことを思い出す。いまなら週刊誌やテレビで頻繁に使われているので驚きもしないが、ただ「いい女」とか「美人」だとかいう表現が一般的だった当時としては新鮮に響いた。

Sさんと話をすることは、内容もさることながら、こうした意表を突くような言葉を使った表現が出てくるので、なんとも興味深いし楽しい。Sさんとはもう2年あまり会っていない。いま米国にいる。前々から、米国に来たら立ち寄れと誘われている。急にSさんと会って、夕食に舌鼓をうちながら、楽しい会話をしたいと思った。