時空の漂白 20 PDF (2005年10月7日)

広島便り7:道具の制作         高橋 滋 

 

梅雨つゆというのは6月頃、日本の周囲の高気圧が拮抗し、その前線が停滞するために降る長雨ながあめのことを言うのだが、今年の梅雨つゆは「降れば土砂降り」という変わったタイプだった。

前線の動きが活発で、一気に北上したり、南下したりした。前線が移動する真下の地域は記録的な集中豪雨となり、それ以外の地域は梅雨つゆの時期だというのに雨がまったく降らず快晴の日々が続き、水源が枯渇こかつするという気象だった。

広島は、6月はほとんど雨が降らなかった。6月だけでなく小屋の製作をはじめた3月から雨で土日の外仕事ができなかったのはたったの3日しかなかった。今年前半は、作業をするのには非常に天候に恵まれた。

雨に悩まされたのは7月に入ってからだった。7月2日に床の2回目の塗装を終えたが、その日は朝から強い雨だった。しかし、仕上げておかないと次へ進めないので、強い雨の中を無理して作業場に行った。

そして予定通りに床の2回目の塗装を終えて安堵あんどし、帰りには近くにある四方を山に囲まれた小瀬川畔の閑寂かんじゃくな「岩倉温泉」(廿日市市はつかいちし津田つた)に立ち寄り、一日の作業の汗を流し、くつろいで、これから先の工程に思いをめぐらせた。

すでに4月に購入した材料はほとんど使い切り、次の外壁工事の材料に何を使うか思案していたからだ。

外壁には木材を使うことは決めていた。境界線に近づけて建てる場合は、壁を準防火構造にする必要があり、部分的に鋼板を使うことも検討したが、境界線から3メートル離し、外壁に木材を使うことにした。

しかし、「外壁用」とうたう木材は建材屋には置かれておらず、カタログを見て取り寄せるしかなかった。しかも、取り寄せても建設地まで運んでもらう段取りが必要になる。ともかく厄介やっかいである。さらに、その板を縦に使うか、横に使うかも決めかねていた。

ところが、温泉に入っていたら、全体の姿が見えてきて、これで行こうと思いが定まった。心身ともにさっぱりして後半戦を迎えることになった。

窓工事

窓は自作することにした。アメリカには木造窓の専業者が数多くあり、様々なものが流通している。日本にも輸入され、大手サッシュメーカーの製品ラインナップに加わっているが、がっちりと大きく重く、手作りの小屋にはどうもしっくりしない。

ログハウス用の特殊な窓を作って国内メーカーもあるが、趣味の世界の商品のようで触手が伸びない。それで自分で作ろうと決めたのである。

ところで、外壁工事は、通常、構造材の上にアスファルトフェルトなどの防水紙を貼り、サッシや換気扇などを取り付け、本体との境目を防水テープで防水し、その後、サイディングという窯業系(セラミック)ないし金属製の外壁を取り付けるという手順で行われる。

余談だが、建材屋で、もうブリキ(錫メッキ鋼板)はありません、と笑われた。今使われているのは「ガルバリウム鋼板」というものである。アルミニウム・亜鉛合金をメッキした鋼板で、何と20年保証をうたっている。ブリキの数倍の耐久性があるという。すごい自信である。

最初は、まず入口や窓の外枠を作り、早めに外壁作業に入ることを予定していた。7月末まで外観を完成する。それから、ゆっくりと建具たてぐを考えて製作するという段取りにしていた。建具たてぐにはかなりの時間が掛かると想定したからだ。

しかし、本体枠組の建設途中で、窓は外枠と可動部分(障子しょうじ)が一体であり、外枠だけを先行して製作するのは難しいと気がついた。スライド式ならレール部分の加工がいるし、開き方式ならば、ヒンジの受け部分の削りこみなどをしておかなければならない。

そんなことが分かったもので、ロフトに上がる梯子はしごを作った後、改めて窓について検討することにした。

窓の開き方やロックの考え方を定め、市内で金具を探しては、現場で確認する。何度も市内と現場を往復し、ようやく金具を決め、窓の基本を決め、それを基に外枠をどうするかを決めることができた。

窓は、バスの窓のような押上げ型にし、窓外枠の下框したかまちを五度傾け、排水させる構造にした。

入口工事

入口も大きな仕事である。小屋の計画段階で、もっとも時間を使ったのは、入口構造の検討だったと思う。

開口部はできるだけ大きくし、フロア面が外へ向かって面一つらいちで広がる形式を構想した。ほこりの出る木工作業を外(ウッドデッキ)でやれるように、またウッドデッキでの食事などのアウトドア活動が室内にスムーズにつながるようにという考えからである。

以前、タキイの「園芸新知識」で紹介されていたL字型の小屋の平面形状も頭にあった。開口部を通して、内と外が一体につながるという考えである。

「フロア面にレールのような障害がない構造」をあれこれと考えて、結局「外付け・上吊うえつりタイプの引き戸」に行きついた。

外壁面にアルミニウムのレールを取り付け、引き戸をり下げる。「雨仕舞あまじまい」は不完全になるが、引き戸はスペースの活用という点で優れており、水はいずれにしても完全には防げないと覚悟して、この方式に決めた。「雨仕舞あまじまい」は入口につながるウッドデッキを工夫することによって障害を少なくすることにした。

幸い、インターネット上の検索で、「外付け・上吊うえつりタイプの引き戸」用の戸車とレールを見付けることができた。アトムリビングテックという会社の製品で、親切に相談に応じてくれ、部品図も手に入り、それを基に入口の設計を完了することができた。

やや細かい話だが、ウッドデッキから室内に入る床面を面一つらいちに平らに(掃き出し式に)するのは思いのほか面倒だった。入口の下枠したわくがりかまち」床面を一体で工作する必要がある。

そのため、まず「上がりかまち」の部分には「SPF」では頼りないので、ここは「レッドシーダー」(red cedar)とし、床張り前に本体枠組に組み込まなければならなかった。

外枠の加工・取り付け、入口のかまちの残り部分の加工を行い、必要な塗装も行い、その上で防水紙を貼って、見た目にも変化が出てきたのは、8月も中旬であった。

窓枠はシリコン・コーキングで本体と密着させ、その上にアスファルト防水紙を貼り、さらに枠との隙間すきまを防水テープで防御した。

しかし、こうした防水対策はまったくの我流であり、シリコン・コーキングと木材の相性は大丈夫なのか、それでどの程度まで防水できるのか、あるいは防水テープにどの程度の耐久性があるのかなど正直なところ自信がない。

建具の製作

そして、いよいよ建具の製作に入った。大物は「外付け・上吊うえつりタイプの引き戸」である。作業を始めたら、デザイン要素にも気を配らなくてはならず、本当に手間取った。

例えば、引き戸の窓(明り取り)の位置(高さ)にしても、図面は書いたのだが、実際に材料(戸枠の厚さと幅)、構造、ガラスのはめ方(納め方)を検討し、モデルを作り壁に立て掛け、その具合を眺めて最終的に固めたものは、当初の図面とはかなり違うものになってしまった。バランスというものは、どんなものでもなかなか難しいということを改めて思い知らされた。

ところで、改めて言う必要がないのだが、建具は家具の範疇はんちゅうに入る。そして家具の範疇になると、要求される工作精度はまったく違ってくる。

本体の枠組みでは0.5ミリの誤差が許容範囲である。それでも窓の外枠を製作した時には、小屋本体との隙間すきまが0.5ミリだと、水がみ込んできそうな感じを払拭できなかった。何とかして「ゼロスキ」(密着状態)にしたいという方向に気持ちに傾いた。

ところが、家具の場合、突合つきあわせのスキはなく、引き出しなどの最後の調整はカンナ一削り(20~30ミクロン)である。寸法やデザインに加えて、建具の製作には、こうした精度への引っ掛かりがあって時間を費やした。

出窓工事

さらに急遽、「出窓」に変更するという寄り道も加わった。「構造はできるだけ簡単に」が当初の基本方針だった。片流かたながれにしたのも「屋根の仕事が楽」というねらいがあったからだ。

ところが、途中で「出窓」に変更したくなった。床を張り終えて、一番大きな窓に手を置いて外を眺めた時、突然、「ここに出窓が欲しい」と思った。南向きで、冬は一等地になる場所だ。ここに温室のような窓があれば、冬も楽しめるはずだと思った。

しかし、「出窓」は「天窓」に負けず劣らず家を傷める。10年ほど住んだ住宅公団の中層住宅でも、「出窓」の痛みが問題になった。露結ろけつ半端はんぱではなく、接合部がくさった。

そんな問題があることは承知していたのが、それでも「出窓」がある家が、私の潜在的な願望であり、夢だったのだと思う。そして「問題が起きても、それも経験の一つ。後で出窓を付けるより、最初から付ける方が楽だろう」と割り切り、「出窓」にすることに踏み切ってしまった。

形が見えてくると、どうしても手直しをしたくなることが少なくない。私が長年、関わってきた自動車の世界もそうだった。

「出窓」を設けると決め、久しぶりにCADを使って部材設計を行った。設計し、必要なパーツに分解したら、何と、その部品点数は小屋本体の壁の一面に匹敵することがわかった。

小屋本体は、直線の加工で長さも同じ物が多いが、「出窓」は側面と屋根の両方に角度がついていて、加工も組み立ても本体の壁の一面よりも苦労したように思う。(ちなみに、椅子の足や土俵の柱が垂直ではなくて外側に開く場合を「四方転び」といって、断面の墨付け、加工は難しい仕事に属する。)

家は大きな家具

建築家の本を読んでいて、家は大きな家具であるという表現を何度か目にした。

ちなみに、すでに何度か触れている吉村順三氏が戦後日本で個人住宅の設計を始めた頃は、相応ふさわしい家具が見当たらず、結局、家具も自分自身で設計し、メーカーや職人に製作させたことがあったらしい。

家具への取り組みが深くなると、家と家具を切り離せなくなり、先に述べたような気持ちになるようだ。

建具たてぐを作っていると、時間を忘れてしまうことが度々だった。部材が多く加工も複雑で、集中力を失うとミスをする。勢い、時間を忘れるほど作業に集中してしまうのである。

作業場の気温は広島市内より2~3度低い上に、林間からの風がさわやかである。それでも32度を越えるとさすがに汗が噴き出してくる。

8月も雨はほとんど降らず、晴天続きの中、汗を噴き出しながら時間を忘れ、休む日もなく作業を行った。何か大きな家具を際限ない時間を掛けて作っているような気がしてきた。

そして気が付いたら夏が過ぎていた。セミの合唱がいつの間にか虫の声に変わっていた。

幸い、それまでは台風の洗礼を受けなかったが、9月に入ると本当に危なくなる。昨年、広島は5回も台風に襲われた。9月初めに西日本を直撃した台風18号では、広島市内で風速60メートルが記録された。

電気の引き込み工事の都合で8月末に外壁の一部に手をつけたが、台風が気になって、それよりも窓ガラスのはめ込みを先行させることにした。

9月4日に初めてガラスが入った。

その2日後、台風14号が山陰沖を通過した。風は弱かったが、短時間に350ミリもの雨が降った。

私が小屋を建てている廿日市市はつかいちし佐伯さいき地域では、川が氾濫はんらんし、6戸の家屋が流された。道路は何カ所も通行止めになった。

翌日、水浸しになった小屋を想像し、仕事を早めに終え、迂回うかいを通って様子を見に出かけた。幸運にも建設途中の小屋は無事だった。雨が吹き込んだ程度で、道具類もれていなかった。天窓の仮のおおいが飛ばされないで済んだのは幸いだった。