時空の漂白 3 PDF (2004年10月8日)
会議は踊るウィーン 吉田嘉太郎
9月26日から一週間、ISO(国際標準化機構)会議に出席するためにウィーンに滞在した。私はウィーンが好きで、何回も出かけている。大体、秋が多く、今回も同様に秋になってしまった。
ウィーンの町は二面を見せる。神聖ローマ帝国の盟主としてのハプスブルグ家の歴史を彷彿させる古き良き時代の顔と、核査察の実施機関として脚光を浴びているIAEA(国際原子力機関)を含む「国連都市」に代表される今日的な顔とである。
今回のISO会議は、陶磁器で有名なアウガルテンに近い、また映画「第三の男」で有名なプラターの大観覧車にも近い、オーストリア規格協会のビルで開催された。会議は朝から夕方までびっしりと、しかも四日間続いた。映画「会議は踊る」を思い出さずにはいられなかった。
ナポレオン戦争の戦後処理をめぐるウィーン会議は1814年秋から始まって翌年の夏まで続いた。時の宰相メッテルニヒは頻繁に舞踏会を開催しながら各国の利害を粘り強く調整してまとめた。それが映画「会議は踊る」の舞台だった。
ニューヨーク、ジュネーブと並んでウィーンには多くの国際機関が立地している。国連ウィーン本部、UNIDO(国連工業開発機構)、それとIAEAの国連機関のほか、軍事物資・軍事技術の移転などに関するワッセナー条約の本部もある。OPEC(石油産出国機構)の本部もある。
このうち国連機関は、滞在先のホテルからほどない所を流れるドナウ川本流の反対側にある「国連都市」にある。オーストリアが永世中立を志向して作り上げた新しい町、近代的なビルがウィーンの田園地帯に忽然と姿を現す。
ここが、核兵器開発を中止させ、この地球を核戦争による破滅から救うためのメッセージをはじめ様々な情報の発信基地になっている。世の中、グローバル化したと言うけれど、この田舎から、重要な情報が世界中に発信されていると思うと感慨深い。「会議は踊る」の舞台だったウィーンは、まさに時空を超えて同じような役割を担っているように思えてならない。
それは地政学(ジオポリテック)上の問題なのかもしれない。オーストリアをはじめ近隣の国を訪れる機会が多いけれど、その都度、国境について考えさせられる。
このあたりの国は日本と違い、またアメリカとも違い、国境は簡単な河川か道路である。それで区切られているだけで、国境線を超えるは極めて容易である。EU発足以前でも、通関手続きは厳しくはなかった。ドイツのミュンヘンから汽車でオーストリアのザルツブルグに入った時の通関手続きと言えば、駅舎の出口での拍子抜けするくらい簡単なチェックだけだったことを記憶している。
機上から眺めると、国家間で紛争が起きたとしても、人も物も情報もいとも簡単に越境して往来できることが、さらに明瞭に分かる。このような環境から、国家間の紛争は、武力ではなく、話し合いで解決しなければならないことを昔から身にしみて学んだのだろう。踊る会議はやはり必要なのである。もちろん、ある時期はそうではなかったが。
広い海の国境で四方を囲まれ、外国の進入に対しても神風で防護されてきた国は、なかなか会議は上手にならないだろう。つくづく相手を思いやる心を持つことが必要だと思う。そして現在の日本は、かつての日本とはかなり異なっていると信じたい。
ところで、ウィーンの「国連都市」だが、近代的な建造物とは言っても、周囲の雰囲気に溶け込もうとしている努力が随所に窺われる。その写真を撮ろうと出かけたが、体よく門前払いされてしまった。団体で約一時間の見学コースによる入館は許されるが、たった一人の写真撮影のための入場は受け付けないという。そのため、かなり離れた、しかも地下鉄の線路越しという写真しか撮れなかった。自由な国だが、国連となると、この時勢、たった一人でも誰か分からない入場者は許されないのだろう。
厳しいのは「国連都市」だけで、やはりウィーンは素晴らしいと気に入っている。ホテルからさほど遠くないプラターはウィーンの田舎町のようなところである。そこをそぞろ歩きするだけでも楽しい。ハプスブルグ家の猟場だったアウガルテンや有名な磁器工房もある。今回は、朝から夕方までびっしりと会議で、その隙に大観覧車垣間見ただけだった。
ウィーンの市街も悪くはない。前々から古いウィーンの雰囲気を残したところと言えば、シュピッテルベルグ小路だと探訪を勧められていたものが、今回、ようやっと実現した。
かつてこの小路には娼館と居酒屋(バイスル)が軒を連ね、夜の町を賑やかにしていたという。そう言われて見ると、立ち並ぶ昔の面影を残した瀟洒な居酒屋に挟まれた薄いクリームの壁の建物には、当時、そこから女性が外を眺めていたような小さな窓がたくさん付いていた。
ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ二世(1741〜1790)が、娼館を出てきた後、居酒屋に入ろうとしたところ、不潔だからと追い出されたという。昔からの居酒屋のある小路には、こんな話が今も語り継がれている。
ウィーンは有形無形の歴史遺産と、グローバル化した現代とが同居しながら進化している都市である。あちらこちらで行われている建築工事を見ても、前衛的な建築物が造られる一方で、昔の煉瓦や石造りの建物の改修が進められている。散策して楽しい町である。新しい古い町である。まさに時空をさまようことの出来る楽しい都市である。
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こんなことを思い出しながら、少しでも役に立てればと、ウィーンでの会議の結果を整理し、提出する報告書を書いている。
数年前、ウィーンのクリスマス市のはしごをやったけれど、今年は家族と大晦日のジルベスター・コンサートをウィーンで聴くことにしている。すでに席も買ってある。その折りに、夜、シュピッテルベルグ小路の居酒屋(バイスル)に入ろうと思っている。まだ昼間、見ただけだからである。
(千葉大学名誉教授)