時空の漂白 47 PDF (2011年2月2日)
海の物とも山の物よもつかぬ(1) 熱気球 西村一彦
2010年1月23日 渡良瀬遊水池 ゲストフライト
私は熱気球飛行を趣味として長年楽しんでいる。この日も通常と同様の飛行をしていた。この日がやや特別なのは、同乗者に前田勲男さんを迎えていたことだ。前田さんとのお付き合いは20年になるが、気球に搭乗してもらうこれが初めてだった。最初にお会いした時から前田さんは楽しみにしていたが、まずは20年越しの約束が果たせて、私は肩の荷を一つ下ろすことができた。
熱気球は不思議な乗り物である。私がこれに乗るようになって32年間が経過した。飛行回数は570回に達するが、同じフライトは一つとしてなく毎回新しい発見がある。この度は、この熱気球の魅力を頑張ってお伝えしようと思う。
世の中に空を飛ぶための道具はいろいろあるが、熱気球は航空機の区分でいうとLTA(Lighter Than Air)軽航空機に分類にされる。これは空気よりも軽い物体を溜め込むことにより浮力を得て空中に浮かぶ乗り物である。
熱気球と同様の乗り物にガス気球というものもある。浮力をどの気体によって得るのかが熱気球とガス気球の大きな違いである。暖められた空気はその周りの空気より軽くなるので、それを使うのが熱気球である。ガス気球は空気より軽い水素ガスやヘリウムガスによって浮力を得ている。
人の乗る気球と言うと、ほとんどの人々はガス気球を連想するようである。多分、映画や物語に登場してくる気球はだいたいガス気球だからだろう。そのためか、よく人から「砂袋は積まないのですか?」と聞かれる。「ハイ、熱気球は砂袋を使わないのです。」と答えるのだが、どうも納得できず不思議に思われるようだ。
従って、そもそもなぜ砂袋なのか、というところから話を始めよう。
図は現代の熱気球の構造を示したものである。気球は浮力を溜め込む「球皮」(エンベロープ)という部分と、人が搭乗する「バスケット」から成る。球皮の大きさが浮力に比例するので、大きな気球はたくさんの人や荷物を積むことができる。浮力は種々の条件で大きく変わるが、大まかに言って1立方メートル当たり0.25キログラム である。
私たちは趣味として楽しむだけなので3人程度が乗れる熱気球を所有している。小さいほうが保管や取り回しが楽だからだ。それでも3人乗りで高さは約20メートル、幅は15メートルくらい、「球皮」の体積は2000立方メートルくらいになる。通常の5階建てのビルくらいの高さにもなる。
それに対してガス気球の大きさは、ガスの浮力が熱空気より大きいので、熱気球の3分の1くらいですむ。
「球皮」の材質には、軽く・強く・安く・気密性・耐候性・耐温性・断熱性のあるものが必要で、通常はナイロンかテトロンにコーティングを施したものが使われる。
「バスケット」は搭乗する人に加えて空気を暖めるための燃料と、それを燃やすバーナを積んでいる。
燃料は、安価で熱量があり、ススが少なく、有毒性が小さく、入手しやすく、保管しやすく、扱いやすく、着火性のよく、燃焼調整がしやすいものがよい。通常はプロパンガスをボンベに詰めて使っている。通常の熱気球には20キログラムガスボンベが四本くらい積まれていて、浮いていられるのは大体2.5時間だ。
「バスケット」そのものは籐を編んで作られている。見た目が気球に合って優雅であるだけでなく、その軽さのわりにしなやかで強靭な材質が、搭乗員を着地の衝撃から守ってくれる。
気球の操縦
熱気球の浮力はプロパンガスを燃やせば得られるが、コントロールという意味からは、単に浮力をつけるだけではいけない。必要に応じて浮力を減らすことができることが大事だ。これにより熱気球を望みの高さに留まらせることができる。プロパンガスを燃やさなければ熱空気は徐々に冷やされ浮力は失われるが、急速に浮力を減らしたければ、リップラインという紐を引く。これで気球の上部の蓋が少し開き、熱空気が逃げるので、迅速に気球は降下し始める。
熱気球の操縦とは、つまり時々バーナでプロパンガスを燃焼させ、まれにリップラインを引いて蓋を開くことだけである。世の中の乗り物でこれほど単純な操縦装置はそうあるまい。もちろんこの操作の良し悪しで結果はずいぶんと異なってくるのだが ………… 。
ガス気球での浮力の調整は、ガスを抜く・減らすことと砂袋から砂を捨てることで行う。浮力の主体であるガスを「球皮」から抜く・減らすと、浮力は減り、気球は降下する。そこでバスケットに積んである砂袋から砂を少し捨てると気球はその分軽くなり、浮き上がってくる。気球を軽くするためだから捨てるものは別に砂でなくとも良い。いざとなれば、カバンとか服とかカメラなどまでも投げ捨てる。しかし、下にいる人などに対してできるだけ危険でないものが良く、そのため通常は砂が投下用として積まれるのである。砂がなくなれば、それ以上は浮力調整ができなくなるため、その時点でガス気球のフライトは終了となる。
私はガス気球に搭乗した経験はないが、聞いた話によると、搭乗者はまず機長により、いざというときに投下するために搭乗者の持ち物に優先順位をつけさせられるという。もちろん最後に落とすのは命だ。
さて気球は浮力以外の動力というものを持っていない。プロペラのようなものを持つものは「飛行船」と呼ばれる。だから浮き上がってしまった後は、どこに行くかは風しだいである。
この「風まかせ」が気球の最大の魅力というと大抵の人はびっくりするであろう。どこに行くか分からないものを「乗り物」と言えるのだろうか、と。たしかにこれは「輸送機器」ではない。輸送するには出発点と到着点が決定していなければならないからだ。
気球は、出発点はともかく、到着希望点があったとしても、そこに確実に行けるものではないのだ。
世の中にはいろいろな「狂気じみた」活動はあるが、気球活動も間違いなくその一つだろう。「風まかせ」なものに自分の命を預ける人々。そして気球が人類にとって最初の空への扉を開いたものであり、世の人は気球に乗る人々のことを「エアロノート」Aeronaut と言うようになった。
1783年11月21日
パリ・ブローニュの森
人類初飛行
その日、パリの街は興奮した群集でいっぱいだった。この日、モンゴルフィエ兄弟の作った大きな紙袋は人を乗せたまま空へ舞い上がった。その紙袋に乗っていたのはピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵である。
他にも伝承の類はあるが、きっちりとした記録が残っているという点において、この日は「人類が初めて大空を飛んだ日」とされている。ライト兄弟による飛行に先立つこと120年である。この紙袋は下から火を燃やすことで得られる浮力をためて浮かぶ、「熱気球」というタイプの気球である。
その10日後、こんどはジャック・シャルルが同じパリにて水素ガスを使う気球で有人飛行に成功する。これは「ガス気球」と呼ばれるタイプの気球である。ジャック・シャルルは「シャルルの法則」で有名であり、彼は後に科学アカデミー会員となる。
熱気球の発想は古来からあったようだが、これを大型化すれば人間も乗れるのではと考えたのはフランスのアノネイに住む製紙業者のモンゴルフィエ兄弟だった。彼らは家業の紙をうまく使う術を知っていたので、軽くて丈夫で大きな袋を作ることができた。一方シャルルは物理学者であり、水素を大量に発生させてこれを気密性のある袋に溜められれば空に浮くことができると考えた。
フランス革命は1789年。彼らの「熱気球かガス気球か」の人類一番乗りを目指す競争が行われた1783年は、その6年前で、すでにパリの街は不穏な雰囲気が漂っていたのではないだろうか ………… 。
6月5日 モンゴルフィエ兄弟がアノネイ近郊にて熱気球の無人飛行実験成功。気球は直径が約10メートル。「球皮」はリンネルに紙の裏張りをしたもの。
8月27日 シャルルがロベール兄弟の絹地にゴム膜を施す技術を導入。また自身で鉄くずに希硫酸をかけて大量に水素を発生させる装置を開発。パリにてガス気球の無人飛行実験成功。
9月19日 モンゴルフィエ兄弟がパリのルイ16世の御前にて動物を乗せた熱気球を飛行させる。着陸した動物たちが無事なのが確認され、実験は成功する。
------------------------
ルイ16世はこの成功にいたく満足したが、モンゴルフィエ兄弟が有人飛行の計画を王に述べると、王は「まずは罪人をのせて試験するよう」発言した。この発言に異を唱えたのが若き貴族ピラトール・ド・ロジェであった。彼はこの人類初の栄誉をはたして罪人に与えてもよいのかと考え、希望者がいなければ自分がそれを引き受けると伝えた。こうして王の許しを得た後、彼は気球に搭乗する。
11月21日の初飛行は大成功だった。気球は25分の飛行で8キロメートルを飛び、おそらく最高高度900メートルに達したのだった。
そして、その10日後の12月1日にシャルル自身がガス気球での飛行に成功した。気球は約3000メートルの高度に達した。
この成功を受けヨーロッパではにわかに気球熱が高まり、数多くの気球乗りが誕生した。単なる同乗者ではない、操縦を行う女性もすぐに出現した。それは1789年のことであった。フランス革命が起こった年である。
地上でフランス革命が起こっていても上空を悠然と飛ぶ気球、その伝統は「ゴードンベネットカップレース」として今に伝わっている。