時空の漂白 48  PDF (2011年2月8日)  

広島・里山便り(1)           高橋 滋

 

今年の1月は、志和の山で山林の整備をすることが多かった。志和の山というのは、昨年12月から今年にかけて掲載された「里山を歩こう」の第1回(「時空の漂泊」第31号)で梅を見に行った場所である。昨年4月の見頃のミツバツツジも紹介した。

志和(東広島市志和町)は「中国準平原」--- 準平原 長い侵食作用で出来た、ほとんど平らな地形 --- の中の小さな盆地である。規模は小さいが、昔からそれなりの安定した生産力があったのだろう、田の区分に奈良時代の条里制のなごりが残っている。四周が山で警護がし易いと見られたのだろう。幕末には広島藩(芸州藩)の藩庁の別館(いざという時の隠れ場所)や練兵場が計画された所である(工事に着手したが完成する前に維新を迎えた)。

私の山は盆地の南部の縁にある。水田が細い谷地を這い上がるように段々と奥に詰め上がり、尽きるところの周囲の林地の一部である。数軒の農家が傾斜地をひらいて戸を構えている。

中国自動車道の志和インターチェンジから一般道を東へ1キロほど走り、その農家へのアクセス道(1台ぎりぎり通れる道、それでも市道)を100メートルほど行ったところである。地の利は良いが、自分の敷地まで自動車で行けないで、利用面では不便である(建築を建てられない、重い物の持込が難しいなど)。

25年ほど前に別荘地を探していてなかなか良い物件がなく、「別荘で何がしたいの」と改めて自問して、「木が切りたいのなら、山を買ったら」と考えなおして購入したものである。当時(50年代半ば)はまだ林業(樹木の価値)に夢があったのだろう、どこで聞いても「1反100万円が相場」と言われた。

広島地方裁判所での競売入札額、2反半(2500平米)で144万円が高かったのか安かったのか、今もって分からない。なお、固定資産の評価額は当時4万6000円であった。税金はずっと課かっていない。

南東に15~20度傾斜した約50メートル×50メートルの斜面で、広めの尾根とカール状のへこみ地がある。へこみ地の下部の傾斜がゆるいのでここを平らにして活動の場とし、尾根に当たる部分を切りひらいて梅などの果樹を植える所とした。(上写真)

尾根部分に植えた梅はほぼ毎年収穫できるが、へこみ地に植えたヤマザクラ(山桜)などは日当たりが悪く育っていない。概して果樹の成績は良くない。

そもそも山林を個人で持てるのか?と疑問に思うかも知れないが、実は農地と違ってまったく制約がない。利用に関しても、広い範囲を造成したり、土砂を採取したりすることには様々な規制があるが、小さな改変は自由である。勿論、周辺の人たちが不安に思うようなことはしてはならないが……。

今年で25シーズン目に入る。山の作業は冬が中心であり、購入した時、1987年1月を起点として、25回目の作業となる。今までの中で一番、作業が集中している。

山林の整備とは何か

森林は大きく人工林と天然林とに分けられる。広島県は土地の条件があまり良くないこともあって、森林の比率は72%と比較的高いものの、その3分の2は天然林である。

天然林と言っても、「太古から手付かず」という原生林は日本にはほとんどないと言われている。「原生状態の樹林」と言うのは、自然公園のような形で、あるいは神社の社有林として維持されてきたものである。杉やひのきが生えていないのは天然林である、という言い方ができなくもない。

江戸時代まで、有用樹の生える山林は個人で持つものではなかった。農業地の近くにある雑山は、集落の共有地として一定のルールで、落ち葉を肥料にしたり、枝や小樹をき物にしたりしていた。

このような農用林が狭義の「里山」である。しかし、明治以降、山は荒れた。特に第二次世界大戦後、燃料としても建築資材としても大規模に伐採されため、一気に荒廃が進んだ。

中国地方の瀬戸内側の一帯の地盤は主として花崗岩で、土壌も貧弱である。放置すれば、気候条件などから最後は常緑性の広葉樹(照葉樹、カシとかシイなど)に遷移するらしいが、その途中では太陽の日差しが強くてもせ地で育つ赤松が主になり、松と共生できるコナラ(小楢)やクヌギ(橡)などが従になる段階があるという。

その段階にあるが私の山である。すなわち、中心は赤松。高木としてコナラ(小楢)、アベマキ(棈)、エゾエノキ(蝦夷榎)、タカノツメ(鷹の爪)など、中間に、ネズ(杜松)、ソヨゴ、アセビ(馬酔木)などの常緑樹、ガマズミ、ネジキなどの落葉樹があり、そして背の低いヒサカキやツゲ(柘植)が地面を覆う。ミツバツツジがじっと隠れていて、光がさすようになると勢いを増す。

この25年間、一番の仕事は「枯れマツを切る(切り倒し処理する)」ということだった。隣の家が近いので、風などで倒れて被害を与えるとまずいので、これだけは、徹底してやった。昨年ほどから面倒になってきて、「もうやめようか」と手を抜いたのだが、放置すると、徐々に枝が落ちて、立ち腐れ状態になり、見苦しいし、危ない。

昨年の夏ごろから県北の山でもナラ(楢)類を攻撃するカシノナガキクイムシが顕著に増えてきた。大きく育った木がやられているらしい。「コナラも放置するとそれなりのしっぺ返しが来る」と知った。

今までコナラ(小楢)などの落葉樹はあまり切らなかったが、25前の10歳の幼樹も今では直径3倍、高さ2倍にまで成長している。体積は20倍近くになったということで、枝と葉が作る樹冠じゅかんは巨大になり、夏は地面に陽が当たらず暗くなる。

「少し力を入れて中木を切り、大きな木が除けるように隙間を作ろう」というのが今年の方針である。隙間がないと木が倒せない。足元が広くなれば、手が入り難かった奥にある枯れ松も除きやすくなる。

このまま放置すると荒れる一方で、ナラ(楢)類も虫にやられるだろう。ここで一つ大きく攪乱したら自然がどう動いてゆくのか見てやろう。そう言った気持ちであると言ってもいい。

今年(このシーズン)、この作業がどこまでできるか、まだ見えない。大きい松は直径が45センチほどあり、相当気力を充実させて立ち向かわないと負けてしまう。最後の勝負となるのだろうが、野遊びを楽しむつもりで、無理をせずやっている。

コナラ(小楢)やアベマキ(棈)を切ろうと思ったことには、「コナラを使った家具製作」を断念したことも影響しているかもしれない。

家具や床板の材料で「オーク」と呼んでいる樹は、ミズナラ(水楢)のことである。日本英語ではオーク=カシ(樫と刷り込まれているが、誤訳である。カシはブナ(撫)科コナラ(小楢)属の総称である。やや高地・北方に育つミズナラは良材・優秀材であるが、コナラは乾燥が難しく、変形も大きいので利用が進んでいない。

2001年に「森林ボランティア」と木工をはじめた時、一つ目標にしたのが間伐材の利用であり、その中にコナラ・クヌギ(橡)の活用もあった。人口林の整備の際に大きなナラ類の樹を処理することがあり、それを利用しようと思ったのである。

確保した材料を何年か乾燥させて、スツールのようなものを作った。これは非常に重たい。また製材して、丸く削って、もう少し軽いものも作った。(写真)

切るとナラ特有の気持ちの良い香りがして、良い部分の材質感はミズナラに劣らない。しかし、山で伐採した樹を板に仕上げて家具に使用するのは非常に困難であると悟った。乾燥した状態でも比重が0.8近く、杉の倍もある。重くてもう年寄りには扱えないと見限ったのである。細い樹はシイタケ栽培のための「ホダ木」として今回も利用している。(下写真)

この山を買った時は「マイキャンプ場」と称し、テントも張らずバーベキューなどのアウトドア活動を日帰りで行なう、いわゆる「デイキャンプ」的に使ったのだが、購入の翌年、北米に転勤となり、戻ってきたのは、子供たちが家を離れる時期であった。結局、家族で使うことはなかった。

しかし、そこで倒木の処理を兼ねて焚き火をしたり、炭焼きなどをしたりして楽しんだ。季節季節の自然の変化は大きな楽しみだった。地面が凹んでいて水が溜まり易いので、湿気を好むショウジョウバカマが多く見られる。シュンラン(春蘭)も多い。毎年は咲かないが、八重のヤブツバキ(藪椿)があり、これは自分では珍種ではないかと思っている。

話が前後する。70年代、結婚して子供ができた後に、志和の隣の八本松という所に家を建てた。山陽本線の駅があり、広島駅まで30分ほどで行けるので、通勤には便利である。

1985年、広島市内に転居した際、この八本松の敷地の一部に六畳の小屋を作って物置として残した。広島市内の住居は住宅公団の賃貸で、4DKではあったが、手狭だったからだ。スキー、キャンプ道具、ストーブなどを置き、年に何度か物を取りに、置き換えに出かけた。

八本松には、柿、アンズ(杏)、ザクロ(石榴)などを残してあり、水仙などの球根植物、シャクヤク(芍薬)、ホトトギス、シラン(紫蘭)などの宿根草が折々花を咲かせている。また月桂樹も一生分の料理で使用するいわゆる「ベイリーフ」「ローリエ」を提供してくれている。季節の収穫、季節の喜びは志和よりも大きかった。この八本松との合わせ技で、志和の手入れを続けられたのだと思う。

志和で作業をしていたら見慣れない鳥が飛んできた。姿や、しぐさはジョウビタキそっくりだが、低く飛ぶと、背中が青く輝いた。ジョウビタキは、単独で動き、人をあまり怖がらずに近くまで寄ってくる鳥だ。雀目ツグミ科である。それに似ていると思ったら、後で調べて同じ雀目ツグミ科に分類されるルリビタキだということが分かった。なかなか美しい鳥である。

今年は鳥の写真を撮ろうかなと思っていた矢先なので、幸先さいさきが良い。

最後の写真は、家のすぐ傍で見たキセキレイ(黄鶺鴒)。今年は格別に寒く雪が多いので、遠くには出かけられないが、家の近くで良いのを見た。写りがまずまずなので、今月のベストショットとして紹介する。