時空の漂白 12  PDF (2005年5月13日) 

広島便り3:小屋制作記その1    高橋 滋 

2005年2月の末に建築の確認申請を出したら、1週間で許可(確認済証)が下りた。百平米未満の建物の設計には資格は不要だし、とくに五十平米未満なら建築の確認申請の手続きも簡単だった。強度計算などの資料は不要で、申請書に建物の平面図、立面図、断面図などを添付するだけで済んだ。

年初に「今年はやろう」と決めてからは、構造の細部を煮詰める一方、週末には雪が降りそうな時でも建設予定地に出掛け、地均じならしや風で倒れてきそうな隣地のアカマツの始末など、下準備を続けてきた。

建設予定地

小屋の建設予定地は、旧佐伯さいき町の町役場の北に広がる花上はながみという集落のへりにある。

飛行機で中国地方の上空を飛ぶと、長い間の浸食作用で山は削られ、「準平原」となり、低い山々が洗濯板のように連なり、その「溝」の部分に平地が細長く延び、そのやや広い部分に田畑や集落が発達している様子がハッキリわかる。花上の集落もそのような典型的な中山間地にある。建設予定地は、地図でわかる通り、その花上の集落の中心部から離れた、鷹巣山(614メートル)の山裾やますそ、平坦部と山の境目の傾斜の緩やかなところにある。

里のへりでもあり、森のへりでもあるところで、周囲は人工林と若い広葉樹の混合樹林である。冬には雪上に小動物の足跡が点々と見られる。

しかし、林間の別荘地といった風情はあまりない。20年以上前に8戸ほどのミニ住宅地として造成された地区の一画で、敷地の前を幅四メートルの道路が通っている。それでも先には家は一戸しなく、道路もすぐに行き止まりになるし、それに境界線や側溝がしっかりといるのは嬉しい。

敷地は、北側・西側道路の角地で、南側には半島のように山のひだが延び、そこに生えるアカマツが、そう高くはないが、視界をさえぎる。そして東側に残る山林の高い樹木が午前中の日当たりを邪魔をしている。宅地としての条件は決して良いとは言えない。多分、それで競売になってもなかなかさばけなかったのだろう。

​こうした敷地の条件を考慮すると、住居としての建物であれば、北側に配置するべきだろう。しかし、そこは花や野菜にとっても一等地であり、花や野菜を最優先し、住居ではなく週末園芸の基地である小屋は北側に配置することにした。

敷地の北側は道路で、その奥は樹齢十五年ほどの針葉樹の人工林で、手前には、クマザサが繁茂し、広葉樹が生えている。春先はシロモジの黄色い花やザイフリボクの白い花が綺麗で、新緑も紅葉も美しい。手前に園地を見て、その奥に、これらを借景として眺める配置は悪くない。(「広島便り:その1」に載せた雪景色の写真は、この敷地から北側を見たものである)

傾斜地の処理

一帯は南西方向に傾斜しており、敷地の造成面も傾斜し、全体として2メートル近い高度差があった。実は、それも2003年2月に土地の入手が確定したあと、カヤ(ススキ)や、2~3メートルに成長したアカマツの刈り取りを進めている中で、ハッキリしてきたことだった。

この傾斜地の処理には頭を痛めた。単純に傾いているだけではなかったからだった。最高で二メートルほどの高低差があるものの、東側ほぼ水平で、南西の隅が最も下がる形で、敷地面はねじれていた。

地盛りすれば傾斜の問題はなくなるが、敷地全体が「団地」のようになって、不自然さが漂うことになるのが、気に入らない。

結局、東側の境界部分を削ったり、土を入れて、まず自動車が入れる場所を確保し、それから作業スペースとしての平坦地を造りながら、全体構想を定めることにした。

敷地の西側は、いろいろと迷った末、残っていた土留めを生かして長い水平の土手を造った。上面は幅60センチで統一し、花木などが植えられるようにした。

土手は敷地の最も低い南西の隅から始まり、西側の境界線に沿って、北側の道路まで続く。土手の上面を水平にすると、その高さは東側の駐車面と比べると全体にかなり低いもので、そして道路につながる部分で東側の高さと水平になるように造った。

敷地内の活動部分は、この土手よりさらに低い傾斜地だが、そのうち畑などにする部分については、傾斜があると耕作しにくいので、盛り土を行い、水平にした。

傾斜地での小屋の基礎造り

小屋を建設するのは、傾斜地の最も低い部分である。カヤやクズが生えていたが、少し削ったら造成時の硬い砂土の基底が現れた。それは「斜面の最大傾斜線の方向に家の対角線が来る」という形のものだった。

小屋の基礎造りは難易度の高いものになった。考えていたよりも、この特殊な地形のため、はるかに手間取ることになった。

建築基準法では、床面は地上450ミリメートル以上確保することと定められている。湿度の高い日本で住宅の質を維持するための基本要件なのだろうが、ドイツのラウベの場合は、園地と床の高さが同じように見える。園地と室内の活動を一体にするには、この考え方の方が良いと思うのだが、日本では、それが許されない。

ぼやいていても仕方がないので、この与えられた地形条件で設計要件を充足する小屋の基礎造りに入った。

建物の位置を地面に引き、長い角材と水平器を用いて水準を採りながら高低差を測定したら、小屋の対角線位置での基底には約530ミリメートルもの高低差があった。

確認申請に必要な「断面図」には、建物の断面形状と同時に、道路、隣地までの敷地の高さの状況も記載しなければならない。

傾斜(場所別の高さ)を図面に描き、必要な床の地上からの高さを求め、さらに駐車面や畑面の高さなどとのバランスでグラウンドラインを決めなければならない。この検討は、敷地内で一番高い駐車面と床面を同一にするという基本方針に進めたのだが、一筋縄ではいかなかった。最終的に床面の高さを決定するまでには本当に逡巡しゅんじゅんした。

実際、この申請前に行った三次元のシミュレーションにはかなりの時間を使った。どのぐらいの床の高さなら快適に過ごせるのか、その高さの床の基礎は楽に作れるのか、その妥協となる解はなかなか定まらなかった。

基礎工事の開始

まだ雪の舞う寒さの中、傾斜に合わせて型枠を作り、その位置を細かく調整しなが設置・固定し、コンクリートを流し込んで固めて、基礎を作った。

水盛遣方みずもりやりかた」という手法で水平を出し、基準の水糸を張り、それにそろえて型枠を作り、設置・固定した。

若い頃にレンガの塀を作ったことはあったが、型枠から作るのは初めてだった。それとはまったく違う作業だった。セパレーターという板の間隔を決める便利な道具などもあったが、水漏れの少ない枠を作るのは土木工事と言うよりは木工作業だった。

最初は、傾斜面で正確に寸法を設定することも出来なかった。測るたびに長さが違う。角度も違う。工事途中で角度を確認したら直角も狂っていた。

 

そのためピッチは思ったより上らなかった。3月には目一杯の10日間を投入したが、逆T字型の「布基礎」を作るのが精一杯だった。しかも、コンクリートの養生中には凍結に見舞われるというハプニングもあった。

4月に入って、その基礎の上にブロック積みを開始した。積むのは簡単だったが、空隙部をコンクリートで埋めるのは、また一仕事だった。桜も咲き終わった4月の中旬になって、ようやく基礎が出来上がった。

「セルフ・ビルド」に関する手引き書を読んだところ、建物の基礎作りだけは専門家に任せることをリコメンドしているものが多かった理由もわかった。

空間に位置を決める作業であり、正確に寸法や水平を出すためには測定器がいるし、型枠の剛性を維持するノウハウも経験も必要とされる。さらに人手も欲しくなるし、生コンの手配などもタイムリーに行わなければならないだろう。

私の場合は、サイズが小さいし、ブロック併用の安直な構造としたので、コンクリートは人力でこね、その施工も一人でやった。

しかし、終わってから型枠作りの教科書を改めて読み直したら、水分調整の確認など不十分な点が多かった。凍結問題も、注意していたのだが、結局、凍結させてしまい、仕上がりは、いま一つのものになってしまった。

基礎ができ、ようやく水平面を確保できた安堵感はあったが、「これは思ったより大変だな。注意深く進めないと元も子もなくなるぞ」と改めて気持ちを引き締めたのだった。