時空の漂白 69      PDF (2011年8月30日)

広島・里山便り(8)                高橋 滋

8月8日。いつものように5時前に起きて、自室でちょっとぼんやりとしていてふと外を見たら、グエッと声を出したくなるような朝焼けである。

朝方の景色には様々な表情があるが、思わずカメラを構えたくなる朝明けは、年に何回とない。

今年は、春先から、というより年初から黄砂が寄せて、すっきりとした空が少なかった。 

「気象科学事典」によれば、夕焼け朝焼けが長く続くためには、数百キロにわたって晴れていることが条件だという。

「ひまわり」の写真で、太平洋にうっすらと雲がかかっているような時は、光がうまく到達しないのだろう。塵であれ、水蒸気であれ、空気中の成分が基本の色彩を決め、雲がちょうどうまい位置にある時に表情が付く。

過去の写真を引き出して見たら、やはり雲が大きく影響していた。昨年の9月2日の朝焼けは、新聞にも記事が出た見事なものであった。遠い所に光を遮るものがあったのだろう、この現象は大分県でも見られたという。やはり、「数百キロ」というオーダーでの大気現象である。

今年6月(写真を撮った今年初めての朝焼け)の時は、梅雨模様とセットだった。一面バラ色になった。この色合いも珍しい。

朝焼けは、日の出よりもだいぶ前の現象である。空が色づいた後、徐々に明るくなる。山の端に太陽が顔を覗(のぞ)かせると、朝のショーは終了する。太陽に向けての写真も撮れなくなる。その頃、高層の雲が薄く空にかかっていると、また違う朝の表情が見られることもある。

我が家の東側は、大きな建物がなく、山の端(スカイライン)が途切れていない。東側2キロほどのところに飛行場(広島西飛行場)がある。(右上の写真の光っているところが大田川で、これに平行して滑走路がある。)

空港には建築規制があって、建築物の高さが制限されている。私が住んでいるマンションは、この辺りでは高い14階建てで、周囲には視界を遮るものがない恵まれた条件にある。

正面の山列の一番高いところは、呉娑々宇山ごさそうさん(682.2メートル)で、地図上で測定すると14キロほど離れている。

毎日の日の出は、この山並みの上を、ほぼ真東の中心点を挟んで左右(東西)29度ほどの範囲を往復する。

今日は立秋であり、太陽は、左の方から真東に戻る行程の半ばである。夜明けは5時をだいぶ過ぎてからになる(ネット情報では、日の出は5時25分)。

カナカナゼミ(ヒグラシ)が鳴く。7月半ばから山間部ではたくさん聞くことができるが、この付近では、どうも「日暮らし」〜「一日中」とは言うものの、この夜明けの時間帯がお好みのようである。

    ……………………

ところで年の梅雨明けは7月8日だった。「梅雨明け10日」の言葉通り、この日から1週間ほど快晴が続いた。

気象庁のHPを開くと、「気象統計情報」というタグがあり、指定に従って中に入ってゆくと、さまざまなデータが出てくる。場所を指定し、特定年月の「日ごとの値」を出し、「詳細(日照・雪・その他)」というタグを開くと、「全天日射量(MJ/m²)」が見つかる。天から降り注ぐ、単位面積当たりのエネルギー量(全日)である。

その値が7月15日、16日と続いて「28Mジュール」を越えた。「日照時間」は13時間以上になった。調べたら、広島でこの10年、「全天日射量」が28Mジュールを越えた日も、「日照時間」が13時間を越えた日も、それぞれ1日しかなかった。

そんな7月の天候を改めて思い起こすのは、8月に入っても、それなりの晴れの暑い日々が続くのだが、それ以上に佐伯の園地の様子が7月の天候の影響なのだろうか、例年とちょっと異なるからである。

今年は黄花コスモスの背丈が低い。低いまま花をつけている。毎年2メートル近くに育って、夏以降の庭の空間を占有する。競合がないので(つまり、暑さと乾燥に打ち勝つようなものを育てていないので)、伸び放題に育って花を咲かせ、やがて無数のタネをつけて、翌年も早くから庭のあちこちで子孫をはびこらせる。抜こうか、残しておこうか迷っているうちにあちこちで大きく育って、やがて手が付けられなくなる。その繰り返しだったが、今年は、こぢんまりと花を付けて、周囲と調和している。

昨年、あれだけたくさん来たアゲハチョウ類が1匹もやってこない。蝶が好きで集まるためバタフライブッシュ(Butterfly bush)といも言われるブッドレア(Buddleja)———房藤空木(ふさふじうつぎ)も、そしてクサギ(臭木)も咲き誇っているのにである。

6月の雨のせいか、早かった梅雨明けのせいか、とデータを見ていると、7月前半の日差しは凄かったのに、7月の後半の「日射量」がかなり少ないのに気がついた。

晴れが続いていたように記憶していたのだが、7月18日以降やや曇りの日が多くなり、そこから月末までの日射量の累積は、前年の同期より20%ほど低かった。 (月末に新潟の方で記録的な大雨があったが、その気圧配置が影響しているかもしれない。)

植物体の成長量は、入射のエルギーに比例するのだろう(平均気温の累積は4%ほどしか低くない)。黄花コスモスは、普通のコスモスほどではないが「短日性」という性質(日照時間が短くなるにつれて咲きだす性質)があり、育ちきらないのに、花が付き始めたのかもしれない。ブッドレアの育ちも悪く、クサギの花付きも悪い。

春先寒くて、いろいろな物の生育が半月ほど遅れていることも思い出し、さらにデータを睨んだのだが、当然のことながら簡単には関連性は見付けられなかった。

8月後半は秋雨前線のような気圧配置と天候が続いた。九州で、「低温に関する異常天候早期警戒情報」が発令された。しとしとと雨が降って、秋の虫(コオロギなど)の声が強く聞こえてくると、「一体、今はどういう季節なのか」と狂おしい気持ちになる。

専門家に天気図を見せて、「これは、いつ頃のものだと思う?」と質問しても、まず正解は得られないのではないだろうか? ………… そんな天気図の日々が続いた。

今年は5月初めに、梅雨前線のような前線が見られた。珍しいので天気図を保存しておいた。この時は台風一号も発生して日本の南岸を通過した。いずれも、通常の事柄ではない。

昨年の夏、気象庁は「私どもは、なかなかこのようには言いませんが、今年は異常気象です」というようなことを言った。その流れが続いているようにも思う。

それでも夏らしい実りがある。ミョウガは良い年と駄目な年があるが、今年は形も大きく数も多い。

 

昨年は虫にやられて散々だったピーマン類が、非常に元気良く育っている。
ナスは駄目だった。
キュウリは良かった。
トマト、インゲンはまずまずだった。
この季節は、週2回出掛けないと、収穫に間に合わない。

種の起源

市内に用事があって、時間調整のため大 きな本屋に入った。文庫の平積みにダーウィンの「種の起源」(上下)が並んでいた。おやと思って手にした。光文社の「古典新訳」という文庫シリーズで訳がこなれている。学者が訳すと、学問の制約があるのか、どうしても漢字が多くなる。読みにくくなる。この訳者には、「サイエンスライター」という肩書きが付いている。古臭い感じは皆無で、最近の本のように読みやすい。もう本は買わないことにしていたのだが、迷った挙げ句、ついに購入してしまった。

私が桜の品種や野菜の「栽培化」で考え込んでいたことが、そこには丁寧に解説されていた。

ダーウィンは22歳の時から5年間、ビーグル号で世界の探検をして多くの観察(地質、生物)を行い、鳩など多くの生物を実際に育て、「種」というものは決して安定したものではなく、突然変異や外部の環境条件などによって様々に変化することを認識した。

そして、そのメカニズムには、「人為的なもの」 〜 人間にとって都合がいい形質の選抜と「自然なもの」の両方があるという。「自然なもの」「自然の選択」〜自身の生存にとって都合が良い形質がゆっくりと蓄積されてゆく〜という説明は非常に説得的だった。

身近な植物にも、非常によく似ているものの、別種とされているものが結構ある。例えば、トサミズキとコウヤミズキ。花軸に毛があるかないかの違いである。ミツバコトジソウとキバナアキギリ。葉の形が異なるが、キバナアキギリの葉の変異も多いので、線引きが難しい。

ダーウィンは、そういう変異は無数に生じており(つまり、親と同じものなるという保証はなく)、変種・亜種・別種の分別は決定的ではない、と言っている。どこかで大きな分岐が生じて、その後、変異が累積し、例えば白熊(北極熊)とヒグマ(羆)ほどに分かれれば、明らかに別種となる訳である。

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この本以外にも今年はアメリカの大学の生物学の教科書を2冊も買ってしまった。日本の高校程度の生物学の入門書をいくつか見てきたが、初っぱなから化学式や細胞の話に入ってしまい、どうも付いて行けない。その点、アメリカの教科書は、綺麗な色刷りの図解や写真が多く、分かり易そうである。

丸善出版発行「エッセンシャル・キャンベル生物学」は、500ページを越える大著だが、紙が薄くてさばきがよく、重要な言葉には原語(英語)も添え書きがされていて理解し易い。この本の最初の方に「進化は生物学の統合テーマ」とあり、ダーウィンの先見性が強調されている。「ダーウィンの進化理論は生物学の中でもっともよく記述された、最も包括的で、最も長寿命の説となっている」という。「種の起源」の初版は1859年で150年以上経っているが、本当の意味で「古典」なのだなと思わせる。

ちなみに生物の教科書から、今、私が理解したいと思うことの中心は、昔の言葉で言うと「炭酸同化作用」、現在の言葉で言うと「光合成」である。

今年は、「自然エネルギー」という言葉を多く耳にした。植物は太陽エネルギーを有機物(有機化合物)という別のエネルギー(物質)に変換している。これは凄いことである。電力は大切だが、もしエネルギーの循環を考えるのなら、食料や水のことを考えなければ、と私の頭は飛躍してしまう。

光合成のキーは、太陽光の中の特別な波長の光波と、それを受ける葉緑体の光化学反応、それと連鎖するエネルギー変換行程にある。  しかし、説明なしに出てくるATPなる言葉に立ち止まっているようでは、「光合成」の玄関先にも入れない。 (ATPはアデノシン三リン酸。自然界で、エネルギーを伝達する重要な物質。スポーツジムで、筋肉の働きを教えてもらった時にも出てきたじゃないか!と自分にいい聞かせているのだが…………)

年内にすっきりと説明できるところまで頭が整理されるか、楽しみにしているところである。

夏の楽しみ ソバ打ち

私の佐伯の園地の地番は廿日市市津田370の10である。グーグル・マップ(航空写真)で検索すると、近所の様子が分かる。山(鷹巣山)へ向かう道は行き止まりで、私の小屋より奥には3軒の家がある。(航空写真は古いので、家は全部は写っていない。)一番奥の家は、林の中に納まっている。自作のログハウス風の別荘で、サイズも作りも堂々としており、それらしい雰囲気がある。

ここのご主人が仕事を終了して滞在する時間が長くなった。近くに畑を借りて野菜作りをしておられる。8月のある日、「ソバを打つ」ということで招かれた。

広島には「高橋名人」というこの業界(ソバうちの世界)では名が知れた指導者がいるが、その直伝である。2段に一発で合格した力量で、手順はこなれている。

近所には、定住のSさんと別荘のMさんがおり、コーヒーをいただいたり、餅つきもしたりしている。

それぞれのスタイルで庭の手入れが行われている。ちょっとした高度差で周りの景色がまったく異なり、季節ごと、それらを楽しみながら折々のゆったりとした時間が過ごせるのが喜びである。

染物

8月は外の作業がし難い。8時前に園地に着くぐらいに出掛け、午前中の作業がいいところだ。野菜の採取のために出掛けたが、外の作業ができなくて、染物をしたことが2回あった。

1回は、ブッドレアの鮮やかな花の色を何と写し取れないだろうかと挑戦をした。うっすらと色付いたものの、キチンとは染まらなかった。もう1回は、種からアイ(藍)を育てて、生葉で染める作業。生の藍は、ミキサーなどで組織を壊して色素を抽出し、布地を浸す。いわゆる藍玉を用いた染物とは異なって、短時間勝負の草木染めである。水色と緑を合わせたような色彩になる。

草木染は絹糸にはよく染まり、良い色が出るが、テーブルマットなどにふさわしい木綿はなかなか思うようにならない。これ以外にも何度かトライしてみたが、結局、身には付かなかった。

草木染も老後の活動テーマの一つとして考えていたのだが、抱えていた機織り機械一式も昨年処理してしまい、材料の糸も始末してしまった。もはや戻ることはないと思っている。

8月29日

野菜の収穫と、「8月最後の状態確認」のために佐伯の園地に出掛けた。

川沿いのツリバナ(吊花)の実が、赤く熟し始めていた。昨年の秋に気がついて、種名を確認したのだが、やはりツリバナ(吊花)であった。

写真の写りは悪いが、サワフタギ(沢蓋木)の実も色が付き始めていた。この木も昨年の初夏に「サワフタギかな?もしそうなら、秋に実が付くはずだが」と思い、秋を待ったが、実はならなかった。しかし、今年はいっぱい実が付いている。一年越しの種名確認である。

今年は、梅雨時から赤い実を付ける木があって、これは図鑑でイソノキ(磯の木)であると判定した。8月末の時点では、実はほとんどなくなってしまったが(鳥が食べたのか?)、今年は、実付きの良い樹木が多いように思う。  ミスジ蝶の仲間の、やや大きな綺麗なチョウが飛んで来た。調べたらホシミスジである。ここで見るのは始めてである。 付近の田圃たんぼは刈り取りが近い。

津田は、この夏は1回も「熱帯夜」になることがなく、早くも秋の気配が近付いている。