第 2講 知的財産権の概要(3/3) PDF

細川 学(2006年08月)  

知的財産権とガリレオ

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)

「陛下よ、私は、非常に簡単に、費用も少ししかかからず、大いに利益のある、水を揚げ耕地に灌水する機械を発明しました。即ち、ただ一頭の馬の力で、機械に附いている二十本の口からひっきりなしに水が出るのです。しかし、私のものであり、非常に骨を折り澤山の費用を使って完成したその発明が誰でもの共有財産となるのは嫌ですから、恭しくお願いいたしますが、同じような場合に陛下の御厚情がどこかの工場のどんな製作者にも御與えになる御恵みを何卒私に御垂れ下さい。即ち、私と私の子孫、或いは私や私の子孫からその権利を得た人々の他は誰も、上記の私の新造機械を製作したり、たとえ作っても、それを使用したり、他の目的のために形を變えて水やその他の材料を用い適用したりすることを、40年間、或いは陛下が思いを召す期間内は許されないように、若しこれを犯す者は陛下が適当と思召す罰金に処し、私がその一部を頂きますように、して頂きたいと存じます。そうして下されば私は社会の福祉のためにもっと熱心に新しい発明に思いを凝らして陛下に忠勤を励みます。」
特許の文明史 守誠・新潮選書

メディチ家
イタリアのフィレンツェにおける影の支配者、15世紀後半には王のような地位につき、16世紀には君公の称号(トスカナ大公)をえた。同家は約300年続き、18世紀に消滅した。文芸を奨励し、イタリア・ルネッサンスの最盛期をもたらした。ローマ法王レオ10世、クレメンス7世等はは同家の出身である。フィレンツェにはベッキオ宮殿、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂等数々のルネッサンス様式の建造物を建て、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチの芸術作品で装飾した。
ガリレオ・ガリレイ(1554~1642)
メディチ家コジモ1世の時代の物理学者・天文学者。振り子の法則、落体の法則を発見、ガリレオ式反射望遠鏡を発明、コペルニクスの地動説が正しと主張して異端審問(宗教裁判) にかけられ、自説を撤回したが「それでも地球は動いている」とつぶやいたと言われている。
ミケランジェロ(1475~1564)
イタリア・ルネッサンス芸術の最盛期を代表する芸術家。メディチ家のベッキオ宮殿、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ローマのバチカン宮殿等に多数の絵画、彫刻、建造物を残している。彫刻では「モーゼ」、絵画では「ダビテ」や「創世記」を描いた聖ピエトロ大聖堂の壁画・天井画等が多数ある。
レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)
イタリア・ルネッサンス芸術を代表する芸術家。絵画、彫刻、建築のほか科学にも優れた業績を残した。メディチ家には「三国王の礼拝」「受胎告知」等の名作を残した。ローマのバチカン宮殿には「最後の晩餐」等の名画がある。
晩年にはフランスのフランソワ1 世に招かれてフランスに住み、「モナリザ」 (1503年)等の名画を多数残した。