時空の漂白 60 PDF (2011年3月11日)
現代版 幸福考(7) 原 恭三
「自画自賛のエンパワメント」
自分の人生は自分で考える。簡単なことであるが、凡人にはなかなかできない。最近、書店で「自己啓発」の本を集めた書籍コーナをよく見掛ける。アメリカの書店にも「ディシプリン」という似たコーナがある。
しかし、「自己啓発」と「ディシプリン」とでは、意味合いがかなり異なる。そして、何故、日本では「ディシプリン」が注目されないのかとずっと思っていた。
海外出張に出掛け、航空機内で外国人と席が隣り合った際には、出来る限り英語で話し掛けるようにしている。
もっとも、2〜3時間も話していると、ついつい月並みな話題となってしまい、「どうですか、日本人の印象は」などと聞いてしまう。語学力のなさの悲しさである。
それでも、ある時、日本滞在10年になるというアメリカ女性から非常に示唆に富む返事を頂いた。「日本人もアメリカ人も同じですよ。唯一、大きな違いはディシプリンの力の差でしょうか」と言われた
ディシプリン(discipline)とは、弟子・信奉者(disciple)を語源とする言葉で、普通は「鍛練」、「訓練」などと訳されているが、その前に「自己」を付け加えて「自己鍛錬」などとするともっと意味がハッキリするだろう。
これこそ、今、私たち個人がじっくり学び、体得しなければならないことではないだろうか。
少子化の時代では、親の手が届き過ぎて育ち、学校では昔以上に友人との比べっこで成長し、そして社会人になって競争社会で時間に追われる日々を過ごすというのが普通のパターンで、なかなか自己鍛練の機会がない。
今の時代、読書や勉強よりも楽しいことが多すぎるし、周囲もなかなか1人にさせてはくれない。しかし、こんな時代だからこそ、1人の時間を積極的に作り出し、そして自問自答するようにしてもらいたい。
1人でお酒を飲みに行くのもよし、1人で映画に行くのもよし、1人で旅行に行くのもよしである。
最近、教育現場では「学力」低下が大きな問題になっていると言う。しかし、いったい「学力」とはなんなのだろう。学力=偏差値ではないことは分かっているものの、明確な答えを出せないでいるように見える。
電卓が手元にあるのにどうして九九算を暗記しなければならないの? という質問に明確な答えも出せない。
どうして出会い系サイトの援助交際が悪いの? と説明を求められると躊躇する大人が多いという。
威圧感だけは今の子供たちは教師に付いて行かない。今の子供たちに昔の親のように「勉強しないと飯が食えないぞ」と叱っても、「お父さん、僕、パンを食べるから大丈夫」という答えが返ってくるのが関の山である。
教師の価値は「ディシプリン」によって自らが獲得した人生観や考え方を伝えながら教えることにあるので、単なる教科書の代弁者であれば教師の存在感は薄くなってしまう。そうでなければ、今の子供達は感動しないし、付いて行かない。
文部省の中央教育審議会委員でもある田村哲夫・渋谷教育幕張学園理事長は、「自らの手で調べ、自らの頭で考える」という力の実践教育の重要性を強調し、自ら経営する高校・中学校、渋谷教育幕張学園の教育目標に「自調自考」------自ら調べ自ら考える、を掲げて成果を上げている。
進学校ではあるが、英語教育、デベート訓練、情報教育にも力を入れ、判断力、解釈力を養う学習姿勢の育成も行っている。結果として、他校の卒業生に比べて「自活力」が育っているという。「学力」には、偏差値では測れない判断力や問題解決能力、コミュニケーション力などの能力が含まれ、また能力とは言えないが、意欲とか優しさという気持ちにも着目されている。
エンパワメント(Empowerment)教育とでも呼ぶのであろうか。
個人の力を、どのように付けるか、どのように引き出すのかという組織や人材を活性化する仕組みであるエンパワメント------「一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。」------ には、まだ日本語の適訳がない。
このエンパワメントでは、個人にもそれに耐えうるディシプリンの力を付けることが必要とされる。昔、「最高ですか」という教祖の掛け声に応えて、客席から「最高です」という答える宗教が注目され、その様子がマスコミを賑わしたことがあった。しかし、自分の人生は、他人から答えをもらって楽をするものではない。自分で考えるものである。
今日のように環境変化が激しい時代では、自分をしっかりと見つめ、流されることなく耐えることが重要である。人生、楽しいことばかりではない。長くサラリーマンをやっていると、意に反して組織の外に出されたり、冷や飯を食わさせられたりするが、そういう時にディシプリンの力が大きく効いてくるものである。
人生の最期は誰もが1人で迎えるものである。誰も一緒に死んでくれないのだから ………… 。