時空の漂白 26 PDF (2007年9月27日)
広島便り(あれから2年) 高橋 滋
週末のガーデニングや木工作業の拠点として、広島市郊外に小さな小屋を建てて2年が経過した。建設と平行しながら小屋作りの記録を「時空の漂白」に連載した。
約100坪の土地の3分の1を園地にあてて花と野菜を育て、平坦なところは、間伐材などを運び込んで、木工ができるようにした。
小屋は5m×3.2m程度で、片流れの高い部分はロフト(屋根裏部屋)になっている。
本体が一応完成した2005年10月中旬の「広島便り:その9」が連載の最終回だったけれど、この後も建具の追加やキッチン台、トイレ棟(物置小屋)、ウッドデッキ、外構(排水路、石積み)など仕事が絶えることがなかった。
今年3月に外から引き込んでいた水の受け口に「フネ」を設置して洗い場が完成し、ようやく一連の作業が終了した。
それから半年、彼岸が過ぎて周辺の稲の刈り入れもピッチが上がり、暑かった夏の気配も消えつつある。
9月は非常に暑かった。ナスやトマトなどの夏野菜が見事に育ってこれまでにない収穫となった。ニンジンやダイコンなどの秋野菜も、あっという間に大きくなった。レタスや小松菜、ハクサイ、ホウレンソウなどの間引き菜もあって、とても自分たちだけでは食べきれない。
昨年11月、西北の一番低い部分に残っていた「ノリ面」を取り払い、素人細工ながら石を積んで平面を作り、木を植えられるようにした。敷地全体は「畑」として位置付け、木は植えないことにしていたけれど、やはりちょっとした花木や果樹が欲しくなった。
結局、植木市や通販で、10種類ほどの木を買ってしまった。
写真に見える家型の壁面部分には、耐火煉瓦で石窯を造り、それを収める計画だった。外側に石窯の躯体がはみ出て、それに屋根がつく。操作は家の中から行い、ピザを焼いたり、暖炉代わりにするというアイディアだった。
過去形で記すのは、この年の冬に薪ストーブを試行してみて、「思うのとやるとは大違い」ということを認識させられ、現時点では石窯を造る予定がないからである。
薪ストーブは、時計式と呼ばれる安直なものを持っていた。薄い鉄板製で昔の掛け時計のような形で2室あり、メイン部には多重の円形のカバーがあって、いろいろなサイズの鍋がのるようになっている。北欧から輸入した鋳鉄の本格派とは2桁の価格差があるが、保温性もよく、なかなかの優れものである。煙突は、別のところで炭焼きをしたときの残り物である。
薪ストーブの暖かさは、他にはないもので、煙や煤も良いと思えば、良い。しかし、外で作業し、中に入ってちょっと暖が欲しい時の石油ストーブの即暖性には到底かなわない。狭い室内に薪を置くのもうっとうしい。
今年の春先に、「まだ室内で火を扱うのは早いようだ」(そこまでライフスタイルが煮詰まっていない)と言い聞かせて、煙突を撤去してしまった。
初夏になればカッコウやホトトギスが季節を告げ、秋口にはツピーツピーと、シジュウカラやヤマガラ、エナガが群れをなしてやってくる。キーッキーッとモズがまわりを威嚇する。キジも来る。
そのような小動物を観察する夢を持っていたが、これもまだ実現していない。夏のヒマワリの種を残し、冬に呼び寄せる準備をしているのだが、肝心のえさ台ができていない。
色鮮やかに咲いたサルビヤやロベリアの色を残そうと、ミョウバン等の媒染剤を求めて布地を染めてみたり、ベニバナの種を蒔いて育ててみたりしたが、これもまだ本格的には取り組めていない。機織の道具も持ち込んだが、まったく未着手である。
つまりは、正直に言えば、かなりのところまでインフラの整備はできたが、当初目指していたスローライフの境地にはまだ至っていない、ということである。
それでも、広島市内ではあまり耳にしないヒグラシゼミの声を聞いたり、熱気の中に涼やかな森の空気の流れを感じたりするときに、自然と一体になるなつかしい生活感覚を思い起こす。下草を整理した林地にササユリやコアジサイが咲くのを見て、自然の力に驚嘆する。
ごくたまの、カントリークッキングは至上の悦楽である。取り立ての野菜にちょっと手を加えた簡単クッキングも時々楽しむ。
竹筒で水羊羹を作ってお茶をたてる風流もしてみた。
ご近所は、仕事をやめて終の棲家を建てられた方と、定年後の生活を楽しむために小さな別荘を建てた方である。片方は木工、もうお一人は絵と、時間を過ごす術をすでに獲得されている。もう一軒、セルフビルドのログハウス風山小屋を建てた方もおられ、小さなコミュニティができている。
ホタルを追ったり、月見の準備で七草を集めたり、雪の中で静かな時間をすごしたり―その程度の時間は持てるようになってきた。
来年の春から仕事を完全にやめて、ひとつは森林ボランティア・里山整備の仕事を軸として時間をすごし、片方でこの小屋での自然との生活を充実させようと思う。
前の会社を退職後職業訓練校で学んだ家具作りの腕はすっかりとなまってしまったが、今年の春に子供に頼まれて久しぶりに大物に取り組んでみて、質のよいものを作ることの喜びを改めて感じた。
木工の機械が借りられるものならば、椅子や小さな机を作ってみたい。40年前に広島に来たときは単身だった。今年の冬に2人目の孫が生まれて、その時点で私の姓を持つものがちょうど10人になる。
「十人十脚」という言葉が頭に浮かんだ。ひとりひとりに椅子を作ってあげようと思う。フルサイズが邪魔ならばミニチュアの花台のようなものでもいい。3年ぐらいかければ、できるのではないか。そんな想像をしている。
3年も経てば、老化が進んで、物の見方も変わってくるだろう。それまで、スローに、スモールにすごしてみよう。
追記
小さな小屋ではあるが、セルフビルドの家作りとしてプロセスを踏んだ。建設の結果について簡単にまとめておきたい。
2005年の3月から11月まで、佐伯に103回出かけている。半日しか作業をしていない時もあるので、仕事量としては95人日になる。手伝いが5日ほどあったので、ちょうど100人日になろうか。
その後は、ウッドデッキ2日(材料加工済み)、トイレ3日(廃材利用)、石組み5日、フネ3日といった工数であろうか。
2005年の必要経費は、材木32.7万円、基礎4万円、金物3.8万円、釘・刃物・接着剤など3.4万円、塗装3.3万円、設備(電気工事)2.4万円、ガラス2.3万円、その他8.2万円、計67.8万円である。
この機会に購入した電動工具(約25万円)、プロパンのボンベ(1.3万円)、ガソリン代などをカウントすれば、100万円程度になろう。
手間賃は別にして、土地と合わせて200万円という数字は、「老後のプレイグラウンド」という構想(コンセプト)にはマッチしているといえる。代替コースと考えられる「スポーツクラブの年会費」の累積にほぼ匹敵する。
田舎暮らしを志向して今まで住んでいた家を売ったり、1000千万円単位の資金を投入したりする例を見るが、このような生活は長くても20年である。10年で終わるかもしれない。「本当の老後」の段階では、便利で暖かい都会に住むに越したことはない。子供たちも楽はしていない、あまり贅沢はできない。このあたりのバランス感から出た200万円の投資である。いかがだろうか。
当初の想定外だったのが、税金である。土地の固定資産税が、購入費の四倍の評価額を前提に計算されていることは、第一報に記した。
固定資産の評価額と課税の元値(課税標準額)が乖離していることは知られているが、平成九年度から、評価額と課税の標準額を年々近づけることがなされていることを知る人は少ないのではないか。
すなわち、土地の評価が年々下がってゆく中で、税額が減らないように、地域間の格差がないように(土地の評価が低い田舎からもお金が取れるように!)、標準額への落としこみ係数が年々調整されているのである。事実私のところで、平成18年度地価は3.5%下がっているものの、課税標準額、つまり税額は、前年より10.2%上がった。
税率の1.4%という数字は、預金金利が5%も6%もある時代は小さいものであったが、ゼロ金利下では、大きな負担感がある。まして、実額が毎年大きくアップしてゆくのは不安である。地方のひとつの現実感だ。
住宅の固定資産税評価は幾らになるのであろうか。二〇〇六年の一月に市役所から「調査したい」と連絡があった。部署は、建築関係ではなく、税務であった。
建築基準法では、建築工事届に対応して、完了検査申請書を出すことになっている。前年の12月15日を完成予定日とはしたが、まだ建具や石窯の部分など、出来上がっていない。したがって完了検査の申請書は出していない。
税務では、1月1日付けの様子で実質的に完成していれば課税する。完了検査申請書とは別の情報から探し出すようである。
このときの調査では、「住宅」と認定されるかが、私にとってひとつのポイントだった。住宅用地については、土地の課税標準額を6分の1の減免する特例がある。ただし、200平米までの用地面積で、床面積の10倍までが算定の基準である。
元が16平米の小屋だから計算しても小さいものだが、できれば住宅としての認定にしておきたい。土地分は年々上がるのだから、せめて埋め合わせをしておきたい。
「そもそも自分で木材を加工して変形させたものでしかない。すでに材料費などには物品税を払っている。この上、何を根拠に金をとるのであるか」という疑問がある。調査の技官にその疑問をぶつけたとしても、法律がそのようになっている、としか答えられないだろう。
せめて住宅としての評価はできないか、と折衝した。常用性や、トイレ、設備などの形式要件から決まるようだ。トイレがまだできていないので、判定が難しい。結局このときは「まだ完成していない」ということとして、課税の開始を保留してもらった。
ただし、家屋内の調査はしてもらい、課税の基本(計算の根拠となる仕様の把握)は決まったのだと思う。
今年の四月に住宅の固定資産の価格の連絡があった。50.7万円である。高いか安いかわからない。税金は年額7100円である。
その後に、土地の新しい評価と税金の納付書が来た。前記の増額がある上に、家を建てたことに減額はなされていない。市役所に出かけてかけあってみた。いくつかの問答があったが上司の方が出てきて、主張を認めてもらった。土地の税金は住宅分ほど減額された。
八月になり、不動産取得税の通知が来た。評価の基準価格が70.7万円になっている。住宅への切り替えで評価が変わったのだろうか。税金2万千円。家人は「今頃通知が来るのは、住宅に変更したからではないか」という。
一方の減税を、一方の増税で取り戻されてしまったようだ。まるでイソップ物語のような税金劇だ。
事実は、固定資産税は19年度、不動産取得税は取得した時点、つまり18年度の税金である。この時点では、市の算定は出ていない。県は、市の計算を基に、「前年度に引き戻して決めた」ということのようである。
おかしなことだが、「そのようになっている」としか言いようがない。また家は1年で20%減価する計算のようだ。これも別の視点からは納得のいかないことである。