時空の漂白 55  PDF (2011年3月7日)   

海の物とも山の物ともつかぬ(5) 熱気球   西村一彦    

 

熱気球は「浮遊物」の扱い

熱気球は航空機の一種だと第1回で述べたが、ではその熱気球を飛行させる場合の免許や許可はどうなっているのであろうか。熱気球の扱いは世界各国で異なる部分があるが、まず日本の場合について話をしよう。

空に何かを飛ばす場合、基本となるのは「航空法」である。法律だから、まず最初に問題になるのは「航空機の定義」であるが、日本の「航空法」の「航空機の定義」の中に熱気球は入っていない。

(定義)

第二条

 

この法律において「航空機」とは、人が乗って航空の用に供することができる飛行機、回転翼航空機、滑空機及び飛行船その他政令で定める航空の用に供することができる機器をいう

「航空法」の「航空機の定義」は右の通りで、それ以外には「航空法施行令」にも「航空法施行規則」にも「航空機の定義」に関わる規定はない。

航空法が作られた時代、熱気球は一般的な乗り物でなかったため、法律を作った担当者がうっかり忘れてしまったのかもしれない -------- そんな風にも思ったこともあったけれど、「航空法」の制定は昭和27年(1952年)だが、その後、何度も改正が行われており、最終改正は平成21年(2009年)。「航空法施行令」の制定も最終改正も「航空法」と同じ。そして「航空法施行規則」の制定は前二者と同じで、最終改正は平成21年(2009年)なのだから、そんなことは考えられない。

そうなると、風まかせの乗り物を航空機とは言いたくないと言うのが本音なのかもしれない。

じゃあ、熱気球は何なのだというと、日本の航空法上は単なる「浮遊物」である。つまり風で舞い上がるビニール袋にたまたま乗っているようなものである。

しかし、熱気球が航空機でなく、単なる「浮遊物」として扱われていることのメリットは大きい。

航空機となると、「空港」で離着陸しなければならない。その操縦者は国家試験に受かり、厳しい健康診断を定期的に受けなければならない。さらに無用の低空飛行は許されないなど、ともかくいろいろの制限・制約が設けられているが、熱気球は、これらの制限・制約の対象外になっている。

熱気球が航空機として扱われないことのデメリットは航空無線が使えない ------ 受信は出来るが発信できない ------ ということぐらいだろう。しかし、そのデメリットもアマチュア無線や最近は空用の業務無線もあるので小さくなっている。

つまり、繰り返すけれど、日本においては、一般の人が熱気球を飛ばそうとした場合、法律的には基本的に何の問題もない。浮遊するビニール袋にたまたま自分が乗っているだけということなのである。

唯一制限を受けるのは空域

日本では空に何かを飛ばそうとすると、「航空法」によって、事前に許可もしくは通報が必要とされるケースがある。その詳細は「航空法施行規則」によって定められており、そこに初めて「気球」という言葉も登場する。

日本での制約というのは、簡単に言うと、玩具用のもの及びこれに類する構造のもの(ゴム風船やボール程度のもの)を除く気球を150メートル以上の高さに浮揚させる場合には、国土交通大臣に「通報」しなければならならない。

そして、それが、空港の周りとか主要航空路など常識的に勝手に立ち入ると危険と考えられる「空域」、いわゆる「管制圏」などと呼ばれている「空域」である場合には、「通報」だけでは済まず、国土交通大臣の「許可」を取得しなければならないということである。

通常、私たちは「許可」が必要とされる場所を飛行することはない。許可を求めたとしてもよほどのことでもないと許可は出ない。

そのため私たちが飛行するのは基本的には「通報」だけで済む場所である。 

「通報」する先は、最寄の空港にある運輸省航空局である。「通報」すると、それはNOTAM (Notice To the AirMan)として空港に掲示される。これを航空機パイロットは飛行前に確認し、飛ぼうとする空域で注意しなければならないものを知る。

私たち気球乗りが、このNOTAMの確認を行うことはまずない。空港の近くを飛んではいけないのに空港まで行って確認するのは手間だし、そもそも気球乗りにはNOTAM確認の義務はない。

そうは言っても、この情報は気球乗りにも有用なのだが ………… 。なお、自衛隊が砲弾を飛ばす場合も通報するそうだ。

ところで、熱気球と飛行機が空中で出会ったらどう行動するのだろうか?

実は空中では気球は交通弱者とされており、航空機に回避する義務がある。風まかせなモノだから、自分から回避することは容易ではないということだろう。エアラインのジャンボジェットだって気球には道?を譲らなければならないのである。

もっとも、本来、そういった事態が起きてはならず、そういった事態が起きたということは、誰かがルール違反を犯したのか、あるいは緊急事態が発生したということだろう。

諸外国では気球は立派に航空機

このように熱気球を飛ばすことの制約は思いのほか小さいが、やはり人の頭の上を飛ぶわけだし、実際、誰もが最初から安全に気球を運用できるはずもない。

そこで私たちは「日本気球連盟」という任意団体を作り、気球パイロット認定制度や機体検査制度を自分たちで整備して運用している。視力が両眼で0.7以上、色彩識別能力があることなど身体的には、車の免許が取れる程度の能力があれば良しとされ、パイロット・トレーニングとしては最低10回10時間の飛行を行うことなどが決められている。こうした内容の「熱気球操縦士技能証明認定制度」は日本の気球乗りの事故率が他国と比べ低いことなどから、よく機能していると考えられている。

では海外では気球の扱いはどうなっているだろう。実は、ほとんどの先進諸外国では気球は立派に航空機として扱われている。気球乗りの免許も国家資格である。

その違いが日本の気球乗りが海外の大会に参加する時には表面化する。その時には大会側と開催国の航空局の計らいで、国際免許のようなものが発行される。私が米国の熱気球大会に参加した時にはFAA(連邦航空局)から発行された。備考欄に「この免許は日本の熱気球免許Np.100を基にして発行された」といったことが書かれている。「日本気球連盟」という民間任意団体が発行した免許が、米国の国家機関発行の免許の根拠になるのだから、なんだか痛快である。

気球に搭載される計器

熱気球は飛行に関連してどのような計器を搭載するのだろうか。

実は必須なのは高度計だけである。これすらもなくても何とかなるけれど、航空局に通報した内容と外れていないことを確認するために積んでいる。

高度計の次に欲しいのは何かと問われれば、昇降計と答えるだろう。これによって毎秒何メートルのスピードで上昇しているのか、あるいは下降しているのかを知ることができる。熱気球の上昇下降能力は軽飛行機よりも遥かに大きい。競技飛行では毎秒4メートルくらいの激しい上下移動を行う。低空で高速下降すると地面に激突する危険性があるので、昇降計で確認する必要がある。

この二つが普段搭載する計器である。最近はGPSとパソコンも積む人も多いが、ともかく航空機と比較すると飛行計器は遥かに少なくて済む。

その他には計器らしいものは、燃料タンクに付いている燃料残量計、バーナに付いているガス圧力計といったところだ。構造や飛行の仕組みが簡単なだけに、必要とされる計器は少ない。

そして最も重要なセンサーはパイロットの五感となる。気球は固定翼機のように傾いたり、逆さまになったりはしないが、微妙な上下前後左右の動きを目と皮膚で感じ取る必要がある。高度計や昇降計の指示を見てからでは操作が遅れてしまう。

というのも熱気球は乗員・機材・燃料合わせて500kg弱の重量に、球皮内の空気も加えた慣性質量を持つからで、その合計質量は2.5トンくらいになる。そのためバーナの燃焼操作をしてから、その反応が気球の動きとして出てくるのに5秒くらいの遅れがある。計器に変化が現れるのはさらにその後で、低空での遅れはともすれば事故につながる。

従って、頭の中の積分回路を使って、「この程度バーナで燃焼させたから5秒後に気球の降下は停止するな。」とか、「しばらくバーナ燃焼しなかったから5秒後には毎秒3メートルの降下に入るな。」などという先読みをしながら操縦しなければならない。

優雅に見える熱気球だが、パイロットは空中では常に忙しい。

私たちが普段使っている熱気球は、いったいどのぐらいの上昇下降能力があるのだろう。まず上昇だが、現在のFAI(国際航空連盟)の記録では、私たちが使う大きさの熱気球で、高度1万4800メートルである。これは1992年にジョゼフ・スタークバームが達成した記録だ。これはエアラインのジェット機が飛んでいる高さだ。

低いほうは0メートルということになるが、実際、私たちの飛行では1メートル以下で飛ぶことは珍しくない。地上の障害物にぶつかったり、地上に迷惑がかからない状態なら高度制限に影響されることはない。(航空法では航空機は通常都市上空では300メートル、その他では150メートル以下での飛行はしてはいけないことになっている。)

だから私たちは地上の一般の方によく挨拶をしながら飛んでいる。私は熱気球を「この世で最も地上の人との距離が近い空の乗り物」と考えている。

草原や木々、家、町並みを舐めるように飛んで、小川や池や谷を何事もなく越えていく熱気球。熱気球競技の元世界チャンピオン、アル・ニルスは「魔法の絨毯」と呼んでいた。

気球の着陸

気球は事前に決めた場所に行けるとは限らない。ではどこに着陸するのだろう。前述の通り、空港には近寄れない。空港に降りてよいと言われたところで、そこに行ける可能性はすごく小さい。

それで気球は適当な場所を見つけて勝手に着陸する。気球が飛んでいった場所で、着陸してもあまり被害がなさそうと思われる場所を空中から見つけて、そこに事前の許可を取らずに降りる。

現代の日本では、どの土地にも地主さんや管理責任者がいる。たまたま空き地だったり、稲を刈り取った後の田圃たんぼだったりに突然気球が降りてくる。門や塀で囲ってあっても空からの闖入者ちんにゅうしゃは阻止できない。

降りた後で、近くの人に聞いて、その土地の責任者の方を見つけ出し、ご挨拶に行き、降ろさせてもらったことをお詫びし、被害がないことを確認し、着陸の事後承諾をとるという次第である。

大抵の方は気球の着陸をおおらかに認めて下さるのだが、希ではあるが、大変に怒られることもある。そうなっても、こちらはひたすら謝るのみ。何もないと思っていても春に向けて種が蒔かれていたり、熱気球のバーナの大きな燃焼音で鶏が驚いて卵を産まなくなったり、牛が暴走して脱柵したりする。こうしたことが起きると、その地域では気球が飛べなくなってしまう。

気球乗りには、こうしたこと起こらないように、目配りと事前調査が不可欠である。

いずれにしても熱気球が着陸すると、その周囲の一般の人々は間違いなくびっくりする。「不時着ですか?」と聞かれることもある。「航空機は飛行場に降りるもの」という常識があるからなのだろう。そして物珍しさから大勢の人が集まってくる。

その人々に愛想よく接することが大事である。地元の方々の理解がなくてはできない活動だからである。集まってきた人々が不注意に気球に触れて怪我しないよう、あるいは着陸地にゴミや吸殻を落とさないよう注意を払ったりもする。そして質問には気軽に答える。土地の責任者の方の気分を害さない範囲で、可能なら地上につけたままバスケットに搭乗してもらったりもする。熱気球の応援者を増やすことなしに私たちの将来はないからである。

まれにではあるが着陸地の地主の方から、絞りたてのミルクや朝食をご馳走になることもある。知人の気球乗りは空中で腹の具合が悪くなり、民家の庭先に中間着陸、その家のトイレを借りて、お礼を言ってまた離陸、飛行を続けた。熱気球というのは多くの方々と関わりにならざるをえない活動なのだ。そして気球乗りはそういった関わり合いを楽しんでいる。

1981年8月1日
北海道 上士幌町 熱気球大会

先輩の厳しい指導の下、なんとか熱気球の操縦免許を取得した大学3年の私は恐る恐る飛び始めた。

だが本当の試練はそれからだった。飛び始めて分かる、多くのこと。技量不足・経験不足・思慮不足により、飛行の度に地主さんから怒られた。毎回頭を下げる羽目になった。頭を下げて済んだのは、おそらく私が学生だったからだろう。

上士幌の町は日本で初めて熱気球大会が始められた場所で、広島に住んでいた私たちは、毎年、夏休み時期に開催される、この大会に参加することを楽しみにしていた。

その日も飛行そのものは問題なく、雑草の生い茂る草原に安全に着地したところ、地主さんから猛烈に怒られた。お前が踏みにじったのは雑草じゃなくて大事な牛のエサだ。俺がケガして刈り取りが遅れていただけだ、と。見ればその方は松葉杖だった。

そこに気球見物の一般の人が草地に無断進入してきたものだから火に油状態となった。平身低頭のまま、たまたま通りかかった地元の熱気球クラブの方々にその場をとりなしてもらったが、心に引っかかりが残っていた。

次の年、また上士幌の大会に参加すると、見覚えのある方が大会役員をしておられた。

「あのー、ひょっとして○○さんですか」とお尋ねしたところ、

「そうよ。去年あんたがうちの畑に降りて以来、気球に興味を持ってな。地元の熱気球に乗せてもらったら、ずいぶん気持ち良かったんで、気球乗りになることにしたんだ。ああ、今でもうちの畑は着陸禁止(冗談)だよ。」

熱気球というのは他人を知人にしてしまうもののようである。

筆者紹介

西村一彦(にしむら かずひこ)

1960年生まれ

本業はコンピュータ・ソフトウェア・エンジニア。大学入学時に熱気球クラブに入部したことより気球活動を始める。最近の熱気球の飛行は2ヶ月に1回くらいと控えめ。