時空の漂白 29 PDF (2010年7月31日)
広島便り(あれから5年) 高橋 滋
五年前に、老後のプレイグラウンドと称して、小さな小屋を自作した(そのときの記録を、「時空の漂泊」に載せていただいた)。
目的の一つは、アウトドア活動(生活)の拠点にするということだった。ガーデニング、自然観察、アウトドアクッキング、森林整備など、若いころから(あるいは子供のころから)やってきたことは、この年になっても継続するようだ。
ほとんど毎週出かけて庭の手入れなどをし、隔週には近くに新しくできた文化センターで本を借り、道の途中の湧き水(「つゆ太郎」)で「名水」を汲んでくる。
単純なパターンではあるが、生活にリズムを与えてくれる。
佐伯の園地はもともとヨーロッパの週末農園(クラインガルテン)に範をとったものであり、ガーデニングについては次のような思いを持っていた。
私が目指すガーデンライフは、それ程、大それたものではなかった。憧れはイングリッシュ・ガーデンだが、切花にできる季節の花をたくさん育てられれば、それで良い。それに、ほどほどの広さの「作って楽しむ」畑で、夏野菜、豆類、秋の葉物、それにネギやシソなど香辛野菜を少し収穫することが出来れば十分だと思っている。
この希望は充分にかなえられている。プツンプツンと花を摘んで、コップにさす。それだけで、気持ちがゆったりとしてくる。
季節の野菜も、多くはないが収穫できる。
カモミールティーの材料はいやというほど収穫できるが、最近になってまわりにたくさん生えている野草が、結構な健康茶の材料であることを知った。スギナ、ヨモギ、クマザサ、カラスノエンドウ、カキドオシなどを若いうちにとって干す。それに、シソやドクダミを加えれば、立派なお茶である。
今年の5月はじめ、やや寒さの続いた前月とうって変わってよい天気となった。
庭を観察していると、シロチョウ類があれこれとやってくる。かねてからツマキチョウという小型のシロチョウの写真を撮ってみたいと思っていたのだが、この日、さっとやってきて、撮影することもできた。羽のへりが少しピンク色になったモンキチョウもやってきた。サカハチチョウもきた。
いちどきにこれだけ見られるのも珍しいので、以前花の写真などを投稿していた「里山を歩こう」という週刊のメルマガに送って、載せてもらった。
それ以降、毎週注意し見ている。時には自分でもびっくりするような写真が撮れる。カラスアゲハの写真も撮れた。
周辺の樹木も毎年変化があり、そういう自然観察は、この小屋での楽しみである。
もう一つの狙いは木工であった。
森林ボランティアの仲間を呼んで、フェアに出す木工品などを作ってみたこともある。しかし、何度か作業してみると、ゴミや埃がひどくて、中でくつろぐこととの両立はむずかしいことがわかった。片道25キロ強(35〜40分)という距離も、毎日通うには負担が大きい。
木工に関しては、別の場所を探すことになった。
2008年3月に6年続けた中小企業支援の業務を辞めた。1968年に就職してから40年間、何とか勤めを果たしてきたわけだ。
2001年に早期退職した際、今後の生き方として家具製作に従事するという思いがあり、広島県福山市にある職業訓練校で六ヶ月の訓練を受けた。6ヶ月の訓練終了後、工場・機械を借りて実作を始めたが、その年齢からの自立は難しく、中小企業支援のマネージャー業務に誘われ、乗ってしまった。
2008年、再度場所をもとめて、工場の探索を行った。中小企業支援の最中に、広島市の中で、家具を作っているところを何箇所か訪問していた。幸いなことに、自宅から比較的近いところにあるミヤカグさんと、話がまとまった。
工場は内部の機械はすでに縮小していて、以前持っていたNC加工機などはない。横切り、昇降盤、プレーナー(直角出し)、自動カンナ(厚みだし)、バンドソー、ベルト研磨機など、基本的な機械が残してあり、若い職人さんが注文家具(別注と呼んでいる)に対応している。
私は、工場の一隅に場所を借り、自前の道具や材料を置いて、「通勤」して作業を行っている。
私にとって、家具の製作は、どうも「仕事」のような気がする。
プロの職場を使う。外部から人が来るが、従業員と見られれば、ゆるいことはできない。「趣味で木工をやっている」というのは抵抗感がある表現である。
現在のライフスタイルを説明するのに、家具製作に「業」という言葉を使ったこともある。「ぎょう」でもあり「ごう」でもある。気持ちを緩めて何かを楽しむのではなく、なにかを追及し、達成してゆく業務、仕事。
知り合いに現状を説明して、「楽しくはないんだよね」といって、絶句されたこともある。難しいものに挑んでうまくできた時の喜びや達成感はあるが、「楽しい」という実感は少ない。
その点からも(私にとっての)「仕事」に似ている。
作品群の一つは、間伐材を用いた小家具である。
間伐材の活用は、森林ボランティアの仕事とも関連して、ひとつの焦点にしていたものであった。
間伐のために山で切ったスギやヒノキは、多くは「切り捨て」といって、放置して腐るのを待つ。取り出すのが大変で、出したとしても、利用が難しいからである。
スギ・ヒノキを用いた小家具は、軽くて、タッチが暖かく、傷がつきやすい欠点を覚悟すれば、なかなかいいものができる。
ただ、作る手間は本格派の家具と変わらず、森林まつりのイベントなどで販売しても値段はとれずないので、チャリティのつもりでなければ、大量には出来ないことである。
私が「本格派」と呼ぶのは、タモ、ナラ、チェリー、メープルなどの広葉樹で作ったテーブル、小物入れ、椅子などの製作をさす。
福山の職業訓練校で、私と同じ時期に1年間のコース(30歳未満が応募可能)を取った若い人が2人自立している。
そのうちの1人が工房を開いている。「石井康彦、雑木」で検索するとホームページが出てくる。
デパートでの展示会などに食い込んで顧客を開拓し、そのつながりで、注文をとってゆく、という地道な活動を継続して、何年かたってようやく食べられるようになる、という世界である。
このような世界の真似事をしていることになる。
TRUCK FURNITUREという会社が大阪にある。
広葉樹を用いた国産家具、それも個人経営ではなく、やや規模の大きい会社。むずかしい路線だが、若い人に人気があり、実績を上げているようだ。
3番目の子供が結婚した時、ここでダイニングテーブルと椅子2脚を購入した。
長男の時は、私が作ったのだが、このときは、場所がなかった。
2009年、覚悟を固めて、追加の椅子を作った。
TRUCKのオリジナルとならべて違和感が出ないように、サイズや造型を検討した。特徴を出すために、座面は独自のものとした。
アームつきを2脚試作し、希望に沿った仕様で2脚つくり、送った。
「十人十脚」の基本を果たして、達成感はあった。
「本格派」は、材料が高価であり、神経を使う。長い時間使うものだから、という使命感もある。たくさんは作れない。この椅子以外、まともなものは、5点程度である。
「おじいさんが孫に手作りのおもちゃを作る」にも挑戦した。ここでもヒノキ材のよさを再認識した。
無論、「十人十脚」のひとつは作った。家具製作を再開して最初の取り組みであった。
勢い込んで再スタートした家具作りだが、このまま継続するには課題がある。
最大の課題は、安全である。
実は、この4年で2回、回転するノコギリに指先を引っ掛けている。
瞬間のことである。
あっというまもなく、指が刃物にかかった。幸い大きな後遺症は残っていないが、思い起こすのも恐ろしいことである。計算などのミスもふえてきた。長くは続けられない、と考え込む。
2005年の記録を見ると、建設中は、金土日と続けて作業することがほとんどだった。最近は、アウトドアの重作業(森林整備や畑起こしなど)をフルに2日続けることは難しくなってきている。
現在、家具の製作には週3日を使っているが、スタートした2008年時点では夕方5時ごろまではもったのに、最近は3時を過ぎるとエネルギーが切れてしまう。この点からも、無理はできない。
9月。毎年この月が近づくと、戦争関連のニュースが途切れることなくメディアに浮上してくる。記事やニュースを通して、あの戦争が終わって何年たったのかを再認識する。
戦前に生まれた人たちは、時間の経過を振り返る契機になるのではなかろうか。かく言う私も戦前生まれだが、戦前といっても終戦1週間前に生まれたものである。「あれから○○年」が、そのまま自分の年齢と重なる。
65歳の誕生日を迎えたということは、高齢者になったことを意味する。周辺を見ても、60で普通の定年になった後、子会社や、関連の法人や別の大学などに移って活躍を続けていた人が、いよいよ年貢をおさめる時期に入ってきている。
ある意味では、少し前の「60歳、還暦」という節目に近いものがあるのではないかと思われる。5年前には赤いチャンチャンコがおかしく感じられても、ここへきて、頭とからだの加齢が進行して、「チャンチャンコの時間ですよ」と声をかけられても抵抗できないようになってきているような気がしてならない。
実質的なシニアライフに入って10年目になる。健康余命という言葉がある。平均寿命までまだ14年ほどあるが、健康で過ごせる期間(健康余命)のはそのうちの半分のようだ。
平均的に推移すると、もはや、もう一つの10年はない段階に入っている。
「どう過ごすのか」、他の同年齢の人と同じように、また考える時期に来ているようだ。
(追補) 里山を歩こう
梅雨明け後快晴・酷暑が続く。しし、立秋まであと1週、オミナエシ、キキョウなどが咲きそろいブラックベリーも熟す。(7月30日、廿日市市津田)
暑さのせいか、昆虫の動きはにぶい。キュウリの葉にタマムシ(ウバタマムシ?)がやってきてしばらく休み、そのあとおなじところに待望のゼフィルスがきた。ここで観察を始めて8年目になるが、見たのは2回目、撮影は始めて。数秒で飛んでいってしまった。オオミドリシジミ(メス)と思う。