時空の漂白 25 PDF (2006年3月3日)

都心の移り住み 直下地震     前田勲男 

さる2月16日、東京都防災会議から「首都直下地震による東京の被害想定」という報告書が発表され、その内容が各紙でも紹介された。

「阪神淡路大震災」並のM7.3の「東京湾北部地震」が起こった場合は、23区のうち足立、江東など河川が運んできた土砂が堆積した地盤の弱い土地の東部を中心に約5割の地域が震度6強の揺れを記録する。10万棟以上の家屋などが全壊、40万棟近くが半壊。火災で約30万棟が焼失。死亡者数は約5000人に達すると想定される。

3割強の世帯が断水し、約2割の世帯が停電し、ガス供給も止まる。公共交通機関の停止などにより外出中の3割以上、300万人以上が帰宅困難になる。1万台近いエレベーターが停まり、人が閉じこめられる。 

こんなことが各紙で報道された。テレビのニュースでも報道された。

しかし、注目されたのは一時いっときのことだった。毎日、毎日、これでもかこれでもかと興味をそそるだけが目的のように味噌も糞も一緒に流される情報の洪水に埋没してしまった。

このニュースを聞いて、僕は直ちに東京都のホームページにアクセスした。最近は情報公開が進んでおり、報告書全文が掲載されているに違いないと思った。しかし、まだホームページは更新されておらず、報告書は見当たらなかった。

お台場海浜公園

つい先日、3月5日の日曜日、レインボーブリッジを渡って、東京の人気スポットになっている「お台場海浜公園」に初めて行った。

朝起きたら数日ぶりに晴れ上がり暖かい。外出して、体調を崩して溜めてしまった雑件を新宿の伊勢丹などに朝一番で出掛けて一気に片付けた。その後、まったくの突然の思い付きで、「お台場海浜公園」に車を走らせた。変わったところで昼飯を楽しみたくなったからだ。      ――――――

2月中旬、イタリア、ミラノ郊外のホテルで開催される2日間の会議に出席するため、3泊4日(機中一泊)の強行軍で行った。もともと寒いのは苦手の上に、トリノの冬期オリンピックとぶつかり混雑していそうで、行くのは憂鬱ゆううつだった。でも、大切な本業なので逃げられない。それで渋々ながら行った。

戻って数日後、カンボジアのシェムリアップに2泊3日(機中一泊)の強行軍で、上智大学アジア人材養成研究センターに新システム導入のためのインフラの実態調査と改善計画のとりまとめのために出かけた。

これは仕事ではない。ボランティアである。しかし、大学の予算の関係上、改善計画をまとめ、その承認を得て必要な機材の調達を年度内にやらなければならず、時間的な余裕がないという事情を聞かされると、頼みを断ることはできなかった。それで協力を快諾してくれた電源メーカーの専門家と2人で出掛けた。

ミラノでの会議は出席して本当に有意義であったし、上智大学アジア人材養成研究センターのインフラ改善計画もまとめ上げることができ、それで新システム導入が具体的に動き出したのも良かったのだけれど、その後、僕の身体が突然変調をきたした。夜10時頃、どうも変なので体温計で測ったら、40度近い高熱だった。

取りあえず手元にあった薬を服用し、翌朝、主治医のいる東京女子医大に行った。歩いて1分も掛からないところに居続けている意味がこういう時には本領を発揮する。

いろいろ検査したけれど、インフルエンザでも鳥インフルエンザでもカンボジアなどの風土病でもなかった。結局、原因不明。多分、疲労蓄積だろうということだった。念のためにということで薬を処方してもらった。

高熱でも食欲は衰えなかったし、薬を服用し、熱も下がったのだが、身体のしんが変な気分はなかなか消えなかった。ようやく、それが少し晴れ、溜まった雑件を片付ける気持ちになった時のことだった。

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「お台場海浜公園」の中心部の駐車場は長い待ち行列であり、臨時駐車場の標識が目に入ったので迷わずに向かった。お目当ての場所からかなり離れた場所だったが、いており、直ちに車を駐車させることができた。

天気が良く、臨時駐車場が離れていることなど苦にならなかった。浜辺を歩いてレストランなどがある人気スポットに向かった。

何もかもが新鮮な驚きだった。レインボーブリッジ開通は1993年夏で、それからすでに10年以上たっている。計算してみたら、すでに何百回も車で渡ったことになる。

しかし、肝心のお台場に降りたのは「東京ビッグサイト」で開催される各種の展示会の時だけだった。合計して10回ぐらいで、しかも、その時は、いつも会場に直行し、そして直帰するだけだった。車で橋の上から眺める見慣れた風景と、下での眺めとはまったく違っていた。

砂浜は清掃が行き届き、綺麗だ。ヘッドフォンで音楽を聴きながらジョギングする人、アサリを採っている親子、ウィンドサーフィンを楽しむ人。林立するマンションのベランダには、布団ふとんなどが干されている。

人工的な街。オフィスだけの街。そんなイメージしか持っていなかっただけに、驚きの連続だった。

お目当てのレストランなどがあるショッピングビルに着いて、また驚かされた。この頁の一番上の写真の中央、木立の上に見える中層の横長の建物である。

各階とも海側は幅広いウッドデッキである。親子連れで、カップルで、1人で、あるいは犬を連れて散策しており、大変な賑わいだった。

サンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフ(漁師波止場:Fisherman's Wharf)の一画にある、再開発で観光スポットになったピア39(Pier 39:第39桟橋さんばし)を思い起こさせる雰囲気だった。

首都直下地震

日溜まりの椅子に陣取り、リラックスして軽食をとりながら、久しぶりに目の前を往来する人たちのヒューマン・ウォッチングを楽しんだ。

その時、突然、ここは「13号埋立地」だということを思い出した。

いまは港区台場という住所だけれど、もともとは「13号埋立地」と呼ばれていたところだ。「13号埋立地」という名前の代わりに、港区台場、品川区東八潮、江東区青海などの名称が使われている事実に気が付いた。

そして、もう10年以上も前になるが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で、神戸市が「ナウさ」と「眺望」を売り物にしていた人工島の「神戸ポートアイランド」全体が液状化現象で水浸しになったことを思い出した。

数10メートル地下の地盤まで基礎を打ち込んで建設された高層ビルは、倒壊こそ免れたものの、大きな段差が地表との間に生じ、上下水道やガスや電力などのインフラがやられて、使えなくなってしまった。この人工島と陸とを結ぶ命綱の「神戸大橋」の橋脚もずれ、そこにあった水道管も陥落し、「孤島」になってしまった。

「神戸ポートアイランド」が完成してから間もない頃、仕事の関係で、自慢のモノレールにも乗り、そこに建設された最新のホテルにも宿泊しただけに、そんな影像を見て、衝撃を受けたことを思い出した。

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その衝撃の影像が、目の前の平和でのどかな光景に重なった。そうしたら、気分がすっかり醒めてしまった。早く、はるかに安全なところにある自分のマンションに戻りたくなった。いつ「首都直下地震」は起きてもおかしくない、10年以内に「首都直下地震」が起こる確立は9割ぐらいというのが専門家の一致した見解だと、いつも思っているからだ。

「君子はあやうきに近寄ちかよらず」という。君子(学識・人格ともに優れ、徳行とっこうの備わった人)は、身をつつしみ、危険なことは初めからける―――たしか、そんな意味だった思う。孔子(紀元前551年~479年)が紀元前700年頃から500年頃までの200年以上の時代をまとめた中国の史記「春秋しゅんじゅう」に出てくる一文である。

君子とはほど遠い存在だし、しかも危険をおかすことなどいとわないけれど、その前の「身をつつしみ」という言葉には反論はできない。君子でなくても、ともかく無意味な危険はけた方が良いという気分に襲われた。

ちょうど満席になって空席待ちの人の行列ができ始めたので、支払いを済ませ、レストランを後にした。

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自宅に戻り、一息ついたところで、再び東京都のホームページにアクセスしたら、今度は「東京直下地震による東京の被害想定」という報告書を見ることができた。

細かい議論をするまでもなく、結論は一目瞭然であった。

やっぱり「沖積世」の地層と「埋立地」は、地盤が揺れやすく、液状化の発生しやすい所だった。

 

M7.3の「東京湾北部地震」によるライフラインの被害想定の結果も、これとリンクしていた。

ガスは、葛飾区、江戸川区、墨田区、江東区、中央区、台東区、それと大田区では4割以上が供給停止となる。上水道も、足立区、葛飾区、江戸川区、江東区、墨田区、台東区、荒川区、中央区、それと大田区では4割以上が断水するという。

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東京湾岸沿いの地域には、相次いで超高層ビルが出現している。かつて「10号埋立地」と呼ばれたところは江東区有明となり、「13号埋立地」は江東区青海、港区台場、品川区東八潮となり、「臨海副都心」として開発が進められている。それだけではない。江東区豊洲とよす東雲しののめ、中央区晴海・月島、港区東新橋(汐留)・芝浦・港南(JR品川駅海側)、品川区東品川(天王洲ザイル)などにも次々とハイテクを駆使した瀟洒な高層ビルが出現している。

これらの地域は、造成時期は違っているが、すべて「埋立地」である。いくら超高層ビルの基盤が地下の深い安定した「東京礫層」にまで打ち込まれており、安全だと言われても、大地震が起これば、周囲の土地は液状化する。

そうなればインフラは間違いなく大きな被害を受け、超高層ビルのハイテク機能も停止するだろう。東京では「洪積世」の地層の上に住まなければ駄目だと、一連の資料に目を通して再確認した。