時空の漂白 8  PDF (2005年3月22日)

広島便り:山中の小屋造り            高橋 滋

 

これから始まる物語は、広島市の住人(五九歳)の私が隣の廿日市市はつかいちし佐伯さいきの山中に小屋を建て上げるまでのお話である。それを毎月一回、十回ほど書くことを予定している。ただそれだけのことだが、忙中の一服の清涼剤にでもなれば幸いである。

建てるのは、週末農園などのための作業小屋である。日本のいわゆる「市民農園」の手本となったドイツの「クラインガルテン」(Kleingarten:小さな庭)にある「ラウベ」(Laube:小屋)のようなものである。

 

広島県の地図

住むことは考えてない。野菜や花の栽培、間伐材の加工、家具製作などの木工の拠点とするつもりである。自分では密かに「老後のプレイグラウンド」と呼んでいる。いつまで使えるのか分からないが、仕事を辞めた後の時間を消費する場所と設備を今のうちに準備しようというものである。

平成の大合併で、広島県でも多くの町村が名前を変えた。ここ廿日市市はつかいちし津田つたも、土地を購入した二年前は、佐伯郡さいきぐん佐伯町さいきまち津田つただった。廿日市市はつかいちしは広島市の西側に隣接し、佐伯さいきは西に長く延びて山口県に接する。

佐伯さいきには江戸時代の津和野へつながる街道があり、その跡が残っている。町を流れる一級河川、小瀬川は上流にまとまった集落がないため水は清冽せいれつである。水量も豊富である。なだらかな周辺の山は昭和の中頃まで多くの山の富を里の民に供給していた。

広島では、有力な事業家は、官製の広島市内ではなく、その周辺の町に育った。玖島くじまにある八田家は、資産は一県に値するといわれ、醸造などをしながら、広島の金融組織の母体を作った。ゴルフで有名なウッドワンも、佐伯さいきと同じ時期に廿日市はつかいちに編入した隣村、吉和の山林事業からスタートした全国区企業である。

佐伯さいきは広島県の中山間部としては比較的広い平坦地を持ち、人口は1万3000人程度。世帯の85%は農家で、都会へ通勤する人も多いが、たたずまいは農村地帯である。広島市から入るときは急坂を登って峠を越える。すると平坦地になる。その高度はおおよそ300メートルである。気温は市内より2~3度(冬は4~5度)低い。

先に「住まない」と言ったが、ここに到るまでの道の起点は「別荘が欲しい」という20年来の想いで、そのために広島県や島根県の物件を数多く見てきた。 

サラリーマンだった私には、「別荘」など、本来、無縁のものだった。家で仕事をすることはないし、子供と一緒に遊ぶ時間もそう長くはない。しかし、「別荘が欲しい」と想いは、なぜか強く付きまとった。いろいろな使い方を思い描きながら物件を探し続け、ようやく探索にピリオドを打ったのが、佐伯の100坪の里と山の境目にある住宅地だった。

しかし、もはやここに住宅を建てることはない。購入した広島市の市街のマンションを住みかにしながら、ここで仮想の「田舎暮らし」をするという構想を実現するつもりである。

「別荘」と「田舎暮らし」は私の中ではほとんど同義だったようだ。子供のころ世田谷区に住んでおり、夏休みになると近所の友だちが「田舎に帰る」というのを非常にうらやましく思った。朝早く起きると青白いセミがいるんだといった自慢話を、遠い世界の話のように聞いていた。振り返ると、サラリーマン時代の私の「別荘」を持ちたいという願いは、「田舎が欲しい」という幼児期の想いが形を変えただけのように思われてならない。

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別荘探しには、裁判所の競売システムを利用した。広島でも何回か不動産ブームがあり、その後遺症で、入居の進まない別荘向けの山林開発地やミニ住宅団地の競売が毎月公示される(地元地方紙に一面を使った広告が出る)。

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津田つたの物件は100~200坪、自宅から25キロメートル程度という条件にぎりぎりマッチしていた。敷地の半分を花と野菜に充てて、残りを作業小屋とウッドワークの作業スペースにすれば、何とか週末ライフが成立するように思われた。周辺は林で落ち着いており、傾斜は少なく、近くには小川も流れている。津田つたの役場まで1キロメートルであり、これも悪くない。88万円の最低入札価格の1割アップで入札して落札した。

この土地でも2000万円以上の根抵当が付いていた時期があった。土地バブルが弾けた後でも競売の査定(鑑定)価格はしばらく高止まりしていたが、入札不調後の再鑑定価格が一気に下がるようになった。ちなみに2回の再査定で元値の1割近くに下がった物件もあった。

もっとも落札価格と固定資産税台帳価格とは大きな開きがあった。落札した物件の固定資産税台帳価格は「入札額程度の価値だろう」と思っていたところ、町役場で閲覧した固定所資産税台帳価格は、その4倍以上だった。「購入価で税金を払わせて欲しい」と交渉したが駄目だった。不動産取得税も台帳価格があり、これは予想外の出費になってしまった。

ところで、私が土地を探すときに距離に関して付けた「25キロメートル以内」という条件にはついては、それなりの理由があった。以前、広島市の東、40キロメートルほど離れた東広島市に以前すんでいたことがあるが、現在住んでいる広島市の市街のマンションから、そこにまで出掛けてあれこれ作業すると、本当に一日仕事となってしまう。そこから25キロメートル程度なら40分ぐらいで行け、午前中のみの作業も可能だろうと考えた次第である。

事実、落札購入した土地に、昨年、園地の整備(花と野菜作り)のためにすでに60回以上出掛けたが、少しも行き来が苦痛ではなかった。

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本場の市民農園―――「クラインガルテン」(Kleingarten:小さな庭)は、住宅地からそう離れてはいないところにある一区画、300~500平米の広さのもので、そこに「ラウベ」(Laube:小屋)を建て、そこで休息したり、場合によっては寝泊りしたりするそうである。日本の「クラインガルテン」が農村部にあるのとは異なっているようである。

田舎いなかの風情や人情は恋しいが、老後の生活を考えると、一度享受してしまった都会の便利さは手放せない。このアンビバレンス(ambivalence)を満たそうとすると、都会の自宅から近いところで「擬似田舎暮らし」を実現するしかない。その場所としては都市との近接性は必要条件となってくる。

これから始める物語を貫くテーマを「スモールライフ」にしようと思うが、その前提の田舎と都会の、それぞれの良さを享受したいというアンビバレンスな欲求を実現できるのは地方都市、中小都市でなければ不可能なことなのかもしれない。

購入してからすでに2年あまりが経った。日当たりや風の流れ、温度の変化、空気の湿り具合、そういったものも分かってきた。

まだ着工してはいないが、すでに「ラウベ」(Laube:小屋)の構想もほぼ固まり、建築の確認申請を出す段階にきている。建設と同時進行の形で、これから月1回のペースで、その経過を報告したいと思う。それが十回程度に達したところで、「ラウベ」(Laubは完成し、そこで「擬似田舎暮らし」も始まっている予定である。