時空の漂白 66 PDF (2011年8月2日)
広島・里山便り(7) 高橋 滋
7月8日、薄曇りの日であったが、気象庁は中国地方の梅雨明けを発表した。翌日から快晴となり、いっぺんに夏が来た感じとなった。
2年前には、「梅雨が明けない」(梅雨明けを特定しない)ということがあり(8月までぐずぐずとしていた)、その前年は、発表時点では7月16日だったが、確定値は7月6日となった(移り変わりの時期が長引いた、ということだろう)。
ここ2年続いて、梅雨末期に集中豪雨に見舞われて、大きな災害が起こっている。それらに比べると、今年は、いかにも梅雨らしい長雨から、きっぱりとした夏に一気に移行した。
気象庁の記録を見ると、広島市(中区)では、6月に「晴」であったのは日しかない。「晴一時曇」、「晴時々曇」をくわえても3日しかない。印象として「ずっと曇っていた」。それが、今年は、梅雨明け以降はガツンと晴れが続いて、外へ出るのも怖いほどの天気となった。
ただ、蝉が鳴かない。気象協会の小冊子「暦象と潮位 広島県の気象」には、「生物季節」として油蝉が取り上げられ、「7月18日、初鳴」とある。
「生物季節」とは聞きなれないが、「フェノロジー」(Phenology)の訳語で、自然の現象を継続観察することによって、季節の進み具合を過去と比較したり、他の地点と比べたりすることである。桜の開花宣言もそうであるが、他に、燕、藤、蛍、雨蛙など季節感を示す動植物が選択され、継続的に観察されている
広島で、熊蝉が爆発的に増えたのは、1990年代の中頃ではなかったかと思う。小さな公園の、さして大きくない山桃などの樹木に「佃煮にしたくなるほど」沢山の熊蝉がたかっているのを再三見た。
それまでは、真夏の蝉は油蝉だった。夏の気配が近づいてチィー・チィーとニイニイゼミが控えめに鳴き始めた後に、大柄で色が濃い油蝉がジリ・ジリと炒りつけるように鳴くのが夏の風情だった。
今では、夏の蝉と言えばガシャ・ガシャ鳴く熊蝉である。
しかし、今年は、その蝉が鳴かない。ラジオでも「例年なら騒々しいほどなのに、まだですね」と言っている。
(地元の放送局は広島城のすぐ傍にある。気象台も近く、広島市の気象を代表する立地にある)
冬の寒さで死んだのかなと思っていたら、7月12日、外出先で少し聞こえた。
7月14日は自分の小屋付近で一匹だけが鳴いていた。海の日(18日)の三連休になってようやく、ガシャ・ガシャと鳴き始めた。ただ、例年より少ない感じがする。
照葉樹林帯 前回の補足
ところで、前回、 紫陽花と照葉樹林帯の関係について、あまり調べを進めないままに書いた。フロリダ半島に「照葉樹林」があると書いた。フロリダ半島一帯に「照葉樹林」が分布する次頁図を見たりしたからだ。
ところが、その直後に手にした別の本では、記述が異なっていた。「世界自然環境大百科」(原題は生物圏百科―世界の生態系における人類)という、シリーズ本がある。
ユネスコに「MAB(人間と生物圏)計画」という活動があり、それとの共同で、スペインで企画出版された本で、英語版に続いて、現在日本語版が刊行中である。九つの「バイオーム」(Biome)(生物群系)に分け、人間(人類)との関係に重点を置きながら地球の自然環境が解説されている。
朝倉書店発行。全11巻。その第六巻は「亜熱帯・暖温帯多雨林」(Temperate Rainforests)(2009年11月)。総アート紙、重量1.8キロ、価格2万9400円。恐ろしく中身の濃い本である。
英語タイトル「Temperate Rainforests」の本来の日本語訳は「温帯雨林」。夏が温かく、冬がクールで、適度な雨量がある気候帯の森林。地球上に分散して存在、総面積はそう大きくはない。
それに該当する森林が日本列島には、南西諸島(屋久島以南)分布する「亜熱帯雨林」と、西日本の「暖温帯常緑広葉樹林」がある。そのため、日本語の本巻のタイトルは「亜熱帯・暖温帯多雨林」となっている。
ところで日本では、この「温帯雨林」の代表格のように「照葉樹林」という言葉が言われているが、その「温帯雨林」地域は同書によれば、北米大陸では左図の深緑色の部分であり、フロリダにはなかった。つまりフロリダには「照葉樹林」はないということになる。この深緑色の部分のうちの南側のメキシコ湾、大西洋、ミシシッピー河に囲まれた地域は、いかにも暖かく湿度が豊かそうな地域である。温帯性の針葉樹が混交しているところもあるらしい。低木層にも変化があり、紫陽花なども見られるのだろう。
しかし、それと同じ深緑色の部分は繰り返すがフロリダ半島には及んでいなかった。改めて調べたら、フロリダ半島は樹林帯というよりも「湿性のグラスランド(grassland :草原)」、日本の「湿地」である。半島の先端部分は「エバーグレイズ」という大きな国立公園になっている。
どうして、このような差異が生まれてしまったのだろうか?
「バイオーム」という概念は、そこで生息している個々の動植物による分類ではなく、「相観」という全体の姿をとらえる手法で地域を分類している。相観とは、「見た目の姿」であり、典型的には、アフリカのサバンナや全世界に広がる砂漠といったように分類される。
だから、実際に生えている植物による分類(「植生」)とは、捉え方が違ってくるのかもしれない。腑に落ちないところもあるが、両文献とも、それなりの背景・証拠を基にしての記述なのだろうから、そう考えざるを得ないだろう。
以上長くなったが、前回の補足である。さらに追加だが、どうもそもそも「照葉樹林」という言葉にも課題があるらしい。
地球全体の生物相(群系)が議論されるようになったのは、そう古いことではない。リンドバーグが単葉単発単座のプロペラ機「スピリッツ・オブ・セントルイス」で大西洋を横断したのは1927年である。それからまだ100年も経っていないのである。
飛行機もない時代は、苦労して踏査しなければ判らない所が沢山あっただろう。地球全体の生物相のマップが発表されたのは1912年であった。日本には、それが1930年に紹介された。
照葉樹林という言葉は、その時に、ラウリリグノサ(ラテン語、月桂樹の樹林、英語でローレル林)の訳として用いられた。ラウリリグノサは、ヨーロッパの学者がカナリア諸島をはじめとするマカロネシア(アフリカに近い、大西洋の諸島)を観察、そこの山地に卓越していたカナリー月桂樹を代表種と見て名付けたものである。スペイン語でラウリシルバともいう。
日本にある(導入されていた)月桂樹は、葉がやや硬く、地中海気候帯にある「硬葉樹林」に属する植物であり、「日本のラウリリグノサ」(と規定されたところ)に生える植物(楠、椨など)とは、だいぶ印象(見た目)が異なる。そこで、ローレル林、月桂樹林という言葉は憚られたのだろう。新しい名前が考案された。
日照の強いエリアに生える広葉樹には太陽光をしのぐために表面が「クチクラ」と呼ばれる革質の組織になっているものがある。滑らかな表面が太陽の光を反射し、輝いて見える。照葉という言葉は、その様子をよく示しており、適語であった。
現在では、マカロネシアにあるマデイラ諸島(ポルトガル領)の照葉樹林は「マデイラ島のラウリシルバ」とよばれて世界遺産になっている。
実際のところは、カナリー月桂樹は、地中海型の月桂樹とは異なり、葉の形や質は椨に似ているという。「全体の相観は国内の照葉樹林とよく似ており、ローレル林と椎・樫・椨林は同一の群系(バイオーム)であることを確認できた」(服部保)という。だからローレル林でも良かったのである。
植物学的には、照葉樹という樹種はない。(広葉樹、針葉樹という言い方は正しい。)また、樹林と林という表現がミックスしていて統一を欠くという議論もある(レインフォレストを雨林と言って、雨樹林とは言わない)。
だから定義用の言葉としては課題を含むのだが、戦後になって「照葉樹林文化」という概念が広まって、もはや引き返せなくなってしまった。
ヒマラヤから中国の南部、台湾を経て日本に連なる半月弧上の照葉樹林帯の類似の文化がある。例えば、絹とか発酵食品、モチ食など、このことだけを語った文献も多数ある。神社の「杜」などとの関係で、日本の、特に西日本の自然観の基盤であるという見方もある。もはや、その名前を変えることはできないだろう。
「世界自然環境大百科」では、日本の「亜熱帯雨林」、「暖温帯常緑広葉樹林」は「典型的なローレル林」である、「日本ではこの森林を、shoyo-jurinと呼んでいる」と記している。「SATOYAMA」(里山)のようにいつかは国際語になるのだろうか。
(照葉樹林を英訳して、Lucidophyllous forest という言葉が作られたが、海外では定着していない。)
すっかり昔ながらの言葉の遊びめいた流れになってしまった。しかし、何と呼ぼうが、日本の西南部が常緑の広葉樹が卓越するエリアであることは間違いがない。ここは、元は熱帯にあった樹木たちの「遺存的な所」であり、熱帯樹林に準じる、多様な低層、下層植物が繁栄している空間なのである。
紫陽花の他にも、ツツジや椿など園芸上重要な植物が多く、また、世界文化に影響をあたえた植物としてチャ(茶、椿の仲間)が存在している。
佐伯の園地のモルナダ
寄り道が長くなった。佐伯の園地である。今年は6月の長雨が影響したのか、7月の前半は植物の姿が今一つであった。
見栄えがするのは、一昨年に種を蒔いて、フタ冬を経て、ようやく大きく育ち花を付けたモナルダ(ベルガモット)ぐらいだった。これは、ハーブと称されているが、花も十分楽しめる。花の形に変化があり、サイズも大きく、形もだんだんと変化してゆく。今年の数少ないヒットになりそうだ。
草木の花もこの時期は少ない。足元の地味なマメ科の植物は、「駒繋ぎ」。木に咲く花は「令法」である。白い花を一面に付けて多くの虫を呼び込んでいる。
海の日の三連休に、千葉に住む息子家族が早めの夏休みにきた。孫がキュウリを丸ごと囓っている。放射能が不安で、生野菜はとらないようにしているという。
近くにある小瀬川で水遊びをする。泳げる小さな川は、広島でもあまりない。海と違って上がった後がさっぱりとして気持ち良い。この辺りは、鮎と穴子の生息の境界線である。少し下流には鮎の釣り師がおり、少し上流には甘子(天魚)の釣り場がある。かつて「岩倉温泉」という温泉付きの国民宿舎があったが、老朽化し取り壊されてしまった。
7月22日、土用が過ぎて、ようやく夏らしい姿となった。トマトが赤くなった。百合も夏らしく咲いた。
向日葵も夏の花かもしれない。
スカビオサコーカシア(花がやや大きい西洋松虫草)、ペンステモンなど期待していた「イングリッシュもの」は佐伯の蒸し暑さにはやはり耐えられなかったようだ。咲くことは咲いたが、すぐに草姿が乱れてしまった。「イングリッシュもの」できちんと咲いたのはエキノプス(日本名・ルリタマ薊)ぐらいであった。
これまでいろいろ難しい「イングリッシュもの」の花に挑戦してきた。個々には美しい花を咲かせることができるものの、イギリスの雑誌ある群植の美しさはどうしても実現できない。梅雨時に蒸れて腐ったり、日光不足で花を付けなかったり、徒長して見苦しくなったり…………。デルフィニウムのように、本来は宿根草なのに夏を越せず駄目になるものも多い。
日本の夏には向日葵、朝顔、百日草など伝統的な花が似合うなあ、とつくづく思うようになってきている。
7月30日、広島市の里山整備士として支援している湯来町峠地区での活動があった。四月に筍掘りをしたが、今回はアウトドア・クッキングである。
竹を使った食器を製作し、手打ちウドン、オリエンテーリング、甘子(天魚)の掴み取り、野菜のもぎ取り、地元の食材で夕食作り…………と、午前9時から午後7時まで一日掛かりの盛り沢山のイベントである。広島市が募集した30人ほどが集まる。子供達は元気よく跳ねまわり、声が夏空に響いた。
高橋 滋 広島県森林インストラクター・
広島市里山整備士
1968年 東京大学工学部航空学科卒業
1968年 東洋工業(株)(現マツダ(株)入社)
以降、主として商品企画・経営企画部門。
電気自動車、都市交通システムの調査研究、長期経営計画、商品計画
乗用車の基本設計、商品企画
、商品開発主査などを担当
この間、1988〜1991年、北米R&Dの副社長
として商品企画・評価・人事・財務担当に従事。
2001年 商品企画ビジネス戦略本部副本部長を最後に早期退職
2002年 (財)広島市産業振興センター
中小企業支援センタープロジェクトマネジャーに就任
2008年 退職 現在、広島県森林インストラクター・
広島市里山整備士として活動中。