時空の漂白 59 PDF (2011年3月31日)
広島・里山便り(3) 高橋 滋
私は今年4月から広島市植物園でボランティアのガイドをすることになった。
昨年11月に応募、12月に説明会、今年に入って5回の研修と、それなりのステップを追って認定された。
2008年3月に仕事を辞めた後、週3回程度の木工(家具工場の一隅を借りての家具製作)を日々の活動の軸にしてきたが、昨年11月一杯で終了することとした。
昨年8月の「時空の漂泊(第30号) あれから5年」に記した通り、私にとって家具製作は「業」(仕事)のような意味合いがあり、開始して3年弱しか経っていなかったものの、ややしんどくなったというのが本音である。やはり目論見通りにはならないものだという気持ちもあった。
広島市植物公園は、自宅から6キロ程度の所にあって自転車で行ける範囲で、前回紹介した「極楽寺山山列」の麓にあり、自然植生も豊である。(園内にギフチョウ食草であるサンヨウアオイがあり、ギフチョウも飛ぶという)時間を使うには良い所である、とかねてから思っていた。
ボランティアの幅を広げすぎるのは問題だが、自然観察の案内などをする度に、いかに知識が曖昧で不正確か歯がゆい思いをすることが多かったので、専門家のいるここで知識の整理をするのは良い機会だと思った次第である。
義務は月2回という軽いものである。
今回、研修を受けて、植物の名前を覚えるにしても、種類の違いを説明するにしても、「何度も復習し、確認しなければ覚え込めない」ことを痛感した。ちょっと読んだだけではすぐに忘れてしまう。それでも何回も繰り返すと、段々と身に着いてきた。
例えば、次の通りである。
植物公園の中に「花の進化園」という一角があり、裸子植物から被子植物への進化、被子植物の中の単子葉植物、双子葉植物、それぞれの進化が学べるようになっている。
陸生植物は約4億年前に地上に現れ、被子植物は白亜紀に拡散したが、「ジュラ紀は2億年前から。白亜紀は1.45億年前から。そして6500年前に隕石の衝突で気候の大きな変化が」という時間の流れをメモを見ないで頭の中で組み立てられるようになるのに2ヶ月ほど掛かったように思う。
いったん分かると、地球の変化と生物の変化=進化は大いに関係があり、地質年代の理解は地形の変化の理解にも繋がることも分かった。
花の構造なども、昔、理科で習い、その後も何度か復習しているのだが、いざ人に説明しようとすると、胚珠と胚乳の違いなど、しっかり認識していないことに気付く。
今月は桜の話をする。桜の本は多い。最初は読んでも良く分からなかったが、専門用語を理解し、その「学界」特有の語り口が身に付くにつれて頭の中で体系化が進み、ある日、スッキリしてきた。さらに読み進み、植物公園でも話を聞いて、やっと桜の全体像が見えてきた。
桜は「日本の樹木」(山と渓谷社)など普通の植物図鑑などで見ると、Prunus(プルヌス)属となっている。日本語ではサクラ属であるが、スモモ属と言うほうが内容的には正しい。
植物の分類は、1700年代のリンネに始まって、欧州が主導で物事を決めてきた。
欧州で桜(チェリー)と言えば、ミザクラすなわちサクランボの木である。種類も少なく、花を愛でる習慣もない。
有用種が多い類縁のスモモ(酢桃)やアンズ(杏)、モモ(桃)などと、ひとまとめでバラ科Prunus(プルヌス)属とされてきた。Prunusはプルーン、つまりスモモである。
これには以前からロシアや中国(桜の種類が多い)の研究者から異論が唱えられ、日本でも2007年に出版された「新日本の桜」(山と渓谷社)では、それに沿う形で、モモ、スモモ、アンズ、サクラ、ウワミズザクラ(上溝桜)、バクチノキ(博打の木)の6属にはっきりと分けることを打ち出した。
著者の大場秀章さんは、桜分類学の主筋の方である。最近の書籍は、これに従う傾向が見られる。この考えによれば、桜はCerasus(ケラスス)属というまとまりになる。
ウワミズザクラは、樹皮に紫褐色の艶がありサクラに特徴的な横方向の皮目が入る。葉の様子もサクラの特徴が強い。ただし、花はサクラのように一箇所から数個出るのではなくブラシのように穂を出してまとまって咲く。
森林整備などをする時、ツツジやサクラなど花が綺麗な樹は残すことが多い。ウワミズザクラも残る。自然観察会などで、「これは、サクラには見えませんがれっきとしたサクラです」と説明してきた。
ウワミズザクラは「日本の樹木」では、Prunus(サクラ属)grayanaとなっている。しかし、新しい考え方では、Padus(ウワミズザクラ属)grayanaとなり、「これは、サクラには見えませんがれっきとしたサクラです」という説明はできなくなってしまった。
こういう変化をフォローするのも役割かとも思う。さらに植物分類の基本が、「目に見える差異=花の構造による分類」から遺伝子解析による分類に移りつつあり、この知見に基づく属名の変更という流れが別途あり、園芸品を紹介する際に困惑することがある。属名を園芸品種の代表名にしているものも多いからである。
日本自生のサクラ
日本に自生するサクラは、本によって約10種とも、9ないし10種とも言い、また変種も含め数10、100種と言う言い方もあって、今ひとつはっきりとしない感じを持っていた。しかし、「新日本の桜」では、これを9種類とし、他の本もこれに従い、広島市植物公園での研修でも同じ見解であった。
自生9種の中で比較的目にすることが多いのは、エドヒガン(江戸彼岸)、ヤマザクラ(山桜)、オオシマザクラ(大島桜)、マメザクラ(豆桜)などだろう。
エドヒガンは、分布が広い。山中で、大ぶりで、花が葉よりも先行する桜があれば、これかも知れない。春の彼岸頃に咲くために名が付いた通り、やや早めに咲く。寿命が長く、山間部に残っている、いわゆる一本桜は、エドヒガンであることが多い。
私は強い「桜フリーク」ではないが、4月に入って暖かい日が続くと、「ちょっと出かけてみようかな」という気持ちになってくる。その私の記録の中に岡山県北(真庭市)にある醍醐桜がある。醍醐桜は日本の桜巨木の5指に入るそうだが、品種はエドヒガンである。
有名な岐阜根尾谷の薄墨桜、山梨実相寺の神代桜もエドヒガンである。山間部は気温が低いので、開花は都市部に見られる後述する園芸品種のソメイヨシノよりはやや遅くなる。
エドヒガンには枝が垂れる形質を持つものがある。これは古い時代から栽培品として引き継がれてきているもので、お寺などに残っている、しだれ桜と呼ばれているサクラはほとんどエドヒガンである。花弁の色が濃いものもある。
福島三春の滝桜、京都御所のしだれ桜もこの仲間である。花はやや小ぶりだが、花付きは多く、艶やかである。やや遅めに咲くものが多い。
広島市内佐伯区の神原のしだれ桜は、「全国桜の名木100選」(家の光協会)などで選ばれている。市内の独立樹としては唯一である。樹齢300年を超える樹は瀬戸内海沿いでは珍しいようだ。
ヤマザクラは、花と同時に赤みを帯びた葉が出るのが特徴である。独特の落ち着きがある。花の時期は一定しておらず、ソメイヨシノより早いものも遅いものもある。花の色や大きさもかなりまちまちである。吉野の千本桜はヤマザクラである。巨木の一本桜の中では数少ないヤマザクラである。
オオシマザクラは関東南部の暖温帯に限定的に分布する。栽培品が公園などで植えられることが多くなってきた。花がかなり大きく白く、枝ががっちりとし、薄緑の葉が開花時に少し出てくるので全体がやや黄緑色に見える。識別できるようになると、なかなか好ましくなる桜である。葉に香りがあり、塩漬けにして桜餅に使われる。
富士山麓に多いマメザクラ(フジザクラ)は、花も木も小柄で、園芸品種に比べるとまた別の趣がある。栽培されることも多く、コンパクトで花数の少ない桜があれば、この系統かもしれない。
自生の中で、私が見たやや珍しいものは、2006年に早池峰山で見たタカネザクラ(高嶺桜)。6月下旬であったが、まだ完全には散っていなかった。
背が低い、なかなか趣のあるサクラである。本州では標高の高い所、亜高山帯の植物である。花の咲く時期が登山の適期ではなく、目にする機会は少ないだろう。
多いサクラの交雑種
本来、「種」は安定したもので、それが保証されるのは生殖をつかさどる器官が相互に繋がらないメカニズムがあるからである。チョウも色や紋などの見かけでは変異が多く、同一なのか亜種なのか別種なのか、その決め手は生殖器官の差異に求められる。
そうした視点から見ると、新しいサクラ像が浮かび上がってくる。サクラはそもそも同じ種でも花の色や大きさに変異幅が大きい上に、異種間で交雑し易いという特徴がある。それは広義のPrunus(プルヌス)属の共通の性質かも知れない。ウメ(梅)もまた種類が多く、アンズとの雑種もある。
そのため日本自生の桜の基本は9種に整理されているものの、地域的な変種は多く、さらに自然状態での交雑種が多数存在する。一つの「種」という前提で学名まで持ったものも交雑種とされるようになっている。
身近なところでも、昨年まで家具製作をしていた会社のすぐ傍にある「湯戸の桜」はモチヅキザクラ(望月桜)と呼ばれ、学名もあるが、ヤマザクラとエドヒガンの雑種とされるようになっている。
広島市内で見つけられ、広島市の天然記念物になったヒロシマエバヤマザクラ(広島江波山桜)も、ヤマザクラの多弁の(花弁が5〜13枚ある)変異種とされている。
また9種に加えて、中国南部から台湾に自生し、沖縄でも野生化しているカンヒザクラ(寒緋桜)を親とした早咲きの桜も増えている。静岡県を中心に早咲きの桜として最近話題を呼ぶことが多いカワヅザクラ(河津桜)も、野生状態で発見された原木が元になっているとは言われているものの、片親がカンヒザクラの交雑種であるとされている。
サクラの園芸品種
自然の中で発見されて、園芸的に見栄えがするものを選抜して育成し名前をつけて愛玩することは、すでに室町時代からあったらしい。江戸時代は育種の技術がさらに進んだので、幕末にはすくなくとも250種ほどの品種が江戸にあったと言われている。
学名を持っている以上、ルールに従うと、園芸品種・栽培品種であってもカタカナで記述すべきなのだろうが、伝統的に園芸品種・栽培品種には漢字の名前が使われることが多い。もっとも、その代表格のソメイヨシノ(染井吉野)はカタカナで書かれることが多いのだが……。
園芸の世界には、ややもすると独断的で近寄り難いところがある。例えば、寺院などには伝来する「固有種」というものがある。寺院の名前を付けて呼ばれたりしている。その中には、遺伝子解析で新種とされるものも出てきている。しかし、文献を比較すると、記述にいろいろ細かい差異が多く認められる。園芸界、伝統、学界の間には様々な溝があるようである。「新日本の桜」には、その溝を埋めようとする強い意思が感じられる。
園芸品種の中心の一つは、花弁が大きく、その枚数も本来の枚数より多い重弁で派手やかで、しかも花の数も多い八重桜と呼ばれる桜である。色は濃い名前に「紅」が付くものからピンク色、白色まで変化が多い。江戸で好まれた古いサクラに多い。糸括(いとくくり)が典型だろう。
松月(しょうげつ)と呼ばれる品種は花色のグラデーションがなかなか美しい。写真は庭に植えたもの。植え付けて翌年に花を咲かせた。
その他、関山(かんざん)とか普賢象(普賢象)は見る機会が多いだろう。じっくりと何度か見れば親近感が沸いてくるだろう。
もう一つの園芸品種の大きな流れは、しだれ桜の系統である。京都の神社や寺院などに残っている見栄えのするものが多い。
花弁が非常に多い兼六園菊桜、花の色が黄色の欝金(うこん)、花の色が黄色や緑色の御衣更(ぎょいこう)など特徴がハッキリしているものは覚え易いだろう。
森林総合研究所HPには桜の情報が載っている。全国の試験場ごとの様子がビジュアルマッッピングされている。
ここで触れた自生種がすべてカバーされており、八重桜、しだれ桜もある。
この支所の東京都八王子の多摩森林科学園には桜の遺伝子保存のためのサクラ保存林がある。250品種、8000本のサクラがあるという。自動車では行けないことからあまり一般的ではないが、内容は本格的である。中央線高尾の駅から歩いていける。
東京都調布市の神代植物公園、東京都文京区の小石川植物園にも系統のハッキリしたサクラがある。種類が多く四月一杯は楽しめる。
今年は3月の気温が平年より2度ほど低く、中旬以降も厳しい寒波が間断なく押し寄せた。広島市植物公園のカンヒザクラ(寒緋桜)の開花も例年より半月ぐらい遅れた。
園内には「県内最多の68種類」の桜があり、4月一杯イベントを継続する。