時空の漂白 46 PDF (2011年1月25日)
広島便り
2010里山を歩こう(12) 身近な自然観察
恐羅漢山 2010年11月3日(水)
恐羅漢山は広島県で一番高い山で、西中国山地の盟主である。島根県と接し、その島根県側の台所原というところには、ブナ(橅)の原生林があり、巨木が残っている。
ここはもう里山ではない。「奥山」である。出かけてみた。山が深く渓谷も多いので、川と紅葉のバランスがきれいである。
恐羅漢山の山裾はスキーになっている。「芸北」が開く前は、スキーの「メッカ」だった。それでかつては性能の低いクルマでよく出かけたものだった。
頂上付近のブナ(橅)は老化が進んでいて痛ましいが、中腹以下には壮年のものも多く、見事な景観である。
自宅からそう遠くないところに、こういうブナ(橅)林が残っているのは、非常に恵まれたことである。
カエデ(楓)類も栄養を充分取って、きちんと色を出していた。
朝方は零下になる冷え込みだったが、日差しが暖かくなってチョウも出てきた。色が濃いので、ヒオドシチョウ(緋縅蝶)かな、と思ったが、キタテハ(黄立羽)と考えた方がいいかもしれない。
聖湖側から、大型バスも入れそうな良い道が整備されたが、三段峡側からの、内黒峠経由の山道も残っている。今走ると、勾配のきつい大変な道だが、道沿いの景色はなかなか良い。
イノシシ(猪)
二〇一〇年十一月五日(金)
今年は、ドングリ類が少ないせいか、佐伯・湯来でもクマの話が多い。佐伯の園地にイノシシ(猪)が出た(ジャガイモを荒らされた)。これまで、鳥やサルらしきものによる狼藉はあったが、地面を掘られたのは初めてだ。
季節が進んで、ストーブの欲しい、晩秋模様である。
黄色いタテハチョウ(立羽蝶)が来た。シータテハ[vi]かな、と思って調べたが、キタテハ(黄立羽)である。一年を通すと、ヒョウモンチョウ[vii](豹紋蝶)類より、タテハ類が多い。ヒョウモンはやはり高原性のチョウかもしれない(少し走ったところ
にある標高八百メートルの冠高原には、ヒョウモンチョウ類が多く見られる)。
丸公園 二〇一〇年十一月六日(土)
自宅の目の前の公園の樹木は、年間を通して目を楽しませてくれる(丸い形状は、昔の船着場の名残である。奥には雁木[viii]がそのまま残されている)。紅葉が目立つのは右側の神社(住吉神社)のそばの桜で黄色くなるのはユリノキ[ix](百合の木)。
イロハモミジ(いろは楓)[x]
二〇一〇年十一月八日(月)
隣地のカエデ(イロハモミジ)の紅葉が今年は非常に綺麗である(ここまで赤い色は初めて)。周囲の松が枯れて日当たりがよくなった。芽生えているドングリは少ないが、カエデの種子は良く芽生えている。川の傍で湿度が合っているのだろう。
コノマチョウ(木間蝶)[xi]
二〇一〇年十一月九日(火)
ほとんど目にしないチョウである(クロコノマチョウ:黒木間蝶[xii])。佐伯の園地では以前も見かけた。
中締めに際して
「広島たより」は、呉市在住の神垣さんが発行している週刊メルマガ「里山を歩こう」[xiii]に投稿した写真と文章をベースに、まとめ直したものである(といっても実際に投稿したのは、このうちの五分の一程度だろう)。
週刊メルマガ「里山を歩こう」には以前からかなり載せて頂いたが、二〇一〇年にはかなり集中して投稿した。
整理したら実に多くの生き物が身の回りにいることに改めて気が付いた。特にチョウは種類が多い。
林の中は荒れており、田んぼや田んぼの周辺は農薬のため昆虫が少なくなっている。広島市佐伯区の園地のような「林縁」…… 森林の草地や裸地に接する部分。微気候条件の変化があり、林内と異なる多様な動植物が見られる。昔は薪木や山菜などを採取する里山として生活のサイクルに組み込まれていた生物圏 …… を頼りに生息しているのだろう。
ちなみに、昭和四十年ごろの自然ガイドを見ると、廿日市津田にはギフチョウ[xiv](岐阜蝶)がいた。ギフチョウは里山、林縁の代表的な生き物である。人が草を刈り、小さな木を切り、コナラ[xv](小楢)などの薪炭樹を適切に管理することで生き延びてきたチョウである。
チョウ(蝶)は咀嚼する口がなく、特殊なエサ(餌)しかとれない。雨の日は飛べない。成チョウは、配偶者探しで飛び回る、と聞いたことがある。チョウはエサ(餌)を探し、配偶者を探し、止まることがない。
今年は集団で現れることがなかったが、昨年はヒヨドリバナ[xvi](鵯花)やフジバカマ[xvii](藤袴)を目指して多数のアサギマダラ[xviii](浅葱斑)が佐伯の園地にも来た。日本列島を南北に移動することが知られており、そのルートに当たるのだろう。何百メートルかの上空から白い花を目指してひらひらと舞い降りてくる姿を想像すると、強い自然のパワーを感じる。
今年八月に多数現れたモンキアゲハ[xix](紋黄揚羽)も、普段はあまり目にしないチョウである。四十年前には、南方系のチョウとして知られ、広島でも希だった。暖かい海岸線のどこかで育っているうちに、だんだんと生息範囲を広げてきたのだろう。
ここで撮影したチョウの多くは何日も続けて来訪することは少ない。一年のある時期にちょっと現れて、いなくなってしまう。ベニシジミ[xx](紅小灰蝶)、モンシロチョウ(紋白蝶)などでも、いつもいる訳ではない。
また、野の花、樹木の花なども、盛りは二、三日であり、見逃していることも多い。今年、結構新しい「発見」があり、それなりの写真が残ったのは、「何かあるかもしれない」と思って観察の機会を増やし、また「投稿できるかもしれないな」と思って、撮影の枚数を増やしたりしたためだろう。
マルタン二号さん(神垣さん)に感謝する次第である。