時空の漂白 24 PDF (2006年3月3日)

都心の移り住み 東京礫層          前田勲男

僕の「都心での移り住み」を左右しているものは、その地域に生活してきた人たちの長い歴史と、その地域の地学・地質学的な見方とが複雑に絡み合ったものだと思う。

それに違いないと、中沢新一著「アースダイバー(Earth Diver)」(講談社)を読んで感じた。そこで同氏がコンピュータに強い若い人に指示して作成した東京の地表の地質を「洪積層こうせきそう」と「沖積層ちゅうせきそう」とで色分けした地図の一部を紹介した。

「洪積層」が地表に現れている土地は、かつて富士山などが大噴火した際に、大量に降り注いで堆積した火山灰が今も地表をおおってる土地で、基本的には台地、高台である。一方、「沖積層」が地表に現れている土地は、長い年月に雨や河川などで浸食されて低地となり、そこに氷河期が終わって海面が上昇(海進)し、海水が侵入し、そこに河川などによって運ばれた土砂が堆積たいせき、つまり「沖積ちゅうせき」してできた陸地で、かつては海面下だったところである。

同書には、だいたい、こんな説明がされていたけれど、それ以上の詳しい説明はなかった。「アースダイバー」という書名にかかわらず、もう一歩突っ込んだ東京の地下の地盤に関する話はなかった。

中沢氏の「縄文地図」というのは、基本的には素人向けに地表の地質状況を分かりやすく示した二次元の地図である。中沢氏は、この二次元の「縄文地図」に、歴史という時間軸を加えることによって、東京を三次元的に眺め、新鮮な興奮を与えてくれた。

現状の地表だけではなく、地下の地質構造やその形成の歴史などについても併せて触れたらもっと面白いだろうと思った。

「沖積層」「洪積層」「東京礰層」

余談だが、学生時代には地学・地質学にとどまらずたくさんの専門書を持っていた。でも就職後、もう関係することはないと割り切り、飲み代に困っていたため神田の古本屋で売ってしまった。だいたい購入した時よりも高価に売り飛ばした。

2冊も売れば、当時もらっていた月給の半分ぐらいになることもあった。お陰で、心おきなく飲むことができた。でも気が付いたら本棚にあった専門書のたぐいはすべてなくなっていた。売れ残っていた本も何回かの引越の際に、置き場所がないもので、ほとんど廃棄した。

それでも本が好きで、ジャンルなど支離滅裂しりめつれつで、いつ読むか分からないままに衝動的に本を買い込むために、気が付いたら一部屋は本に占領される状況になっている。

読み終わると、大部分は処分しているのだけれど、それでも山になる。その本の山の中をあさったら、東京の地下の地質構造や形成の歴史に関する本も何冊か出てきた。

しかし、僕の意図にピッタリするものはすでに売り払ってしまったようで出てこなかった。それで手元にある資料とインターネット上で見付けた資料とから東京の都心部の地質構造を理解するために簡略化して下図を作成した。

「沖積層」、「洪積層」と、超高層ビルなどを建設する際に重要な意味を持つ「東京礫層」を含む「東京層群」の3 つにポイントを絞った。

ここでは富士山や箱根山などから噴出した火山灰が堆積した、いわゆる「関東ローム層」を「洪積層」とし、「東京層群」は、形成された地質時代は「更新世(洪積世>)」で「洪積層」に含まれるのだが、形成過程が「関東ローム層」とはまったく異なり、それを明確にするため、敢えて「洪積層」と分けた。

ちなみに中沢氏の「縄文地図」での「沖積層」と「洪積層」という区分は、基本的に上図で示されたものと同じである。

東京の地層の形成の歴史

東京の「洪積層」と呼ばれる地層は、約13万年前から約1万年前の間に、何度も噴火を繰り返した富士山や箱根山などの大量の火山灰が何層にも堆積している「関東ローム層」が基本になっている。

しかし、火山灰が一様の厚さで降り積もったはずはない。噴火口からの位置や風向きなどに左右されただろう。火山灰の粒径や成分なども噴火の状況によって左右されただろう。

雨が降り注ぎ、その水が火山灰の堆積した陸地を侵蝕しんしょくしながら、湖や池などを作り、あるいは河川となって土砂とともに海に流れ込む。再び火山が噴火して火山灰がまき散らされる。こんなことが繰り返され、陸地は起伏に富んだ姿となった。

さらに、この間に「間氷期」と「氷河期」もあり、そのため海水面は100メートル近くも変動し、低地には海水が侵入し、海水による侵蝕しんしょくも進み、東京の地形は、さらに起伏の多いものになった。

ところで、こうした一連の火山活動によって現在の東京の都心の陸地が形成される前、12~13万年前は、関東地方の大部分は広大な「古東京湾」の底にあったという。

大変化である。でも、それは10万年以上の時間の中で起こった出来事である。その時間尺度で考えれば、多分、たいした変化とは言えないのだろう。そのぐらい普通の人が抱く歴史のイメージと地学・地質学の歴史とには大きなギャップがある。

約2万年前「氷河期」となり、海面が現在よりも100メートルぐらいまで下がった。そこに富士山などの噴火の火山灰がさらに堆積し、その結果、現在の東京湾を形作っている起伏の土地が出来上がったという。

その谷底を利根川と多摩川が合流した「古東京川」が流れていたという。

その後、現在にまでつながる「後氷期」と呼ばれる時代に入り、海面は100メートルぐらい上昇(海進)した。それが始まったのは約1万年前だったという。それ以降が地質時代では「沖積世ちゅうせきせい」(完新世かんしんせい)と呼ばれている。

大量に堆積した火山灰が侵蝕され、複雑な起伏になっていた陸地は、低い部分から順次、海面下に没していった。しかし、すでに火山灰が大量に堆積していたため、12~13万年前と陸地の形はまったく違った。現在とも違った。東京湾は、現在よりはるかに大きかった。現在の埼玉県の春日部市、越谷市、草加市、川口市あたりまでが「奥東京湾」となり、台地などを除く東京の都心の大半が海面下にあったという。

なお、僕が今住んでいる所は、その時代から陸地だった「淀橋台」の一角、「牛込台地」という所である。

これが縄文前期、約6000年前の東京の姿で、東京の地質構造の基本になっている。この時代に海面下で、現在、陸地のところは、基本的には、その後、河川によって運ばれた土砂などの堆積(沖積ちゅうせき)によりできた土地である。

超高層ビルと東京礫層

「沖積層」と「洪積層」とで色分けした「縄文地図」を持って時空を超えた中沢新一氏の東京探訪は、こうした地学・地質学の研究成果が背景にあるため、興味深いだけでなく、説得的である。

「沖積層」の土地は、河川によって運ばれた土砂などが堆積した軟弱な低地で、杭を深く打ち込むなどの基礎工事を行わない限り、小規模な建物や2~3階建ての低層の建物しか建てられない。

しかし、水運が良いことなどから、大雨などによる浸水の被害などがよく起こるにもかかわらず、昔から人は住んでいた。

一方、「洪積層」の土地は堆積した火山灰が雨や河川や海水などによる侵蝕作用にもかかわらず生き残った台地である。特別な基礎工事を行わなくても10階建てくらいまでの中層の建物は建てられる地盤のしっかりした土地である。日当たりも良いし、大雨が降っても浸水の被害を受けることもない。それが侵蝕されてできた「谷間」などからは良質の水が湧き出てくる。

しかし、その台地の上で日常生活を楽しむためには、坂を上がり下がりして、モノなどを運ばなければならない。人力に頼らなければならなかった昔は、普通の人には不便でならなかったと思う。多分、そのためだろう。東京が、当時、世界有数の人口の大都市に発展したという江戸時代の状況を調べたら、東京の都心の「洪積層」の土地のほとんどは、譜代大名か旗本、あるいは寺社の敷地だった。

東京の都心部の「沖積層」と「洪積層」という地質の違いの土地については、だいたいそんな風に僕は理解していた。それで中沢新一著「アースダイバー」を人一倍、興味深く読んだ。

同時に、現在、東京の景観をもの凄い勢いで変えているのは、実は、この「沖積層」と「洪積層」という伝統的な地層ではなく、その下にある「東京層群」の一つ「東京礫層とうきょうれきそう」という地層であるという視点が欠けていることが気になった。

都心部に相次いで出現している超高層ビルは、地表が「沖積層」であれ「洪積層」であれ、いずれも、さらにその下にある「東京礫層とうきょうれきそう」にまで杭を打ち込み、それを基礎にしている。この「東京礫層とうきょうれきそう」がなかったら、都心に超高層ビルは建設できなかった建という。

その様子を模式化したのが前頁の図である。「沖積層」も「>積層」も、その厚さは都心部では、だいたい数メートルから数十メートルで、その下には粘土や砂やれきなどの層が積み重なる「東京層群」がある。その厚さは都心部で100メートル以上で、そのうち「東京礫層とうきょうれきそう」は約10メートルで、その「れき」の粒径は平均10センチ、大きいものは30センチぐらいだという。

この「東京層群」が形成され時期は、その位置関係から想定される通り、都心の「洪積層」の中心の「関東ローム層」が形成されたよりもはるかに前のことである。その以前に、60万年以上もの時間を掛けて形成されたものだと推定されている。

もう一度、最初に掲げた図を見て欲しい。年代は「対数目盛」になっているため、やや分かりにくいが、それを眺めてもらわないと、「東京層群」の形成プロセスが説明しにくい。

<>この図を見ると分かる通り、東京の都心の「洪積層」の基本になっている「関東ローム層」が形成される以前に、何10万年もの間に、何度もの「氷河期」と「間氷期」を経験し、その度に海面の高さは100メートル前後も変動し、陸地の侵蝕が繰り返された。

そして陸地が水などの作用によって侵蝕されて生じた土砂や砂礫されきなどが、その比重の違いなどによって分離し、層状に堆積した。そんなことが何回も繰り返されて「東京層群」は形成された。「東京礫層とうきょうれきそう」は、その中の一つで、「れき」が層状になって堆積している「地層」の名称である。