時空の漂白 65      PDF (2011年5月6日)

広島・里山便り(5)                高橋 滋

気象庁が天気の解説などで使う「平年値」は過去30年の気象データの平均値であって、10年毎に更新されている。今年、「1971年から2000年まで」から「1981年から2010年まで」に切り替えられ、5月18日から適用されたところである。

旧データでは、
「広島市では、5月1日に22度を越え、その後ほぼ1週間で一度ずつ上昇し、月末には26度に近くなる」
「廿日市の津田では、22度を越すのは、5月19日になってから」と説明されていた。

切り替えによって広島市の22度越えは4月29日に2日早まっただけであったが、津田の22度越えは、10日以上早まり、5月8日となった。「津田は1週から10日の遅れだな」と感じていたので、この変更で実感に近いものとなった。

今年は、3、4月が寒かった。
4月の末になって、佐伯の園地(廿日市市津田)の新緑が、輝きを迎えた。

隣家は定住型の住宅だが、もともと林地で木々が多い所だったが、そこにさらにいろいろ植物が植えられ、私も楽しませてもらっている。私の小屋に向かって坂を上って行くと、まず目に飛び込んでくる木々も隣家のものだ。

春先の変化の歩みは遅いのだが、突然、新緑と三ツ葉ツツジの花が朝日の中で透き通るように輝き、「ウワ―」と声を上げてしまう景色に一変する。

今年はそれが、半月ほど遅かったようだ。隣家の三ツ葉ツツジの花も少ない。早春の花(球根で越年し早春から伸びて花を咲かせるチューリップやアネモネ、芝桜など)も遅ればせながら満開となった。

寂地山しゃくちざん〜松の木峠〜犬戻峡いぬもどしきょう

5月4日に、寂地山というところに行った。寂地山は、第2回に述べた冠山につながる山で、高度も1337mとほとんど同じである。

冠高原にある松ノ木峠(880m)から、一気に断層の谷に下り、そこから犬戻峡という渓谷を遡った。4月に降った雪が登山路に少し残っていた。

「カタクリはまだ早いかな」
例年なら5月の連休にはカタクリ(片栗)の花は終わってしまうのだが、そんなことを思いながら登ったところ、頂上に近い尾根の平坦部分にカタクリが咲いていた。真っ盛りであった。やはり季節の推移は遅れている。

途中には、エンレイソウ(延齢草)やヤマエンゴサク(山延胡索)が咲いていた。

数年前、「風のガーデン」という連続テレビ・ドラマの中で、エゾエンゴサク(蝦夷延胡索)という花が効果的に使われていた。その記憶が強かったので、ヤマエンゴサク(山延胡索)なのに、それを一瞬「エゾエンゴサクかな」と思ってしまった。気になって改めて調べてみたら、やっぱり共にケシ(芥子)目ケマンソウ(華鬘草)科キケンマン(黄華鬘)属の類縁種だった。

この仲間はユーラシア、特に中国に多く分布し、日本でも20種近くが確認されているが、ムラサキケマン(紫華鬘)など雑草扱いするのには惜しい風情のものが多い。

5月の我が園地

5月前半の気温ほぼ平年並みに推移した。気温が25度を超えると途端に蒸し暑くなるが、それが22〜23度で推移した。外仕事をしていて非常に気持ちが良い。

これは植物にとっても同じなのだろう。この時期、5月の初めから20日頃は、樹木・草花の枝や葉も最も伸びる時であり、鮮やかな時である。写真は5月8日の我が園地の姿である。春先の花々の盛りはもう過ぎている。地中の越冬株の状態で寒さをしのいだ宿根草類は、チューリップのように一斉に咲くのではなく、育ちに応じて順次、花を付ける。ちょっとした花の休息期間で、その間を狙うように野菜類が存在を主張する。

中央で目立つのは、ジャガイモ(馬鈴薯)、タマネギ(玉葱)、エンドウ(豌豆・絹莢)で、左側には、ラッキョウ(辣韮)、ニンニク(葫)、ネギ(葱)、ニラ(韮)などの香味野菜がある。

左側のカバーが掛かっているのは連休中に植えた夏野菜である。トマト、ナス(茄子)、キュウリ(胡瓜)、ピーマン類である。

我が菜園の全体のレイアウトは、やや古い図面だが、次の通り。
図面は上が北であり、写真は、その図面の上側にある道路から撮ったものである。

野菜は中央部の10m×6mの長方形の部分を6分割してローテーション(輪作)している。1区画は10平米、1アールの10分の1。そのため堆肥1アール200㎏入れるところには20㎏入れるといった具合になり、ともかく計算がやりやすい。

野菜は自然の植物ではない

野菜は、長い時間をかけて、人間に都合が良いように、ドメスティケーション(domestication) ---- 動物でいう「家畜化」をしてきたものである。

余談だが、動物の場合は、domesticateの家畜化する、domesticationの家畜化という日本語訳がしっくりするが、植物の場合には、どうも適切な日本語訳がないように思う。「栽培化する」「作物化する」、「栽培化」「作物化」などの言葉が使われているが、「家畜」という言葉ほどこなれていないように思う。

日本原産のものが少ないことにでも関係があるのだろうか?

それはともかくとして、野菜が「栽培化」「作物化」されたものであることが、野菜の連作障害に深く絡んでおり、「輪作」が野菜作りの基本となっている。海外テキストでもまず「ローテーション」について触れられている。

「輪作」は思い付きでやるとすぐに行き詰まってしまう。夏野菜、豆、ジャガイモ、タマネギなどをキーに、数年分を計画しなければならない。

「エクセル」に区画を配列し、過去の履歴を踏まえて、3〜4年間の休耕期間を設けるように基本を定める。肥料の残り具合や栽培期間などに基づく「輪作の原則」のようなものがある。

「ロング葉もの」と呼んでいるラッキョウ(辣韮)やニンニク(蒜)、ネギ(葱)などは2〜3年場所を固定してしまっている。ジャガイモは春秋2回作っている。

当初は、イチゴも手掛けていたが、畑の占有期間がほぼ1年と非常に長いので、現在は作るのを止めている。

と言うよりも、庭の縁に放りっぱなしでも、毎年、少しではあるが、恵みをもたらしてくれるようになっている。

植え付けの1ヶ月前、遅くとも2週前までには前作を整理し、堆肥などを入れて土作りを行う。このやり方と苗の準備によって「作付け計画」が決まってくる。上手な人は1年に何作も作っているが、私は下手で、空いた場所がかなりできてしまう。土地の利用効率が悪くなっている。

私の野菜作りは1971年から

夏野菜は家庭菜園の入門コースであるが、主役でもある。気の早いホームセンターでは3月から店に苗を出すが、農協での取り扱いは4月末からである。「八十八夜はちじゅうはちやの別れ霜」と言うように、立夏りっか(今年は5月6日)の直前までは、最低気温が2〜3度まで下がることを考えて置かねばならない。

実際、今年は、そんな日が4月下旬に5日もあった。0.3度、0.8度まで下がった日があった。今年の八十八夜は5月2日だった。

昨年、夏野菜は全体として出来が悪かったので、今年は植え付けを遅らせた。しかし、連休明けまでは待てず、5月2日に植え付けた。その後、ベランダで種から育てたキュウリ(胡瓜)を植え付けた。そして先に紹介した5月8日の写真の姿となった。

なお、「スペシャリティ」と称して、毎年、変わったものを少し作っている。
お茶の材料になるエビスグサ(恵比須草:ハブ草)、ハトムギ(鳩麦)の野生種のジュズダマ(数珠玉)、染料にするアイ(藍)、ワタ(綿)、ソバ(蕎麦)、ムギ(麦)、ズッキーニやシカクマメ(四角豆)などを作った。今年はモチキビ(餅黍)とソバ(蕎麦)に1区画の半分を割いている。

私が野菜作りを始めた年は昭和46年(1971年)である。
野菜作りを始めた年をハッキリと記憶しているのは、1970年春に結婚し、その1年後の1971年に、小さい一戸建ての畑付き借家に移ったことで野菜作りが始まったからである。

結婚し、最初は都会の中心部に近いアパートに借りて住んだが、1DKで狭くて来客もままならなかった。

そのため約1年でアパートを引き払い、1971年3月に引っ越した。山裾の小さい一戸建ての借家で、段々畑が付いていた。それで引っ越した翌月の4月末、初めて野菜の植え付けを行うこととなったのである。

基本給が2万7700円の時だった。まだ土曜日は休みではなく、1ヶ月間で200時間は働いていた。

その時代の苗購入記録として、トマト30円×3本、ナス25円×6本、ダイコン、インゲン、エダマメ、レタス、ヒョウタン50円×3本、メロンなどと書かれたものがあった。

当時の菜園の写真はすでに劣化していて色が悪い。しかし、それを見ると、長いこと同じことをしてきているなぁという感慨が改めて沸いてくる。

なお、現在の苗価格は、安いものが58円、少し高いのが70円、農協だと90円程度と言ったところだろう。接木苗だと、180円、240円ぐらいするものある。

野菜の起源

野菜作りは、現在、一種のブーム状態にある。本屋の雑誌コーナーを覗くと、「やさい」、「野菜」、「畑」という言葉のついた雑誌が6〜7種は見られる。今までにないことである。

昨年、「ミックスレタス」というものを試してみた。各種のレタスが混ざっているベランダ栽培向き野菜である。かつては、レタス栽培はやや難しいものであったが、「ミックスレタス」は簡単に芽を出し、生育も揃い、しかもベビーリーフの状態で食べられるので、本当に手軽でベランダ栽培向きであると感心させられた。

「ガーデニング」という言葉が流行したのは、1990年の「花の万博」(国際花と緑の博覧会)以降である。それまでは「家庭園芸」、「庭いじり」であった。

90年代後半にガーデニング・ブームが訪れたが、これを支えたのは「新しい品種」であった。矮生種あいせいしゅ(たとえば背の低いヒマワリなど)、小型・多花性品種(サフィニアなど)、早咲き品種などが数多くの新品種が創り出され、それによってファン層が拡がった。タキイやサントリーなどの種苗メーカーの努力がブームを牽引した。

野菜作りにも、それと同じようなところがあるようである。

新品種と言えば、私の畑で採取した「コウサイタイ」(紅菜苔)の種を使って、昨年の秋から今年の春にかけてベランダ栽培を行ったところ、畑で紅カブ(紅蕪)と交雑したのか、「何」とは判然としないモノが繁茂した。

葉が赤くて綺麗なのだが、カブ(蕪)のような塊があり、花の茎がしっかりと立ち上がって咲いた。普通の菜の花とは異なる、風情のある姿となった。

調べたところ、カブ(蕪)はアブラナ(油菜)科の植物であって、アブラナ科の植物は、昔は4枚の花弁が十字架のように見えたことから十字花じゅうじか植物と呼ばれていたこと、そして非常に変化の範囲が広いなど、これまで知らなかったことをいろいろ教えられた。

そして勢い野菜の起源にも関心を持つようになった。

カブ(蕪)の仲間は、いわゆるカブだけではなく、野沢菜や聖護院蕪しょうごいんかぶらまでいろいろ変異がある。キャベツも仲間である。その親類のバリエーションの拡がり(ケール、ブロッコリー、カリフラワー、メキャベツ……)、葉が巻くようになった経緯、日本での普及の歴史などあまり知られてはいない沢山の物語があった。

さらに穀物の場合には、その種の発展、変化・進化が人類の文明の発展と切り離せない歴史を持っていることも教えられた。

岩波新書に「栽培植物と農耕の起源」(中尾佐助著 1966年)という本がある。現在も版が続いていて、2000年6月現在で46刷を数える。

そこで述べられている「根栽農耕文化」(東南アジア、バナナ、ヤムイモ、タロイモ、サトウキビなど)、「地中海農耕文化」(メソポタミア、ムギ類)、「新大陸農耕文化」(中央アメリカ)、「サバンナ農耕文化」(アフリカ)といった分類は、初版から50年経た今でも有効な学説として残っている。

最近の本では、「麦の自然史:人と自然が育んだムギ農耕」(北海道大学出版会 2010年)、「サゴヤシ:21世紀の資源植物」(京都大学学術出版会、2010年)といった大著がある。

いずれも専門家による400ページに及ぶ文明史の視点からの科学読み物で、大きな拡がりと深さを持っている。

これらの本を読むと、新石器時代以来、1万年以上の時間をかけて「育種」されてきた栽培植物ついて、非常に広い分野の研究者たちによって地球規模で現地調査を含め実証が積み重ねられてきていることが分かる。

同時に、改めて食糧問題はエネルギー問題以上に21世紀の地球の大きな課題であると思い知らされる。

今年5月の作柄

この5月10日には、梅雨前線のような前線が本州に停滞し始めた。南には台風1号が発生した。その後は、スカッとした五月晴れは少なく高温多湿の日が多くなった。そのためだろうか、ここに来て、植物の成長が一気に進んだようだ。

5月21日、周辺の緑は一段と勢いを増し、野菜畑の緑も濃くなった。タマネギ(玉葱)の玉が太り始め、ジャガイモの花が咲き始めた。夏野菜はほぼ根付いて成長し始めた。「活着」し、トマトには花が付き始めた。ナス(茄子)の枝も伸びてきた。 

そして「トッキョキョカキョク」と鳴くホトトギス(時鳥)も飛んで来た。 「毎年、カッコウの声も同じ日に聴くなぁ〜」と思っていたら、遠くでカッコウ(郭公)が鳴いた。昼過ぎには、「ムゼームゼー」とハルゼミ(春蝉)も鳴き始めた。

小屋の屋根からすっかり緑となった隣の広葉樹林(小瀬川源流の小川が流れている)を眺めたら、木立の下に初夏の野の花が咲き始めたのが見えた。

今年は、紫色のシソ科の花が大変目立つ。これまでラショウモンカズラ(羅生門葛)と理解していたが、花を持ち帰ってよく調べたら、どうもタツナミソウ(立浪草)の仲間らしい。それもかなりの珍種------四国、中国地方にしか見られなくなった絶滅危惧種のハナタツナミソウ(花立浪草)らしい。

「本当かな?」と思うものの、実物を眺めていたら、「タツナミソウ属の中で最も花が大きく美しい」という記述に本当にピッタリ当てはまるような気がしてきた。

5月下旬はほとんど雨模様であったが、この5月26日、ついに例年よりもかなり早く梅雨入りした。

5月28日、アサヒビールが保有する「アサヒの森」の観察会と講演会「国際森林年にみる森の多様性」があった。生憎、雨で森林歩きは出来なかったが、アサヒビールが2200ヘクタール近い森林を広島県内に持っている、森林管理の事業所も持っていることなどを初めて知った。

樹木(緑)が炭酸ガスCO2を固定する役割を改めて反芻した。「フィランソロピー」(Philanthropy)という言葉が久しぶりに頭の中で舞った。

5月29日、台風2号接近中だが、野菜が気になって津田(佐伯)の園地に出掛けた。このところの日照不足で全体的に育ちが遅い。ナスの花がたくさん咲いている。まだ虫や病気は出ていないが、この梅雨模様の中、夏野菜は上手く育つだろうか。