時空の漂白 70      PDF (2011年9月30日)

広島・里山便り(9)                高橋 滋

最初に前回のフォローをしておきたい。

まずは朝焼け。
先月、「思わずカメラを構えたくなる朝明けは年に何回もない」と記したが、今月に入って、7日、8日、12日、16日、18日と、連続して印象的な朝焼けがあった。

9月12日の「光芒」は昨年見たものとよく似ており、9月18日のものは、綺麗とか美しいというよりも、なにか重たい、不安を募らせる景色であった。

もっとも数多く出現したとは言ったものの、受け取り側の気持ちのためなのか、実際に多かったのかはよく分からない。

1988年から3年間、アメリカに駐在し、最後の年、カリフォルニア州のラグナビーチという海沿いの町にアパートを借りたのだが、91年10月、日本に帰る直前の頃は、毎日、凄い夕焼けであった。見たことがない赤い色であった。

これが太平洋の夕焼けかと感心したのだが、後になってフィリピンのルソン島のピナツボ火山の噴火の影響であることを知った。そういうこともあるのである。

噴火と言えば、既に忘れられているようだが、今年は鹿児島県の霧島山の新燃岳しんもえだけの噴火で始まった。1月中旬に噴火し、まだ完全には収束していない。

ところでインターネットを見ていると、地震の前兆(地磁気の変化など)と朝焼けを関連付けた記述もみられる。

また震災から半年過ぎたが、その間、3月から4月にかけては低温、そして早い梅雨明け、さらに今月の台風12号、15号の豪雨災害と、「異常」と呼ばれる現象が続いている。

このような「異常」現象と朝焼けに関係があるのかは分からない。分からないのだけれども、気持ちがいまひとつ定まらないのも事実である。

「異常」が続いていると、1週間前のことも直ぐに遠くに霞んでしまう。「無常観」という言葉が浮かんでくる。

われわれを取り巻く自然は、古戦場の跡の夏草のように「変わらず生まれてくる」のであろうか。

カッコーやホホトギスのように日を定めたように姿を現すものもあれば、昨年は乱舞したのに今年は姿を見せない揚羽蝶(あげはちょう)のように不安定なものもある。
「ことしはどうも○○だね」
「秋野菜の育ちが悪いね、果物の出来が今ひとつだね」
という声も多く聞く。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

流れる川の水は絶えることはないが中身は違うと書いた、800年前ぐらいの平安末期から鎌倉時代を生きた歌人、鴨長明かものちょうめい(1155〜1216年)の認識が正しいのかもしれない。

広島西飛行場のこと

9月15日、広島空港(三原市)で定期便就航50周年記念の式典が行われた。1961年に観音の空港(現在の広島西飛行場)が開設され、定期便が飛び始めてから50年経ったということであった。

この広島西飛行場は、かつては韓国や香港への定期便が運行する「国際空港」であった。しかし、この広島西飛行場の定期便は昨年10月31日をもって終了した。

住宅街があまりに近く、また滑走路の延長が難しくて大型機の就航ができないという制約があって、主要な機能は1993年秋に完成した新しい広島空港に移転された。その後は、いわゆるコミュータ機がいろいろと運行されたが、JALの経営悪化でジェイエアが撤退することになり、昨年10月の事態を迎えた。  今年の春の市長交代の際に、広島市議会でトラブルがあり、議論があまりされないまま廃港につながる決定がなされた。時期は決まっていないが、遠からず廃港になり、ヘリコプターだけが運用される場所になることとなっている。ちょうど50年で直接的な使命を終えることになる。

人口減少に伴って先祖代々維持してきた田畑から撤退するように、戦後営々と築き上げた「社会資本」を縮減する一つのモデルであるように思う。

私が広島に来たのは1968年のことで、当時、東京出張は夜行寝台だった。新幹線は広島まで来ていなかった。東京で夕方まで仕事し、そのまま列車に乗り、広島に戻ると、そのまま直接、会社に向かったものだった。

1990年代になって、出張で飛行機を使える職位になった。この広島西空港は自宅にも近く大変便利だったのですが、定期便の発着する空港そのものが現在の遠くの広島空港に移ってしまい、私自身が便利さを享受できた期間は短かった。

私の自宅から、滑走路の一部が見える。ここに海の方からヒラヒラとプロペラ機が降りてくる光景は、ちょっとした楽しみだった。こうした姿がもう見られなくなった。ごくたまにセスナ機が離着陸するが、それも、もう僅かのことだろう。

いわゆるニュースにはなっていないが、9月22日、広島西空港のある観音の無線航法施設(VOR/DME)が止められたという情報が入った。もう計器飛行ではもう離着陸できないということなのだろうか…………。

9月という季節

今月に入ってから、「9月というのは、いったい、どういう季節なのだろうか」ということをずっと考えてきた。  アメリカでは、9月の第一月曜日は「レイバーデイ」(Labor Day)と呼ばれる休日である。「労働の日」で、労働者とその家族の祝祭を行う日ということなのだが、アメリカ人にとっては、これで長い夏休みは終わり、秋の始まりで、心機一転して頑張ろう、という日になっている。

アメリカには、「法律で、これらの日を連邦職員の休日とする」と決めている連邦の祝日はあるが、ナショナルホリデイというものはない。公的な祝日(学校などが休む日)は各州が決め、各州で異なる。民間企業は、独自の判断で休みを決めている。そのアメリカにあって「レイバーデイ」は夏の始まりでもある5月の最終月曜日の戦没将兵追悼記念日「メモリアルデイ」(Memorial Day)、それと11月の第4木曜日の感謝祭「サンクスギビングデイ」(Thanksgiving Day)---ほとんどの州が翌日の金曜日も休日として4連休となっている---などと並んで、間違いなく国民の(全国一斉の)祝日となっている。

学校では次の日から新学期が始まり、「Back to school」(「さあ学校だ!」)の言葉が飛び交う。  国土の広いアメリカでは、カレンダーを通じて人工的に季節感を作ってゆくという意味もあるのだろうが、緯度の比較的高いニューヨークなどの9月中旬の気温は最高25度、最低16度といったところで、日本の10月上旬ぐらいである。生活実感にもあっているようにも思われる。

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広島のこの1ヶ月を振り返ると、暑さ寒さも彼岸までとよくいったもので、確かに、彼岸を過ぎたら、あれだけ騒がしかった蝉は鳴かなくなり、7月から鳴き始めていたコオロギやアオマツムシなどは生き急ぐように大きく鳴くようになっている。「熱帯夜」という声も聞かなくなる。朝方は寒くなり、扇風機も不要になっている。

ただ、9月初旬から中旬までの自然の流れ(季節のけじめ)は、どうもイメージが定まらない。

初旬には8月の炎暑が残って乾燥が続けばカラカラとなり、秋雨前線や台風次第では日照が不足する。中旬には、大陸から冷たい空気が下がってきて長袖が欲しくなる日もあるが、ドロッと暑い日も戻ってくる。

時折やってくる台風も気まぐれで、ある時はノロノロ、ある時は韋駄天いだてん、そして、ある時は風台風、ある時は雨台風と様々である。

デジカメの過去の撮影記録を見ていても、9月という月は、やはり夏の終わりのような、秋の始まりのようなまとまりのない季節で、写真数が少ない。

自然の脅威に押されてモタモタするうちに10月になり、ドサッと寒さが押し寄せ、周りの景色も足早に変わってしまう、そういう時期のようだ。

今年9月の台風は大変厳しかったが、そういう擾乱と、アッケラカンとした異常な明るさが同居している季節のようにも思う。この9月5日の青空はスコーンと明るかった。気象庁データによると、この日は広島市の「視程」は50㎞という、滅多にない大きな数字であった。

そういう訳で9月の良い写真は少ないのだが、その中から津田の園地の変化をダイアリー風に追って見てみよう。  9月4日。園地への道すがら、「9月の花はヒガンバナだな。昔は彼岸の頃一斉に咲いたが、この頃は、出始めがばらつくな!」と言い聞かせながら注意して進むと、案の定、道路際に少しだけ咲いていた。

ちょっとした温度差の累積で成長がずれるのだろうか? 近年、咲き始めの時期がばらつく。ダーウィン流に言うと、温暖化時代を迎えて、生き延びる種が出始めているということなのかもしれない。

園地のヤマボウシ(山法師 植栽品)に実がたくさん着いていて、一面に落ちていた。サイズが非常に大きい。  草の間から頭を出している鮮やかなキノコが秋らしい風情である。

9月7日。今年は、園地のレイアウトをやり直す計画である。菜園の部分は、全体が約80センチの高低差で斜めに傾いており、今まではその傾斜をある程度残して、畑としてきた。ほぼ8年経過したが、土の出来具合がいまひとつである。

掘り起こしてやり直したいという気持ちと、傾斜をなくして土壌や種子が流れてしまうのを防止したいということから、法面(というよりも仕切り)を設けて、「段々」にしようという考えである。仕切りは板と石積みと両方を試みる。木のほうは、海外の菜園でよく使う「レイズドベッド」(Raised Bed)風のしつらえである。

冬場にでも一挙にやれば、手早くできるのだが、花を残しながら、秋野菜の種を撒きながらの作業である。

9月9日。ラッキョウ(辣韮)、ネギ(葱)、ニラ(韮)を植えた。私は勝手に「ロング葉もの」と呼んでいる。場所をずっと占有するが、何かと便利な野菜である。  いずれも、植えてあったものの株分け・球根わけで、経済的でもある。(ちなみにラッキョウは植えて1年目に大きな球がとれ、そのまま放置すると2年目に花ラッキョウという小粒のものに変化する。植え付けには花ラッキョウを用いる。)

新菜園「レイズドベッド」には9月4日に蒔いた大根やレタスなどの菜物がもう芽を出していた。その残りのスペースにはニンニク(蒜)を植えた。

9月13日。石を積む。 作業に専念していて写真はない。

9月15日。土作りを継続。広島市の最高気温は5日続いて33度を越えた。気象庁の「アメダス」(AMeDAS , Automated Meteorological Data Acquisition System)でも津田は31.3度で、シャベル仕事も、フルイを使っての選別もエネルギーを要し、大汗をかいた。

あまりの暑さで、普段やらない水を撒く。大根がだいぶ育ってきていた。ここでは普段はほとんど水撒きをしない。というよりも出来ない。やり始めたら毎日やらないといけない。「自然の水分で生き残るもののみ生き延びよ」と草々に言い聞かせる。野菜の植え付け直後や見るに見かねた時に、水をやる程度である。これが「イギリス物」がほとんど夏を越さない大きな要因となっている。

7月初めに梅雨明けした今年は、スカビオサ 、バーバスカム 、ジギタリス 、アストランティア などが全部枯れてしまった。仕方がない。年初めに空き地にしたところにツユクサが繁茂して、ちょっとした野草の花園が出来上がった。ナチュラルな風情である。こういう様子は一過性のもので、おそらく再現はできまい。

カボチャ(南瓜)を収穫。1株から2個。三シーズン使った立体式のカボチャ棚は、撤去した。つるもののゴーヤは、今年はできが悪かった。

9月21日。園地のヒガンバナが咲き始めた。この花の寿命は短い(2、3日で色が変わってしまう)。よく見ると繊細な構造をしている。種子では育たず、球根で拡大したといわれている。私の庭でも、少しずつ増えている。毒があるもののやり方次第で食べる救荒作物として全国に広がった。地域名が最も多い植物とも言われている。

この花の仲間はリコリス(Lycoris)と呼ばれる。リコリス属はアジア原産で、日本ではヒガンバナ以外にも、ナツズイセン(夏水仙)、ショウキズイセン(鍾馗水仙)、キツネノカミソリ(狐の剃刀)などの別種が見られる。それらを基にした園芸品種も多い。

コムラサキシキブ(小紫式部)の実が色づき始めた(植栽品)。この木は生育が良い。春先に刈り込んでも、新しい枝に花(と実)をたくさんつける。  ツルボ(蔓穂 野生)があちこちに見える。梅雨時のハンゲショウ(半夏生)と並んで、季節を告げる小花である。都会ではあまり耳にも目にもしない植物であろう(ツルボの語源はわからないという)。

見慣れないセセリチョウがきた。調べるとクロセセリである。南方系のチョウで、本州に定着するようになったのは最近のことらしい。山間部では珍しいとのこと。台風が通過中であり、いわゆる「迷蝶」かもしれない。久しぶりに「里山を歩こう」 に投稿した。

9月25日。気温が下がってきて、作業がしやすくなった。津田の最低気温は8.4度、上着がないと寒い。最高気温は24.8度である。気持ちが良い。 朝方の景色に秋を感じる。早くも紅葉が見られた。シュウメイギク(秋明菊 植栽)も秋らしい花である。「菊」という名前が付いているが、 「アネモネ」の仲間で、園芸新種も多い。イギリスで愛好されている。そうは言っても、アジア起源であり、当然のことながら、こちらでは育てやすい。秋野菜が順調に育つ。 ガマズミ(莢蒾)の実が輝く。表現は陳腐だがルビーのようだ。