時空の漂白 50  PDF (2011年2月18日)  

海の物とも山の物ともつかぬ(3) 熱気球   西村一彦  

熱気球クラブ 

熱気球を組み立て飛ばすのは一人では出来ない。機体の重さだけでも150Kgくらいになるし、これに満タンのガスボンベ4本が加わる。さらにインフレーションと呼ばれる、熱気球を膨張させる作業には最低4人必要である。熱気球には2〜3人が搭乗するし、風まかせに流れていく熱気球を車で追いかけてくれる人間も必要だ。

そのため私たちは「熱気球クラブ」という同好の志が集まる集団を作り、その集団単位で気球機材の購入や気球活動を行っている。日本の各地にこういう熱気球クラブがある。1つのクラブは平均すると1〜2個の熱気球を持ち、10〜20人によって構成されている。熱気球クラブの形態について誰かが定義した訳ではないのだが、一般的な社会人が時々の週末に熱気球活動をするには、この形に一番無理がない。

熱気球クラブの構成員は一般の社会人がほとんどで、大学生は大学の熱気球部所属が多い。活動的な熱気球部のある大学は全国でも十数程度で、筆者が大学生だったころより減っている。最近の学生はあまり無茶なことをしないようだ。

構成員の年齢性別は各熱気球クラブで異なるが、私が所属するクラブでは私が最年長(50才)だ。他のメンバーは40・30・20才台が同数程度で、全体で20名ほど。女性は3割程度だ。私のクラブは若い人の割合が多いほうなので、昨年はクラブ内で結婚したカップルが2組も出た。

熱気球クラブはいろいろな面で熱気球活動には重要だ。単に力を合わせて熱気球を飛ばすだけでなく、合宿を通して気球運用技術の研究・教育といったから人生相談のようなことまで、年代を超えて同じ釜の飯を食べながら話し込んだりしている。

日本には熱気球学校のような教育機関がないため、熱気球技術を身につけるにはこのようなクラブに所属して、クラブの先輩から教えてもらうしかないからだ。

一人前の気球乗りになるために習得しなければならないことは多い。熱気球の構造・原理・操縦・取扱い・気象・法律・事故事例・礼儀・心構えなどだ。

何しろ人の命や財産がかかっている活動である。一人前の気球乗りというのは、たとえ素人の寄せ集めで構成された熱気球チームであってもその活動を安全に切り回すことのできるリーダーたる資格を持たなければならない。その者が若輩者であったとしても、熱気球の機長という地位についたならば、その責任において年長者に対しても、困難な状況に対しても、毅然とした態度を示し続けなければならない。

大学の熱気球部を長期間見ていると、ひょっ子の一年生だったのが、3年経ってパイロットになるころには精神的にも成長しているのがよく分かる。濃密な人間関係と人命のかかった緊張感が成長を促しているのだと思う。

1979年9月 広島大学 講義室

この年、18才で大学に入学した私は講義室の黒板の隅に書かれた「熱気球部 入部説明会」の文字に目が留まった。大学生活を思いっきり楽しむつもりだった私の心に、この文字はまんまと突き刺さった。

「入部希望者かい、まあ入りなよ。」出席した入部説明会で声をかけてきたのが部長の角田正だった。広島大学熱気球クラブはこの角田正を中心にして1975年に結成されたもので、私が入部した時点で、自作した熱気球を1つ所有していた。

熱気球クラブの存在する大学は数少ない。ごく一部を除いて大学の熱気球クラブは学生の有志によって自発的に結成されるもので、大学当局がお膳立てしてくれるものではない。大学内における立場も「同好会」だ。で、このような会の設立者は個性的なものだ。

広島大学熱気球クラブは1975年に結成され、角田のリーダーシップで熱気球の自作に成功し、クラブ自前の熱気球パイロットが誕生したところだった。だが私の入部の前年に角田の強引さに嫌気のさした大部分のメンバーが脱退したことにより、私の入部時にはわずか4名となっていた。

熱気球クラブの体質はいわゆる「体育会系」ほどではなかったが、びっしりと、特に精神面が鍛えられた。暴力はなかったが体罰に近いことは行われた。勝手がわからずもたもたしていると罵声、失敗すると罵声、何かにつけて罵声である。これによりまず私の「国立大学現役合格者」という半端なプライドは消し飛んだ。勉強以外の勝手がまったく分かっていない未熟者だったということだ。当時はその人間扱いの理不尽さに憤慨もしたが、やがてそれが一人前の気球乗りになるのに必要なことだと分かるようになってきた。

技術的に成熟していない当時の熱気球で自然界と直接向き合って生還するには必要なことなのだ。なぜなら自然は老若男女関係なく、常に無慈悲なものだからだ。

未成熟の熱気球は飛行中に大抵どこかに不具合が生じたし、気象や風の知識の蓄積の乏しい私たちはよく危機的な天候状態に巻き込まれたりした。こうした状況にはマニュアルの知識のみならず常に創意工夫をして、短時間に自力で対処できなければならない。

そして大事なのは危機を事前に察知して回避する能力だ。カバンの置き方ひとつ取っても、ある仮定の状況がもし発生したときにそれがどのように影響していくか、ということを無意識のうちに考えるようになった。

そして半年もすると同期入部の一年生は私一人になっていた。

1969年9月28日 北海道真狩村 日本の熱気球初飛行

よく晴れた早朝の空のもと、緑の牧場の中に鮮やかなオレンジの気球が立ち上がっている。京都大学と北海道大学の学生を中心としたプロジェクトチームが製作した「イカロス5号」だ。彼らは今、日本で初めて作られたこの熱気球に乗って空に飛び上がろうとしている。

このプロジェクトは梅棹エリオの「気球で空を飛びたい」という思い付きから始まった。海外ではすでに近代的熱気球が作られて飛び始めていたが、日本では気象観測用気球と広告用アドバルーン以外の気球はほとんどなく、まして人が乗って飛ぶ熱気球は存在しなかった。彼は何人かの学生仲間を集め、スポンサーを探し、気球の制作方法を考えた。検討の結果、多量の水素やヘリウムは高価であり、かつ気密性のある球皮を作るのは困難であるので、熱気球で実現することにした。

調査の時点で彼らは近藤石象(ブイヤント航空懇談会初代事務局長)にも教えを受けている。近藤からは和紙とコンニャク糊を使って気密性のある球皮を作る方法を聞いていたが、手軽さの面からガス気球は却下された。

ちなみに彼、梅棹エリオの父親は文化人類学者の梅棹忠夫である。彼の父親は計画に反対はしなかったが、表立って支援するようなこともなかった。ただその計画に適していると思われる何人かの方々に連絡をつけてくれた。

最大の問題は日本に存在しない「人が搭乗できる熱気球」をどうやって設計するかであったが、これに挑んだのは京都大学2年生の島本伸雄だった。島本は張力強度計算式のモデルづくりと実験装置の考案を行った。日本最初の熱気球の名称が「イカロス5号」となったのは、その前に実験気球の1号から4号が存在したからである。

1号は直径70㎝のテトロン製で、中の空気を電熱線で暖めて、確かにそれが浮かび上がることを確認した。2号はテトロンを二重にして気密性を高めたもの。直径は20㎝。3号は同様の構造だが大きめの直径60㎝、残念ながら2号と3号の球皮材料は強度的に問題のあるものだった。

 

そこで材質をポリエステルにアクリルコーティングしたものに代えた4号が作られた。直径も80㎝となった。これと同時に実験水槽を手作りした。力のかかり方を観測するため、4号を温水に沈めて、実機の縮小シミュレーションをしたのである。もっとも手作り実験水槽がうまく作れず、こちらの製作のほうが大変だったようである。

人が乗る気球で大切なことに、中の浮力をどうやって減らすか、ということがある。熱気球で浮力をつけるのは下から火をたけばよいのであるが、浮力を減らすことが自由にできなくては高度調整ができない。

また最終着陸時には中の熱気を一気に放出して萎ませることができなくては、気球は中途半端に膨らんだまま地上を風の速さで暴走することになる。このバルブの設計に多くの試行錯誤が行われた。

こうした正当な方法で作られた熱気球「イカロス5号」は大きなトラブルもなく初飛行に成功した。

この快挙を聞きつけた全国の大学の有志たちが彼らの元に集まり教えを受け、後に続く日本の熱気球が続々と作られた。多くの熱気球が作られると次はそれらを安全に運用するための組織が必要になる。なんといっても風まかせの乗り物だし、手作り品なのだ。少しの間違いが人命に直結するのだ。

島本は1971年に全国の熱気球愛好家の連絡組織「日本気球連盟」を作り、初代理事長となる。そして熱気球の操縦技術の検定、機体の安全性基準、保険、海外の組織との交流などの活動の基礎を作った。だがそこで島本は気球界から身を引く。30年くらい前に、私は島本さんに気球を続けていない理由を直接聞いたが、それは「気球は儲からないから」だった。たしかに気球を飯の種にするのは難しい。今でもこの日本で気球を飯の種にできているのは五名くらいだろうか。

私が思うに、島本さんは「自分が気球に対してやりたかったことはすべてやった」と考えていたのではないだろうか。現在の彼の職場は京都産業大学のナノバイオロジー研究室である。

知ることができる有力な方法だ。

 

参考図書 

「熱気球イカロス5号」 梅棹エリオ 中央公論社 1973年

筆者紹介 

西村一彦(にしむら かずひこ)
1960年生まれ
本業はコンピュータ・ソフトウェア・エンジニア。大学入学時に熱気球クラブに入部したことより気球活動を始める。最近の熱気球の飛行は2ヶ月に1回くらいと控えめ。