時空の漂白 5 PDF (2004年12月27日)
供養走馬灯 谷 弘一
まさに針小棒大な漂泊をやろうと、針供養されることになった針の先に乗って、お仲間の、お弔いになった産業が群がる森をフワフワすることにした。ところが、すっかり指帰趨の世界(キーボードを叩く世界)に耽溺し、気が付いたら紙幅も一杯になっていた。今回の漂泊は、取りあえず訪れる人の少ない産業墓地の脇のベンチで終わるが、ご容赦願いたい。
針供養という行事を行う社寺がある。2月8日の事始めの日と、12月8日の事納めの日に合わせて針供養をするらしい。縫い針は仕事の象徴の一つだったようだ。皇室から頼まれて針供養を行った寺もあるそうだ。もっとも自分自身は、そんな寺や神社の側を通って、散歩の途中で足を止めて中に入って柏手を打ったり、賽銭箱の中を何の気なしに覗いたりはするのだけれど、偶々、この由緒ある日にぶつかったことはない。だからと言うか、だけどと言うか、針供養の現場を一度も見たこともないまま、針供養という言葉が浮かんでくるとなんだか気持ちが良くなって、和むようになる。
豆腐や蒟蒻に、針を刺して供養すると聞いた途端に、針はとても気持ち良いだろうなと、いつも針をうらやましく思っている。それから一呼吸置いて、豆腐や蒟蒻の身になって見て、痛いだろうなと同情もしている。針も豆腐も蒟蒻も生き物ではないから痛がったりはしない。妙な感情移入だと一笑に付されるのが落ちだろう。
でも、こうして文章を指で綴っている(キーボードを叩いている)と、人様の反応など一顧だにせず、脳内漂泊を始めることが出来る。縫い針の尖った先にひらり飛び乗り、それから一気にプヨプヨとした豆腐に飛び込み、しばし広々した豆腐風呂に浸かって垢を落とし、ちょっと締まった豆腐プールで立ち歩きして身を鍛えたりもできる。蒟蒻も、その弾力性を想像するだけで魅力的である。
辞典を拡げると、縫い物が上手になるようにという願いを込めて針供養をするとあった。これはまた随分と下卑たことをするものだと、ちょっと憤慨したくなった。
何で、針供養に縫いものが上手になるという効用をくっつける必要があるのだろうか。たかが針供養に、縫いものが巧くなるようにしてくれと功徳を上乗せする必要があるのだろうか。針にそんな神通力があるわけがない。
さんざん先の尖った所ばかりをごしごしと使い込まれ、折れたり曲がったりして使いものにならなくなって捨てられる直前に、豆腐や蒟蒻に刺して貰ったくらいで、人の裁縫の腕前を上げてやろうと痩せ衰えた針が思うだろうか。そんな義理はない。御役御免になって、ずうっと豆腐や蒟蒻の中に居させてくれるならまだしも、御祓いが済んだら直ぐに捨てられるのだから神通力など用意する暇もないだろう。
新品の針なら、なお更だろう。一寸だけ良い思いをさせて貰って、後はずっとごしごし使い込まれて、針の恨みが高じるだけではないか。
いつも固いモノばかりを刺して、疲れ切った縫い針という道具をそのまま見捨てるには忍びなく、針供養というお弔いを始めたのだと私は思っている。お払い箱にする前、それはそれは柔らかな豆腐や蒟蒻に刺し、一時でも極楽を味合わせてあげた上で、捨てるのだろうと、単純にと言うか、素直に針供養の意図に思いを馳せるようになっている。
針は一本一本手作りで、勿論、ミシンなどない時代がかなり続いた。
私も戦後の一時期、切れた電球に破れた靴下を被せて、針と糸で繕いをしたことがある。靴下の繕いには、電球と運針が一番で、ミシンが使えなかったからだと思う。縫い針と糸で繕った靴下を履いていた時代があったのである。
当時、ミシンは大変に高級で高価だった。母親がジャガーとか言ったと思うけれど、英国のミシンの名前を誇らしげに唱えていたのを覚えている。
針が大量に作れるようになったのは、明治維新で海外の進んだ技術が浮塵子
のごとく入ってきた後、暫く経ってのことだろう。少なくともマッチ製造の国産化よりはずっと遅れたと思うのだが如何なものだろう。針の量産されなかった長い時代、針供養にはかなりの思い入れがあっただろうと思い直した。縫いものが上手になれるようにと自然に願を掛ける気持ちになったのだろう。最初は下卑た根性だと思ったけれど、行灯の明かりの下での繕いもの、そして指にした手作りの縫い針という組み合わせの日夜を思い描くと、針供養は万感の思いを託したものだったのだったと思う。肩凝りと眼精疲労の日々を恨むよりは、明日へ向かって、縫い針に運針の上達を願う方がずっと健康的だったと思えてくる。
針供養が始まった時代は、豆腐も蒟蒻も、現在とは比べものにならないくらい貴重な副食品だったに違いない。原料を作ることも入手することも、それを加工することも、そして売ることにも、ともかく手間暇が掛かったはずだ。
蒟蒻の担ぎ売りは聞いたことがないけれど、豆腐や納豆や鮮魚などを入れた桶をぶら下げた天秤棒を担ぎ、今となれば独特の売り声で売り歩いて、一家の生計が成り立った時代のことである。
その貴重な豆腐や蒟蒻に刺して、縫い針の冥福を祈る弔意というか、縫い針に手向ける哀惜の情が伝わってくる。少しでも楽に縫い物が出来るようになりたいと願う心も伝わってくる。
一本一本、手作りだった縫い針も、今では工業生産に移行し、途上国でも量産されるようになっているだろう。まだ和裁で執拗に縫い針が使われているけれど、もう日本では手で針と糸を使って繕いするということ自体が希なものになっている。縫い針を持つことさえも希になっている。
そもそも大量生産された針では哀惜の情も浮かんではこない。量産されると、同じ縫い針でも大切にする気持ちが失われるような気がする。粗末にしてはいけないという気遣いさえも、もはや消えているのかもしれない。
通りすがりに、家屋が取り壊されている現場に出会うことがある。それが木造だと、壊れ掛けた壁や柱や根太の隙間から、大工さん達の鑿や鉋、鋸や指物の曲尺が唸ったり、呻吟したりしているのが聞こえてくる気がする。
大工さん達の声も混ざっている。そこに住んでいた人たちの生活の声も漏れて来て、思わず頭を垂れることもある。これが、鉄筋や鉄骨コンクリート造りだと、そうした哀悼の情は浮かんでこない。
少し乱暴な飛躍だけれど、工業化が進むとモノを大切に思う心がどんどん消えて行くようだ。利用者や消費者は勿論、工業生産を担当する、経済学で言う供給サイドにも製品やサービスを粗略に使わないで欲しい、大切に使って欲しいという生の期待はゼロのようである。
火事になったり、怪我したりしないように安全管理の規制に従って取り扱い説明書を用意し、使用者に注意を惹起し、問題があれば無償でリコールするということが生産者の義務にはなっているけれど、それはあくまでも需要を逃がさないため戦術、タクティックスの一環でしかないように思う。
当社では消費者が大切に使おうと思う製品などの提供を心掛けていると躍起になって宣伝している生産者もいるけれど、これも需要を伸ばすための方便に過ぎないと思われてならない。
しかし、だからと言って、供給サイドの根性が曲がっているからモノを大切する心が失われて行くんだなどと、産業化と技術革新を続けてきた近代に対して、ドンキ・ホーテになって噛みつく訳けでも、産業革命前の社会への回帰を懐かしむ訳でもない。
その産物の製品など捨てる時には、針供養と同じことをしなければいけないなどと訓戒を垂れる気もない。こんな訓戒が通じるほど、現在の産業社会は柔な存在ではないことは十二分に承知している。
技術革新と工業化が進み、設備投資が拡大を続ける産業社会で、供給を拡大し消費を拡大する勢いに抗することは誰も出来ない。大分、以前に、歯磨き粉のテレビ・コマーシャルが溢れていた頃、歯ブラシにたっぷりと歯磨き材を載せた映像が盛んに流されていたのを、今でも鮮明に覚えている。
衣料品、玩具、食品、医療品のコマーシャルも、再軍備に関わるニュースも然りである。スイッチを入れると流れてくる情報に人間は実に弱い。医療も薬を出来るだけ沢山使わないと採算が会わないという時代である。物神
礼賛の時代である。ここで、何とか、踏みとどまる術はないものだろうか。産業連関表が物語っているのは、個別の産業が十重二十重に連携し、製品もサービスも供給されているという事実である。それも、一企業、一地域の生産が停止しても、競合する産業や地域から代替供給の手が伸び、供給のネットワークが、何事もなかったように壊れた部分を直ぐに修復する強靱な再生力をもっているという現代の仕組みである。益々、モノを大切にしている暇はなくなる。
だから、ここで、懐かしい逆転の発想に立ち返って、産業技術と技術革新を、とことん骨の髄まで愛したらどうだろうかと思う。
先ずは、産業革新の途上で挫折したり、思いも寄らない被害が露呈したりして、社会から糾弾され葬られていった多くの人々を盛大に供養することである。「必要は発明の母」と言うけれど、私は敢えて「失敗は発目の父」あるいは「失敗こそ発明と革新の苗床」という言葉を提示したい。成功した人間や事業だけが顕彰されるところに、市場の自由競争に委ねられた近代産業社会の偏向の原点が露呈しているのではないだろうか。
まずは産業技術の効用に深甚の感謝を捧げることである。その効用が産業連関のネットワークの中から生み出されてきていることに思いを馳せ、感謝を満遍なく広げてみることである。産業革新を背負い、リスクを賭して新規の製品やサービスの企業化を進めて来た世界中の無慮何百万という人々に感謝を捧げることである。
「産業革新こそ、社会革新の原動力であり、産業の功徳の源泉である」という愛の標語を定着させる社会運動を起こすことである。
「失敗こそ発明と革新の苗床」であるという覚悟と併せて、産業供養を行なったら良い。
私は昨年の年明け、血糖値が500を超える高血糖症状が発覚し、即日入院した。この時、暇に明かしてインシュリンの発見と製品化に至る苦難の歴史を書いた本を読み、「100年前だったら死んでいたな。いや、80年前でも死んでいたかも知れない」と自覚した。高血糖症から全快し、暫くはインシュリンを発見した人、それを安定した薬剤に製品化した企業に感謝の気持ちが湧き上がった。
しかし、この気持ちを形にする術がないまま、日は過ぎて来てしまった。それもあって改めて思う。こうした生の気持ちを形にして継承して行くために、「産業供養」を盛大に鳴り物入りで行なったらどうだろうかと思う。
供養する段になれば、成功した方々を持て囃す前に、「失敗こそ発明と革新の苗床」である。失敗した方々や、挫折した方々を先ず弔うことから始めるのが良い。企業単位にしないで、経営者も個々人として顕彰するのである。
ちなみに、お金の貸借に金利がつくのは、私は、この失敗のリスク・ヘッジだと思っている。
経済では一つの財について、一組の受給曲線が確信を持って描かれて、価格と量が変動して受給は必ず一致点があることになっている。ところが、現実の世界では、そんなお誂え向きの2次平面はない。需要と供給が出会い求め、まさに時空を彷徨っているのが現実である。かの大発明王エジソンが発送電会社を興そうと思い立った時に、彼の頭にあったのは、ガス灯に代えて電灯をつけ、お化けと犯罪を駆除して明るい夜を生み出すことだったと言う。電力網にモータがぶら下がり、河川を離れて巨大な産業群が立地することは全く考えていなかったらしい。
技術革新と、縦横に走り、益々こみ入っていく産業連関の網の目は、時空を彷徨いながら受給曲線を結び付ける。無数の人々の営業活動の賜である。成功と失敗は紙一重の世界で、誰もが企業経営に鎬を削っている。そして、ここに産業社会の功徳と害悪の源泉が潜んでいそうな気がする。
だからこそ、全ての人々の失敗も取り込んで「失敗は市場革新の苗床である」ということを、誰もが肝に銘ずるべきである。私も自分で、初めて「べきである」という言葉を使った。
技術革新が思いも寄らない代替製品を続々と生みだしている現代、針供養なんかしている暇があったら、より安く、より使い勝手の良い新製品や代替製品の開発に励んだ方がずっと現実的なのかもしれない。だが、「急そがば回れ」のイロハ歌留多のご挨拶を差し上げて、新年を言祝ぐことに致しましょう。
(壺宙計画)