時空の漂白 6 PDF (2005年1月28日)
アンデルセン童話の世界 谷 弘一
今年は酉の年。鳥の水掻きの年です。とは言っても、水掻きを続けていたら風邪を引くに決まっている。同じ寒いのなら空を飛ぼう。見晴らしが良い。こちら太平洋岸は日本海岸の雪のお陰で晴れ渡って、太陽も燦燦とふっている。
アンデルセン(Hans C. Andersen 1805〜1875)の「おやゆび姫」になって、ツバメに乗って南へ行こう。「おやゆび姫」はアンデルセンの童話の中でも童話らしい童話の一つである。
おやゆび姫は、チューリップの花から生まれた小さな小さな女の子。生まれた時は、花の真中の緑色のめしべの上にちょこんと座っていた。十二シリングを払って魔法使から花の種を貰った女の人が授かった子供だ。「胡桃の殻の寝床に、青いスミレの花びらを敷いてバラの花びらをかけて貰って育てられた」と、ファンタジックな書き出しで話は始まる。
おやゆび姫の偶然の旅が始まる。最初は、醜いヒキガエルにさらわれ、その息子のお嫁さんにされそうになる。泥沼に浮かぶ緑の葉っぱに載せられているところを魚たちに助けられ、葉っぱに乗って川を下る。そこでまっ白いチョウチョウに気に入られ、自分のリボンで、葉っぱとチョウチョウの体を結び、キラキラ光る川を一段と速く流れて行く。
ところが、今度は、コガネムシの目に留まってさらわれる。おやゆび姫は葉っぱを結びつけたままのチョウチョウがとても気掛かりだった。コガネムシは、そんなことにはお構いなし。得意になって、おやゆび姫を仲間のところに連れて行く。ところが、おやゆび姫は、コガネムシの仲間から疎んじられ、雛菊の上に置き去りにされてしまう。
森の中で、一人ぼっちの夏が過ぎ、雪が降り始める頃に、木の切り株の下の野鼠の家に保護される。野鼠はおやゆび姫を、ビロードの毛皮を着た、隣に棲むモグラに紹介する。モグラはおやゆび姫をたいそう気に入ったので、お嫁さんにもらうことにした。
野鼠は、クモを四匹も雇って夜も昼も機を織らせたそうだ。冬から春へ、夏から秋にかわる頃、結婚の支度も整った。
モグラは学者でお金持ちでした。でも、お日さまと綺麗な花が大嫌いだったので、おやゆび姫はどうしてもモグラに馴染めなかった。結婚が迫った秋の日に、おやゆび姫は泣きながら「モグラとの結婚はいやです」と野鼠に訴えた。
一年近くもかけておやゆび姫の結婚の支度をしてきた野鼠は鋭い歯を剥いて怒った。それに野鼠は本気でモグラが世界一のお婿さんだと信じていた。とうとう地下の長い豪華な廊下を通って、モグラがお迎えに来てしまった。おやゆび姫は、野鼠の家の前に出て、二度と会えなくなってしまうお日さまにお別れを告げた。
その時だ。かつてモグラの家の廊下に瀕死の身を横たえていたツバメが南の国から戻ってきた。おやゆび姫の介抱で元気になって飛び立って行ったツバメだ。
その時はツバメの誘いを断って野鼠の家に留まったが、今度はツバメの言葉に従って、その背におぶさって南へ南へと飛んだ。お日さまがキラキラ輝く緑豊かな暖かい世界を見晴らしながら、青い湖の畔にある美しい緑の森に囲まれた真っ白な大理石の宮殿に降り立った。遠い昔から立っているお城でした。ツバメはそこに住んでいた。
ツバメは、おやゆび姫を大きな白い大理石が倒れて三つに割れた窪みに連れて行った。そこには、この上なくまっ白い花が咲いていて、白く透き通った小さな人が座っていた。金の冠を被り、肩にはまっ白な翼が生えていた。
体はおやゆび姫と同じくらいの大きさで、花の天子たちの王子さまでした。おやゆび姫は王子さまに請われ、目出度く結婚して花の女王さまになりました 。
これが山室静(1906〜2000)訳の新潮文庫のアンデルセン童話集(Ⅱ)の「おやゆび姫」の粗筋である。アンデルセンのお話の中では、珍しいハッピーエンドのお話ということになっている。
とは言っても、モグラの叔父さんだかお兄さんは、おやゆび姫の魅力に振り回された上に、花と太陽が嫌いだというだけで捨てられたし、せっせと世話をした野鼠さんも裏切られる。みんな踏んだり蹴ったりである。小さくて、可愛いおやゆび姫の気侭な振る舞いに魅力があるということなのかも知れないけれど、やっぱりモグラさんや野鼠さんが可哀想になってくる。
もう一つハッピーエンドのお話ということになっている「火打ち箱」という話にも同じような面がある。
一人の兵隊さんが戦争の帰り、軍装のまま田舎道を歩いていた。そこで、下唇が胸まで垂れ下がった、たいそう醜い魔法使いのお婆さんに出会う。お婆さんは「本当の兵隊さんじゃ。欲しいだけ、お金を上げましょうよ」と切り出した。
「木のてっぺんまでよじ登って、木のがらんどうに滑り込んでごらん。下に明るい廊下があるよ。そこに、鍵穴に鍵が刺さったままになった三つの部屋が見えるから。部屋には順に銅貨と銀貨と金貨が入った箱が置いてあるからね。好きなだけ取って来なさい。
箱の上にいる犬の化け物は、私の前掛けをお前さんに上げるからそれに包んじまえばいい。お前さんの胴に綱を結わえて、呼び出したら直ぐ引き上げられるようにしておくからね」
こう魔法使いのおばさんは丁寧に教えた上で、「私は、ビタ一文くれとは言わないよ。私には、ただ、婆さまが置き忘れてきた火打ち箱を取ってきてくれりゃいい」と、兵隊さんに言ったそうだ。
兵隊さんは、木のがらんどう中の部屋に下りると、銅貨も銀貨も捨てて、金貨をぎゅうぎゅうに詰めて、火打ち箱も持って、おばあさんに引き上げて貰って道に降り立った。ここから、訳が分からない残酷な話になる。
魔法使いが「火打ち箱を渡してくれ」と言うと、兵隊さんは「この火打ち箱をどうするんだ」としつこく尋ねる。魔法使いは頑として答えない。
「そこで兵隊さんは、魔法使いの首を切ってしまいました。それそこにいる。兵隊さんは、金貨をみんな前掛けにくるんで、荷物のように肩に担ぐと、火打ち箱をポケットにつっこんで、さっさと町をさして歩いていきました」と書かれている。
「それそこにいる」という挿入句が不気味と言えば不気味だ。それに兵隊さんには最後まで名前がないのも不気味だ。おやゆび姫には、花の天子が最後の場面で「マーヤ」という名を贈っている。でもアンデルセンは、どうも、この兵隊さんには、名前を贈る気にならなかったみたいである。
兵隊さんがポケットにしまって持ってきた火打ち箱はアラジンのランプのようものだった。中の火打ち石を取りだし、それを打って「切り火」を出すと、三つの部屋にいた三匹の犬の化け物が出て来て、兵隊さんの言うことを何でも聞いてくれる。兵隊さんは担いできた金貨を全部使い果たし、ローソク一本も買えなくなった時、火を起こそうとして火打ち箱の秘密を発見したのである。
そして三匹の化け犬の才能を見事に使い分け、懸想していたお姫さまに空中から近づいて、まんまんとお姫さまを篭絡してしまう。
町の人々は兵隊さんを歓呼して迎え入れる。御婚礼のお祝いの宴は、三匹の化け犬も同席して一週間も続いたそうだ。
素直にハッピーエンドのお話であると言うのは引っ掛かるものがあるけれど、ちなみに訳者の山室静氏は「あとがき」で、「普通の昔話は、魔女や王様はもっと大きな力をもち、恐怖や尊敬の対象あるのに、ここでは兵隊にたちまちやっつけられてしまう無力な存在にすぎないものになっている。こんなところに、新興市民階級の一員としてのアンデルセンの若々しい自由な精神があらわれていることを児童文学者の関英雄さんが指摘したことがあるが、卓見だと思う」と評している。
この訳者と評者の目は、兵隊さんの魔法使い殺しに注目したところまでは大変に結構である。ところが読みがいかにも日本の優等生である。血生臭い革命の嵐の中から誕生したヨーロッパの近代を、最初から合目的的で明確な方向性を持っていたかのように、日本の西洋学者が紋切り型の解釈を続けてきた結果だろう。
ともかく、先の説明では、やっぱり、何故、魔法使いのお婆さんを兵隊さんが殺す理由があったのかが分からない。
アンデルセンは、わざわざ魔法使いのおばさんを全くの善人に書いている。純真とは言わないまでも、お婆さんが善意だったことは間違いない。善意の魔法使いを殺した兵隊さんが、魔法のランプならぬ、お婆さんの大切な魔法の「火打ち箱」を勝手に使って、巧妙に幸運を掴むという筋書きには、どうも兵隊さんの個人的な性癖を超えた、兵隊さんが生きていた、つまり、アンデルセンの生きていた「時代の匂い」がする。
それは血で購った時代の臭さと言えるかも知れない。大上段に構えれば、時代のエトス(ethos)というか精神状況が色濃く出ているのではあるまいか。
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第二次大戦の敗戦後のことである。アプレ・ゲール(aprés-guerre)というフランス語が日本のジャーナリズムを賑わせたことがある。多分、フランスで使われ始めたのだろう。訳してしまえば、戦争の後、戦後である。しかし、この言葉が日本で使われ時に意味したことは、それだけでは語り尽くせない。
ちなみに「大辞林」では「戦後派。日本で、第二次大戦後、野間宏・中村真一郎などが旧世代の文学者と自らを区別するために用いたが、のちには無責任・無軌道な若者たちをもさすようになった。アプレ」とあるけれど、自分には、戦前の固い価値観が根こそぎ崩壊する中で、無軌道な若者の出現を象徴する時代の言葉だったという方の記憶が強い。
「アプレ犯罪」というのがあった。有名なのは「光クラブ事件」である。昭和二十三年、東京大学・法学部学生だった山崎晃嗣は、高利を保証することで出資者を募り、それをさらに高利で貸す会社「光クラブ」を設立した。
「年中無休!天下の光クラブは精密な科学的経済機関で日本唯一の金融株式会社です」というキャッチコピーで新聞広告を大々的に行い、それと東大生社長と新世代をイメージする「光クラブ」というネーミングが評判を呼び、急成長を遂げた。ところがヤミ金融容疑で逮捕された後、経営は行き詰まり、昭和二十四年十一月、彼は銀座の社長室で青酸カリを飲んで自殺する。二十六歳だった。彼は「人生は劇場だ」と言い、自殺まで演出した死だったと言われた。
翌昭和二十五年には、「オー・ミステーク事件」が起きた。日本大学の運転手が職員の給料百九十一万円を銀行から引き出して大学に戻る途中、同僚の運転手・山際啓之(当時十九歳)に呼び止められ、同乗させた。車に乗り込んだ山際は、隠し持っていたナイフで同僚運転手を脅し、首に重傷を負わせ、百九十一万円と車を強奪し逃走した。
山際は、前年の昭和二十四年に日本大学の臨時雇いの運転手として採用され、その後、同大学文学部の教授の娘と知り合い、二人は金を強奪して逃避することを計画し、それを実行した。
夫婦を装い、日系二世と称して借りた部屋で、強奪した金で購入したダブルベットに寝そべっているところを警察に踏み込まれて逮捕された。その時、山際は愛人の娘に向かって、大きく両手を広げ、「オー・ミステーク」を連発したという。
昭和二十八年には「メッカ殺人事件」が起きた。東京・新橋のバー、メッカの二階のカウンターに血がしたたり落ち、驚いたマダムが調べたところ三階のバンドマンの控室から毛布に包まれた中年の男の死体が見つかったという事件だ。
男は証券ブローカー。犯人は証券ブローカーの知人とバーテンダーなど三人。主犯は証券ブローカーの知人の慶応義塾大学卒の正田昭(二十四歳)。女とヒロポンのための金ほしさに三人がかりで殺害して四十万円を奪ったのだという。約二ヶ月後、全員が逮捕された。
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アンデルセンの兵隊さんは、このアプレ・ゲールの百五十年くらい前のご先祖さまだったように思えてくる。
時代考証を続ける。アンデルセンが生まれたのは一八〇五年、童話作家として世に出たのは三十歳を過ぎてからだ。だから、アンデルセンの時代は、一七八九年に勃発したフランス革命から四十年以上、経った時代である。
「旧体制」―――アンシャン・レジーム(ancien regime)を血祭りに上げたフランス革命後にやってきた価値観の崩壊が、ドイツでシュトルム・ウント・ドランク(Sturm und Drang)―――「嵐と激情」の津波となって、さらにヨーロッパの北の果てデンマークにまで押し寄せるのに四十年以上、掛かったということのように思う。
近代ヨーロッパの揺籃時代、波頭に首をもたげたメデューサの髪の一匹の「アプレ・ゲール」が「火打ち箱」の兵隊さんとなってアンデルセンのお話に乗り移ったように思えてくる。
メデューサ(Medusa)は、ギリシャ神話に出てくる魔女というか怪物である。もともとは美しい少女だったが、海神ポセイドンと神殿で関係を持ったため、女神アテナの嫉妬と怒りをかって、顔は醜く、美しい髪は蛇にされ、その目を見た者は石になる恐ろしい怪物にされた。誰も、この怪物に太刀打ちできなかった。
それを英雄ペルセウス(Perseus)が、その目を見ないように盾に映る姿を頼りに近付いて首を切って殺した。そんなギリシャ神話を昔に読んだ。
怪物になった経緯などについては、他にもいろいろな説があるらしいが、ともかく、アンデルセンのお話には、明るい太陽のギリシャで語り伝えられてきた、この陰惨で非合理的なメデューサに関する話に通じるものが感じられる。
大分、横道に入ったというか、気侭に漂泊してしまったけれど、話を元に戻す。ヨーロッパ近代の最大のうねりは、合理主義の台頭だろう。カトリシズムの天下で、燎原の火のように新教徒革命が拡がる中で、神の大原理の下に全てが封印されていた世界から人間は解放され、同時に諸々の原理も分離独立されることになった。
そして科学は誕生した。科学は神の大原理の世界から部分均衡の世界を分離独立させることにより、近代を切り開いた人間の営為の賜物と言えるだろう。
ニュートン(Isaac Newton : 1643~1727年)は、錬金術に明け暮れる日々の中から、万有引力の原理を発見したと言われている。錬金術は、神の大原理で覆われた中世の世界が、その辺境に生かし続けてきた「はみだし者」のようなものだろう。この錬金術というドロドロした辺境から万有引力という蒸留酒が醸し出されたことは、近代の合理主義の出生の秘密を明らかにしている気がする。
合理主義には、神の大原理と対峙するだけではなく、その辺境に存在し続けてきた非合理世界のメデューサとも鎬を削りながら近代を誕生させたという暗黒の過去があったと言ってもいいだろう。
さらに言えば、合理主義や近代が孕んでいる力は、その出生にまつわる中世の暗黒の世界との緊張関係にこそある、錬金術との緊張関係こそ合理主義や近代の力の源泉であると言えよう。
その意味では、先に引用したアンデルセン童話の日本語の訳者の「あとがき」は、こうした背景の緊張関係を知らずに、単純に権力を否定することを以って近代と理解するような教育を受けて育った、いわゆる日本の知識人に典型な見方のように思われてならない。
アンデルセンの童話には「赤い靴」というお話もある。カーレンという名前の綺麗で可愛い女の子が主人公である。貧し家庭に生まれ、冬も裸足で木靴を履いていた少女である。
そのカーレンに、靴屋のお婆さんが赤い古着の切れ端で小さな靴を縫ってくれたことから話が始まる。カーレンは、その靴を母親の葬式の日にもらった。葬式には似つかわしくなかたけれど、他に履く物がないので、もらった靴を裸足のまま履いて母親の粗末な棺の後ろについて行った。
この葬式に、恰幅の良い年を取った奥様が通り掛かって、可愛いカーレンを見かける。そして牧師さんに頼み、養女にして引き取る。カーレンは、さっぱりした服を着せられ、裁縫も読み書きも習わせてもらい、申し分のない生活を送ることになる。
ところが、養女にもらわれた最初の場面で、カーレンは赤い靴のおかげだと靴に感謝したのだが、カーレンを引き取った奥さまはいやらしい靴だと言って焼いてしまう。ここに赤い靴にまつわるカーレンの悲劇が予兆されている。
カーレンはキリスト教徒になるための荘厳な堅信式に出席する靴として赤いモロッコ皮の靴を買ってしまう。不幸なことに、奥様は靴の色に全く気付かず、赤い靴がカーレンの手元に戻ってきた。それも古着の切れ端で作った靴とは比べものにならない上等の赤い靴である。
強烈な幼児体験から赤い靴に魅せられたカーレンの魂は矯正されるチャンスを失った。堅信式だけでなく、それからは礼拝にもカーレンはいつも黒い靴ではなく、赤い靴を履いてしまう。それでいて、カーレンは自分が履いている場違いな赤い靴のことばかり考えて、いつもドキドキしていた。
この赤い靴は、通り掛かりの年老いた兵隊さんの手で呪文をかけられ、履くとピッタリ足にくっついて離れず、勝手に踊り出す魔法のダンス靴になってしまう。履いている限り、カーレンは踊り続ける。誰かがカーレンを捕まえて強引に靴を脱がすと、物怪が消えたようにカーレンの踊りも止む。
いつも誰かがカーレンを捕まえて、靴を脱がせてくれていた。ところが、奥様の葬儀の日、カーレンは、ついフラフラと、この靴を履いてしまった。カーレンは踊りたい訳ではないのに踊り続ける。葬儀の場を出て、町を抜け、踊りつづける。奥様はなくなり、誰もカーレンに付いて来てくれる人はいなかった。カーレンは、踊りを止めさせて下さいと神様に何度もお願いする。
踊りつづけ、荒野に出たカーレンは、荒野の一軒家に住む首きり役人に、「どうか、わたしの首は切らないで!でないと、わたし、懺悔 をすることができなくなりますもの。その代わりどうぞこの赤い靴ごと、私の足を切って下さい」とお願いした。
カーレンが罪をすっかり懺悔してしまうと、首きり役人は赤い靴ごとカーレンの足を切り落とした。靴は小さな足と一緒に、踊りながら荒野を横切って暗い森の中に入って行ってしまった。
カーレンは首きり役人に木の足と松葉杖を作ってもらい、罪人がいつも歌う賛美歌を教えもらった。
カーレンは首きり役人の手にキスをして町に戻り、牧師さんの家で、住み込みで働きながら、聖書を読み神様の言葉を聞いたり、賛美歌を口ずさんだりして暮した。
こうした神様への献身の日々を過ごした後、カーレンは、教会で賛美歌とお日さまに包まれ、平和と喜びに満ち溢れ、神様のところへ飛んで行きましたというお話である。
このお話について、訳者の山室静は訳本の「あとがき」で、「赤い靴をはいて養母の葬式に出かけた娘の虚栄心を罰するのが大げさすぎて、アンデルセンの他の童話の気分とは少し食いちがうところがある」と一蹴している。
母親が死んで、ただ一人になってしまったカーレンは、親切なお婆さんが作ってくれた赤い靴を履いて母親の葬列に参加した。そのカーレンの赤い靴に対する思い入れを、虚栄心という言葉で片付けるのはどうだろうか。
これに代表されるように日本の多くの評者は、赤い靴へのカーレンの執着を虚栄心と断定し、西洋渡来の童話から教訓を読み取ろうとする。それは多分、日本の近代化の過程での西洋崇拝の精神の発露なのだろう。
しかし、これではアンデルセンが心を砕いて辿ろうとした人間の情念の奥深さ、カーレンの場合で言うと、母親の死と赤い靴が彼女の心をがんじがらめにしたという幼児体験の凄まじさが伝わってはこない。
ちなみにアンデルセンは、『童話と物語集解説』(大畑末吉(1901〜1978)訳「完訳アンデルセン童話集 七」)の中で、「赤い靴」を書いた背景を次のように書き留めている。
「わたくしの自伝『わが生涯の物語』のなかで、わたくしは、堅信礼のため、はじめて靴をもらった時のことを書いておいた。『わたくしが教会の床を歩いてゆくと、靴はキュッキュと鳴った。これを聞けば会衆にもこの靴が新しいということがわかるはずだと思うと、わたくしは心の底からうれしくなった。しかし、そのため私の信心は乱されてしまった。わたくしはそれを感じ、また気持ちが神さまのみもとにあるかと思うと、それ以上にわたくしの靴の上にあることに恐ろしい良心の呵責をうけた』この思い出から童話『赤い靴』ができた。この童話はオランダとアメリカで多くの読者を獲得したようである」
アンデルセンは、虚栄心が恥ずかしいなどとは一言も書いていない。初めてもらった新品の靴に対する彼の執着が、大切な宗教儀式、堅信礼の場で、神への献身を妨げたという良心の呵責を素直に告白している。すべて神の御前での出来事である。太陽の光の薄い北欧生まれのアンデルセンは、時代の明日を照らす近代合理主義の明るい光が届かない、旧い陰の世界に蹲っている魑魅魍魎に心配りを続けたようである。
この事実に目を向けると、時代は百年以上、後のことだが、同じ北欧の画家ムンク(Edvard Munch:1863~1944年)の絵画が目に浮かんでくる。北欧というヨーロッパの辺境では、繊細で、かつ強靱な精神が育まれるものらしい。アンデルセンは、天を切り裂くような近代ヨーロッパの誕生を訴えたムンクと時代は異なるものの同時代を生きた人間のようである。
アンデルセンは、ヨーロッパの辺境の地で身震いをしながら、歴史の誕生を見つめていた。己の生活の方便を求め彷徨いながら、中世の暗黒の中で押し込められ、荒々しい近代合理主義の刃で腑分けされようとしている人間の本性に憩いの場を与えようとしたのだと思われる。
子供は清らかで純真だと一口で片付けることが多いが、清らかで純真だからこそ、幼児体験の強烈な執着や執念に染まり易いとも言える。そこに教育やお説教で癒され、あるいは根絶やしにされることのない人間の本性が息づいている。
アンデルセンは、そのことを察知し、童話というジャンルで、人の執念や執着に寄り添って話を書き続けたのだろう。ヨーロッパで生まれたばかりの荒々しい近代合理主義に熱狂することなく、ファンタジックに人の本性を見つめ続けていたのだろう。人の本性を慈しみ、それをファンタジックに登場させたところにアンデルセンの真骨頂があるように思う。<
ところで、「赤い靴」のお話のカーレンは赤い靴ごと足を切ってもらうが、これは、仏教流に解釈すれば、執念を絶って解脱するということだろう。もちろん、虚栄心からの解脱ではない。坊主は経典を捧げて解脱を説くが、普通の人間ができる教育の原点はもっと実利的なものだろう。恐ろしいかどうかは別として、執念や執着を人間の本性の愛しいものとして受け止めた上で、自分に、家族に、友達に、そして社会に世界に役立つように、執念や執着や妄執を飼いならす術を授けることだろう。
その原点にアンデルセンの童話があり、その手段として、近代合理主義の成果である学問があるのだと思う。
そう言えば、ドイツの森の中から生まれたグリム童話にもかなり残酷なお話が多い。人の本性に根ざした残酷さをファンタジーに仕立て直すところに、童話そのものの真髄があるのかもしれない。そもそも人の残酷さとファンタジーは相性が良いのかもしれない。
ところがディズニーは、この童話から残酷さをさっぱり洗い流し、別の商品性の高いファンタジーを創り出した。自動車の大量生産という近代化の象徴を完成させたのもアメリカである。ここからアメリカという国の文化の個性というか特異性が窺えてくる。
近代合理主義の中で、近代経済学は、アダム・スミスの洞察力によって、市場経済の自由競争の巷で人の物欲や競争心を飼いならし、万民の厚生を引き上げて行くことが出来ると喝破した。その市場経済がアメリカ文化の中で開花し、巨大化し、世界中を巻き込んでいる。今、グローバリゼーションの大祭典が繰り広げられている。しかし、この大祭典の最中、イスラム教の大原理が鬨の声を上げた。キリスト教の大原理に覆われた中世の暗黒世界の胎から血を滴らせて生まれてきた近代合理主義の潮流に、イスラム教の大原理は、いったい、どんな一石を投じ、どんな楔を打ち込むのだろうか。
アンデルセンの「おやゆび姫」のツバメに乗せてもらって、遙かに飛んで来たものである。貧しい靴職人だった父親は、幼いアンデルセンにアラビアの千夜一夜の物語を読んで聞かせていたそうだ。
そろそろ、帰って暖かい部屋で、お茶をいただくことにしよう。
(壺宙計画)