ぼちぼちいこか  ニースの小石 PDF

伴 勇貴 2010年03月  

昨年末、引っ越した。もう少し使い勝手の良い間取りはないかと同じマンション群で探したところ低層の別棟に格好の部屋が見つかったからだ。長らく本棚に放置していた書類やパンフレットなどの整理も始めた。

小さな黄色のパンフレットが出てきた。フランス政府観光局発行の「コート・ダジュール(Coted'Azur)」、紺碧こんぺき海岸と呼ばれているところだ。パラパラと眺めていたら記憶がよみがえってきた。ハードディスク収録のデジタル写真を調べたら、週末ニースに一泊した時の写真が出てきた。2002年にMさんと立ち寄った時のものである。

ジュネーブでの仕事が終わったら帰りにどこか寄らないかとMさんが言う。雑誌に載っていたプロバンス地方の記事が頭に残っていたこと、秋が駆け足で冬に向かっている時期だったこともあって、反射的に「プロバンスが良い。暖かそうだ」だと答えた。まあまあの体調を維持してはいたが、ともかく寒いのが身体にこたえる。「プロバンス」と言った瞬間に、頭の中は、雑誌に載っていたラベンダーなど色とりどりのハーブ畑、明るい太陽と紺碧こんぺきの海の映像で一杯になっていた。

土曜日の早朝、ジュネーブを発ってニースに向かった。小雨が降り、肌寒かったけが、暖かいところに向かうのだという喜びから気持ちは弾んだ。それにニース空港までの航空機が短距離輸送用としては好評で、一度は乗りたいと思っていたスウェーデン、サーブ社の中型ターボプロップ機、Saab 2000だったのも嬉しかった。エンジンはロースロイス社製。YS 11と同じくらいの機体である。乗り込むと、直ちに操縦室の写真撮影を願い出る。同行者のいることを忘れ、完全に自分だけの趣味の世界に浸ってしまった。

軽々と離陸する。雲を抜けると朝日が美しい。左手にアルプス山脈を見ながら南下する。その模様をしっかりと記録させたいため、窓に顔をピッタリくっつけて、ひたすら景色を眺める。約一時間の飛行はあっという間だった。

間もなく着陸するというアナウンスで現実に戻る。赤褐色の街並みと濃い緑の森と真っ青な海の対比が目映い世界が眼下に広がっている。嬉しさがこみ上げる。搭乗して初めて隣のMさんに「真下にニースの街が見える」と話しかけた。

入国手続きは簡単きわまりなかった。EUの人はフリーパス。僕もパスポートの写真と見比べられただけだ。拍子抜けしたところにMさんがニコニコしながら現れた。嬉しそうに見せるパスポートにはニースのスタンプが押されていた。

「良いでしょう」と言う。

「どうしたの?」と訊くと同時に振り返ったら、スタンプを押している入国審査官がいた。しかも押したり押さなかったり気まぐれである。急にスタンプが欲しくなった。中学時代の修学旅行で京都や奈良の寺院などのスタンプ集めを競ったのと同じ気分である。「ちょっと待って ……… 」とゲートに戻り、事情を話し、スタンプを押してもらい、意気揚々と「さあホテルに行こう」と引き上げてきた。

その僕をMさんは唖然として待っていてくれた。僕には初めのニースだが、Mさんは数回来ているので心強い。ホテルは海岸からちょっと離れていたが、部屋の窓から海を一望できた。青い海を帆船が滑っている。一流ではないが、悪くはない。ニースにきたという実感に襲われ、一刻も早く街へ出たい衝動に駆られた。僕の荷物は相変わらず小さい鞄一つ。手早く荷を解くと、受話器を取り上げ、Mさんの部屋に電話をいれた。早く出掛けようと督促した。

だからと言って、「紺碧」の海を自分の目で見たいということ以外に特に目当てがあるわけではない。頼りは旅行社からもらったパンフレットとMさんだけである。そして初冬のニース海岸に急いだ。ジュネーブと比べるとはるかに暖かい。何よりも明るい雰囲気が良い。

こうなると歩き回りたくなる。手始めはゴチャゴチャしている旧市街だ。フランスというよりイタリアの雰囲気だ。そこを男2人、ひたすら歩く。

しかし、ちょっと時間帯が悪かった。 市場いちばは中休み、レストランは準備中である。早めの昼飯もかないそうもない。結局、営業中の数少ない、なんの変哲もない店で食べる羽目になった。呼び込みの女性が気っ風のいい、ちょっと惹かれるタイプだったこともある。味もまあまあのイタメシで、安かった。それで結構、幸せな気分になった。そこで大道芸人までも堪能した。

年配の女性のコサージュ売りが僕たちの座る席に近づいてきた。ヤバイと思った時には、遅すぎた。愛想を振りまくMさんと眼が合い、感情を込め、シャンソンを歌い始めた。2人の関係を邪推しているようだ。彼女は美輪明宏を思い出せる容貌をしている。それで、なおさら妙な気分になってしまった。

「まいったなあ、勘違いしているんじゃないか」と戸惑う僕。

「多分ね」と喜ぶMさん。

歌はなかなか上手い。しかも年齢が哀愁を誘う。諦めて聴くことにした。終わって拍手した。するとまた始めようとする。慌てて席を立ち、チップを渡し、そこを離れた。しかし、Mさんは捕まった。コサージュを買わないかと迫られた。

腹ごなしを兼ねて本格的に街の探索を始めることにした。Mさんが口火を切った。パンフレットを見ながら、シャガール美術館に行こう。まだ行ったことがないが、歩いて行くのにちょうど良さそうだと言う。

地図を頼りに、海を望む小高い丘の中腹にあるというシャガール美術館に向かった。市街地を抜け、街路樹の美しい、なだらかな坂道を上る。横道に入ると、急に車が減り、静かになる。一帯は高級住宅街である。その一画に目指すシャガール美術館があった。美しい庭園と芝生の奥に建物が建っていた。

素晴らしい雰囲気の場所だったが、展示されている作品に僕が気に入ったものはなかった。ほとんどすべてが神秘的・幻想的というよりは、陰鬱で、きわめて宗教色の強いものだった。それらを見て、多分、その背景を思い浮かべてだろが、納得して頷いている老婦人たちもいたが、その示唆する意味が僕には分からない。宗教観というか世界観の違いを思い知らされた。Mさんも同じような感想を持ったようだった。期せずして、そろそろ出ようかと言った。

僕の机の上には、ニースの海岸で拾ってきた小石がある。文鎮代わりに使っている。滑らかな小石を手にするとニースの海岸が浮かんでくる。

(2010年 初春)