時空の漂白 15 PDF (2005年6月10日)

広島便り4:小屋のデザイン         高橋 滋    

小屋の形がほぼ固まった頃、離れた所に住む子供に図面(立面図)を送ったところ、良いですね、すごく良いです、というポジティブな反応に加えて、「小さな小屋というと『ウォールデン』のイメージでしたが、あれより和風な感じで落ち着いていますね」とのコメントをメールでもらった。 

建物の評価はさてさておき、子供(といっても30歳をすぎているが)の便りからソローが出てきたのは意外だった。

ウォールデンとは、マサチューセッツ州コンコードにある池の名前で、若き日のヘンリー・D・ソローが小さな小屋を建てて、2年2ヶ月のあいだ自然の中で生活しながら、「森の生活」を書いたところである。

いまどきの若い世代は、何をきっかけに、ソローに接触するのだろうか?私が持っている「森の生活」は昭和47年発行の岩波文庫(初刷昭和26年)で、非常に読みにくいものである。これ以降、新しい版が出たのだろうか? それともどこかで紹介があったのだろうか?

そのような思いが浮遊するものの、森の中の生活、あるいは、小さな小屋の代表的な形として、ソローが共有できるのはうれしいことである。

コンコードの森林は公園として保存され、ソローの小屋も再現されている。オリジナルは斧一つで建てられたもので、クギやカスガイも貴重品であったころであるから、もう少し荒いものであったろう。

小屋の形はきわめてシンプルである。長方形の四面体に、切妻きりづま型の屋根を乗せる設計は、工作、利用の両面から最も合理的な形である。軒の出が少ないのは、材料の利用の面からは効率的である。

屋根の勾配を急にするのは、屋根裏を何らかの用途に用いるか、雪への対策のためである。ソローの小屋は地下に貯蔵庫があり、屋根裏は使っていないようだ。屋根が平板でいてあって、雪が滑りにくいのだろう。

この形状は、小さな建物を考えるときのスタンダードといえよう。

私が小屋の具体的な形の検討を始めたのは、2004年1月ごろだった。JW―CADというフリーウェアの二次元CADがあり、これで図面を書き始めた。

最初に描いたのは、やはり、もっとも単純な、切妻きりづまタイプであった。ただし、土地の制約から長手方向に山型の「妻」が来るデザインである。(妻とは、本来は正面に対する側面のことを言うが、山型の壁を妻小屋と呼んでいる)

この型は、キットのログハウスでも事例が多い。屋根の勾配をゆるくすると、どうしても物置かガレージ風になる「ソロータイプ」(短い辺に妻がくるタイプ)に比べれば、表情が出せるし、ウッドデッキなどの張り出しをつければ、前面が広く使える。さらに屋根の梁、とく頂上の棟木梁むなぎばりが短くてすみ、構造的にも有利な面がある。

あれこれと用途を思案しているうちに、単なる休憩・作業場所だけではなく、泊まることもあると想定すると、ロフトのようなものがあったら便利ではないかと思うに至った。

小屋の使い方として頭に描いていたのは、①「朝取りの野菜をサラダなどにし、パンを焼いて、ブランチを楽しんでいる」、②「間伐材でベンチやテーブルを作っている」といった様子だったが、それに③「ロフトに泊まっている」「ロフトの窓から森の生き物を眺めている、写真を撮っている」という様子を付け加えると夢がさらに大きく膨らんだ。

ロフト付が設計の条件となると、高さや構造面で考えることが増える。法律では、ロフトは床面積の3分の1以下、高さは1400ミリメートル以下となっている。2階建てというよりも、部分的に天井が低くなると考えた方が良い。

左右非対称の屋根形状を考えたこともあったが、屋根は対称でないと力のバランスが取れないようだ。非対称の構造は、工作も難しい。

半年ほど考えた挙句に次の形を考えた。構造はともかく、ロフトに関する法規制の要件は満たしている。しかし、小型のログハウスの展示場に何度か足を運んだ結果、家の高さの設定は、そう単純ではないことがわかった。床の広さとの関連が問題だった。

しかも、自分では、なかなかユニークで良いと悦にいっていたが、家の者は、形が何かおかしい―――屋根が折れているのは、おかしいという。

ある時、自分自身を、この図面の家の中において、周りを見回してみた。すべて図面を基にしての自分の頭の中での思考実験、バーチャル・リアリティ(仮想現実)である。すると、家の真ん中にあるロフトが目障りに感じられた。折れた天井も、重たい。そこで、この案は止まってしまった。

そのころ、「ヒアシンスハウス」という言葉を知った。それが、TVだったのか、インターネットだったのか、はっきりとしない。おそらくTVでちょっと紹介があり、それで直ぐにインターネットで確かめたのだと思う。

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立原道造は詩誌「四季」を舞台に活躍した詩人だが、建築の分野でも才能があった。将来を嘱望されながら、1939年に24歳の若さで逝くのだが、亡くなる数年前から自らの独居住宅を別所沼畔に建てようと何十通りもの試案を重ね,この建物を「風信子(ヒアシンス)ハウス」と名付けていた。

浦和駅から西へ20分ほど歩くと別所沼にたどり着く。現在はさいたま市が管理する公園の一部だが、当時は、葦がおい繁り、静寂をきわめた環境で、敬愛する詩人 神保光太郎を慕い、立原はここに居を構える決心をしたと伝えられている。

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そのヒアシンスハウスを数少ないスケッチをもとに実現しようという動きがあって、そのいきさつが、彼が残したスケッチとともにインターネット上でも紹介されていた。(JIA Bulletin 2003年12月号、三浦清史)。

スケッチの説明をよむと、かなり細長い「ワンルーム」の小住宅で、書き物をする机、本棚、ベッドが計画されていた。構造的にはコーナーの窓が柱より外に出ていたり、トイレの部分少し出っ張っていたり、建築家らしいこだわりがある。大きな特徴は片流れの屋根で、細長い室内にそって長手方向に流れる屋根はバランスを欠くようでもあるが、最も主張した点であるように思われた。

このスケッチの建物の建築を推進しているチームが、各部の寸法の推定などに加えて、屋根の梁の取り方などの技術的な構想も発表していた。

ヒアシンスハウスは屋根裏を使うようにはなっていないが、このヒアシンスハウスと同じように屋根を「片流れ」にし、ロフトを片側に寄せれば、室内の一体感も、ロフトの独立性も保たれる。そう気が付いて、自分の小屋も「片流れ」で考えてみることにした。

長辺の長さ、屋根勾配、ロフトの床高さ、ロフトの天井高さなど、変数が多い。いくつかのスタディを経て、まとまったのが上図である。梁や垂木の支え方は、まだ見えていなかったが、この形が、ほぼ最終形となった。

この形状が見えた頃、インターネット上で、建築家・吉村順三の「軽井沢の山荘」と呼ばれる作品を見つけた。

コンクリートの一階の上に木造の家を載せたこの建物は、自分の山荘として1962年に吉村順三が設計したものである。大きな山荘で、屋上にはデッキもあり、構造は複雑だが、屋根は単純な「片流れ」になっていて、それが、この家を特徴付けている。

この家に関しては文献がいくつかある。(たとえば、「小さな森の家-軽井沢山荘物語」、吉村順三、建築資料研究社、1996年。別冊新建築、1983年、など)

吉村順三は1908年の生まれで、戦前から活動していた建築家である。そして戦後、いわゆるモダニズムの先頭を走った一人だが、奇矯ききょうな形をもって良しとする考えには強く反発し、住んだり使ったりする人の気持ちを第一に考える立場を貫いた人物のようである。

これは私には、ごく当然のことのように思うのだが、実は、建物だけではなく、工業製品でも、設計者やデザイナーの自己主張というか思い込みが表に出すぎることが意外に多い。

直接の著作は少ない人だが、聞き書きをまとめた共著などもあり(吉村順三・住宅作法、吉村順三・中村好文、世界文化社、1991年)、建物を作るということはこういうことなのかと、改めて多くのことを教えられた。

吉村順三は、立原道造よりも4年ほど後輩になる。東京芸術大学卒業後、アントニン・レーモンドの設計事務所に勤め、一時期アメリカの設計事務所で仕事をしていた。そのころ、開拓期の住宅や建物を多く見て、そのシンプルさや構造に関心を持ったようだ。戦後初期の作品にコロニアル風の小屋もある。

吉村順三が、ヒアシンスハウスのことを知っていたかどうか定かではないが、どこかに共通なものがあるように、私には感じられる。

私の小屋は、「形」は立原道造のヒアシンスハウスに学び、「こころ」は吉村順三に学んだ―――こう言ったら専門家に笑われそうだが、自分ではそう思っている。先人の足跡を踏むような気持ちがある。

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ところで、冒頭に触れたソローが小屋を建て始めたのは1845年の春先3月末のことで、それから毎日のように作業を続け、建国記念日の7月4日に住み始めたという。

1845年というのは、私が生まれた年、1945年の、丁度、100年前である。それから60年が経ち、今年の米国の建国記念日は、ソローがウォールデンでの生活をスタートしてから160周年になる。そして私のプロジェクトは、現在、160年遅れで、そのソローに近いペースで進んでいる。そのことに気が付いてちょっと嬉しくなっている。

 

なお、冒頭の子供からのメールに、実現したヒアシンスハウスの写真がついていた。2004年の11月に完成したらしい。スケッチで受けた印象よりもよりもだいぶがっちりした造りで、詩人の意図とは少し離れている印象を受けるが、夢が実体となって、ファンには強い感銘を与えたことであろう。