時空の漂白 39  PDF (2010年12月17日) 

現代版 幸福考「人生 みんな一軍」 原 恭三 

先日、30年ぶりに同窓会を開いた話を友人から聞いた。クラスの大半が集まり大成功だったが、「人生は長くないことを幹事役として実感させられた」と友人は述懐した。

同窓会の連絡を行った時から波乱含みだった。白血病で余命3ヶ月と言われたことを寂しく話してくれたA氏。俺の人生はあの学校で間違ってしまった、今後、一切連絡するなと電話を切ったB氏。電話で一時間も話し込んでしまったC氏など出足からいろいろあった。

同窓会の当日も大変だった。退学させられ、やむなく別の高校を卒業したものの、今は大手電機メーカーの部長に大抜擢され、「誰も恨んでいない、今あるのは退学のお陰」と挨拶するD氏。そのD氏がいたことを知らず大学院終了後、その電機メーカーに入社、現在課長になっているE氏。大学教授となり、相変わらずの評論家発言を繰り返してブーイングの的になったF氏など賑やかさや驚きなどの連続だったという。

私の友人は、司法試験の体力作りで太極拳を始めたのだが、今では関東に約一万名の門下生を抱え、新宿に本部を置く太極拳の道場主となっている。 

高校卒業から30年。既に全員が否応なしに人生の第四コーナーに入り始めていた。第一コーナー、第二コーナー、第三コーナー、それぞれいろいろあって、そしていよいよ最後の第四コーナーである。これを曲がり終えると、残るは短い直線コースだけである。

しかし、人生には一番も二番も、一軍も二軍もない。「人生、みんな一軍」-------- それを人から聞くのではなく、自分が実感するようになっている。

日本経済新聞に「私の履歴書」という欄があるが、それを執筆する人はいわゆる成功を遂げたというごく限られた人であって、大半のサラリーマンには、そこに執筆することなど夢の話である。

しかし、定年60歳で会社を去ったサラリーマンでも、第二の人生で予想もしていなかった活動・活躍をする人たちが少なくない。

定年退職後の第二の人生は時間にすると、10〜20年間だろう。しかし、すべての時間をサラリーマン時代の「自由時間」と位置付け、趣味に生き甲斐を見い出したり、地域のボテンティア活動に専念したりすると、実質的にはサラリーマン時代の少なくとも倍の20〜40年に相当することになるのではないだろうか。

引き続いて仕事をするにしても、それまでの経験を上手く生かし、単純に年数では比較できない、いろいろな活動・活躍が出来るのではないだろうか。

事実、とても元気で第二の人生を送っている知人がいる。住友系シンクタンクを最後にサラリーマン生活を辞め、今年一月、なんとハイテクベンチャーと中小企業を育成するミニシンクタンクを設立したのだ。

この人生の大先輩に、どうして、そんなベンチャー精神が培われたのかと聞いたところ、次のような返事が返ってきた。

今思うと、小学校(当時は国民学校)一年生の時に終戦を迎え、自分の学校がGHQの実験校として週五日制となり、毎土曜日は自由研究で何をしても良いという自主性を尊重する教育を受けたことが大きかったのではないだろうかと言う。

そしてサラリーマンが元気でいられる素は、「個」の創出と「やりがい」の創出の二つであると言い切る。

しかし、日本の風土は組織内での「個」の自己主張には冷やかで、場合によっては「村八分」にされることもある。「個」の自己主張のためには、それが人を惹き付け、共感を呼ぶ意義のある「異質」なものを持つことが重要である。例えば、専門性とか特技とか新しい視点など価値・知識・情報を持つことが重要であると言う。

そのためには「異質」な世界と積極的に交流することだ。「異質」な世界に触れて初めて、自分の「個」を発見することができるからだ。こうした行動の原動力・エンジンは、未知の世界への興味と憧れ、新しいものに挑戦する喜び、それと「やりがい」であると言う。

そして「やりがい」は個人々が決めるもので、共通解はない。自分で見つけなければならないところに少し難しさがある。「やりがい」がないと、なかなか達成感や満足感は得られない。「やりがい」を見つける一番の近道は「夢」ではないだろうか。「夢」をもたない青年は老人と同じであると言う。大先輩に、いろいろ聞かされてしまった。 「まだまだ年金生活で隠居するのは早い。皆、それぞれが夢を持ち、世代を超えて、「個」と「やりがい」を持って人生を楽しみましょう!」 そうエールを送るので精一杯であった。

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 しかし、現実はもっと厳しいのではないかと思った。調査によれば、図にある通り、「心の豊かさを実現するために大事なこと」は、60歳代では「健康」(約80%)と「経済的な豊かさ」(約70%)が大前提であって、「趣味の充実」(約15%)とか「人と社会への貢献」(約5%)は、それに代替できるようなものではない。大きな宿題を抱え込んでしまったようだが、寿命は有限、人生は無限である。